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CODE-D  作者: ryu8
5章 断罪の騎士-前編-
61/67

5-5.変わりゆく世界

 部屋に連れ出されてどれだけの日数が経過したのだろうか。

 ピチョン、ピチョンと縛られた腕から溢れた汗が1滴ずつ床に落ちる音が響く。

 この静かな環境下でチェインは、博士と呼ばれる男が主導する実験の被験者となっていた。


「はぁ…はぁ…」

 喉が渇く。苦しい。

 どれだけの汗を掻いたのか分からないが、喉の渇きを実感できる程に水分が体に足りていない。

 汗の落ちた音の感じから察するに、汗の滴る腕の真下には水溜まりが出来てしまっているのだろう。

 それにしても早く水をくれ。僕が死んでしまえばこの実験は終わりになるんだろ?

 正直な話、実験なんてもう関わりたくない。むしろ死んでしまった方がこの苦しみからは解放される。

 しかし、何故か『生きたい』という意思が強く働いていた。

 誰か助けてくれ―――ただそう望む。何を期待しているんだろう。

 身寄りの無い自分を心配する人間なんて居ないし、自分達を施設から連れ出す際に大人は全て殺しているはずだ。

 ただでさえ人目のあまり無い土地にある施設だと言うのに、外界からの連絡手段が少ないとなれば発見されるまでに時間が掛かる。

 例え施設に何が起きたのか分かったとしても、この場所が割れるのにもさらに時間が掛かる。助かる訳が無い。


 驚く程に思考回路が矛盾していた。

 生きたいという希望と死にたいという意思。もう何を考えれば良いのかなんて分からない。

「そろそろ危ない頃合かな? おい、この子に水をあげてくれ」

「あいよ」

 チェインの居る部屋から間仕切で遮られた別室に居た博士は、隣に居た男に指示を与えた。

 今の自分の顔がどんな感じかなんて想像つかないが、いつにも増して顔色が悪くなっているのだろう。

 博士の指示を受けた男は怠そうにしながら近くにあったポリタンクを手に取り、チェインの居る部屋の中に入っていった。


「ほら、早く飲めよ」

 男がポリタンクを力強く差し出すと、ちゃぷんと水が反り返るイメージができる程の水量があることが想像できた。

 これだけの水があれば、喉の渇きを潤せるかもしれない。

 しかし、両手が塞がれてしまっていてはまともに飲むことができない。

 まさか、このまま飲ませるつもりなのか。

 チェインの予想通り、男は彼の頬を掴んで口を開かせ、ポリタンクの注ぎ口を押し当てた。

「ごぼぼぼぼ」

 待て待て息ができない詰まるから!

 無理矢理に水を口の中に入れられてまともに飲むことができない。

 喉を通る量が許容範囲を超え、ついには口からも溢れ出してしまう。


「うわっ汚ねぇ!! テメェ何しやがる!?」

 チェインの吹き出した水が男のところまで掛かると、男はいつにも増して激怒した。

 寝たきりの彼の胸倉を掴み、今にも殴り掛かりそうな勢いで顔を震わせていた。

「そんな…注ぎ方じゃ…簡単に飲めませんよ」

 チェインが男の飲ませ方を批判すると、「そこは何とかしやがれ」と男から罵倒を受けた。そして男は再びタンクの注ぎ口をチェインの口に押し込んでいった。

 相手のことを配慮しない行動のせいか、注ぎ口が歯茎にガンガンと当たる。

 痛い。苦しい。目の前の水を飲むことに命を懸けることになると誰が思うだろうか。


「待て待て、そこまでにしなさい」

「だって博士――」

「この子は大事な実験体だ。死に追いやることはできん」

 博士の穏やかで優しい声とは裏腹に、言っていることにえげつなさを感じる。

 実験を受けているからこそ『死なせない』という意思表示は、とても恐怖に感じるのだ。

 むしろ死んだ方がマシと思う程である。


 チェインが無理矢理飲まされそうになった水でむせていると、博士は彼の元へと近付いた。

 手前まで来ると見せつけるように一本の注射器を白衣のポケットから取り出し、彼の右腕に打ち込んだ。

「ぐっ…!」

 注射器内の液体がチェインの体内に入った途端、唐突に体全体に激痛が走った。

 じわじわと来るものではない。一気に強い痛みが走ったのだ。

 痛みに耐えきれず体が痙攣を起こしたかのように震えだす。

 震えた拍子に寝台がガタンガタンと揺れ、チェインの体は今にでも飛び出しそうな様子だった。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。

