4-8.驚愕
20分後、礼二とレイチェルは建物を飛び越えながら進んでいき、ついには五條病院前の建物の屋上に辿り着いていた。
遠くから眺めていても何も騒ぎが起こっている様子はなく至って平穏に見える。聞こえる音は都内を走る車などの環境音だけだった。
屋上から病院前を見下ろすが、一般人ばかりだ。相手がどこからやってくるのかが分からない。
「どこに居るんだ…」
「ここを見下ろしても見つかるとは思えないわね。礼二、屋上から降りて探すわよ」
「あぁ」と彼女の提案に乗った礼二は、屋上から空へと飛び込んで地上に降りようとした。
「ちょ、ちょっと待ちなさい…! なんで落ちようとしているのよ!」
レイチェルはそう言いながら礼二の右腕を掴む。
下に降りようと言ったのに何なんだ…
礼二は彼女の行動に違和感を覚えながら顔を振り向かせた。
「おいおい、降りて様子を見てこようって言ったのはレイチェルじゃないか。何故止める?」
レイチェルに止めた理由を問いただす。
すると彼女は溜息をつきながら――
「あのね…私たちが空から飛び降りて人に見られたらどうするの? それに騒ぎでも起こしてしまえば相手に勘付かれるじゃない」
ごもっともな理由を挙げた。
確かにその通りだ。
一直線に降りて行ってしまえば相手にも勘付かれてしまうし、何も知らない一般人に騒がれてしまうかもしれない。
結果的には相手にこちらの存在がバレて、見つけ出すのが難しくなるかもしれない。
相手が現れないことは良いことであるが、隠れさせるように繋がってしまうのはどうしても避けたい。
「仕方ない…あまり目の付かないところで地上に降りるとしよう…」
礼二は辺りを見渡して人目の付かなそうな箇所へと移動し、そのまま飛び降りた。
◇ ◇
病院の玄関まで残り20メートル。
礼二とレイチェルは傷の無いローブを纏って病院前を歩いていた。
都内の街中でローブを纏っている姿は目立ってしまうが、汚れたままで行くよりは断然マシだ。
「うーん…怪しそうな人は見当たらないな…」
むしろ怪しく見られているのはこちらなのかもしれない。
先程からこちらを見てくる人達で一杯だ。悪目立ちしている感が凄く否めない。
周りの目を気にせず、目配せだけで辺りを見ていると、玄関前に見覚えのある後ろ姿が見えた。
「あれ、クライン少尉? 何故そんなところに」
「む、神原か。それにフラッドも何故こんなところに」
礼二が声を掛けた人物はバトラ・クライン。
今の時間帯は軍の基地内で待機しているはずだが、彼は何故そこに居るのだろうか。
「あぁ…少し病院で診察を受けねばならなくてな」
「そうだったんですか。実は…今から参考人に会いに行く用ができまして…」
「むっ…今は襲撃している者が居ると聞いているが、現場は大丈夫なのか?」
「大丈夫です。大佐が抑えている様子なので」
「あの大佐が動いたのか…」
バトラは口を開けて驚いていた。
彼の中ではクロードはあまり前線に出ようとはしない印象なのだろう。
「じゃあ、私は行ってきますね」
「うむ」
礼二はバトラと別れるように動き、病院の玄関へと向かって行った。
良かった…偶然で。
礼二は内心安堵した。
実のところ、礼二の中では何故かここに居るバトラが裏切り者では無いのかと少しだけ疑っていた。
しかし、今の会話の内容から察するに、彼は裏切り者ではないだろう。
まさか自分たちの訓練教官を担当している魔術師が裏切り者だとは思いたくないし、考えたくもない。
なにせ彼だって、軍に入る隊員たちには心を込めて訓練に取り組ませている節がある。
そんな人が軍に裏切り行為を行うなんてことがあれば、とても悲しい。
「ふぅ…」
礼二は一息つくと、何かの視線を感じ取った。
誰かに見られているような気がして辺りを見渡してみると、いつの間にかレイチェルが礼二をじっと見つめていることに気が付いた。
「どうしたよ?」
[クライン少尉の様子が少しおかしいわ]
脳に流れた声を聴いて、一瞬だけ思考回路が固まった。
え、どこをどう見て怪しいと感じ取ったんだ?
訓練を受けている時のレイチェルは、バトラに対しての印象が悪いらしい。
恐らく、この点を補正した上で怪しいという結論に至っているのだろう。間違いない。
[なんでおかしいと思うのさ?]
レイチェルが脳内での会話を求めている様子だったので、礼二も同じように彼女に言葉を送り込む。
すると彼女は顔色を何も変えず――
[だってクライン少尉は、自分の周りに陣を引いて歩いているのよ? やましいことが無かったら、ここまで用心するものかしら]
陣?
