5-9.戸惑い
報告会に聞いたレイチェルと謎の人物の関係性が気になって仕方がない。
そう感じた礼二は、夕食を終えて部屋でゆっくりしている間もがいていた。
「俺がダンテと戦っている間にレイチェルが顔見知りと会っていたとはな…」
心にもやが残る。彼女が話していた老魔術師は何者なのだろう。殺す瞬間を見ていたと語るなら、相手も彼女同様に時を過ごしているのだろう。
あらゆる可能性を頭の中で考えて考察する。
しかし、ただ考えるだけではどんどん疑問は深まるばかり。むしろ本人に聞いた方が良いのではないかと思えてきた。
「よし」
テーブルに投げてあった携帯を手に取り、連絡帳からレイチェルの名前を探した。
例えパートナーに近い存在であっても、こんな込み入った話に首を突っ込んで良いのか?
1年も経っていないというのに自分の話をしてくれるだろうか。
一瞬だけ戸惑ったが、自身の探求心に負けてレイチェルに電話を掛けた。
3回程呼び出し音が鳴ると、彼女の携帯と通話状態となった。
「もしもし」
「もしもし、レイチェル?」
「私の電話に掛けているんでしょ? 私が出なきゃ誰が出るのよ」
礼二自身、あまり携帯に電話することが無い。
固定電話に掛ける時同様に話したい相手が受話器の向こうに居るのか自然と確認してしまう。変な慣れが付いてしまっていた。
「そ、そうだな」
「どうしたの? こんな夜に」
「それは…」
「あの老魔術師について話を聞きたい」と聞こうとすると言葉が詰まった
これから礼二が聞こうとすることは彼女にとって触れられたくない過去なのかもしれない。
これを聞いてしまえば彼女とはいつもの関係で居られないかもしれない。
不安に駆られていると―――
「聞きたいことがあるなら何でも聞きなさい」
レイチェルから要件を促された。
聞きたいこと。彼女はもう自分が何の目的で電話を掛けているのか察しているようだ。ここで逃げる訳にはいかない。
「今日の報告会で話してた老魔術師のこと…レイチェルと何があったのか知りたいんだ」
礼二が平坦な声で尋ねると、受話器越しのレイチェルからは何も言葉は無かった。
少しの間沈黙が続くと―――
「分かったわ。長くなりそうだから私の部屋まで来てもらえるかしら? 今ちょっと手が離せなくて」
レイチェルから部屋に行くよう指示を受けた。
「何やってるんだ?」と尋ねたいところだったが、少し焦っていたせいか何も言えずじまいだった。
「分かった。準備したら向かうよ」
「うん、待ってる」
彼女の返事を聞くと、すぐさま通話を切った。
礼二の思考回路が数秒程止まった。
「えっ…何で…?」
まさか女性の部屋に呼ばれるとは思わなかった。
電話でも良かったのに何で部屋で? というか彼女が手の離せない用事ってどういうこと?
レイチェル自身に何か趣味があるとは思えない。それも気になるところであるが、1番は女性の部屋に呼ばれるという事実に困惑していた。
うぅう…どうしようううううう!
頭を抱えながら内心叫ぶ。
女性の部屋はB棟にある。
こんな時間に男性が女性の部屋に入るというのは変な誤解をされかねない。下手すれば「昨日はお楽しみでしたね」と噂が立ってしまう恐れがある。
よし、場所を変えてもらおう。
レイチェルと通話しようと携帯を操作する。
[お掛けになった電話は電波の届かないところにあるか、電源をお切りになられているためお繋ぎすることはできません。ピーッと着信―――]
まさかの通話拒否である。
意地でも自分の部屋に来させようとする魂胆なのだろう。
何この女。中学生男子を虐めて楽しいか?
