1-2.邂逅(後編)
暗闇に包まれた路地裏で、男女コンビが猛獣に襲われている。
危険な状況の中、コンビの片割れにあたる黒いローブを纏った女性魔術師レイチェル・フラッドは、学生服を着た少年に口付けを行っていた。
お願い、目覚めて……
少年に対して期待と願いを込めるレイチェル。
彼女の口の中から光が点され、やがて彼の口へと運ばれていく。
金髪の魔術師が何らかの力を与えているように見えた。
自身に力を流し込まれていることを知らない少年は、唐突な出来事が起こりすぎてパニック状態になるものの、抵抗する力は感じられない。
口付けを行って数秒後、レイチェルは思春期学生の体から離れると、周りにいた人喰らいの肉食獣は2人に近づいてくる。
早く…目覚めて…
ドシドシと重たい足音は大きくなっていき、死へのカウントダウンが2人に迫っていた。
時が進む度にレイチェルの焦りは加速していく。
彼女は懇請の眼差しを少年に向け、何か期待しているように思える。
約10メートルの位置まで獣が近づいても、まだ出来事は起きなかった。レイチェルは猛獣の撃退をするために1度、少年の体の支えとしての機能を解いた。
その瞬間を待っていたかのように、回りにいた獣達は2人に襲い掛かってくる。
予想外だったのか、レイチェルは少し戸惑いながらも迎撃体勢に移り始める。虚空から槍を取り出し、手馴れた動作で陣を描く。
「プロテク…」
彼女が何かを唱えようとした瞬間、大きな魔力の反応を周囲に感じ取れた。
背後から強大な力がひしひしと伝わり、彼女の体内に眠る魔力が疼き始める。
「ようやく出てきてくれたわね」
レイチェルは少年のいた方向に顔を向けると、彼の目の前にいた魔獣が上下真っ二つに斬れた。肉塊となったそれは、トマトを地面に叩き付けるように潰れ、破片が周りに飛び散る。
「おかえり…ダーク…」
彼女は久しく出会ったように呟く。その目は誰かを懐かしむように。
無惨な光景を見ても動じない彼の手には青白い魔力で精製された長剣があった。
魔力の塊が光と熱を生み、輝きと切れ味を手に入れた紛い物。それをイメージさせる物だった。
仇討ちをするかのように背後から獣が飛び掛る。
少年はすぐさま彼女の前に飛び出し、敵を光剣で真っ二つにする。
「さすがね」
レイチェルは驚きながら彼を褒める。
周りに獣が居ないことを確認した少年は、急に倒れ始めた。
◇ ◇
「ここ…は……」
制服を纏った男子学生は目を覚まし、上体を起こす。
「何これ寒っ!?」
礼二は両腕を胸の前に組んで寒さをこらえる。空気は冷たく、さらに強風に吹かれて体が底冷えをしていた。周りをよく見渡すと東京タワーを中心に綺麗な夜景が広がっていた。ここはアパートの屋上だろうか。
何があったんだろう―――礼二は気を失うまでの記憶を辿ってみる。回想すること3秒、彼は答えを思い出して背筋が凍った。
「猛獣に殺されかけてたんだった……」
そうだ。妄想してたらいつの間にか住宅街に着いて猛獣と遭遇していたんだった。
だったらなんで俺は寝ていた?
あの状況で寝てしまえば食料にされていたことに間違いは無いはず……
礼二は頭を抱えながら周りを見渡した。
獣らしきものはいなく、気絶した場所と今いる場所が全然違うことに気付く。
俺が寝ている間に何が起きたんだろう。夢かな?