 意識全てを支配する痛み。

 今自分がどのような状況に居るかさえも忘れる程だった。

 次第に痛みに慣れてくると、チェインは虚ろな目で虚空を眺めることしかできなかった。


 ◇ ◇


 天井仕上に使用しているボードを1枚、2枚と数えながら実験を受け続ける。

 これで何度目の実験が行われたのだろう。

 実験中は3度の食事は与えられるが、自由は一切与えられない。

 体を動かすことが無いように食事はあの男が自ら与えに来るし、水も同じように与えに来る。

 もう寝たきりの生活を送っている気分だ。

 まだ6歳の子供というのに何かしらの難病でもかかってしまったのかと思う。


「ぐっ…!」

 注射を腕に打たれてから来るこの痛み。

 幾多の実験を乗り越えて痛覚への忍耐力は上がった気でいたが、この一瞬だけ起こる痛みには全く慣れない。慣れなさ過ぎて今みたいな堪える声が漏れてしまうこともあった。

「お、今日も良い声出てるじゃないか」

 男は苦しそうにしてるチェインを見て嘲笑う。変な気分になっているモルモットのような、不愉快になりそうな見せ物として見られているのが屈辱だ。


 痛みは一瞬だけ。

 この一瞬が過ぎれば普通に戻る。普通に戻った瞬間が心の安らぐ時だ。

 後は何も感じない無の感覚だけ。もう何も感じられない。

 痛覚・聴覚・視覚。それぞれ失っている訳ではないけども、よく分からない薬を打たれて感覚が鈍感になっているようだ。

 ただ強く感じるのは、呼吸する時に膨らむ肺の感覚だけ。


「博士、ずっと思ってたんだが、ガキらに何を打ってるんだ? 他の奴らはあまり耐えられずに逝っちまったが、劇薬でも突っ込んでるのか?」

 男が微かな声で博士に何かを訪ねていた。

 ここまで声がはっきりと聞こえるところを察するに、普通の人間が会話するくらいの声量で話しているように思えた。

「アレは魔術師を生み出す試薬だよ」

「魔術師? なんだそれは」

 魔術師。

 聞いたことのない単語だった。

 『魔法使い』という言葉であればファンタジー物の作品で聞いたことはあるけども、当時のチェインは『魔術師』と称されるものを知らなかった。だが、これだけは分かる。


 自分は何かに変えられてしまう。


 ただそんな恐怖心で頭が一杯になっていた。

「そう――この世界には、隠された技術が存在する。それが魔術。

 かくいう私も魔術師の端くれでね。力を持つものがあまりにも少ないものだから、人工的に生み出せな いものかと長年に渡り研究してきたのだ」

 実験を始めるきっかけを懐かしむように楽しみながら語っていく。

 楽しげに語る博士の声を聞きながら、チェインは自身の身に危険を感じていた。


「そして、今回打ち続けている薬は早めに打っておかないと効果が十分に発揮されないものなのだよ。 成人してから打ったとしても、体力に見合った魔力が急に体内で生成されて体が破裂してしまうから  ね」