一瞬だけレイチェルに殺意が湧きましたはい。
◇ ◇
10分後、礼二は兵舎エントランス―――すなわちB棟女性寮の入り口の前まで来ていた。
結局行かなきゃいかんのか…
女性寮の前には通行者の監視の任に就いている兵士が2人。
この時間帯に行こうとすればとても怪しまれるのが目に見えている。
気にせず突っ走ってしまおうと考えて歩いていると―――
「そこの君、少し止まりなさい」
監視兵に呼びかけられた。
「はい、何でしょう?」
「こんな時間に女性寮に行くなんて何しに行く気だ?」
兵士の1人が礼二に尋ねる。
正直に話すべきか…はたまた何か誤魔化して進むべきか。
今回はレイチェルの話を聞きに部屋に向かうのだが、話の内容自体は話すことができない。
下手すれば機密情報に当たる内容であるし、更にはレイチェルにとってあまり良くない過去なのかもしれない。部隊外に居る人には、尚更話すわけにいかなかった。
「いや、悪いことはしないです」
「するつもりなら独房に突っ込むところだぞ」
礼二は苦笑いをしながら1人の監視員を見つめる。
どうやって突破しよう。さすがに気絶させるわけにはいかないし、上手く言いくるめてしまいたいところ。
「おい、君の名前は?」
奥に居る監視員は目を細めて礼二の姿を見ていた。
監視員のがたいが良いせいか、かなり威圧感を感じてしまう。
「特殊部隊所属の神原礼二一等兵であります」
「神原…」
名前を聞いた途端、監視員1人の眉が動いた。彼は唐突にカウンター奥の棚をごそごそと漁り始めた。
「どうした?」
「いや、さっき彼と同じ名前の者が来ると女から連絡が来ていた覚えがあるのだが、君は誰に呼ばれた?」
「レイチェル・フラッド一等兵です」
礼二がそう答えると、監視員の1人がハッとしたような顔を表に出した。
「あっ、そういう名前だったな。さぁ通りなさい」
「お楽しみに~」
「ありがとうございます」
監視員の2人が快く道を開けると、礼二は女性寮の道へと進んでいった。
お楽しみって…そんなことがある訳ないのに。やはりこんな勘違いされるんだろうなぁ。
こんな夜中に異性の部屋に向かうなんて、そのように捉えられてもおかしくはない。下衆な考えに行き渡ってしまうのも怒れない。
嫌な予感を感じたが、今は何も考えずに進むべき道を進み続けた。
◇ ◇
女性寮の区域に入って1階、最奥まで進むと『レイチェル・フラッド』と書かれた表札の貼られた扉があった。
「ここか…」
人1人が入る開口枠に取り付けられた扉に、腰手前にはドア用の郵便受け。兵舎に取り付けられた扉と
全く同じ種類の扉。
まぁ、特別な扱いをされている訳ではないしね。
コンコンと軽くノックをしてレイチェルの反応を待つ。
ドンドンと焦るような足音が聞こえる中、部屋の扉は開かれる。
「どうしたそんなに慌てて…ゆっくりで良かった―――」
扉の開かれた先にはバスローブを身に纏ったレイチェルの姿。
バスローブの上からでもはっきりとシルエットが見えているせいか、彼女のスタイルの良さが浮き出ている。目のやり場に困る。
「のに」
テンポ遅れて出しかけていた言葉を発しきると、レイチェルは慌てた様子で礼二の手を引いた。
「ごめんなさい。今シャワー浴びてて…」
「分かったから入ってきて良いよ」
「ありがとう。奥で待っててちょうだい」
彼女はそう言い残すと、すぐさま浴室へと戻っていった。
足跡と言わんばかりに垂れていった水滴と、微かに漂う石鹸の香り。思春期真っ盛りな男子には刺激が強い。
何か変な気分になってきたな…
礼二は苦笑いをしながら部屋の玄関から伸びる廊下を進み、居間にあたる居室に向かった。
「ここがレイチェルの部屋か」
初めて女性の部屋に入った訳だが、周りには何も置かれていない。あるのは部屋干しされた部隊制服やよく着る衣服、下着がちらほらとぶら下がっていた。
参った。本人が居なくても目のやり場に困るとは…
しかしながら、洗濯物以外ここまで物が置かれていないとなると、女性の部屋に来た気が全く感じない。感じるのは彼女が残していったであろう残り香だけである。
良い香り―――と呆けているのは変態と思われそうなので、力は抜くだけ抜いて鼻の下を伸ばさないようにと意識する。
「待たせてごめんなさい」
数分程すると、シャワーを浴びていたレイチェルが居間へとやってきた。
彼女はタオルで濡れた髪の水気を取りながら座り込む。
