第三十九話【つくつくと 蝉の声聞く 夏の暮れ】(二)
じりじりと太陽が照りつける日が続いていたが、昨日降った雨の影響で今日は比較的涼しかった。やかましかった蝉の声もいつの間にかミンミンゼミからツクツクボウシに変わっていた。
色々なことがあった怒涛の夏休みも終わり、来週から新学期が始まる。
一足先に準備の整った秋の虫が鳴き始めた夜、DSI東京本部の一室にて、誠司はノートパソコンのモニターを開いて座っていた。
『え……誠司君、今何て……』
三分割された画面の一つに映る美琴の顔が青ざめている。隣にいる奏は相変わらず無表情だったが、他の画面に映ってる和真と空美、杏も神妙な顔をしていた。
「昨日目が覚めた柊紅葉は、ここ最近の記憶が抜けていた。沙夜の事も覚えてなかったんだ」
閉鎖病院の戦いでロストになったロストファクター達の一人、沙夜の同級生でもある紅葉が目を覚ました。
誠司も沙夜と一緒に会いに行ったのだが、そこで初めて彼女の記憶が消えている事に気付いた。章吾達が話し合って何とかするのは分かっていたが、誠司も情報共有の為と他のセイバー達に声をかけて、今日報告の場を設けたのだ。
「父さ……本部長から聞いた話では、両親が離婚したことは辛うじて覚えていたが、その後引越しをした事は覚えてなかったそうだ」
『それって、離婚と引越しの間に何かがあったってこと?』
「多分……その時に紅葉は、明日香と同じように心を手放したんじゃないかって。それがこの世に未練の残ってた幽霊と融合して……あとはまあ、そういうことだ」
空美の質問に、誠司は仮説と自分の考えを混ぜて答える。辻褄が合ってるからなのか、反論の声は上がらなかった。
『つまり、心を捨ててロストファクターになった後の記憶が無いって事か』
『シェイドの胸にあった核が、ロストファクターの捨てた心だとしたら不思議でも無いな。倒す為とはいえ、あれは全部私達で壊してるし。恐らく他のロストファクターも同じように記憶が無くなってると思って良いだろう』
『まあ、覚えてなくて逆に良かったかもしれないな……不幸中の幸いと言って良いか分からねえけど』
『それで、沙夜ちゃんは大丈夫?』
奏と杏が淡々と事実確認をし、和真が若干苦笑いをする。沙夜を案じた美琴の言葉に、誠司は答えた。
「ショックは受けてたみたいだけど、また友達になればいいって。あいつは強いよ」
『そっか……』
一番落ち込んでる沙夜が気丈に振舞ってるならと、美琴は努めて笑顔を作る。そしてしばらく考え込んで無言だった空美が口を開いた。
『なあ……明日香さんが、いつ心を手放したんか分かる?』
恐る恐る聞いた空美の質問に、誠司はぐっと息を飲んだ。
「……明日香と初めて会ったのは、ロストの騒動の時だ。ロストが生み出されるきっかけが、明日香が心を手放してアリダを作ったからだとすると……」
『その時には既にロストファクターになっていた。つまり、お前の事も覚えてない可能性があるって事か』
言い淀んだ誠司の言葉の続きを奏が補足して、誠司は唇を噛みながらも声を絞り出した。
「……ああ、そうだ」
『そんな……っ!』
誠司の肯定に、画面の向こうの空美と美琴が青ざめた。
自分達は出会って間もないからまだ良い。いや良くは無いし明日香が覚えてなかったら勿論ショックを受けるが、それでもまだ耐えられる。
だが誠司は、ロストを助けるセイバーとして、相棒として、長い年月を明日香と共に過ごしてきた。
それが全て無かったことにされてしまうかもしれない。
残酷な仮説が全員の頭に浮かび上がり、沈黙が走っていた。
『なあ、明日香の容態はどんな感じだ? 昨日退院したんだろ?』
沈黙を破った和真の顔を誠司は見る。努めて明るく振舞ってるのか、画面の向こうの和真の表情は笑顔だった。
このまま入院を継続しても手の施しようがない以上意味が無い。点滴等、最低限の看護ケアが出来る人がDSIの職員の中にいるということで医師から許可を貰い、明日香は昨日退院したのだ。
「ああ……、脈と呼吸は安定してるよ。本当に、ただ眠ってるだけみたいだ」
『そっか、それなら良かった……』
誠司の答えに、和真が安心したように微笑む。そしてじゃあさ、と言いながら和真が膝をパシンと叩いた。
『明日香の目が覚めたら、俺達でパーッとお祝いしてやろうぜ!』
和真の提案に、美琴がパッと顔を上げて笑顔になる。
