1-4.噂
「昨日、動物園から逃げ出した猛獣が人を襲ったらしいよ」
高坂中学校二年三組の教室では、昨夜に起きたショッピングモールでの事件話がクラス内に渡っていた。
いつもはアイドルやドラマの話で盛り上がっているこのクラスではとても珍しい。
恐怖や好奇心に溢れた人たちの喧騒の中で、礼二は左手にある窓から空を眺めていた。
今日は晴天で空は青く、雲は綺麗な白に染まり、時々灰色が自己主張しているような色合いだった。
お前らにとって晴れの日はとても気楽そうだな。
これは今見ている雲に対して脳内から発する一言である。
晴れ時の雲は奥にある青色を見せるように他の雲たちと距離を離れていることが多いが、曇り時は固まっている時が多い。固まって動いている様はまるで人間が行う集団行動のように思える。
集団行動は人に合わせて動くようなものだからとても気を使う。雲も同じようなことが言えるのではなかろうか。
空に浮かぶ無機物放浪者に対して同意を求める礼二に対し、話しかける1人の男がいた。
「昨日、なんかあったらしいな」
綿貫が礼二に対して話しかけていた。
「よく分からないけど、動物園から動物が逃げたらしいよ」
素知らぬ顔で返答する礼二。
本当は何も知らないわけで無い。むしろ現場の中心にいたわけだし……
自分が関わっていると知れば、面倒な野次馬達が総出でインタビュータイムに入るだろう。物珍しさという点で。
礼二は周りの噂を気にせず机に顔を寄せ、昨夜の出来事を思い返す。
皆があの惨状を見たら、こうして噂話とかできるのかな……
偶然、現場に居合わせてしまった礼二にとっては、とても不愉快なことだった。
◇ ◇
昨日起きたショッピングモール前の広場で起きた惨状。
突然魔獣が出現し、周りにいた人達を襲いかかっていた。偶然居合わせた礼二は獣に襲われるも、無意識に発動した魔術によって撃退に成功する。
妄想で使っていた力が、まさか現実で使うことができると誰が思うだろうか。
戦闘後、初めて敵の殺害に成功した礼二は錯乱状態に陥っていた。前に血を見て怯えていた人間が、生物を真っ二つに両断して返り血を浴びる。バイオレンスで刺激が強すぎて精神衛生的に見ても良くない。
レイチェルは腰を抜かして立つこともできなかった礼二を介抱する。
「悪かったわね。昨日の動きを見て、あなたはてっきり戦い方を知ってると思ってたから……」
彼に肩を貸しながら彼女は謝罪する。
「いえ、大丈夫です……」
控えめに返事をする礼二。声には覇気と活気がない。
レイチェルは戦闘素人の彼に対して一瞬悩むような顔をした。少し悩んだ後、決意したように提案する。
「ねぇ、よければだけど…魔術の扱い方を教えてあげようか?」
「えっ…なんで?」
唐突な誘いに戸惑う。レイチェルは真剣な表情をしながら話し始める。
「本来、魔獣は異世界の生物な訳でこの世界に自由に出入りできないはずなの。二日続けて魔獣が発生してるのは普通に考えるとおかしいのよ。多分、今後また出てくるわ、あいつら」
そういうものなのか……
魔獣はてっきりゲームみたいによく出現するものだと思っていたが、本当はそうじゃないらしい。
むしろ、全く見かけなかったものが急に見かけるようになったら疑問に感じるのが普通だ。
「だから自分の身を守る手段として、あなたに魔術の扱い方を教えてあげると言っているの。それだったらまだ魔獣と戦わないように済むかもしれないわ」
どうする? と尋ねるように彼女は礼二の顔を見つめる。
数秒、二人の間に沈黙が走る。彼は視線を逸らしながら―――
「…少し…考えさせてください」
礼二は低い声で答える。
「そう…明日の夜に返事を聞かせて」
レイチェルは静かな声で言い、その場から去った。
◇ ◇
授業の始まりのチャイムが鳴る。数学の時間だ。
礼二は背筋を椅子の背もたれに合わせて座り始めた。
とりあえず彼女との一件は放課後に考えよう。勉強に集中しとかないと。
来週からテスト期間に入る。親の機嫌を取る為に好成績を残さなければ。
教室のドアが開き、数学担当の教師が入ってくるかと思ったらHR担当の里中先生が入ってきた
「数学教師の佐藤先生は今日お休みです」
