もういっそ唇でも奪っちゃう!?
その声は冷たいものだった。
馬鹿らしくて。ひょうひょうとしていて。掴みどころがなくて。
かと思ったら、意外に男らしいところもあったりして。
でもその声はいつも居心地がいいものであった。
温もりがあった、とでも言うのだろうか。
それが今、ごっそりと全て抜け落ちていた。
かつての凛々しい視線はない。
世界に絶望しているような。自殺する寸前のような。
その瞳には生気がなく、光がない。
伸びきった髪は輪郭を隠している。
面影が残っているとすれば、その片手に握られている剣だけである。
「あ、アンタこそ! どうしてこんなところに――」
「――――!!」
近くに控えていたマウントベアーが雄たけびを上げた。
リリスの声を遮り、再びリリスの活力を奪った。
「俺が今、質問している。どうしてここに来た」
勇者の声は重く、そして冷たく圧し掛かった。
かつての仲間だという意識は微塵も感じられない。
そんな勇者に対して恐怖と、そして何とも形容しがたいモヤモヤした感情を覚えていた。
「あ、アンタに会うためよ! 今までどこに行ってたのよ! というかアンタ一体何してるの!」
「俺に会うため? 用件はなんだ」
勇者は眉をしかめながら、理解できないものを見ているような表情をしていた。
「……っ! アンタが消えたから探し回ってたのよ!」
好きって伝えるためよ! というのは、この流れでは流石に言えない。
「それだけか? 見ての通り、俺は消えてない。これで満足か? さっさと帰れ」
「満足してない!」
簡単にあしらわれているこの感じに、リリスは咄嗟に返事をしていた。
それに満足していないのは事実だ。
「俺はお前の目的が聞けて満足した。ならお前は残れ。俺は帰る」
「そうじゃなくて!」
リリスの声は段々と荒くなってきた。
そうだ。
この感情はあれだ。
怒りだ。
「くどいな。もう目障りだ。……止めて悪かったな」
勇者はマウントベアーの肩をポンと叩いた。
そしてそのままリリスに背を向け山奥に歩き始めた。
「ちょ! 待ちなさいよ!」
リリスは声を上げ、しかしその声はその背中まで届かなかった。
大きなシルエットが勇者の姿をかき消した。
今までは殺気を潜めていたが、本性を表したようだ。
マウントベアーがのっしりと立ち上がった。
今はもう抑える人はいない。このまま逃げなければこの魔物に食い殺されることになる。
それでもリリスの足は後ろへ動くことはなかった。
冷静な判断ができているわけではない。
単純に頭に血が上っているだけだ。
それでもリリスはここで死んだとしても、この判断を後悔するつもりはない。
ここで引き下がれば、憤死することは間違いない。
それだったら前に進もう。
前に勇者がいるのは間違いはないんだから。
「邪魔するんだったら、魔物でも容赦しないからね」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
マウントベアーが あらわれた!
マウントベアーは おおきく くちをあけ
するどいキバで かみついてきた!
リリスに 342の ダメージ!
「邪魔、すんな!!!」
リリスは 神聖な力で 十字を きった!
不可視の 力が 十字となって 空気を引き裂き マウントベアーを 襲う!
マウントベアーに 730の ダメージ!
マウントベアーは ぜんしんで つっこんできた!
リリスに 244の ダメージ!
リリスは 神聖な力で 十字を きった!
不可視の 力が 十字となって 空気を引き裂き マウントベアーを 襲う!
マウントベアーに 714の ダメージ!
マウントベアーを やっつけた!
5500ポイントの けいけんちをかくとく!
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
「……ま、待ちなさい!」
リリスは自身を回復をする間も惜しんで、勇者のあとを追った。
肩口を噛み付かれ、真正面からあの巨体のタックルを受けきった。
当然血がだらだらと流れているし、歩くたび全身に電流が走っているかのように痛みが走る。
恐らくは骨にヒビが入っている。それもそうだ。体重差がリリスと5倍は違う巨体に突っ込まれたのだ。
だがそれでもリリスは立ち上がって歩きはじめた。
はっきり言って異常だ。自分でも分かる。
回復する時間くらい一瞬だ。
それでも今はそれを優先なんてさせたくなかった。
確かにめちゃくちゃ痛い。全身がだるい。
それでも歩けてる。歩けてるんだ。だったらいいじゃん。
リリスはそんな気持ちで、半ば意地で勇者の後を追っていた。
「ちょっとまてぇえええ!」
そしてその背中を視界に捉えた。それと同時にリリスは叫んでいた。
勇者は立ち止まり、だがそれも一歩だけだった。
振り返らずに、またその歩みを再開させていた。
「待ってって言ってるでしょぉおおお!」
リリスは渾身の力を込めて叫ぶ。
「どうしていっつもそうやって私を置いていくのよ! 何キザったらしく話してるのよ! こっち向きなさいよ!」
あぁ、叫ぶのって体力がいるんだなぁ。
流石に立ってるのは辛い。
それでも声だけは届く。届かせてやる。
「サンダラも! ベズリーシアも! ユーミルも、そして私も心配してたのよ! ずっと一緒に戦ってきた仲間に対してこの態度ってなに!?」
くそ、泣くな。
ふざけるな。
ふざけるなふざけるな! ばか! ばかばか!
勇者のばか!
その背中が滲む。段々と遠ざかっていく。
「私の名前くらい呼べよばかぁあああああ!」
もう駄目だ。
立ち上がるのは勿論、座り込んで顔を上げるのも苦しくなってきた。
山奥に繋がるただの山道で、へばりこんでしまった。
別にこのくらいのキズは回復できる。
でも今はする気分じゃない。
ケガが回復したところで、この精神的に負った傷は治せそうもない。
ガサリ、と近くで足音がした。
魔物? それとも勇者が戻ってきてくれた?
一縷の希望を以ってリリスは顔を上げた。
――勇者と目が合った。
わざわざリリスがうずくまっている場所まで引き返してくれていた。
かなりの近い距離だ。
怒りの感情は確かにあった。
ふざけんなチクショー! と思ったときもあった。
顔を合わせたら、一発引っ叩いてやる! とも思っていた。
それでも。
こうして実際に顔を合わせてしまうと、赤面して何もできない自分に気付いた。
何を言おう?
何を聞こう?
私はどうすればいい?
取り敢えずやっぱり引っ叩こうよ!
いーや、もうちょっとこの懐かしい顔を拝んでおこう?
もういっそ唇でも奪っちゃう!?
頭の中ではたくさんのリリスが各々の意見をまくし立て、脳内会議はてんやわんやとなっている。
だが。
そんな妄想の世界から、力ずくで現実に引き戻されることになる。
「お前は誰だ?」