「うわっ…魔術師ってそんな面倒くさい力を持ってんのか…」

「強大な力は時に身を滅ぼす。言葉通り、器に見合わない魔力を持とうとすれば体が耐えきれないのだ。 幼い頃から持っておかないと体に魔力耐性が付かないのだよ」

 今の自分のような幼い子供の内に魔力を持たせていないと、魔力を与えたとしても体が持たないと言ったところか。

 博士の言っていることを理解したチェインは自身の状況を考える。

 彼が今、仮説を証明するための実験を今行っているのなら―――チェインが受けている実験は魔力に耐えうる人間を作るための糧にすぎないのだ。

 悟った矢先、博士は再び口を開いた。

「この子は魔術師になる才能を秘めている。せっかくの才能だ。私が覚醒させてやろうじゃないか」

 思った通りだった。

 博士の目的はチェインを魔術師とするためらしい。

 話に聞いている力が他人に渡ってしまうのは問題がありそうな気もしたが、この博士のことだ。何らかの手段で無理矢理にでも従わせようとするだろう。


「無駄に時間を過ごしてしまったな。続きをしようじゃないか」

 博士はチェインの目の前まで台車を運びながらやってくる。そこにはこれまで打たれた薬品と同じ物が陳列していた。同じ物を使って何をしようというのだろうか。

 疑問に感じていると博士はビーカーを薬品棚から取り出し、台車の上に置いてあった薬品2つの蓋を開けだした。

「これとこれを混ぜてぇ…おっ、これは良いかもしれませんねぇ」

「おいアンタ…何考えてんだ」

 付き人の男は頬を引きつらせながら博士に尋ねる。

 博士は心躍っているのか、頬を緩ませながら―――

「打った薬を混ぜてるのだよ。こうすれば効力も上がるかとね」

 微笑みながら、注射器の針を混合した薬に向けた。押子(プランジャ)(シリンジ)から引き上げると、混合した薬が筒の中に入っていく。


 薬のミックス。もうこの人は殺しにかかっているようだ。

 1種類だけでも耐えがたい激痛が走るというのに、2種類の複合となればとんでもない痛みになるだろう。想像したくない。

「チクっとするよ~」

 薬剤を入れ終えた博士は、頬を更に緩ませながらチェインに振り向く。そして左手でチェインの右腕を取り、持っていた注射針を彼の右腕に浮き出た血管に突き刺した。

 待って止めて。止めて止めて止めて止めて。

 1種類だけでも狂いそうになる激痛が更に増されるのは考えたくもない。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 博士は注射器の押子を押し、筒の中にあった薬剤をチェインの体内へと送り込んだ。