例え明日香の記憶が無くなってても、自分達を忘れてたとしても、無事を喜んでお祝いする。その心持ちが今の自分達には必要だった。
『そうね。私達に出来るのは、明日香ちゃんを信じて待つことだもんね』
美琴が和真の提案に賛同し、空美も笑顔になり杏も微笑む。奏は興味無さげにふんっと鼻を鳴らすが、美琴の同意があったからなのか反対はしなかった。
『よーし! 明日香ちゃんの目が早く覚めますようにって、明日も頑張って龍神様の所にお参りしなきゃ』
『え、もしかして美琴、あの山毎日登ってんのか?』
『あっ! せやから美琴さんちょっと顔が焼けてるん? なんか海にでも行ったんかなーってぐらい肌黒くなってるで』
そう言って画面の向こうの空美が指を指す。恐らく美琴を指しているのだろう。確かによく見ると、美琴の肌は最後に会った時よりも全体的に肌が小麦色にこんがり焼けていた。
空美に指摘された美琴が恥ずかしそうに頬に手を当てる。
『やっぱ分かる? 帽子も被ってるし毎日出掛ける前に日焼け止めも塗ってるんだけど、すぐ汗で落ちちゃうみたいで』
『そういや、よく見たら奏も前に会った時より肌が黒くなってないか?』
『あ、そうなの奏も一緒に行っ……』
そこまで美琴が話した次の瞬間、美琴と奏の映っていた画面が突然真っ暗になった。同時に美琴の声も途切れる。
「あれ、通話切れた?」
『マジか。待ってな今チャット送る』
『あ、和真戻ってきたで』
『……あれ? おーいもしもーし聞こえるー?』
『ああ聞こえるぞ。そっちの電波悪かったか?』
『いえ、それは大丈夫です。なんか奏がボタン押したみたいで』
「てかそっち暑いの? なんか奏の顔赤くね?」
誠司が奏の顔を指摘した次の瞬間、再び美琴と奏が映る画面が真っ暗になった。
『あ!? 奏さんカメラ切ってもうたら美琴さんの顔も消えてまうやろ!』
『え、ええっ!? こっちの画面消えちゃってるの? ちょっと奏これどうやって戻すのか教えてよー!』
『落ち着け美琴。画面の右下にカメラのボタンがあるからそこを押せ』
『えっと……杏姉さんこれで合ってます?』
『ちょっ!? み、美琴さ、画面、画面縦になって……!』
「あー、これたまになるんだよなあー……」
『確か直すには……どうやって説明すりゃいいんだ?』
『待って、やばっ、ツボって……あかん腹が……っ!』
『ええーこれ失敗してるの? もおー奏どこに行ったのこれ直してよー!?』
突然身体が横になった美琴を見て、空美が腹を抱えて笑いながら画面から消えていく。それにつられて誠司も笑い出し、和真も笑い、杏も呆れながらも口角は上がっていた。
突然の思いもよらぬアクシデントに空気が一瞬和らいだ気がした。
ひとしきり笑った後に杏が今後の段取りをまとめ、誠司から始めたセイバーのオンライン会議が終わる。
通信が切れて真っ暗になったパソコンの画面を閉じて、誠司は廊下に出た。
そのまま隣の部屋のドアを開けて中に入る。
仮眠室になっているその部屋の奥のベッドで、明日香は眠っていた。栄養補給剤の点滴が刺さっている左手は少々痛々しかったが、ゆっくりと時間をかけて塞がった肩と腕の刺し傷に比べたら大したこと無かった。
「皆変わらず元気だった。美琴さんは奏と一緒に神様の所に行って、お前の目が早く覚めるようにって毎日お参りしてるんだってさ」
パイプ椅子を引きながらベッドの脇に置き、そこに誠司も腰を掛ける。すうすうと規則正しい呼吸を繰り返す姿は、本当に眠っているだけに見えた。
王子の口付けで姫は長年の眠りから目が覚める。そんなおとぎ話があったのを思い出したが、誠司は軽く頭を左右に振る。
今眠ってる明日香が物語の姫だとしても、自分は王子では無い。そんな事血迷ってもする気は毛頭なかった。
ただ明日香の手を握る。誠司が出来るのはそれだけだった。
「……お前はひとりじゃない。皆がお前のことを待ってる。だから……安心して、目を覚まして良いからな……!」
誠司は明日香の手を強く、しかし大切なものに触れる様に握りしめる。
堪えきれなかったものが、誠司の手の甲と、握り返される事のない明日香の手の上に落ちた。
空美も毎日、穂乃花の写真が飾られてる仏壇に向かって「明日香さんの目が早く覚めますように」って声に出してお祈りしてます。
和真も祈る場所が違うだろと言いつつ、一緒にお祈りしてます。




