第四十一話【心を手放した代償】
風が吹く音がいつもより大きく聞こえる。
誠司は明日香から目を逸らさずに歩を進め、明日香の正面に立った。
「お前……俺が分かるのか……?」
誠司の言葉の意図が理解出来なかったのか、明日香が少しだけ首を傾げる。
「分かるって、何が?」
「いや、だってお前、記憶……」
その言葉に明日香は一瞬だけ疑問符を浮かべるが、すぐに意味を理解したらしく、静かに微笑み返した。
「ちゃんと覚えてるよ。私はあの子達みたいに、記憶を無くしてない」
その言葉を聞いた誠司は、緊張の糸が切れたようにその場に座り込む。口元に笑みを浮かべたまま、明日香が誠司と目線を合わせるように膝をついた。
「シェイドと戦った時、胸の中心にあった核を壊したでしょ? だけどアリダの核は、壊さないで私の中に取り込んだの。多分それが関係してるんじゃないかって」
「そっか……そうだったのか……」
「うん。だから、それは大丈夫」
あの時、光の繭の中で明日香はそんな事をしていたのか。
恐らく明日香がアリダと対峙したからこそ出来た芸当だろう。
力が抜けたように笑う誠司を見て、明日香が微笑む。
アリダの核を直接取り込んだという事は、明日香がかつて手放した心が戻ったという事だろうか。どことなく、明日香の表情が前より自然に見える気がした。
だが、その中に小さな違和感があった。
恐らく普通だったら気付かない。上手く説明しにくい勘というものが誠司の中で働いた。
「お前、まだ何か隠してるだろ?」
「え、なにかって」
明日香が少しだけ驚いたような表情を見せる。
誠司を訝しんで首を傾げる明日香だが、その時誠司は先程感じた違和感に気付いた。
「とぼけんなよ。お前何かある時、声が普段より少し高くなるんだよ」
眉をひそめて明日香を見つめる誠司に、明日香は少しだけ目を見開き、眉を八の字にして苦笑いする。誠司には敵わないなあと呟きながら明日香が立ち上がり、手すりに手をかける。誠司から目をそらすように遠くの景色に目を向けると、誠司も立ち上がり明日香の隣に立った。
明日香が景色を眺めたまま口を開いた。
「……心臓が、弱くなってるって」
その瞬間、一瞬、時が止まったような気がした。
「…………え?」
「心臓の機能がね、年齢の平均より落ちてるんだって。だから、日常生活に支障は無いけど、激しい運動とか、セイバーとしての活動はもう出来ないって。とは言っても、私のコアは壊れちゃったから、もうギアにする事は出来ないんだけどね」
明日香が苦笑いしながら服のポケットに手を突っ込み、小さな袋を取り出す。章吾が見せてくれたのと同じ明日香のコアだった水晶の欠片の集まりが、しゃらしゃらと袋の中で音を立てていた。
「……それだけか?」
誠司の顔から笑みが消える。
その顔が見れないのか、明日香は景色を眺めたまま誠司の顔を見ようとしない。心臓が弱くなったという告白だけでも衝撃的だったが、明日香はまだ話してないことがある。何となく誠司にはそれが分かった。
ハハッと明日香は小さく失笑してコアをポケットに入れると、少しだけ目線を下に向けた。
「……まだ分からないけど、多分、その影響で……寿命も短くなってるかもしれないって。研究開発班の人が、そう言ってた」
努めて軽く、淡々と、聞かれたことだけ話す。
少しだけ笑みを浮かべながら。
それは確かに自然な笑みだった。
しかしそんな明日香とは反対に、誠司の顔からは笑みが完全に消えた。
「なんで……」
なんでそんな事になったんだ。
明日香の心が、感情が戻ってきただけなのに、なんでそんな事になったんだ。
そんな誠司の疑問が伝わったのか、明日香が再び話し出す。
「分からないけど、私ロストに二回なったでしょ。今までロストになった人でもう一度なったって人はいないから、それで心臓に負荷がかかったのかもって。ニードルも胸に刺したし。それと……アリダの核を取り入れる時、ギアじゃなくてコアのまま力を引き出そうとしたんだ。だからそれでコアと身体に、必要以上に負荷がかかったのかもしれないって。あとは私の父さん、心臓の病気で亡くなったから、その遺伝もあるのかもしれない」
明日香が分かる範囲で理由を次々と話すが、それは誠司の耳から入ってはすり抜け、右から左へと抜けていった。
「でも……これで良かったんだよ」
明日香が話した心臓が弱くなった仮説は耳に残らなかったのに、それを受け入れる明日香の肯定だけはしっかりと頭に残った。聞き捨てならないと誠司は口を開く。
「は……? なんでだよ、明日香は何も悪くないだろ……?」
自分で思ったよりも低い声が出た。