無地の白Tシャツにチノクロスのショートパンツ。部屋着として特別な感じはしないが、彼女のスタイルの良さあってか、見栄え良く感じる。
「いや、こっちこそごめん。タイミング悪かったみたいで」
礼二の言葉を聞いたレイチェルは、悪びれた雰囲気から脱して頬を少し綻ばせた。
そしてハッと気付いたように―――
「あ、お茶入れてくるわね。もう少し待ってて」
そう伝えながら廊下へと戻っていった。
別にお茶は用意しなくても良かったんだけども。
風呂上がりだし水が欲しかったのだろうと考え、礼二は気にしないことにした。
1分も経たない内に、両手にコップを持ったレイチェルが廊下から現れた。
「おまたせ」
「ありがとう」
礼二の座っているテーブルの上に置くと、彼女は自身が持っているお茶を飲み始める。
「ふぅ…一息付いたわ」
レイチェルは目を細めながら天井へと顔を向けた。
シャワーで火照った熱を体の外に出たことを確認した彼女は礼二に目配せをし―――
「そういえば、ここには何事もなく来れたの?」
頬を緩ませながら訪ねてきた。
明らかに何か知っているような顔である。
「変な勘違いされた」
彼女のにやけた顔が勘に触ったのか、礼二は少し苛立ちながら答えた。
彼の答えを聞いたレイチェルは笑いを堪えながら手で口を押さえた。
「ねぇ、どういう風に勘違いされたの?」
笑いながら尋ねられた。
おい、笑いを隠すならちゃんと隠せや。
彼女の中途半端さに呆れながら―――
「男と女の関係にある…とか見られてるかも」
そう答えると、笑いを隠せないでいたレイチェルの顔色が変わった。
何か信じられないものを見たかのような驚きを表情に表していた。
「ど、どうしたの?」
気味悪く感じた礼二はレイチェルに尋ねると、彼女はどぎまぎしながら口を開いた。
「ねぇ…礼二は私のことどう思っているの?」
「えっ…!?」
予想もしなかった一言が彼女の口から洩れた。
俺がレイチェルのことを好きだと…!?
全く考えてもみなかった。いろんなことが起き過ぎて彼女に対する気持ちなんて考える余裕さえも無かった。
「ねぇ、他にも何か言われなかった?」
「お楽しみに~だってさ」
「何を?」と考え始めたら下衆な考えに行き渡ってしまう。できるだけ深く考えないようにしていた。
「へぇ…そうなんだ」
レイチェルは笑みを浮かべながら礼二を見つめる。
やめてください。今の状況で見つめられると理性が抑えきれなくなります。
「監視の人がお楽しみって言ってたこと、これからやってみる?」
「えっ…?」
膝を床に着けたレイチェルがグイッと礼二に近付いてくる。
まさに女豹のように動く姿は妖艶で、どれだけ理性を覆いかぶせても無意味に感じる程だった。
ヤバい…ヤバいって…
脳内で天使と悪魔の囁きが交互する。
本能に抗おうとするも、性欲には負けてしまう。
礼二がレイチェルの顔に手を伸ばそうとすると―――
「なーに本気になっちゃってんの? やる訳ないじゃない」
彼女は寄せていた体を一気に退き、礼二との距離を取った。
「は…?」
突然の反応に戸惑いを見せる礼二。
何故距離を取られたのかは分かる。分かるんだけども頭が理解してくれない。
やはり冗談だったようだ。
「お前な…」
「ふふ…ごめんなさい。礼二を弄るの楽しくて」
レイチェルは含み笑いをしながら彼から目線を逸らす。
騙されていたのは分かっていたけど、本当に騙されていたことを知らされるとかなり心にくる。
礼二は溜息を付くと、本題に移ろうと口を開く。
「そんな茶番は置いといて、本題に移ろうか」
「どうしたの? 何か話があるんだよね」
レイチェルに尋ねられて礼二はどう話そうか考えた。
どう考えようが、聞きたいことは変わらない。
「まず1つ。レイチェルとあの老魔術師は何か関係があるの?」
礼二がそう尋ねると、普段のレイチェルから少し雰囲気が変わった気がした。
何か聞かれたくないことを話題に出されたからか、気に障ったのか分からないが念のために聞いておく必要がある。
「まず1つってことは…まだ聞きたいことがあるのね」
レイチェルは礼二の意図を探るように尋ねる。
彼女にとってはあまり話したくない話題のように感じられた。
「うん、あと1つはダークが黒の魔力をどう扱っていたのか」
答えを聞いた彼女は考え込むように目を閉じた。
数十秒ほどすると目を見開き―――
「そうね…まずは老魔術師のことから答えるわね」
礼二の目を見るように口を開いた。