記憶と現状の違いで今見ている風景に疑問を抱く礼二。なぜこうなってしまたのかを思考していると、艶やかな声が彼の頭上から聞こえてくる。
「あら、気が付いたのね」
「うおぉ!?」
唐突に声を掛けられ、礼二の背筋がピンと垂直になる。
驚いた彼は勢い余って後ろに転がり始めるが、その先は虚空へと繋がっていた。
「うわぁああああ!」
彼の体は重力に従い下に落ちていった。
居た場所が高い位置にあったのか、少しの時間だけ空中遊泳ができるような状態にある。
慌てたレイチェルは急いで屋上から上半身を出して――
「浮遊」
右腕を彼に向けて何かを唱えた。
呟いた言葉が周囲に響き渡った途端、礼二の体にかかる重力は消えた。ふわりふわりと浮き上がり、レイチェルは礼二の体を屋上に戻すように誘導した。
「驚き過ぎじゃないかしら? 少し傷ついたわよ」
「あ、はい…すいません」
自身の存在がまるで幽霊扱いのようだ、と言わんばかりに彼女は礼二に冷たい視線を与える。
いじけてる顔…可愛い―――そう考えながら礼二は申し訳無さそうに答えた。
なぜこんな美女がいるのだろう。疑問に思いながら頭の中の整理を続ける。
回想し始めて5秒。先程までの出来事をおさらいしてみる。
まず、あの道で俺は人を狙う猛獣と遭遇した。獣に襲われそうになったのを彼女が助けてくれた。
そして彼女は急に俺にキスをし…
「!?」
最後まで回想した礼二の顔は、ゆでダコのように赤く染まる。彼の反応に気付いたレイチェルは――
「おやおや~、どうしたのかな~?」
口角を上げてにやにやしながら礼二に近づき始めた。
彼はじっと見つめていると虜になるほど彼女の綺麗な瞳を直視しないように視線を逸らす。
「お姉さんで何かいやらしい事でも考えたのかな~♡」
そんなことを言われて本当に妄想しそうになったじゃないか。
わざとらしく妖艶に微笑む笑顔を向けられて背筋がぞっとする。
「からかうな…」
少し遊ばれているようで不機嫌になる礼二は小さく呟く。顔の熱が引いているかを手で確かめようと頬に持ってくると違和感に気付いた。
「ん?」
やけにかさついた両手。気絶していたからといって手の表面が少し粘ついたり、乾燥したりの状態になるだろうか。
違和感の感じた両手を胸の前に広げて観察すると、手のほとんどが朱色に染まっていた。
自分は何をしたのだろう。
全く覚えの無いことに恐怖を感じた礼二は驚愕の表情を浮かべる。
「血を見るのは初めて?」
不気味に微笑む美女。艶やかさ重視の女性からミステリアス重視の女性へとイメージを変換したような変貌ぷりだ。先程まで頭が混乱していてあまり考えてなかったが、彼女は何者だろう。
「お前は何者だ?」
礼二は気になっていた疑問を口に出す。
女性は
「レイチェル・フラッド。通りすがりの魔術師よ」
彼女は礼二の問いに対して迷わずに答えた。
魔術師…?
彼は絵空事のような単語を聞いて呆然とする。
彼が知っている魔術師というのは、魔術を使う者の総称または奇術師(手品師)のことを指す。
(wikipedia参照)
前者はアニメやマンガなどの空想で作られた創作物によく使われており、後者は現実世界の手品師の異名として使われている。後者のことを言っているのだろうか。
礼二はよく妄想で前者のような魔術を登場させるが、現実に存在することはありえないと考えている。空想世界では頼っていいけど現実世界ではその存在に頼らない―――この考えは彼がまだ現実も見ていられるポリシーなのだ。
きっと彼女は「奇術師です」と名乗っているのだろう。
「魔術師って…マジックのことですか? ほら、仰向けに寝ている人を浮かせて浮遊の魔術師みたいな」
レイチェルが奇術師であること前提で話を進める。
彼女は少し首を傾げながら答えた。
「浮遊の魔術師? みんな仰向けじゃなくても浮くことはできるわ」
最近のマジックはすごい。どんなタネか気になるなー。
目を光らせながら関心する礼二に対して温かい目で見守るレイチェル。
「血を見るのはもう平気なの?」
いつの間にか気絶していたことと、手に付いていた血のことをすっかり忘れていた。
何があったんだろう……
呆然と手に付いた血を眺める礼二にレイチェルは答えを与える。
「覚えてないの? 周りにいた魔獣を殺した時の帰り血じゃないかしら」
「え…?」
彼女は今何を言った? 俺があの獣たちを殺した?
理解ができない。何の力も無い俺がアレを殺せる訳が無い。これはきっと彼女なりのブラックジョークだ。
レイチェルの発言に戸惑う礼二。黒髪の美女は顔色を変えずに先程起きた出来事を話し始める。
「さっき襲ってきたのは、魔界から来た生物・魔獣よ。それをあなたは魔術で殺したの」
ありえない真実を突きつけられ、礼二は動揺し始めた。
俺が魔術を使った?