 スーッと血の気が引くような感覚。

 ここまでは同じ。しかし、問題はここから――

「あっ…!」

 痛みが走る。

 これまでのものとは違った異空間に居るような感覚。

 肌が焼ける感覚に含め、脳を掻き混ぜられるような頭痛。

 さらに起こる喉の異常な渇き。体の中から何かが体を破壊していく感覚に見舞われた。

 あまりの異常な痛みの走りにチェインは体全身を震わせた。

 ガタン、ガタンと自身が寝かされている寝台だけに地震が起きているかのように暴れ始めた。

「ちっ、暴れんな」

 付き人の男がチェインの体を抑えようとする刹那、何かを叩き破る音が施設内に響いた。


「何だ今の音!?」

 男はチェインの体を抑えながら部屋の扉へと顔を向けた。

 誰も居ないことを確認すると、すぐさま博士の方に振り返って次の指示を求めた。

「君、他の部屋を見に行ってくれないか。できれば捕獲、無理そうなら殺してくれても構わない」

「これは別料金か?」

「うむ」

 2人の間に漂っていた緩い雰囲気が一変し、各々の仕事に取り掛かろうとしていた。

 バタン――バタン――と扉を開ける音が近づくにつれ、遂にはチェインたちの居る部屋に辿り着いた。

「なんだ!? がっ…!」

 抵抗しようとしていた男の周囲に光り輝く輪が縛り付け、男の動きを止める。

 博士は侵入者を迎撃しようと拳銃を取り出すが、見えない何かに弾かれた。

「君達は一体なんだね…?」

 博士が声を挙げた方向には、グレーを基本色とした迷彩服に防弾チョッキを羽織った武装員が3人現れた。

 この様子から察するに博士とこの3人は仲間関係には無いらしい。

 博士は3人の武装員一斉に銃口を向けられて全く身動きを取れない様子だった。

 お互いの間で火花が散り合う中、武装員3人を掻き分けながら博士の前に1人の武装員が部屋の中へと入ってきた。


「我らは日本帝国軍特殊部隊の人間だ。マハード・ガリエル、貴様を拉致監禁の容疑で逮捕する」

 兵士は懐から手帳を取り出し、鳳凰の姿をした紋章を見せつけた。

 博士は自分が目の前に居る武装員が何者かを悟ると――

「ちっ…軍の狗め!」

「倫理観を喪失した外道に言われたくないな」

 お互いに嫌味を言いながら見つめ合った。

 一瞬の隙も許されない状況。

 武装員4人と博士はどのように動くべきかを窺っている様子だった。


 どうなるんだ…

 首を動かして状況を確認することしかできないチェインにとって、今の状況がどう転ぶか恐ろしく感じた。

 ふと博士の居る方向に首を回すと、彼は両手を上に上げ始めた。

「諦めるか?」

「あぁ、諦めるとも。この状況では私がかなり不利であるからね」

 博士は溜息をつきながら武装員達の顔を見た。

 武装員の1人が銃口を下ろそうとすると、博士はパチンと指を鳴らした。

 刹那、付いていた照明が全て消え、チェインは目隠しを当てられた。そして誰かに連れ去られるような感覚を覚えた。


 ◇ ◇


「はぁ…はぁ…」

 水の落ちる音が辺り一帯に響きわたる空間に連れて行かれたチェインは、何者かに抱えられながら移動しているように感じ取っていた。

 僕は何処まで連れていかれたのだろう。

 静寂に包まれた空間の中、適度に響く水の音と合わせるように呼吸を整える音も合わせて響いてくる。

 それは聞き覚えのある声で、彼が1番恨みを抱く人物であった。


 ふと、目から後頭部に巻かれた布に手を掛けられた。

 それは次第にチェインの目元から離れ、急に光が差し込まれる。

 チェインを抱きかかえる人物は彼の顔を覗かせた。

「こういう時こそ実験の成果を見せる時。さぁ…この状況下にある私を助けるのだ」

 チェインをここに連れてきたのは博士だったようだ。

 彼の言う実験の成果とは恐らく魔術を行使しろ、ということだろう。

 しかし、チェインには元より魔術を扱うために必要な魔力が無いし、扱い方を知らない。


 当時の博士が何を言っているのか理解できなかったチェインは首を傾げる。

「知らないのか!? 君の中に眠る魔力を外に出すようにイメージするのだよ」

 自分が何のために生を受けたのかが分からない子供に、このようなことを言われても分かる訳がない。

 ダメ元だが、息を整えて頭の中で魔力の形をイメージする。

 何をイメージすれば良いのだろうか。

 当時の彼は外の世界をあまり知らないし、物も教わっていない。自然と歪な形の物が思い浮かんでくる。

「おぉ…その調子だ。このままこの世界に引きずり込むのだ!」

 博士は出産に苦しむ妻を励ますような勢いでチェインを激励する。

 頭が痛い。慣れないことを考えているからか、脳に負担が掛かっているように思えた。


 何故僕はこんなことをしているのだろう。

 何故自分自身をこんな体にしてしまった輩のために、頭を痛めつけてまで何かを成し遂げようとしているのだろう。

 自然と疑問を抱き、ひっそりと博士の顔を睨みつける。

 眠そうな目は何かを見定めるようになり――

「うっぼぁ…貴様、私への恩を忘れたか…!?」

 いつの間にか虚空から出た何かが博士の腹を突き破っていた。


 恩とは何だろう。あなたが僕にやったことの話か?

 得体の知れない力を植え付けるために幾多の苦しみを耐えさせるのは非道な話だ。

 というより何だこれは?