「あの男と出会ったのは…あなたと出会う50年前のことよ」
50年前…報告会の時に処理した現場に居たとも言っていた。どういう経緯で老魔術師を殺すことになったのだろう。
「ルドルフは、私とダークが立ち寄った街で魔獣を操っていてさ。それから敵対して…私たちが殺したの」
◇ ◇
約50年前。
旅に出ていたレイチェルは、同行していたダークと共に小国『カーク』に訪れていた。
高さ5メートル程の塀に囲まれた国で、隣接するのは城塞都市とも呼ばれる大国『ヴェッタブルク』だった。当時聞いた話であるが、カークに住む国民はヴェッタブルクで苦しい生活を強いられた人がほとんどで、いずれ逆襲を企んでいると見込まれていた国らしい。
「綺麗ね。この街」
「あぁ、久々に見た気がするよ。こんな優れた造形の街」
レイチェルとダークは綺麗な街並みを観光していた。
2人の行っている旅は、各地にあると言われている魔術に関する遺跡を探るもの。この街に来る少し前は密集地帯に居たため、互いに休息が欲しいと感じていた。
「適当に宿取って休むとしようか」
「そうね」
ダークはそう言いながら辺りを見回す。
数十分程探すも、宿らしき建物は一切見当たらない。
「参った。行けそうなところが見つからないぞ」
「そうね…私も見てるんだけど、それらしきところなんて見つからないわね…」
2人は数日休める宿を探していた。
こんなに建物が多いから1、2ヵ所はあるだろうと思っていたが全く見つからない。
「適当に人見つけて聞いてみるか」
「それが良いわね」
レイチェルも賛同したところで、偶然通りかかったみすぼらしい服装の男に聞いてみた。
「すいません。私たち旅している者なんだけど、近くに宿は無いかしら?」
男は声に反応して振り向くと、彼女とダークの風貌を見て逃げ出した。
「ん、逃げた」
「追うわよ」
「お、追う!?」
レイチェルは逃げ出した男を追おうと魔力を足に込めた。
あり得ないと勘付かれないぐらいの速さで…
魔力の量を調整して地面を強く踏んだ。
結果、一瞬にして男の前に立ちはだかり、走っていた男の足を止めた。
「な、なんだ今の…化け物か!?」
信じられない速度で追いついたレイチェルに対して顔面蒼白の男。
彼女は溜息付きながら彼の元へと歩く。
「ねぇ、せめて質問には答えて欲しいんだけども?」
「ひっ!?」
まるで化け物を見るような目で彼女を見る男。レイチェルは何故男が怯えているのか分からないでいた。
「レイチェル、無暗に人を驚かすんじゃない」
遅れるようにダークもレイチェルと男と合流した。
ダークは気怠そうに溜息を付きながら男とレイチェルの元へと歩く。
「あ…すみませんでした…」
「いえ…逃げた私も悪いですし…」
お互いに悪いところを謝罪し合うと、ダークは仲を取り持つように2人の肩を抱いた。
「まぁ、悪いところの言い合いは終わらせてご飯にしよう。あなたも食べますか?」
ダークはレイチェルだけでなく男にも語り掛けた。
相手に怯えられているなら共に食事をして警戒心を解き、情報を引き出そうとする考えあってのことだった。
◇ ◇
男から飲食店の場所を聞き、ダークとレイチェル、男と共に近くの飯屋まで来ていた。
「あの…良いんでしょうか?」
「ん、何が?」
ダークは男が言おうとしていることは理解していた。
赤の他人である自分も食事に誘われてよかったのかと。
しかし、穏やかに相手から情報を得るためには警戒心を解くことから始まる。他人との食事はただ話すことよりも遥かに親密度を高めやすい。それ故の考えである。
「私がこの席に居て良いのかってことです。何故私まで―――」
言いかけた刹那、きゅうぅと何かが縮こまるような男が聞こえた。
「お腹空いてちゃ、出来ることもできないじゃないですか」
ダークは微笑みながら男性の腹を眺める。
男はダークの視線の先に気が付くと、腹を押さえながら顔を赤くした。
「仕方ないじゃないですか! 朝から何も食べられなかったんですから」
気が付けば時刻は昼時である。
今が昼頃であれば、彼は起きてから5時間、またはそれ以上何も食べていないように思えた。
「それなら尚更だね。ここで腹ごしらえをすると良いですよ」
ダークは渡されたメニューを一通り読むと、それを男の方へと差し出した。
「好きな物を選んでください」
「えっ、本当ですか!?」
男は大きく目を見開き、玩具を与えられて喜ぶ子供のように目を輝かせていた。
[なんでこの人まで一緒なの?]
