っしゃああああああ!
「吸血鬼? 嘘でしょ?」
勿論存在は知っている。
それは夜の王と称され、普通の武器では傷つけることができず、また闇夜に溶け移動するので、その姿を捉えるのはかなり難しい。だが人間とまるで同じ姿をしているのである。
そして人間と異なり、吸血鬼は文字通り主食が血なのである。
正確に言うと魔力を含んだ血である。かつて吸血鬼達が一斉蜂起して、世界中の魔法使いを襲うという事件があったとかなかったとか。
それは人と魔物の大戦として語り継がれ、そしておとぎ話へと変遷していった。
昔は人間全員が魔法を使えたというらしいが、この大戦で大半の人間が吸血鬼に魔力を吸い取られてしまったために今、魔法を扱えなくなっている人も多くいるんだとか。
最終的に人間側は吸血鬼をやっつけることで、平和な時代を手にしたのである。
そもそもどうして、ほぼ無敵といっても過言ではない吸血鬼が敗れたのかというと、大聖人ファーラスによる功績が大きい。
その伝説の人物が世界の各地に神の力を込めた結界を形成し、その地に結界を維持するために教会を建て、村を作り、そして持久戦に持ち込んだ結果であった。
そしてリリスもそんなおとぎ話を聞かされていた口であった。
教会にも大聖人ファーラスという絵本として収納されていた。
だが大人になるに連れ、そんな話も嘘なのだと思い知った。
世界中を勇者と共にし、いろいろな地にも赴いたし、様々な魔物とも対峙してきた。
だがついぞ吸血鬼なんていうのは聞いたこともみたこともなかった。
そもそも人間と戦えるだけの数がいたはずなのに、根こそぎごっそりいなくなるなんて無理のある話だ。
だからこそあの話は嘘なんだと思っていた。
教会の権威を上げるために作られた与太話だと思っていた。
「嘘、まぁそう思いたくなるわな」
勇者は松明をかざしたまま、洞窟の奥へと歩き始めた。
リリスも残されまいと足早に勇者のあとを追う。
「っ、というかどうして吸血鬼と仲良くしてるのよ!」
そう、悲しいかな。リリスとしては吸血鬼の血を吸ったりだといったそんな性能には興味がない。
大事なのはただひとつ。勇者とあのさっきの吸血鬼の関係がどうかというだけだ。
悔しいことにすんごい美人であった。
例えるならザ・クールビューティ。
もし私が男であれば惚れていたかもしれない。一目惚れだ。
……まさかとは思うが。
苦労して勇者に会いにきて、挙句既に誰かに取られてました、あはは! 超うけるぅ~! とかそういったオチなのだろうか?
ふざけろ。
もしそうであったとしても、ここまできたのだ。
たかだか誰かと付き合ってるくらいで諦めてやるもんか。
結婚とかしてないんだったら、まだまだ分からないし。
というかもはや結婚してようが関係なくない?
だって? 相手は人間じゃないんだし?
吸血鬼だしぃ?
ノーカウントじゃない?
「別に仲良くしてるわけじゃねーよ。仕方なくって感じだな」
っしゃああああああ!