手すりを掴む明日香の手に力が入るが、声のトーンは変わらなかった。
「だって……私は無関係な人をロストって怪物にした根源だから……その私が何もお咎め無しなのは、筋が通らない」
誠司は納得出来なかった。
明日香が心を手放したのは、沙夜を守る為だった。
やってはいけなかった事だとは思うが、それがアリダを生み出し、シェイドを生み出し、ロストを生み出したのは結果論だ。明日香が狙ってやった訳じゃない。
そもそも明日香が心を手放すことになったのは、元を辿れば彼女の周りの環境が原因だ。そこに明日香の落ち度は全くない。
「だから……、これは当然の報いなんだよ」
にも関わらず、明日香は全て自分で背負おうとしている。背負いきれない責任を全て自分で処理しようとする明日香に、誠司はやり場のない怒りが募っていった。
「でも大丈夫だよ、それに……別に今すぐどうなるわけじゃな──」
今まで見た事ないくらい自然な笑顔で、明日香が誠司に振り返りながらそう言った次の瞬間、誠司は明日香の手を掴み思い切り自身に引き寄せる。
そのまま腕の中に閉じ込め、戸惑う明日香を力強く抱きしめ離さなかった。
「え、ちょっとせい……」
「だから……っ、なんでお前はいつもそうなんだよ……!」
誠司の声は怒りと悲しみと、色んな感情が混ざっていた。色んな感情が押し寄せ制御出来ず、それが叫びとなって外に出た。
「いきなり寿命が短くなったとか、急に言われて怖くないわけねえだろ! 何でそんな平気な顔してんだよ!?」
明日香に怒りをぶつけた所で状況は何も変わらない。
それでも誠司は止まらなかった。
心が戻った事により、明日香は自然に笑えるようになっていた。けどそれは、悲しみを隠す為にする事じゃない。明日香のそんな顔を見るのが、誠司には耐えられなかった。
「もっと自分に素直になれよ……俺の前でまで強がるんじゃねえって、前にも言っただろが……!」
やせ細った明日香の小さな身体を、誠司は力強く抱きしめる。誠司の叫びが明日香の胸に響き、声にならない感情が明日香の胸の内から溢れ出す。
それが、明日香の目から堪えきれずに外に溢れた。
誠司から離れようと身をよじる明日香を、誠司はより一層強く抱きしめる。
「……っ、誠司……おねが、離して、」
「やだ、離さねえ」
「だって、これ、止まんな……っ!」
「んなこといちいち気にすんなよ。今泣かねえでいつ泣くんだよお前は」
じわりと誠司の胸の部分が生暖かい液体で濡れていく。
明日香の身体が小刻みに震え始め、そのまま重力に従いコンクリートに膝をつける。
明日香の身体を受け止めようと座り込んだ誠司は明日香の頭部に腕を回し、自身の胸に明日香の顔を優しく抱き込んだ。
風の音だけが聞こえる屋上に、明日香の嗚咽が加わる。
小さく、だが抑えきれずに漏れ出すそれを、誠司は静かに聞いていた。
しばらくそうした後、明日香の声が止まる。
ゆっくりと深呼吸をした後、明日香は誠司の胸の部分を掴みながら静かに口を開いた。
「……埼玉支部に保護された日の夜、屋上から飛び降りそうになったの。すぐ杏さんに止められたけど」
「そっか」
「あの時は何も考えられなくて、衝動的にだったけど……」
明日香からの告白を、誠司は静かに受け止める。
明日香はもう一度口を開こうとして、閉じてを繰り返し、意を決したように声を絞り出した。
「今は……死ぬのが怖い……」
それは、明日香が初めて見せた弱さだった。
誠司だけに見せた、明日香の一番柔らかい心だった。
誠司は明日香の身体を離し、両手で明日香の顔を、耳の辺りに手を当てて挟んで目を合わせる。
「俺がいる」
その言葉が、明日香の胸に響いた。
「俺がお前のそばにいる」
力強い誠司の言葉が、明日香の胸の中に静かに染み渡っていく。
「俺だけじゃない。沙夜もいるし……セイバーの仲間もいる。だから……その時が来ても、お前はひとりじゃない」
お前はひとりじゃない。
何度も言われたその言葉を聞き、明日香の目から堪えきれなかった涙が頬を伝う。
誠司が強引に親指でそれを拭うと、明日香が少しだけ笑みを浮かべた。
自身の顔を挟む誠司の手に力が入り、僅かに震えてるのに気付いた明日香は、誠司の片方の手を自身の手で上からそっと重ねる。
「誠司がそばに居るなら……私も心強い」
少しだけ目線が高くなった誠司の目を見つめ、明日香は静かに笑った。
涙で濡れた顔をくしゃりとさせて微笑む明日香を、誠司はもう一度自身の腕の中に包み込む。
その明日香の顔は、今までの大人びた笑みよりあどけなさがあったが、今までで一番綺麗な笑顔だった。