[彼に辿り着くまで、話しかけた人達は皆逃げていっただろ? 対策するためにちょっとやり方を変えてみたのさ]
レイチェルから脳内に語り掛けられ、ダークは理由を述べる。
彼女は目を細めると―――
[あなたって中々真っ黒なところあるよね?]
嫌味なのか何なのか分からないことを問いかけられた。
[まぁ、ダークだしね]
彼女からの問いを返しながら、ダークは口元を微かに緩ませる。
その瞬間を見たレイチェルからは、一瞬だけ血の気が引いたような表情が浮かんだ。
「あの、すみません! これで良いですか!?」
「ん、どれどれ」
ダークは男の指差した文字列を見ると、「あぁ、良いよ」と答えた。
男は自分の希望が通ったところを見ると、受験に成功した学生並みに喜び始めた。
「ど、どうした。なんでこんなに喜ぶのさ?」
「だって…生きていてこんなところで食事できるとも思えなかったし、食べてみたかった料理も食べられるで嬉しくない訳ないじゃないですか!」
男は語る。
自分はこの街で貧困層にあたる人間であると。
低賃金ながらも地道に働いて、今日をどう過ごすか考えることしかできない生活を送っていることを。
ダークは彼の話を聞いて、このような店には縁の無い人生を送ったのではないのかと察した。
今日しか考えられない生活。それは一足間違えば生活できない状態に陥るわけで、いわば崖っぷちな状態なのだ。
こんな人間に対して縁のない人からご馳走されるというのは、この上ない幸せなのかもしれない。
「そういえば、君の名前を聞いていなかったな」
「ミゲルです。あなた方は?」
「俺はダーク、彼女は―――」
「レイチェルよ」
お互いに名乗ると、ミゲルは再び口を開いた。
「御二人はここまで何しに来られたんですか?」
普通な質問だが、2人にとっては聞かれたくないことだった。
魔術は世から隠匿されるもの。
それは関連する事項も例外ではない。2人がここに訪ねてきた理由を馬鹿正直に答えるわけにはいかないのだ。
「実は…新婚旅行で…」
レイチェルは頬を赤らめながら口を開いた。
ダークは内心戸惑ったが、表に出さないようにと顔の筋肉を強張らせた。
危ない…危うく吹き出すところだった…
「あ…そうだったんですかー! 御婚約おめでとうございます!」
「いえいえ」
レイチェルを信じたミゲルは、2人に祝福の言葉を送った。
嘘や偽りを見せられたことの無いような笑顔を浮かべながら向けられたその言葉は必要以上に輝いていて、嘘を付いている事実に胸が抉られた。
[これなら勘付かれなくて済むでしょ?]
[あぁ…妥当な回答だったな…]
レイチェルは念話から礼二に伝える。
こんな大嘘を付いておいて態度は全く変わっていない。
嘘を付く行為に何ら抵抗を感じていない様子の彼女に恐ろしさを感じる。
これが俗に言う悪女という存在か。
少し3人で話していると、全員の手前に料理が運ばれてきた。
お互いに無言で料理を食べ、食後の紅茶にありついた。
[ねぇ、なんで宿のことは聞かないの?]