リリスは心のなかでこれまでにないガッツポーズを掲げた。
そのガッツポーズはさながら天へと駆け昇る竜の如しであったとか。
「私は嫌いではないんですけどね?」
いつの間にか。
暗闇からその吸血鬼は現れていた。
その両腕を勇者の首に絡ませながら。背後からのっかかっていた。
「纏わりつくなシルク。俺とお前の関係はそんなんじゃないって言ってただろ」
リリスは見た。
見てしまった。
嫌そうなフリをしつつも、ちょっと満更でもなさそうな勇者の表情を。
そして鼻でフフンと笑いながらリリスの方を勝ち誇った表情で見てくるその吸血鬼を。
「ちょっと! どこから沸いて出てきてるのよ! どきなさい! アンタやっぱりこの女に騙されてるんじゃないの!?」
だがシルクはどく素振りも見せない。ただニヤニヤと余裕そうな笑みをリリスに向けているだけだ。
「あーあー、嫌ですねぇ。女の嫉妬が見苦しいのはヴァンパイアでも人間でも同じなんですねぇ」
「誰が嫉妬してるっていうの!? アンタの方が子供みたいにムキになってて滑稽よ! いいから離れなさい!」
「お断りします。と言ったら?」
コロコロと笑っているシルクを、勇者は困ったように見ていた。
「普段はこんな奴じゃないんだけどな……」
結局シルクは勇者にべったりと張り付いたままでリリスの方をじっとりと楽しそうに見つめていた。
一方リリスは、勇者のいない間にどうにかしてこの吸血鬼を始末できないものかと考えていた。
会話は終わったが、二人の対決はまだ始まったばかりであった。
「まぁいい。話を戻すか。ちょうどついたしな」
松明に照らしださえて、木製の扉がひとつだけ浮かび上がっていた。
こんな洞窟の奥底に、なぜこんな人工めいたものがあるのか。
「隠れ家? もしかしてここに住んでたの?」
「そんなとこだな。シルク、そろそろお遊びは終わりだ。報告しろ」
部屋にあったのは椅子が4つと大きな食卓テーブル。
そこにテーブルクロスのように広げられているのは世界地図だ。
赤と黒のペンで落書きされた世界がそこに広がっていた。
リリスを無視し、勇者は椅子に腰掛けた。その背後にシルクも立ち、勇者越しに世界地図を見下ろしている。
「マジルカとの交戦は均衡を維持できていたのですが、やや形成が傾きつつあります。今後もあちらの増援が増えることを考えると、こちらの被害も拡大します」
「傾いた原因は?」
「英雄の加担が大きいです。サンダラ=マグスタス、ユーミル=クレヴィン、ミラン=ベズリーシアの3名、この3名が増えただけでもはや手に負えません」
何してんだあいつら……、と勇者は頭を抱えた。
「撤退させろ。即座に」
「御意」
シルクは掌を空へと向けた。
そして掌は溶けた。
いや、変化した。
黒い蝙蝠が一羽、宙へと羽ばたき飛んでいった。
洞窟の風穴へともぐりこみ、そして部屋から出て行った。
……どういうこと?
今何が起きてるの?
この二人は何を話しているの?
「次はサザンドリアに消し掛けた連中だな。そっちはどうなってる?」
「大した被害もなく、予定通りに進んでます」
サザンドリア? けしかけた?
ドク城のフワフワした女性と話して覚えている。
確か魔王がいる頃、軍備を蓄え続けていた城である。
平和になった時代に、その持て余した軍隊を世界に散らばせて、治安を悪くさせている城だという。
「元々城に駐在している兵士達の数も多くはありませんでしたし、英雄が干渉してこなければ問題なくこなせます」
シルクはそう言って、リリスの方を一度だけみた。
お前達さえいなければ、というような文句がその表情ににじみ出ているのが分かる。
勇者は地図に何か書き込みながら、次の質問を投げかけた。
「ドク城の方はどうだ。あそこの兵隊は少数でも統率が取れたいい動きをする。ハーピー達にはいい経験になってるだろう」
「頭の痛いことに……ハーピー達とあちらの兵隊が意気投合しておりまして、現在は共に食事を摂られています」
勇者の頭がさらにがくりと下がった。
「……何やってんだあいつ等。さっさと呼び戻せ。飯抜きにさせるぞと脅せ」
「ついでに血を抜かれるぞ、と脅しても?」
「なんでもいい。余計なことを喋る前にできるだけ早くだ」
「御意」
ぺロリと舌なめずりをしてから、シルクはまた蝙蝠を飛ばした。
「あとは――」
そんなやりとりがしばらく続いた。
勇者は地図に何かを書き込みながら。
シルクと呼ばれる吸血鬼は蝙蝠を飛ばしながら。
その様子をリリスはポカンとした表情で眺めていた。
勿論何も考えなかった訳ではない。
考えていた。
ある薄い可能性を。
ドラゴンに乗っていた時点で薄々とは思っていた。考えていた。
だがそんなのは有り得ない。
だから考えないようにしていた。
しかし目の前でその有り得ない可能性を裏付けるようなことが行われている。
まるで……勇者が魔物側に寝返ったかのような。
そんな印象しか受けないのである。
「それで。勇者は今なにをやってたのよ」
その作業はひとしきり続き、そして終わった。
頃合を見計らい、震えた声で聞いた。
それでも勇者は何事もないような素振りで応えた。
いつでもこの勇者は大事なことほど軽く応えるのだ。
「んー。魔物の王様、魔王だな」