そう告げられた瞬間、クラスの生徒達は一斉に喜び始めた。先生は一度呆気に取られたが、見ぬ振りをして教壇の前まで移動する。
「はい、静かに。この時間は自習になりましたので、教室の外に出ないようにお願いします」
一言を残して里中先生は教室を去った。
自習時間。学生達の立場で言い換えれば自由時間。
先生が出て行った途端にクラスメイト達ははしゃぎ始めた。
隣のクラスに迷惑かけないか? と思うほどに騒いでいたのだが、時間が過ぎるまで教師は誰も来なかった。なんで誰も注意しないんだろう―――何人かは不安に思っていたが周りの空気に流されて気にすることもなくなった。
しかし、礼二を含めたクラスメイトは、佐藤先生ともう会うことは無いということを未だ知らずにいた。
◇ ◇
授業を終えて家路につく頃、時刻は夕方5時になっていた。
高坂駅の近くを歩いていた礼二は、レイチェルとの待ち合わせ時間までどう暇を潰すかを考えていた。
周りには喫茶店が多く、人を待つ場所としては最適だ。
紅茶飲みながら待とうかな。
適当な店に入り、レイチェルと会う時間まで待つことにする。
入った喫茶店の壁は昭和テイストな壁紙に彩られ、カウンターの上にはテレビがあった。
礼二が店の端っこにある窓際の席を陣取ると、女性のウェイトレスが彼の前にやってきた。
「いらっしゃいませ。ご注文は何になさいますか?」
「えっと…カフェオレで」
席に座ってすぐに来たものだからメニューを吟味することはできず、パッと見えたカフェオレを注文する。値段も見ずに注文してしまったものだから会計が怖い。よく見てみると、一杯の値段は300円。高そうな雰囲気出しているのに手頃なお値段だこと。
急な出費もあまり痛くないことに気付いた礼二は、カウンター上にある時計に目を向けた。
時刻は夕方5時20分。
時間を見ていると、一つ重要なことを彼は思い出す。
そういえば詳しい時間は聞いてなかったな……
今日会うのは『夜』と聞いているが、夜の何時何分などの詳しい時間を聞き忘れていた。それとどこで待ち合わせるかも。
あー…俺は何時まで待てばいいんだろう……
先の見えない暇つぶしになるような気がした。
◇ ◇
「ふわぁ~」
約2時間後、礼二は暇つぶし用として持っていた本をいつの間にか二冊読んでいた。
読書に集中し過ぎて脳に必要な酸素があまり行き渡っていないことに気付く。
体は酸素補給のために自動で大あくびをしてしまう。
今何時だろう―――礼二は時計に目を向ける。時刻は夜7時を超えていた。
「そろそろかな」
礼二はテーブルにあった伝票を取り、カウンターで会計をし始める。
1杯のカフェオレでここまで粘ろうと思ったものだ、と感じながら300円を店員に差し出した。
店員は手馴れた動作で会計の作業を手早く進めていく。
「ありがとうございました」
会計後、礼二は深々と礼をする店員を背に向けて店を後にする。
「ここ、どんな感じだった?」
店から出ると、横から艶やかな声が聞こえてくる。
「なんで俺がここにいるって分かったんですか?」
声のした方向に顔を向けると、そこには金髪のスレンダー美人がいた。
服装は昨日と変わらずパンツスタイルの黒スーツを身に纏い、上からは黒いコートを纏っている。
彼女は礼二の質問に対していたずらに微笑む。
「愛の力かしら」
分かりやすい釣り糸ですね。
2日しか会っていないが、この女がどういう人物かを把握することができてきている。
レイチェルが時々取る思わせぶりな態度のほとんどは冗談であることぐらいは分かる。
全く釣られる様子の無い礼二を見て、レイチェルの態度は普段通りに戻っていく。
「つまんない男ね」
「それはどうも」
彼女のからかいを軽く受け流す礼二。薄い反応を見たレイチェルは彼に冷たい視線を浴びせるが、すぐに微笑みへと表情を変える。
「じゃあ行きましょうか」
「あ、ああ」
彼女はそのまま礼二の隣に並ぶように歩き始める。
冷たい視線から切り替えた微笑みは心にグッと来るものがあったが、何も言わないことにした。
2人は黙りながら歩き続けていると、いつの間にか人気の少ない路地裏に出ていた。
周りは暗闇で、一昨日巻き込まれた出来事の現場にいるように感じる。