 鎌のように湾曲した刃が虚空から突き出していた。

 青く光り輝くそれは、博士の体を傷つけ終えると次第に消えていく。

 刃の存在が消滅すると、博士は腹を抱えながらゆっくりと膝を地面に着けた。

 これが…あの博士の言っていた魔術(・・)という力なのだろうか。

 魔術を使いたい等と全く考えていなかったのに、いつ発現してしまったというのか。


 白衣の中から来ていた白のワイシャツは真っ赤に染まり、染まり切らなかった分の血液が彼を通じて地面に垂れていく。

 チェインは、この光景を保護施設で見た覚えがあった。

「そっか。お姉さん達もおじさん(・・・・)と同じ苦しみを感じてたんだなぁ」

 初めて人体を傷つける経験。

 体を傷つければ赤い液体が出てくる確信。

 彼の中で、人の中に流れる血液との初めての出会いだった。


「小僧…大人を舐めると痛い目見るぞ…!」

「もう遭ってるじゃないですか」

 人に化け物(・・・)じみた力を持たせた張本人が何を言う。

 こんな人間の屑、串刺しにされて死んでしまえば良いのに―――

 頭の中でイメージすると、何処からか現れた無数の光の槍が博士の体あちこちを貫いた。

 貫かれた刹那、博士は痛みを堪えるように顔を歪ませ、力尽きるようにうつぶせで倒れた。

 殺してしまった。何も知らない、恨みを持っていたとはいえ、人を殺してしまった。

 前に何かのニュースで見たが、人を殺してしまうとお巡りさんに捕まってしまうらしい。

 捕まってしまえば豚小屋同然の食事を与えられ、死ぬまで重労働を課せられると聞いている。そんな人生は送りたくない。

 人を殺してしまった罪悪感を一瞬抱いていたが、チェインは割り切るように「ざまぁみろ」と倒れている男に言い放った。


「そこの君、何をしている?」

「!?」

 予想もしない第三者の声が近くから響く。

 チェインは声を上げる暇もなく後ろに退いた。

 声の聞こえた方向には大きな人影が微かにあった。

 この現場を見られるのは非常にマズい。


 殺してしまった相手が例え屑の存在であったとしても犯罪は犯罪だ。

 今の状況を見られてしまえば犯罪を犯したことがバレてしまう。

 子供とはいえ、お巡りさんに捕まってしまう=悪いことであるということは理解していた。

 故に今この状況がとても危険な状況にあることは無意識に察していた。


 どうする? 逃げるか?

 逃げるにしても何処に逃げれば良いのだ。

 保護施設に居たぐらいだから頼る人は最初から居ない。

 保護施設の関係者なんて目の前の男の采配によって亡き者にされた。

 希望なんて何もない。

 例え逃げたところで、どこかで野垂れ死んでしまうのが目に見えている。

 悩んでいる内に、奥に居るであろう人の足音が近くまで迫っていた。


 野垂れ死ぬかもしれないけど逃げよう。どこか遠い所へ。

 選択肢はそれしか無かった。捕まるまで何もしないでいるよりは断然マシだ。

 それにあの博士から受け取った力を上手く使えば生きていけるのかもしれない。

 行動方針を決めて実行に移そうとすると―――


「君、そこで何をしている?」


 奥から足音を出してやってきた男の声がはっきりと聴きとれた。

「あ、いや…」

 男は大柄な体系にバトルスーツを纏っていた。

 ただでさえ大きい図体にゴツいバトルスーツ。

 やけに威圧感が醸し出されていた。

「落ち着いて。ゆっくり話してみろ」

 男はチェインが怯えていることに気が付いたのか、柔らかな声色で尋ねる。元の声がずっしりと響く低音であったからあまり柔らかさあんて感じないが、相手からの敵意は感じなかった。


 この人は大丈夫かな。

 そう思った矢先、彼の持っていた自動小銃が目に映った。

 これ…は…!?

 博士の手先が保護施設を襲った時に使用していた武器と同じ自動小銃だった。

 刹那、ドクンと心臓の鼓動が高鳴る。じっと小銃を見定め、次第に体が小刻みに震え始めた。

 この人も敵…なのか…?

 一瞬でも信じてしまった自分が馬鹿だった。

 この人もまた博士と同じように自分を捕まえて何かをするに違いない。


 チェインは目の前の男を敵であると察した。

 自分よりも体格はでかく、保護施設のお姉さんたちを(ほふ)った武器を持っている。故に全く勝てる要素が無いことも。

 しかし、今の自分には博士から預かり、彼を葬った力がある。

 慈悲の無い暴力相手では勝つ自信があった。あんな化け物染みた力、普通(・・)の人間にはどうにもできないはず―――

「うわぁああああああ!!!!」

 強くイメージした。銃弾で対象を蜂の巣にするようなイメージ。

 チェインの周囲から光り輝く弾が発現し、それは男の居る方向に放たれた。


 よし、これで…

 生きる邪魔をする者はこの力で殺す。

 誰も僕の邪魔をするな!


 そう念じた矢先、信じられないことが起きていた。

「驚いた。君は魔術(・・)を使えたのか」

 光の弾を正面から受けたはずなのに、男は無傷だった。

 チェインには今起きている出来事が理解できないでいた。


「安心しろ。私は貴様を殺すつもりも苦しめるつもりは無い。ただ…話をさせてくれないか?」

 目の前に居る男が恐ろしい。

 何故博士を葬った力を直撃しても生き残っているのだ。

 偶然だ。偶然に違いない。

 チェインは再びイメージした。

 蜂の巣どころじゃない。この人を押し潰すようなイメージで!