[あ、すっかり忘れてた]
念話からレイチェルに指摘を受けたダークは本題に入ろうと、ミゲルの手前に体を寄せた。
「そういえば…さっき聞こうとしてたんだけども、ここらへんで宿無いかな? 今日は何処に泊まろうか困ってるんだよ」
ダークはミゲルに尋ねる。
紅茶を啜っていたミゲルは驚くようにむせ、必死に状態を普通にしようとしていた。
「だ、大丈夫…?」
心配そうに彼の背中をさすると、ミゲルは「大丈夫です」と手を背中から離すように払った。
少しすると彼のむせる感じも無くなり、状態も落ち着いてきた。
「実は…この街の宿って治安の悪いところにあるんですよ。ここに住む人達は道案内でもあまり行きたがらないもので…」
ミゲルは気まずそうに2人に顔を背けた。
彼の様子から察するに、これまで観光客から宿を聞かれた時に何度か痛い目にあったと話を散々聞かされたのだろう。自然と『宿』というワードに敏感になってしまっているのかもしれない。
「じゃあ、君からの道案内は要らない。口頭だけで場所を判断することにするよ」
ダークは仕方ないと言わんばかりに溜息を付きながら言った。
現地民から行きたくないと言われているのに、無理に付いて行って貰う必要は無い。
「そうですか! でも、1食のお礼に怖いけど御二人を宿の前まで案内します」
「大丈夫かしら? 腕が震えているように見えるけど」
ガッツポーズを掲げたミゲルの腕からは震えがあった。明らかに怯えている様子だった。
1食の恩義を強く感じているようだ。
「いや…難しいなら無理して付いてきてくれなくとも…」
「いえ、やります!」
やはりミゲルの足は震えたままだ。
[とりあえずお願いしましょ。何かあったら私達が守れば良いんだし]
[それもそうだな…]
レイチェルから念話を通じて促されたダークは、観念するように首を下に振った。
◇ ◇
飲食店から出たレイチェルとダークは、ミゲルの案内で宿のあるスラブ街に入っていた。
先程通っていた大通りとは違ってスラブ街の街並みは荒んでいた。
正面に伸びる石造りの道路は微かに黒染み、あまり管理されている様子ではない。辛うじて掃除しているような白く見える部分もあるが、そこは小範囲だった。
「何か雰囲気の悪いところだな」
「あまり掃除されていませんからね…中々難しいものですよ」
ミゲルがそう言いだした刹那、背後から何かが迫りくる感覚を覚えた。
ダークは迫りくる何かに対応するように、後ろを振り向く。
「なっ…!?」
相手の驚く声が聞こえると共に、レイチェルの背後に伸ばされた手を力強く叩き、進行を阻止する。そして腕を引き寄せ、体を背中から地面に叩きつけた。
「君、何をしようとしていたのかな?」
ダークが盗人の体を抑えつけていると、レイチェルは鞄からナイフを取り出した。
「ねぇ、こんなことをしようとしていたのは殺されても良い覚悟があるのよね?」
盗人が「ひぃっ!」と情けない声を上げると、ダークは「それは辞めろ」と言いながら刃物を遠ざけた。
「す、すみません…こうでもしないと生活ができないんです…」
切なく言う盗人は、しょぼくれた様子で体中の力を抜いていた。
もう観念したらしい。何も抵抗する気力が起きていないように思える。
「ダーク、こいつは懲らしめましょう」
「いや、必要ない」
ダークの一言にミゲルと盗人は顔を上げた。
「えっ、何もしなくて良いんですか!?」
「する必要はない。この人も反省しているみたいだし。でも―――」
彼は腰にひっさげた鞄から何かを取り出す。そしてそれを盗人の顔の前に翳した。
「またやったら命は無いと思ってね」
恐怖感が高まったのか、盗人は悲鳴を上げながら逃げ出していった。
「ちょっとやりすぎなんじゃない?」
「最初からナイフ出した人が言うセリフかね?」
ダークは手に持っていたナイフを鞄に収める。
2人のやり取りを苦笑いして眺めるミゲル。彼を気分を変えようと、新たに口を開いた。
「さぁ、気を取り直して宿に向かいますよ!」
2人はミゲルの言われるがままに案内されていった。
◇ ◇
数分後、ミゲルの言っていた宿の前へと辿り着いた。
「お待たせしました。ここがこの街唯一の宿です」
辺り一帯の道路のほとんどは変わらず黒染んでいるが、宿の前だけはとても綺麗で白く光っている。宿の人間が掃除して快く入店して貰いたい気を感じた。
「さすがにココはマシなんだな」
何処のことかを察しているミゲルは、苦笑いをしながら宿を眺める。
「とりあえず主に話をしてきましょ。荷物置いて少し休みたいわ」
レイチェルから休みの提言があったところで、3人が宿へと向かおうとすると扉が開かれた。
扉から現れたのは大きい手錠のような首輪と腕輪をはめた女性。
衣服は1枚の布で着飾れており、普通に生活しているとは思えないくらいのみすぼらしさだった。
「ガリア様、どうぞ」
次に現れたのは小太りの体型にツルツルした肌。
20代後半から30代前半辺りを思わせる風貌の男性だった。
「うむ」
ガリアと呼ばれた男は女性の後ろから宿の外に出て紫外線を浴びた。
「暑い! 暑いぞ!
