5-1.本能の赴くままに
大変長らくお待たせしました。
長かった...1年越しのアップにちょっとした感動です。
五條病院前で礼二がバトラの死を目の当たりにした刹那、彼の体からは黒い魔力が溢れ出した。
魔力はところどころ人の顔のような形に成り変わり、まるで抑えていた怨霊が外に出ようとしている様に見えた。
「あぁ…あぁ…ああああああああああああああああ」
彼は嗚咽するように声を出し、次第に狂人の如く叫び始める。
声のトーンに呼応するように、溢れ出す黒の魔力も勢いを増していった。
「何…これ…」
レイチェル・フラッドは、礼二から溢れ出る黒い魔力の勢いに驚きを示していた。
ゆっくりと流れる水のような勢いではない。
雪崩の如く、溜めていたものを全て吐き出すような勢いだ。
あれだけ得体の知れない魔力を一気に出している様子から察するに、礼二の精神に大きな揺さぶりがあったのかもしれない。レイチェルはそう考える。
辺りを見渡して原因を探していると、それはすぐに見つかった。
バトラとリディの死。
彼が関わってきた2人がまとめて死んでしまったことによって、負の感情が爆発してしまったのかもしれない。
一緒に仕事しているから意識はしていないが、礼二はまだ中学生だ。大人に混じって動いていても精神はまだ子供のままである。
見知った者が急に居なくなるような環境変化は、子供にとっては大きなストレスかもしれない。
それ故、今の状況に至っているのだろう。
あの魔力が一気に流れ出ている様子で礼二の状態はとても危険だ。
どうにかしてやりたいところだが、レイチェルの技量をもっても、この状況はどうにもできない。
ただ見ていることしかできない。
レイチェルは、自身の無力さに打ちひしがれていた。
◇ ◇
奴が憎い…あの鎧を着た男が憎い…コロシタイ…
体の内から憎悪が木魂するように頭の中へと鳴り響く。
殺せ殺せと頭の中で終わることなく鳴り響き、次第に礼二の精神を犯していった。
くっ…いつもより響いてくるな…
黒の魔力が体を包み込もうとする時、自分の体を乗っ取ろうとするように意識を持っていかれることがある。
そういう時は大概、この世の者とは思えないような声が頭の中に響いてくるのだ。
悍ましい声が礼二の耳に囁かれるように聞こえてき、体には冷え切った手が彼の体に纏わりつくように這ってくる。
とても気味が悪く、声を聞いたり手が触れた途端に体がビクッと拒否反応を示していた。
何…これ…
これまで感じてきた黒の魔力とは違う。
いつもは「殺せ殺せ」と憎悪の言葉を繰り返し響かせただけなのに、今回に限っては直接侵食していく。
自分の体が何者かの見えない手で持っていかれるような――そんな感じだ。
抑え…きれない…
苦痛を受けているかのように顔を歪ませる。
ぼんやりとした視界の先に立つ人物を見ると、内心に籠った負の感情が外に溢れていった。
殺してやる。奴を殺してやる…
必死に抑えようとしても負の感情は抑えきれない。
気が付けば、目の前にはある日夢で見たような泥の波が彼の前に現れていた。
憎悪に襲われている今の彼は動くことができない。
そのまま泥の波に攫われ、礼二は意識を失った。
◇ ◇
礼二の体から鋭い勢いで溢れていた黒の魔力の流れが途端に止まった。
彼は「はぁ…はぁ…」と辛そうに呼吸を繰り返しながら、開いた口を空に向けていた。
何があったの…?