礼二からは見えないが、今のバトラの周囲には陣が敷かれているらしい。
この陣がどんな効果をもたらしているかは分からないが、何かを察知するための効力を持っているだろう。
[そうか…少尉を疑う訳じゃないけど、何かあった時のために聞くのは伏せておこう。いつでも戦闘できる準備だけはしとこ]
[そうね]
礼二とレイチェルは互いの意思を確認し、怪しい雰囲気を醸し出しているバトラの後ろを付いて行く形で歩き続ける。
病院の玄関まで残り10メートル。
礼二とレイチェルの2人はバトラの動きを注意しながら歩き、前に居るバトラは何も気にしないような雰囲気で歩き続けていた。
そろそろ病院の内部に入るな…
これまでバトラは怪しい気配を見せない。
だが、礼二としてはバトラは裏切り者であって欲しくないと願っている。だからこそ怪しい気配を見せないのは理想的な動きだ。
そのまま…そのまま…何も変な動きを見せないまま物騒なことはしないでくれ。
ゆっくりと玄関へと近づき、あと少しでバトラが病院の内部に入る自動ドアをくぐろうとすると――
「止まりなさい」
バトラの前に薄い青色のした魔防壁が出現した。
聞こえてきた声から察するに、防壁はレイチェルが出現させたものであるように思えた。
「フラッド一等兵、私は診察を受けに行くために病院に出向いているのだが、これは何のマネだ?
「そういうあなたこそ、診察を受けるために魔術陣を張りながら動き回るなんて何に怯えているのかしら?」
おい待てレイチェル、動きが早すぎる。
まだまだ信じていたかったのに。もう真実を叩きつけられるのか…
しかし、バトラが裏切り者であることを否定するような行動が見えれば、彼女も彼を怪しむ理由がなくなる。
何もありませんように。
礼二はただ、そう願うしかほか無かった。
「魔術陣? 私がそんなものを張って歩くとな…理由がないではないか」
「とぼけるつもり? なんならあなたが陣を張っていることを示す手段ならあるけど」
レイチェルは唐突に虚空から得物として使っている槍を取り出した。
え、これから何をやるつもり…?
彼女はバトラが裏切り者ではないかと怪しんでいる。
これから攻撃でも行おうとしているのではないかとハラハラしていた。
ふと気が付くと、レイチェルの持つ槍には魔力が込められている。これから何かを行うようだ。
「抗魔槍《アンチマジック》」
レイチェルは魔力を込めた槍の穂先を地面に突きつけた。
唐突に仕掛けられたと思われる陣がガラスが割れたような音が聞こえると同時に崩れていく。
陣が完全に崩れると、バトラが何か苦痛を感じたかのような表情を表に出した。
「どうしたの? 何かチクっとした痛みでもあった?」
もう原因が分かっているかのような、にやけ顔でバトラに問うレイチェル。
彼女の顔を見たバトラは、顔を見るたびに苛立っている様子だった。
「何も感じてない…ぞ…」
「嘘。この術で敗れた陣は、発動者にフィードバックで痛覚が走るの。
今、急に何かに痛みを感じたあなたは、魔術陣を張っていたってことになるわ。
どうして張っていたのかしら?」
平然を装うバトラに対し、レイチェルは容赦なく斬り捨てた。
何この攻め方。怖い!
レイチェルが敵じゃなくて味方で良かったと思う瞬間でもあった。
礼二がレイチェルへの評価を改めている間、バトラは黙ったまま棒立ちになっていた。
ちょっと待って。ここで黙らないでくださいよ。本当に裏切り者ではないですよね?
