第十九話【芸術の五重奏】(一)
文字数の関係で2分割したので、続きを21時に上げます。
生温い風が、明日香と誠司の頬をそっと撫でていった。
ディオがニヤリと口の端を吊り上げ、彼の三白眼が二人を射抜く。
不意にディオの視線が宙へ流れ、指が弦をかき鳴らした。甲高い音が空気を震わせた次の瞬間、光の筋が走る。猫の爪痕を思わせる細く鋭いそれは、斬撃の形を保ったまま一直線に飛んできた。
誠司が咄嗟に明日香の頭を押さえつけ、身を屈める。光の筋は二人の頭上をかすめるように通り過ぎ、遅れて空気が裂ける音が追いついてきた。刹那、金属が何かに激突する鋭い音が響く。
呆然とする二人を眺め、ディオがゲラゲラと笑い声を上げた。
気づけばギターの先端に、白い煙で出来た猫がすましたように鎮座していた。
「ねずみが入り込んだみたいでな。悪いが始末させてもらった」
空中を浮遊していたDSIのドローンが、勢いよく地面に叩きつけられる。
結界を抜けられるよう改良されステルス機能まで搭載された最新型の機体が、いとも簡単に破壊される様を見て二人は思わず顔を歪めた。
『ザザッ……白崎さ……飛渡く……一体なにがあっ……ザー……』
辛うじて繋がっていた無線も、やがて砂嵐に飲み込まれて沈黙する。ドローンが落とされたことで、電波障害の影響を受けたのだろう。
章吾をはじめとする職員達がドローンのカメラ映像を頼りに遠隔で指示を出すという作戦は、ディオの妨害によって完全に瓦解した。
ここに辿り着く前にロストを救出した直後、新たなロストが五体追加で出現したという報告も入っていた。外からの援護を期待することは、もはや叶わない。二人だけで乗り切るしかなかった。
誠司が立ち上がり、ディオへと銃口を向ける。しかし引き金は、静かなままだった。
「おっと、今撃ったらどうなるか分かるよなあ?」
ディオがニヤニヤと笑いながら誠司を挑発する。
その視線の先では、ロストファクターの一人である紅葉が、ディオの盾になるように立っていた。
明日香も誠司に続いて立ち上がり弓を構えるが、攻撃の姿勢には入れない。苦虫を噛み潰したような表情で、ディオと紅葉を交互に睨みつけた。
「あー、殺気立ってるとこ悪いが、今は別に戦うつもりは無いんだ。俺はそこの嬢ちゃんに用がある」
ディオが片手を気怠そうに振りながら、もう一方の指先で明日香を指した。
「嬢ちゃんをアリダ様の所に連れてくのが俺の仕事なんでな。分かったら坊主、そこの嬢ちゃんを俺に渡せ」
弓を握る明日香の手が、ピクリと揺れた。
誠司が一歩前へ出て、銃を構えた体勢を維持したまま鬼の形相で叫ぶ。
「てめえ何言ってんだ! そんな話聞くわけが」
「分かった」
「明日香っ!」
振り向いた誠司の反論を遮るように、明日香は静かに答えた。その表情は、驚くほど落ち着いていた。何を言い出すんだと憤る誠司を見て、ディオが笑い出す。
「あっははは! やっぱり嬢ちゃんはそこの坊主と違って物分りがい」
「その子と引き換えなら、行ってもいい」
ディオの言葉を断ち切るように、明日香は紅葉を指差した。
紅葉は意識を乗っ取られているのか、目は虚ろで表情からは何も読み取れない。
空美の話した、シェイドが元々幽霊であるという仮説通りなら、ディオが実体を保っていられるのは紅葉が手放した心が彼の中にあるからだ。ならばこの取引を受け入れることなど、出来るはずがない。ディオのこめかみが、わずかにぴくりと引きつった。
「……ははっ、中々言うじゃねえか。この俺からマスターを奪えるもんならやってみな!」
ディオが紅葉の肩を掴み、自分の前へと突き出す。
誠司が舌打ちして顔を歪めるのを見て、ディオはさらに畳みかけた。
「そうだよな! お前らはロストにしか攻撃出来ないから、人間のマスターは攻撃出来な」
そこまで言った時、光の矢がディオと紅葉めがけて飛んでいった。
一切の躊躇なく矢を放った明日香に、ディオが一瞬だけ目を見開く。横へ飛び退いて辛うじて回避したディオの横を、矢が紅葉の身体をわずかにかすめて宙へと消えた。
「おいおい危ねえだろ! こんなか弱い子どもを攻撃するとか、嬢ちゃん人の心が無いんか?」
ディオが馬鹿にしたように明日香をおちょくる。
誠司が驚いて横目で明日香を見る中、明日香は静かに口を開いた。
「今、どうして避けたの?」
「…………」
「紅葉ちゃんを盾にしてるなら、私の攻撃は防げるはず。なのに、どうして避けたの?」
問いかけに黙り込むディオへ、明日香はふっと挑発するような笑みを浮かべた。
「私たちの攻撃、紅葉ちゃん達ロストファクターには効かない。でも貴方には効く。そういうことでしょ」
明日香が再び弦を引き光の矢を生み出す。無数の光の線が束となり、ディオへと照準を合わせた。
「この武器は私達セイバーにも効かない。だから、人間であるロストファクターにも効かない。でも、貴方達シェイドは偶然手に入れた物で実体を保っている。攻撃が通るということは、ロストと同じくニードルの成分と近い性質を持っていると推測できる。だから、いくら盾にした所で、その子が傷つくことはない!」
ディオの額に、じわじわと青筋が浮かび上がる。
口元はあくまで三日月の弧を描いていたが、その目から、笑みが静かに消えていった。
「へえ……思ったより冷静じゃねえか。これはかなり楽しめそうだなあ!」
ディオが再びギターの弦をかき鳴らすと、白い煙の塊がもう一つ姿を現し、みるみるうちに生き物の形へと変わっていく。
ロバの形をしたそれが地面を踏み鳴らした瞬間、明日香と誠司は咄嗟に跳躍して後方へ退く。二人が立っていた場所のコンクリートが、轟音と共に割れて盛り上がった。




