ぐにゃぐにゃなんだから!
「は? 何言ってるの……?」
「さっきから俺を知っている口だが、どこで俺を知った?」
まっすぐに私を見てくる勇者。
だからこそ分かる。
この言葉が冗談なのか、そうじゃないのか。
「……アンタ、一体ここで何やってんのよ。仮にも世界を救った勇者でしょ!」
「勇者? 世界を救う? 一体何を言っている? 戯言で惑わしているつもりか?」
あーもう!
あったまきた!
怒りに身を任せて立ち上がった。
痛みすらも無視できるほどの、これは怒りだ。
「ホラ! 帰るわよ! 馬鹿なことを言ってるんじゃないわよ!」
勇者の手を掴んで、街まで引きずり出してやる!
しかしリリスが掴んだ手を引っ張っても、勇者はぴくりとも動かなかった。
「……俺にはやるべきことがある」
「はぁ!? そんなんは街に帰ってご飯食べてお風呂入ってからしなさい! アンタちょっと臭いモン!」
臭いといっても汗臭いとか、そういったモノではない。
こんな森奥で、魔物にまみれてたらそれはこうなる。
人間の匂いではない、これは魔物としての匂いだ。
「……言っても分からぬ馬鹿女め」
手を――振り払われた。
それは拒絶の意思だ。
――痛い。
痛い痛い痛い!
アンタには分かんないでしょ?
好きな人。
本当に好きで好きで、命を賭けてでも会いたいヤツ。
そんなヤツから手を振り払われる痛みが分かるの?
そう言って勇者は腰の剣を引き抜こうとし――、
リリスは再びその手を掴んだ。
「そうよ! 言われても分からない馬鹿女よ! だから何度だってこの手を掴むわ!」
勇者は表情を変えずにもう一度その手を振り払った。
それでもリリスは即座にその手を掴んだ。
振り払う。
掴む。
そんなくだらない、子供のようなやりとりを何度か繰り返した。
「……くどい。次は……その腕を切り落とすぞ」
「だったらもう片方の腕で! それも落とされたら、その次はクルータイガのお母さんが赤ん坊を運ぶみたいに、口でくわえて運んでやるわ!」
「笑えんな」
「だったらまだ腕があるうちに連れてかれときなさい!」
今度は振り払うだけでなく、突き放された。
空いた距離を詰めようと、リリスは足を動かそうとし……。
そのリリスと勇者との距離は既に詰められていた。
だがそれは無慈悲な、冷徹な鉄の塊。
勇者の持つ剣によってだった。
「これ以上近づくなら、斬る」
「……」
それは手を振り払われるよりも痛烈な一言だった。
流石にリリスも息を呑んでいた。
「大人しく諦めて帰れ。この先はお前の領分じゃない」
「帰るときはアンタも一緒よ! サンダラもベズリーシアも! ユーミルもアンタを待って――」
――勇者の姿が一瞬にして消えた。
次に知覚したのは脇腹に走る痛み。
浮遊感。
衝撃。
軸足を基点に、しなやかな鞭のように振り回された足。
その回し蹴りがリリスに浴びせられ、吹き飛んでいた。
「そんな奴らも知らん。俺を惑わすな!」
「、!」
リリスは声を出そうとして、代わりに出たのは異物だけだった。
嗚咽と涙と鼻水と。
それらと同時に吐瀉物を吐き出す。
「サンダラは……今はコブ付きの大盗賊……」
息を整えながら、リリスはゆっくりと語る。
勇者は冷たい目でリリスを見下ろしている。
「ベズリーシアは……思春期まっさかりの女の子になってるわ」
勇者はゆっくりとリリスに近づき、そして鞘の入った状態の剣でその頬を殴った。
「もう黙れ」
「ユーミルは、なんかよく分かんない変態になってるわ。アイツ、なんなのよ」
それでもリリスは折れない。
勇者の目をしっかりと見上げて、話を続ける。
「アンタがいない間にみんな少しずつ変わっていってる。アタシ? アタシはあんまり変わってないけどさ。でも一番変わっちゃったのはアンタね。今のアンタを見たらみんな驚くわね」
「……なんなんだお前は。俺の仲間は今はそんな奴らじゃない」
リリスは笑った。
小さく、小さく笑っていたのだが、知らずの間にそれを抑えることができなくなった。
「何が可笑しいんだ?」
「何よ。知らん振りしてさ。ちゃっかりと"仲間"だったってことは覚えてるんじゃない」
勇者の表情は固まった。
「……お前がさっきそう言っていたからだ」
確かにリリスは仲間だと言った。
それでも、今は、という表現は昔に仲間だと認めていなければ出てこない表現だ。
「ほら! 今も! 何年一緒にいたと思ってるのよ。アンタが嘘をついてる時の癖くらい知ってるっつーの! ほっぺがぐにゃってなるのよ! 知らなかったでしょ? 今のアンタなんてぐにゃぐにゃなんだから!」
会った時から、アンタは嘘をついてた。
それでも些細な変化だ。近づかなければ確認できない。
だからリリスは出会ってから、勇者に近づこうとしていた。
確認がしたかった。
絶対に嘘だと分かっていても。それを確かめたかった。
「……諦めの悪いやつだ」
勇者は、そしてため息をひとつだけ吐いた。
リリスの周りでは、誰かが毎回ため息を吐く。
それはリリスの折れない心に屈したときだ。
「そこだけは相変わらずだな、リリス」