いつも黒の魔力が溢れた時は、溢れるのが止まることなく動き出していた。
しかし、今回は全く動くことなく魔力の溢れ方が徐々に弱まっていた。
これまでの違いにレイチェルは戸惑う。
今回は何かが違う。
ただでさえ不確定要素の力なのに、さらに不確定要素を含んでしまうのは、一緒に戦っている者としてとても不安だ。
大丈夫なの…? 礼二…
いつも黒い魔力に飲み込まれて暴走している彼だが、今回はいつにも増して体から魔力が溢れ出ているような気がする。あれでは体への負担が計り知れない。
礼二の目の前にいる西洋の鎧を纏った人物は、剣を構えて彼の姿を正面に捉えていた。
裏切りから改心しかけたバトラ・クラインを容赦なく殺した男だ。
目の前に居る少年が敵であることを知った上で、礼二から溢れ出ている魔力に警戒心を抱いている様子だった。
礼二は自身の呼吸を落ち着かせると、唐突に西洋の鎧を纏った騎士・ダンテ目掛けて走り出した。
自身に敵意をむき出していることを悟ったダンテは少し後ろに退き、直進してくる礼二の突撃を剣で受け止めた。
「ほぅ…お前、自分の力に飲まれているな?」
ダンテは考えなしに突っ込んできた礼二に指摘した。
その時の礼二を見る目は愚かな子供を見ているような感じで、あまり同等の存在として見ていない感じだった。
嫌味とも取れる相手の反応に、礼二から返しの言葉は無い。
口からは荒々しい吐息が漏れ、ダンテの姿だけを血眼で見ていた。
ダンテは鍔迫り合いにあった状態を解放するように体を横にずらし、重心を正面に向けていた礼二の体は素通りするように移動した。
目の前に敵の存在が無くなったことに気が付いた礼二は、殺気に溢れた眼光をダンテに向ける。
そして、体をくるりと回転させ、再度ダンテの居る方向に突撃していった。
礼二は再び持っていた剣を正面に振り下ろす。
「良い反応をする」
ダンテは目の前の相手に採点を施すような呟きをしながら少ない動作でそれを避けた。
礼二はさらに剣を横に振るうも、彼は剣で刃先の侵攻を防いで攻撃を受け流した。
「だが、動きが単調すぎる」
ダンテは態勢を崩しかけている礼二の腹に蹴りを入れ、少しの間だけ動きを止めた。
彼はさらに剣で斬りかかろうと接近すると、礼二はすぐさま後ろに飛んで距離を取った。
ダンテ自身、礼二と戦うのは初めてだ。
相手がどのような戦い方をするかなんて何も分からない。
これから何らかの行動を行うと見越して、剣を正面に構えて出方を窺う。
距離を取って地に足を着けた礼二は、すぐさま正面に魔法陣を展開する。
そして剣でそれを叩くように振るい、魔導砲らしき攻撃を行った。
後退したかと思わせて行う遠距離攻撃。
これならば攻撃は通るだろうと、本能的に礼二は悟ったのかもしれない。
だが、ダンテは持っていた剣を縦に一振りし、放たれた魔導砲は真っ二つに裂かれた。
「えっ…!」
レイチェルは、ダンテの行った行動に驚いていた。
『魔導砲』と呼ばれる魔力の放射による砲撃は、膨大な質量で構成されている。
魔弾も質量はあるが、別の方向に軌道をずらすことしかできない。
放射による砲撃を斬ることなど、普通では行える所業ではない。ありえない話だ。
だからこそ魔術の知識に長けたレイチェルから見れば、ダンテの行った行動が信じられなかった。
しかし、ふと彼の持っている黒い剣に目を向けた瞬間、何故放射された魔力の塊を裂くことができたのかが理解できた。
フォニックブレード。
魔力を剣に込めることで、外から触れる魔力を打ち消す効力を持つと言われる剣の形をした魔具である。
レイチェルの中で魔具の情報は聞いたことがあるが、現実にある物なのかは分からなかった。
だが、ダンテが魔導砲を真っ二つにできたのは、この剣あってこその芸当なのだろう。彼女はそう納得することにした。
魔導砲を真っ二つにしたダンテは、礼二を見つめながらニヤリと微笑んだ。
こんな攻撃は効かない。無意味だと言わんばかりに。
攻撃が防がれたことを察した礼二は、魔弾を展開して射出。そしてダンテとの距離を詰め始める。
力任せであるが、難なく接近戦を捌ける相手に近付くなど自殺行為だ。平常な判断が出来ているなら、こんな行動はしたりしない。
つまり、今の礼二は正常な判断ができない状態であることを意味していた。
危険だ。相手は理性の無い礼二の攻撃に苦しさを感じずに回避して攻撃を仕掛けてくる。
このまま戦えば礼二は死に陥ってしまう。
レイチェルはそう考えたが、2人の間で行われる攻撃は激しく、簡単に横入りできるようなものでは無かった。
故に、今の彼女は2人の戦いを見届けることしかできなかった。