 力強く念じる。

 彼の思想に応えて光の弾は、先程放った弾よりも十数倍大きく発現した。

「こっちに来るなあああああああああ!!」


 強い拒否の意思。

 男はそれを難なく躱し、チェインの懐に潜り込む。

 殺されることを覚悟した瞬間、頬にゴムパッチンで強く叩かれたような感覚に見舞われた。

「えっ…?」

 チェインは自身に何が起きたのか分からなかった。

 ひっぱたかれる強さに耐えきれなかったチェインは、蹴り飛ばされたかのように体ごと吹き飛ばされた。

「君、相手を信用しないことは戦いで大事だが、相手との力量(・・)はちゃんと見ておいた方が良いぞ」

 やんちゃな子供をたしなめる大人のように言われた。


 チェインはボーッと男の方を見る。

 この人はあの力を持ってしても手も足も出ない相手だ。博士相手とは全く違う次元の強さを持っている。下手すれば殺されてしまう。

 実験場に連れて行かれた時に同行した男同様の恐れを抱いた。

 三日天下。

 これから自分の時代が到来するものかと思っていたが、ここで終わりを告げるのか。


「おじさんは――」

「バトラ・クラインだ」

 対応を慎重にと相手の名前を尋ねようとすると、先読みするかのように男の口が開いた。

 バトラと名乗る男はチェインの元へと近付く。

「君が私を攻撃したのは、得体の知れない者がやってくることを拒んだのが要因だろう? 安心しろ。少なくとも私は君の味方だ」

 そう言いながら彼は自ら引っ叩いた少年の前に立ちはだかり、手を差し出した。

 最初は罠なのかと感じていたが、彼の目からはそのような気配は感じられなかった。何も敵意も無く、途方に暮れた子供を救おうとしている真意が感じられた。


「………」

 この人は信じても良いのだろうか。

 人生経験は少ない方だが、これまでロクな人生を送った記憶がない。

 大人=信じるに値しない存在と化している訳で、目の前の男もいずれは何かしら裏切るだろう。しかし彼の救いを拒んでしまえば、今の自分はどのような扱いとなってしまうのだろうか。

 怪しい人物の実験で魔術と呼ばれる力が使えるようになり、成果物として人間らしい生活を送ることはできるのだろうか。

 そう考えると、今目の前で差し伸べられている手を掴んで安定する方向で考えた方が良いのではないだろうか。

 内心葛藤し続けていたが、チェインは差し出された手を掴んだ。


 これが例え嘘だろうとしても、手を払って逃げ出したとしても生きる道は無い。

 そう考えていると―――

「よし、ウチに来るか?」

 バトラは朗らかな笑顔をチェインに向けた。

 胡散臭く感じるところだが、今は彼に身を委ねるしかない。

 彼の手を取り、チェインは軍へと連れて行かれた。


 以降、チェインは軍で生きる術を身に着け、自分自身も兵士として働くことに決めた。

 自身の持つ忌まわしい実験の成果物を人の役に立たせるように扱いたい。

 そんな思いを胸に、彼は歩き始めた。


 ◇ ◇


 後にバトラから聞かされた話だが、チェインの居た研究所ではこれまで他の子供達を実験材料として扱っていたらしい。

 下手すれば自分も混じっていたと考えると、自身の悪運強さに感謝しなければならない。

 しかし、チェインが研究の生き残りと知らされた研究者からはサンプルとして扱わせて欲しいと要請があったらしいが、この話はチェインの耳に届かせずバトラが全て断っていたらしい。


 この話を聞かされたのは、軍に入隊することになってから1年が経った頃のことだった。

 チェインは内心ほっとした。

 まるでモルモットと言わんばかりの扱いから身を守ってくれた恩人の存在に。

 当時はバトラの偉さなんてよく分からなかったが、彼が居なくなれば自分はどんな道を辿っていたのだろうか。

 バトラ・クラインという男には自分の全てを差し出しても足りないくらいに感謝している。

 だからこそ、命の恩人が無くなっている現実を上手く受け止められずにいた。

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