ん、あ、どうも、リリスです
ロイド=フィリップは頭を悩ませていた。
昔から勉強はできた。勉強だけはできた。他は微妙。だが関係ない。
魔法都市マジルカで最難関と呼ばれるクロアーツ魔術学校を主席で卒業。その後は大学で研究付けの日々。手がけた論文の『流動素子の魔術流用における観測』は最高学位の論文誌にも載ったし、就職先にはマジルカの先端技術を消費者に届ける魔術製造業のトップメーカー、『マジョルカ製作所』の研究部門を選んだ。
この優秀な頭脳を更に技術の発達に貢献してやろう、と思っていた矢先である。
軍事関係の副代表をやれ、という辞令が下ってからどこかロイドの人生はおかしくなってきた。
上層部の考えは分からなかった。いや、嘘だ。分かっている。
ロイドの大掛かりな魔術実験の申請を無碍にし続け、そのくせ自分達の役に立ちそうもない、ただやっていますよ、という結果のためくだらない実験をやっていた上司に対して、ぶちギレたのが原因だ。
その翌日に部門長に呼び出されて左遷を食らったというわけだ。
軍事基地の参謀という肩書きでナンバー2の地位にいるのだが、トップのヤツは何も考えていない馬鹿であったため、実質の一番偉い役を担わされている。トップが無能だったのは平和であった良い証拠なのだが、今はそれが恨めしい。
なぜか始まる隣国ダマスとの戦争。
途絶える食料経路。防がれる魔法兵器。じりじりと追い詰められている戦況。これで頭を悩ませない訳がない。
更に悪い知らせというのが重なってきた。
「ロイド参謀! 客人です!」
部屋に走りこんできたのは、連絡係の兵士であった。
わざわざ連絡魔法を使わず、それもノックもなしに部屋に入ってくるなんて失礼なヤツだ。
「この時期に誰が来ると言うんだ! 追い返せ!」
このままならない状況に対して、苛立ちは少なからずあった。その怒鳴りはヤツ当たりに近い。
いつもなら怒鳴り返せば、すいませんといって退室するはずなのだが、その兵士は脂汗をびっしりと額に浮かばせながら、その場に立ち尽くしていた。
「……それが」
「下がれと言っているだろう!」
「あらあらぁ、あんまりねぇ。相当溜まってるんじゃなぁい?」
その空気にとても似つかわしくない、男だらけの職場に甘ったるい女の声が響いた。
「誰だ! 女なんて呼んで――」
ロイドはそのまま息を呑んだ。
……終わった。
そこに立っていたのは、赤いフードを目深に被り、妖艶に赤い唇をニっと吊り上げている女性であった。
その女性の名前を知らないヤツはこの世界に早々いない。
サンダラ=マグスタス。
魔王討伐の任に就いていた伝説の盗賊と呼ばれている人物である。
「随分な言い様ねぇ。ねぇリリスぅ?」
わざとらしくため息を吐いて見せて、サンダラは後ろを振り返った。
その視線につられて、ロイドもその背後を見た。
「リ、リリス大僧侶様!? ユーミル公!?」
ロイドはしばらく頭が真っ白になった。
なんで?
どうして世界を動かせる程の重鎮が3人も一斉にこんな場所に現れる?
そしてその人たちに対して俺はなんて言ってしまった?
「も、もうしわけ……」
急いで謝罪をするべきだということも分かっている。
しかし頭が理解するということに追いついていなかった。
これは夢だ。
それが一番納得のいく理屈だ。
その身だけで魔王を倒すほどのバケモノ達だ。さらに世界中とコネクションを持っているのも知っている。
そんな人達を怒らせたらどうなる?
考えずとも分かる。
終わる。
終わったのだ。
マジルカは俺の手で終わったのだ。
この人達がマジルカから不当な扱いを受けたと声を大にして言ってみろ。その瞬間にマジルカの信頼は地の底に落ちる。
すると魔術商品が売れなくなる。交易がままならなくなる。食料が確保できなくなる。
するとどうなる? 何万もの人間が飢えて死ぬことになる。
そしてその怒りの矛先はどこへ向かう?
無論、俺だ。
晒されて吊るされて火をつけられるに違いない。
はは。
どこへ逃げよう。
「ちょっとぉ、聞いてるぅ?」
「え、あ、あは」
ロイドはまだ混乱している。
かろうじて声が出せている状態であった。
もうそこにマジルカの軍事基地のトップであるという自責はない。
「あららぁ、こんなんだから舐められて戦争を吹っかけられるのよねぇ」
サンダラは立ったまま呆けているロイドの前に立ち、大きく手を鳴らした。
パン! という音が部屋に響いた。
「いいぃ? 今からリリスが言うことをよぉく聞きなさぁい?」
そして耳元で大きくサンダラは怒鳴っていせた。
「は、はい!」
ロイドは半分反射的に返事をしていた。
言ってからサンダラの言葉を反芻した。
どうやらまだ死ぬとは決まっていない。
それともこれから引導を渡されるのだろうか?
兎にも角にも、今は何の気力も起きない。リリス大僧侶様のお言葉を今はレヴィ豚のようにただぼけーっと聞いていよう。
「ん、あ、どうも、リリスです、いてっ」
リリス大僧侶様が目の前に立ったかと思えば、横にいたサンダラ様から小突かれていた。
……いや、きっと見間違いだろう。自分の目も信じられなくなってしまった。
リリスは咳払いをひとつした。
「我が大僧侶、リリスの名において命ずる。まずひとつ、ダマスが降伏しても過度の賠償を要求するべからず」
ダマスが降伏?
この人は何を言っているんだ? マジルカと勘違いしているのか?
「ふたつ、ダマスに攻め入るべからず。あ、これは魔法陣がとけてもね!」
そうしたくてもできないから困っているのである。
兵士達の士気もどん底だ。兵隊といってもいつも魔術で楽ばかりしている連中だ。一度の山賊狩りをしていただけで満身創痍になっている。
仮に魔法陣が解けたとしても、あの兵隊達はあたふたとするだけで、攻撃するなんてことも忘れているだろう。
だからロイドとしては答えは決まっている。
「……はい」
そんな状況になるのであれば願ったりかなったりだ。
イエスという以外に何がある?
「ん、よろしい!」
リリスはニコリと笑った。
その笑顔を見てロイドはまた心を奪われた。
テレビを通して可愛い人だな、とはずっと思っていた。
それでもそんなのは嘘っぱちだった。
本物は。俺だけに向けてくれる笑顔というのはそれとは比べ物にならなかった。
「それだけよぉ。んじゃあ忘れないでねぇ」
サンダラはそういい残して、3人は部屋を出て行った。
それから時間がしばらく経っていた。
何時間かは分からない。
それほどまでにロイドはぼけーっと立っていた。
「……ロイド様」
連絡係の兵士が話しかけてきて、ロイドは呆けたまま顔をその兵士に向けた。
その兵士の心配そうにしている表情が目に映った。
俺はどれだけ間抜け面をしていたのか。
しかしそれはそれで心地いい。
「……どうやら俺は夢をみていたらしい」
連絡係の兵士はロイドの言葉を聞いて、はぁ、と返した。