最後まで訓練教官を信じる。そう決めた。
しかし、現状としてはレイチェルの言った通り、あまり警戒するところでは無いのに何故か魔術陣を張っている。これほど怪しいことがあるだろうか。
礼二の中でバトラに対する感情が、ぐにゃぐにゃと歪んでいった。
「…ふむ、残念だ。教官として教え子とは戦いたくなかったが…仕方ないか」
バトラが振り向こうと体を回した。
彼の右手には何か棒状の物を持っているような雰囲気を醸し出していており、それに気が付いたレイチェルは咄嗟に魔防壁を展開した。
2人はレイチェルの張った魔防壁に抑え込まれ、ザザッと距離を離す形で後ろに押し込まれた。
「えっ…」
一瞬の出来事に礼二は何が起きたのかが理解できないでいた。
「礼二、これが現実よ。目を逸らさないで」
レイチェルは、礼二があたかもバトラのことを信じていたことを知っていたような口ぶりで彼に諭した。
バトラは礼二とレイチェルに向けて、自身の得物として扱っているハルバードを横に振るった。
前に一度、彼と戦った際にハルバードを振るわれたことがあるが、あの時とは違って今回は殺気が確かにあった。
「ク、クライン少尉…何故なんですか…?」
礼二は未だバトラが攻撃してきたという事実を受け止めきれず、何かの冗談かと受け止めていた。
普段から厳しいことを言う人であったけど、その中には確かに優しさがあって、軍に所属する新人たちはこれに強く励まされているところもあると思う。
ここまで軍のことを考えている人が何故…
この人なら裏切ることはしないだろう。
そう高を括っていたせいか、目の前にしている現実には目を向けることはできない。
「君は…何も聞かない方が良い」
「意味が分からないです。あなたは日本帝国の軍人として、新人隊員の教育に力を尽くしていたのでは無いのですか!?」
何も答えようとしないバトラに対し、礼二は感情的になって反論する。そして、バトラは無言でハルバードを礼二に振り下ろそうと構える。
「くっ…」
振り下ろされた一閃は、割り込んで入ったレイチェルの手によって防がれた。
普通なら見えていた一撃。
何故裏切ったのか分からない教官のことを考えていたせいか、今の攻撃は全く見えず棒立ちで過ごしてしまっていた。
「馬鹿! 何ぼーっとしているの!」
目の前で攻撃を防ぎ続けるレイチェルに叱咤の言葉を受けた。
攻撃してくると分かっているのに、棒立ちのままで攻撃を受けるなんてただの馬鹿がやることだ。
「こういう時のフラッドは頼りになるようだ。君のその冷静なところは戦場をよく見ている」
「今から裏切ろうとしている人に何を言っているのかしら?」
ふとしたところにバトラから褒められたレイチェルは、苛立ちながらバトラのハルバードを押し返そうと力を込めた。
これから組織を裏切ろうとする相手から褒められるなんて、苛立つことほかならない。
「それに対して神原は感情に振り回されているように見える。君も、敵と分かった相手には非情さを持つと良い。今のままでは命がいくらあっても足らないぞ」
彼はレイチェルの言葉を気にせず、続けて礼二にも評価を下した。
仲間が裏切ったという事実を受け止めきれず、攻撃や防御を躊躇した点を言っているのだろう。確かに感情には揺さぶられている。
こんな状況は初めて遭遇したのだから、最初から非情さを持てと言われてもどうすれば感情を揺さぶらないようにするかは分からない。
「はぁぁぁ…」
2人に評価を下したバトラは呼吸を整えようとしているのか、深い深呼吸をし始める。
相手が呼吸を整えようとしているところを見たレイチェルは、今だと言わんばかりに槍に力を込めてバトラの拘束から離れようとしていた。
「この状態でも何て力な馬鹿力なの…」
どれだけ力を入れても相手の持つハルバードの斧部分はズレない。
数秒後、呼吸が整ったバトラは大きく息を吸い――
「はああああああああ!!!」
彼は自身の中心から強い風圧を発生させた。
発生した風圧は体丸ごと吹き飛ばされてしまうのではないかと思わせる程に強く、地面に足を着け続けているだけでも一苦労だった。
「ぐっ…」
礼二とレイチェルは足を地面から離さないように踏ん張り続ける。
なんて声だろう。
バトラの発声によって、礼二とレイチェルは体を動かすことができなくなっていた。
風圧によって風が目に入らせまいと少し目を閉じると、気付けば目の前のバトラはハルバードを振り下ろそうとしていた。
この人は本気で殺る気だ…!
礼二はようやく動けるようになった体を動かそうとすると、後ろからヒョイっと誰かに体を持ち上げられる感覚を感じた。
「ちょっと…!」
何が起きたのかが分からない中、礼二の体は少しバトラから距離を置いた方向に移動される。
「これで分かった? 今の彼は礼二が知っている彼じゃないの。戦わない道なんて諦めなさい」
声の感じからして大体の想像はできる。礼二を抱えているのはレイチェルだ。
恐らくバトラがハルバードを振り下ろそうとしていた瞬間に動きの制限が解けたのだろう。
「分かってる。もう戦わなきゃいけないんだよね…」
ズドン、とハルバードの刃先を地面に叩きつけた音が聞こえると、バトラは礼二とレイチェルに目を向ける。
「ようやくやる気になってくれたか。私にだってやることがあるのだ。
これから貴様らに感づかれたからには、ここで死んでもらわなければならぬ」
バトラはゆっくりと振り下ろしたハルバードを地面から抜き取り、再び戦闘態勢に映る。斧部分の先端
にある鋭い突起部分を2人に向けると――
「2人とも武器を構えろ。最後の実戦演習と行こうじゃないか」
仲間だった者同士がこれから戦うというのに、バトラは微笑みながら礼二とレイチェルに向けて言った。
やっぱり戦うしかないんだよな…
レイチェルは彼を睨みつけながら槍の穂先をバトラに向ける。
礼二は少し戸惑いながら虚空から剣を取り出し、戦闘態勢に移った。