ダンテに距離を詰めた礼二は、再度剣で斬りかかる。
しかし、またもやダンテには軽くあしらわれ、返しで背中に一閃を受けてしまう。
「礼二!」
レイチェルは自然と彼の名前を叫ぶ。
普通ならばコードネームで呼ぶべきであるところだが、彼女も平常でいられないところまできているのは確かだった。
ダンテは背中を斬られて悶えている礼二の元へと歩き始める。
そのまま止めを差そうとしているようだ。
「させない!」
レイチェルは礼二の元へ向かおうと走り出す。
動き出すのが遅かった。
例え互いの攻撃が激しかろうと、無理してでも割って入るべきだった。彼女は自身の行動に後悔を抱いた。
「久しぶりですねぇ。レイチェル・フラッド」
彼女の行く道を遮ろうと、前方からフードを被った怪しい1人がゆっくりと舞い降りる。
目の前の人物が地面に降りた頃、頭を覆ったフードが後ろに持っていかれた。
見た目は細身で老人のような皺の目立つ顔。
鼻下には形の整った横に広い髭を持ち、偉大な魔術師を思わせる風貌だった。
「あなたは誰?」
「忘れましたか…私はルドルフですよ。あなたとダークの手によって殺された男です」
「あんたが…? 何で生きてるのよ!?」
ルドルフとレイチェルは、昔に何か因縁があったかのような口ぶりでお互いに話しかけていた。
あの男と戦った記憶ならある。そして殺す勢いで戦い、最終的にはダークの手によって葬られたはずだ。
「それに…あんたはこんな顔じゃなかったはずよ!」
「あぁ…そうでしたね…」
老人のような顔のした魔術師は皺をさするように触れながら、昔を懐かしむ。
「覚えていませんか? 君が…いや、ダークが私を葬る際に放った炎によって皮膚がこんなになってしまったのですよ。こうして生きているとは、君たちは本当に詰めが甘い」
皺をぐちゃりとさせるように頬を歪ませる。
ルドルフは少し混乱状態に陥っているレイチェルの姿を見て微笑んでいた。
「よりにもよってあんたが生き残っていたとはね…」
目の前の邪魔者をどうしようかと一瞬考えたが、一番優先すべきは礼二の安全を確保することだ。
ルドルフを上手く避けながら、どうやって礼二を助けだすかを考えなければならない。
上手く避けるか? いや、相手は戦闘慣れしている魔術師だ。
彼の目的がレイチェルが手を出すことを妨害することであれば、全力で阻止しに来るだろう。
相手とぶつかり合う可能性を考えるなら、いっそのことルドルフを突破してでも礼二の元へと向かってしまえば良い。上手くいけばの話だが。
行動方針を整えたレイチェルは、一瞬にしてルドルフの目の前まで接近を行った。
「邪魔よ!」
槍を大きく横に振るい、ルドルフを後ろに退けさせようとした。
ルドルフは彼女の振るう槍を後ろに退いて避け、何もない空間から光剣を生み出す。
そして、それを横回転させるように動かしてレイチェルに振るった。
「っ…!」
「ここを通すわけにはいかないよ。彼の力を見ておきたいからね」
ルドルフは礼二の居る方向に目を向けて微笑む。
何か嫌なことを考えているような雰囲気を醸し出していた。
奴はこれから礼二を使って何かしようと考えている。そんなことはさせるわけにいかない。
できるだけ早く礼二のサポートに入らないと…
レイチェルは急ぐようにルドルフの壁を突破しようと動く。
「簡単に通しはしないよ。ダークの後ろしか歩いていなかった君如きが勝てると思っているのかい?」
「そんなのはやってみなきゃ分からないわ!」
そうは言うものの、本当はルドルフを相手にしている余裕なんか無い。
ここを突破しなければ礼二を助けることができない。
そうこうしている内に、ダンテは倒れている礼二の背中に刃を突き刺そうとしていた。
駄目だ。やられてしまう。
刹那、レイチェルの頭の中で1人の青年が炎に包まれる村の中に走りゆく記憶が蘇る。
あの時止めていたり自分も行っていれば、彼が死ぬことは無かった。
後悔しても後悔しきれないあの日の選択。
レイチェルは虚ろとした目で礼二が殺されようとする瞬間を見届けるしかなかった。
◇ ◇
カッと強い光が目の前を走った。
目を閉じても分かるくらいに強い光。光源は眼前にあることをなんとなく察した。
薄っすらと目を開けると、そこには見覚えのある後ろ姿があった。
「1日で2回君を救うとはな…ダーク」
声の雰囲気から、クロードであることを察した。
「助けて欲しいとは…頼んでませんよ」
「状況が状況だ。そうさせてしまった自分の無力さを恨むが良い」
クロードの言いように苛立って憎み口を叩くが、思った以上に正論を言われて言葉を返せない。