「こんなところまで人を連れ出してどうするんですか?」
歩き始めて10分。レイチェルはここまで何も話さずに礼二を連れ出してきた。
他人に聞かれたくないことでも話すのだろうか。
彼の問いに対して彼女は答える。
「あなた覚えてないの? これから魔術の使い方を教えるのよ」
「うそっ!?」
昨日の話は冗談にも聞こえたのだが、彼女は本気で言っていたようだ。
「魔術はね、本来人には知られないように使う技術だから人気の多い場所では話せないのよ」
「何で?」
礼二は素直に疑問を口にする。
彼は純真無垢な子供のように目を輝かせながらレイチェルを見つめ続ける。
綺麗な視線を浴び、彼女は一息ついてから口を開く。
「じゃあ聞くけど、あなたの周りには魔術とか異能の力を扱えない普通の人たちで溢れているわよね?」
「あ、ああ……」
礼二は、唐突レイチェルから当たり前なことを言われてキョトンとする。
この人は何を言おうとしているのだろうか。
「例えばの話。普通の人で溢れかえっているあなたの周りに、魔術みたいな異能の力を持った人がいたとします。皆はその人に対してどう思うかしら」
「羨ましがられるんじゃないの?」
「えっ…!」
レイチェルは一瞬引きつったような笑顔をした。
恐らく礼二の答えが予想外なものだったことに話の進め方が狂ってしまったのだろう。
「まぁ…最初はそう言うかもしれないけど、皆はずっとそう思い続けるのかしら?」
彼女は気を取り直して話を進める。
礼二は彼女の考えを聞いて、一瞬何かに気付いたような顔をする。
「気付いた?」
「つまり、魔術みたいな普通では得られない力を持っていることを知られたら、他の皆から妬みや嫉妬みたいな感情に晒され続けるって言いたいの?」
「そういうこと」
似たような例で説明するならば、凡才が天才に対して抱く妬みや嫉妬が近いだろうか。
人間は何かに特出した者に嫉妬みたいな感情を抱くことが多い。特に同じスポーツなどをしていた人から見れば強く感じることであろう。
魔術を持つ者と持たない者に対しても同じようなことが言える。
普通に生活していたはずなのに、何故か特殊な力を持っている人間がいるとすれば面白くはない。
そんな感情が肥大化していき、ついには妬みや嫉妬へと変化していく。
「なるほど…確かにそうだな」
結果、魔術のような力は使う人間が誰であっても恐れられ、弾劾されてしまうのが物語上の相場だ。
現実でもそういうのはあるのだろうか。
「それじゃあ始めるわよ」
レイチェルは近くにあった木箱を椅子代わりに腰かけ、手の平を礼二に向けて差し出した。
彼女の手元から魔力でできた球体が出現する。
「一昨日も話したけど、これが魔力。人間の精神力を元にして作ったものよ」
おお! と感嘆の声を漏らす礼二を他所にレイチェルは説明を続ける。
「ただ、作った後の扱いは気をつけて。魔力自体は熱を含めて膨大なエネルギーで作られているから暴発したときは危ないわよ」
聞いた途端、暴発してしまった時のイメージをしてしまった。
手が吹き飛びそうですわ……
想像と同時に、そんなものを素人に使わせたのかと感じてしまう。
愕然としている礼二に対し、レイチェルはとんでもないことを言い出した。
「大まかな説明はこれでおしまい。実戦レベルまで使えるようにしてみましょう」
彼女は虚空から槍を取り出し、奥にある壁を刻み始める。
最初に大きく円を描き、中に小さい円を2回描く。ダーツの的を模倣した絵が出来上がった。
「これからあなたには『魔弾』の扱いに慣れてもらうわ」
レイチェルは手の平から魔力の球体を発現させ、それを裏拳するかのように的に向けて放り投げた。
真ん中に命中するのを確認し、礼二に向かって彼女は微笑む。
「やってみましょうか」
レイチェルに背中を押され、的の前に立つ礼二。
彼は自身の体から魔力を感じ取り、それを右腕へと伝達させる。手の平から魔力の球体を発現させた。
「お、昨日の1回ですぐに出来るんだ。やるわねぇ」
驚きと感心を含んだ声で褒められ、礼二の頬が赤くなると同時に魔力の塊は発散した。
「こらー、だめだめ。集中しなきゃ」
レイチェルになだめられながら彼は再び集中する。
新たに手の平から球体が発現し、礼二の目は壁の的に向けられた。