何故そのようなことを言わぬか!?」
男はそう言いながら女性の体を強く押して地面に倒した。
「申し訳ございません…」
女性は謝りながら立ち上がる。2人の上下関係は明らかであったが、男の女性に対する扱いを見ると、ただの上下関係にあるとは見えなかった。
「ガリア様ですか…大変な人の従者になりましたね…」
隣で見ていたミゲルは正面の女性に同情した。目の前の女性もミゲルと同じような境遇にあるように見えたからこそそう思ったのかもしれない。
「それでは私はこれで失礼します」
ガリアが居なくなったのを確認したミゲルは、2人に見えるように宿を指差した。
何やら逃げたそうな雰囲気を察したダークは彼の腕を掴み―――
「ミゲル、君はこの街で何があるのか隠していないか?」
問い詰めるように尋ねた。
「いやだなぁ。そんなことあるわけないじゃないですかー」
ダークは能天気に答えるミゲルの目を見つめる。
彼の瞳は揺らめぎ、心が震えているように感じ取れた。
「嘘つきだな」
「大嘘付きね」
「なんで分かったんですか!?」
「君の目が分かりやすく泳いでいたから」
ミゲルは『泳ぐ』という言葉に反応して顔に手を当てていた。「えっ、目って泳げるの?」と戸惑いながら顔を青ざめていく。
「いやいや…言葉のあやだから…」
ミゲルに意味を説明していると、ガラガラと馬車の進行する音が聞こえた。
音の聞こえた方向に目を向けると、馬の代わりに四足歩行の魔獣を2体引き連れた馬車の存在があった。
「なんだアレは…?」
ダークは信じられないと言わんばかりに驚きの表情を浮かべていた。
それはレイチェルも同じで、幽霊でも見たかのような表情を浮かべていた。
「アレは遠くにある大陸の生物だそうです。乗っている方は恐らくルドルフ様でしょう」
「ルドルフ?」
異世界の生物である魔獣を使役できる人間の存在に、ダークは興味を抱いた。
どのようにして手懐けたのか、気になって仕方が無かった。
「最近、この街に現れるようになった上流階級の補佐役のような存在です。私達の中で良からぬことを考える者は、目の前に居る獣に食われてしまうのです」
なんて恐怖政治だろうか。
この国『カーク』は、隣国の『ヴェッダブルク』の貧困層が集まって作られた国である。
彼の言う上流階級はヴェッダブルクの人間であり、ルドルフと呼ばれる男は隣国についている者なのだろう。
[ダーク、コイツどうする? 魔獣も表に出るのは危険な類だと思うけど]
[魔獣を出すのは辞めてもらわないとな。変な利用されてしまうのは嫌だな]
ダークとレイチェルは念話を通してルドルフを警戒することにした。
互いにそう考えた刹那、馬車の窓からチラりと男性の顔が見えた。
男の目もまた、ダークとレイチェルの方へと向いていた。
これがダークとレイチェル、ルドルフの出会い。
最終的には互いに殺し合う運命にあった。