相手に迷惑をかけてしまっている以上、あまり強めに出るのもどうかと思ってしまう。
「貴様は…」
礼二との間に現れたクロードの存在に疑いを抱くダンテ。
彼は目の前の敵の存在に恐れを抱いたからか、少しだけ後ろに退いた。
「少なくともお前の敵ではあるな」
クロードは後ろに退いたダンテに言う。
彼は不気味に微笑みながらダンテの姿を見た。
「西洋風の鎧を着ているとは…中々風情があるな。コスプレイヤーか何かかね?」
「こすぷれいやぁ…? 貴様、何を言っている?」
ダンテはクロードの発言に疑問を抱く。
確かに戦いの場でこのような発言をしてしまう自分たちの上官は、どういう考えなのだろうと思う。
相手の着ている装備を何かに例えたりするような余裕なんて全く無いはずなのに。
それだけ目の前にある戦いを楽しもうとしている気概が見えた。
礼二が上官の考えに疑問を抱いていると、ダンテは一瞬にしてクロードの前に接近。持っていた剣を横に振るおうとしていた。
ダンテの持つ剣は魔力を斬ることが可能な力を持った魔具だ。
咄嗟に展開する魔防壁では防御することができない。
しかし、クロードはそれを左腕で受け止めて見せた。
「何故切れぬ…?」
「これには魔力なんて関係ない。ただの装備品だ」
フォニックブレードの刃によって裂かれたクロードが羽織っている上着の袖から、ハラリと網模様の何かが見えた。
「鎖帷子だと…!」
「そうだ。魔力による強化だけでは不安は残るからな」
ダンテはクロードの腕が斬れなかった理由を察すると、すぐさま大きく距離を取った。
クロードの得意な距離なんて彼は知らないはずなのに、自分の得意な距離から離れることに礼二は疑問を抱いていた。
「ちっ…雷神相手では武が悪いか」
「私の部下が世話になったようじゃないか」
ダンテが距離を取ると同時に、クロードは距離を一瞬にして詰めていた。
先程見たアインとの戦闘同様に動く姿なんて全く見えず、もう何が起きているのかが分からなかった。
ダンテの姿を目の前にしたクロードは、右の拳を彼の腹に叩き込もうと動く。
しかし、ダンテはそれを剣の柄で受け止めて直撃を逃れた。
「なんて馬鹿力だ…」
「それが私の強みだからね」
パンチの威力で吹き飛ばされたダンテに、一歩一歩ゆっくりと近づくクロード。
雷神と周りから呼ばれている彼の目は、いつも見ている頼もしい上司の目ではない。もう敵として見ている相手を屠ろうとしている目だ。
2人の間には、クロードの歩く足音だけが響く。
今お互いに無駄な動きを見せれば強力な一撃を叩き込もうと考えているように見えた。
刹那、ダンテの隣に見たことのない人物が現れた。
長髪で老人のような皺の目立つ顔のした男性で、マントで自身の体を纏っている。
「ダンテ、最低限やることは行いました。ここは退きましょう」
「…そうだな。今戦っても利点は無いからな」
老人の言葉を聞き入れたダンテは、クロード相手に後れを取ってしまったことに苛立ちを感じるような表情をしていた。
「逃げる気か? 残念だが、君らは重要参考人として私たちに付いてきてもらいたいものだが――」
クロードはそう言いながら、老人とダンテの元へと距離を一気に詰める。
再び強大な威力を持つ拳を叩き込もうとすると、鐘の鳴るような音が辺りに響いた。
「ぬ…中々強固な壁を扱えるようだな」
「当然。あなたたちよりは長い間触っているからね」
薄っすらと青く輝く魔力の壁。魔防壁だ。
クロードは本気で相手に一撃を与えようと動いただろう。しかし、老人はそれを強固な魔防壁で防いでみせた。
「だが、これで終わると思うな…よ!」
クロードは大きく体をくるりと回転させ、旋風脚を行うような動きで防壁に蹴りを入れる。
彼の足が接触した途端、強い光が触れたところから発し、防壁はガラスが砕け散るかのように壊れた。
「ではまた会う日まで――」
老人はダンテの肩を抱きながら、後方に開いた空間に吸い込まれるように体を移動させた。
壁を破壊したクロードは老人の体を掴もうと手を伸ばすが、2人を吸い込んだ空間の歪が唐突に閉じた。
「ちっ…逃げられたか…」
今やこの場には老人とダンテの姿は無い。
重要参考人になりうる2人を捕らえることができず、クロードは苛立ちを抱いている様子だった。
今回は犯人と思われる者を全て捕まえると豪語した手前、自身が出動したにも関わらず目標が達成できないでいたのは屈辱なのだろう。
「申し訳ありません…大佐…」
こんな状況を作ってしまったのは、黒い魔力に飲み込まれて暴走した自分の責任だ。
クロードは礼二の言葉を聞いていなかったのか、無言で2人が消えた空間を見つめていた。