魔力を外に出すことは成功。後は的に向けて放るだけ。
「ふん!」
礼二はサイドスローの要領で力強く魔弾を放ろうとしたが、目の前に飛ばなかった。
頭の中で疑問符が湧き上がる。右手を見ると、魔弾はまだ手の平に留まったままなのだ。
「なんで?」
予想外なことに戸惑いを隠せず、言葉が漏れた。
「多分だけど、『手の平に魔力が存在している』と認識しているんじゃないの?」
「え、どゆこと?」
哲学染みた言葉を聞いて、礼二はさらに戸惑う。そんな彼を見たレイチェルは少し考えて説明し始めた。
「始めに話しておくけど、魔術を扱うにはイメージが大切なの。まずあなたは『体の中にある魔力を外に出す』ことをイメージしている。そしてそれを投げようと思ったら手の平に留まった」
「そうだよ、なんで引っ付いたままなんだよ!」
レイチェルの説明に対し、礼二は反論する。彼女はそれを気にせず結論を話した。
「考えられることは『魔弾を飛ばす』というイメージをしていないんじゃないかしら」
礼二は彼女の言っていることを少し頭の中で整理した。
『魔弾を放つ』行為には、二つのイメージが必要となる。
1.体の中にある魔力を外に出力
2.外に出した魔力を魔弾として前方に放つ
こんな感じだろうか。
「なるほど…ちょっと試してみよう」
理論はまとまった。後は実行するのみだ。
礼二は的へと振り向き、右腕を前に差し出した。
さっきと同じように体の中にある魔力を手の平へと出力する。
魔力を手の平に集中させ、手を振ると同時に『手にある魔弾を前方に放つ』とイメージしながらサイドスローで投げた。
魔弾は壁へと進み、小規模な爆発が起きたような音が周囲に響き渡った。
「うぇっ!?」
予想外に音が大きくて礼二は驚く。壁の損壊具合を見たレイチェルは冷や汗をかいていた。
少し沈黙の時間が流れていたが、礼二はそれを破るように呟く。
「音…でかくない……?」
彼の叫びにレイチェルは呆れながら反論する。
「それはあなたの魔力が大きすぎるからよ……」
レイチェルは、やれやれといわんばかりに首を振る。
「まずは出力のコントロールからしないとねぇ…」
魔術の師匠が礼二の課題を見つけた瞬間だった。
◇ ◇
日本帝国軍本部 特殊部隊棟の顧問室。
クロードは昨夜に見た惨劇の映像を凝視していた。
「ぬぅ…何か特徴は見つからんのか」
彼の瞳の先には1人の少年。この子に関する情報が得られないかと見続けて1時間が経過している。
コンコン、とドアをノックする音が聞こえてくる。
「大佐殿、お時間よろしいでしょうか」
凛とした女の声が聞こえてくる。その声が自分の助手だと分かった彼は返答する。
「ライン中尉か、入れ」
クロードの一言を聞き入れ、部屋の中に入り会釈をする女性。
彼女の名はエリゼ・ライン。綺麗な漆黒の短髪に、凛とした風貌の持ち主で軍内部では人気のある人物である。
「大佐、まだ見ておられたのですか」
彼女は彼が昨夜の映像を見ていることに気付いて指摘する。
クロードは近くにあったコーヒーに手を伸ばし、それを口へと運び終えた後に答えた。
「君も気にならないか? 近くに魔術師がいるかもしれないんだぞ」
「本当にそうでしょうか…こんな子供が魔術みたいな大きな力を扱えるとは思えないのですが…」
エリゼは一般論を述べる。魔術を学ぶこと自体とても危険なことなので、子供に教えることは基本無い。それにこの技術も今や政府などの上の人間達に情報統制をかけられていて他の人が知る可能性などほぼ皆無なのだ。
当たり前な可能性を述べたエリゼに対してクロードは含み笑いをし始めた。
「何がおかしいんですか?」
「いや、君はやはり頭が硬いな、と思ってな」
さりげなく失礼な発言をする彼に、エリゼはムキになって問いただす。
「じゃあ大佐殿は何を考えてあの子を追うのですか?」
クロードは彼女の強気な態度に動じる様子は無かった。やがて両手の指を絡み合わせ、低い声で答えた。
「この辺りには新たな魔術師が二人いる。私は彼らを特殊部隊に招待しようと思っているのだよ」
エリゼは呆気に取られたような顔をして驚いていた。彼女の驚いた顔を見て楽しんでいるのか、クロードは微かに微笑んだ。