意味が分からない。彼女は何を言っているんだ。
「待てよ、俺はそんな力を持ってないぞ!」
震えた声で恐る恐るレイチェルに問う。
「元々あなたには魔術の才があった。私はそれを表に出せるようにしたの」
顔色を変えずに彼女は答えた。
困惑の表情を浮かべながら、口を開けて呆然と立つ礼二。
これは壮大なドッキリか?
魔術の存在を深く信じ込ませ、魔術が使えて最強になったぜヒャッハーとかはしゃいでいる時にドッキリ大成功と言う魂胆なのだろうか。
それか…彼女はメンヘラか?
しかし、現実離れした魔術を認めたくないあまりに、普通とは斜め上な考えに走ってしまう。
「失礼なこと考えてないかしら?」
「いえ、何も考えてないです…」
何この人怖い。先程の考えを読まれたのだろうか。女の勘は恐ろしい。
「じゃあ魔術とやらを見せてくれよ」
まだ疑っていると知れば話は早い。さっきの浮遊トリックも何か仕掛けがあるはず。
レイチェルは一瞬面倒くさそうな顔をしたが、証明する手段を考え始める。
思考すること5秒、彼女はそれを行動で示した。
「何それ?」
球体の青白い光がレイチェルの左手から出現した。
それは次第に短剣へと形を変えていく。
「今あなたが見ているのは魔術の基礎の1つ『精製』よ」
クラフト?
聞き慣れない言葉に首を傾げる礼二。
そんな彼を他所にレイチェルは説明をし始める。
「自分の魔力を外に出力して物を模倣する魔術よ。こんな風に自在に形を変えることができるわ」
彼女は話しながら証明して見せた。
手に持った魔力の塊(短剣)は次第に細長くなり、槍のような形へと変化していく。
「おお!」
マジックを見て驚く子供のような反応をする礼二を見て、レイチェルは自信ありげな顔をした。
「あなたにもできるはずよ。手出して」
礼二は右手を目の前に差し出すと、彼女はゆっくりと彼の手を触り始める。
「え、ちょっと……」
女性に思いきり手を触れられるのはいつぶり? 小学校のフォークダンス以来じゃないか?
当時は男子と女子に境界線が出来た頃で、手を繋ぐ行為は恥ずかしいと思い始める。
礼二も今、そんな状態にあった。
目の前にはモデルを仕事にしていそうな色白なスレンダーボディーの美女が立っていて、彼女は礼二の手を握りしめている。思春期男子には刺激が強い。勘違いしてしまうやろ。
「まずは体の中にある魔力の存在に集中、それを手に流し込むようにイメージして」
レイチェルは唐突に魔術のレクチャーを始めた。
礼二は何が起きているのか分からないまま彼女に従うことにする。
体の中から何か特別なものを感じる。それを手の外側に出すように意識する。
「うお!?」
礼二が差し出した手から青白いオーラが纏った。
「その調子で魔力を丸い球体にイメージしてみて」
レイチェルは真剣な眼差しを彼の手に注ぎながら説明を続けた。
そのまま手から浮き出ている魔力のオーラを球体へとイメージを収束させていく。
「結構早く出来るじゃない! 呑み込み早いわね」
レイチェルはにこやかに微笑みながら礼二を褒める。
そんなに難しいことだったのだろうか。いつも妄想しているからか、あまり苦労はしなかったわけだが。
「ね、これで信じてくれる?」
今の一通りの流れが魔術の存在を示すものらしい。ついでに礼二自身に魔術の才能があることも。
「魔術の存在は認めるけどさ、何で俺がその才能を持っているんだよ」
一番の疑問点はそこにある。親も普通の家庭に生まれていただろうし、特別なことなんて無かったはずだ。レイチェルは礼二の問いに対して吐き捨てるように言った。
「そんなの私は知らないわよ。今日あなたを見てからビビッと直感で『ダーク』の現世だって思ったんだから」
ダーク? やけに中二臭い名前だな。
「誰だよそいつ」
礼二はいつの間にか頭の中に浮かんでいた質問を彼女に問いかけていた。
レイチェルは説明に困ったのか、考え事をしながら頭をかいていた。
「今教えるわ」
そう告げた彼女の両手は礼二の頬に添えられ、互いの唇を合わせた。
刹那、礼二の頭の中に映像が流れてくる。
緋色に染まる夜空の下で、二足歩行の猛獣を狩り続ける刀を持った魔法剣士。
彼は小さな村の民を避難させるべく敵を斬り、時には魔術で応戦をする。
最後には獣に囲まれて絶対絶命。
突然、青年は黒い光に包まれて―――
見た映像は、あの獣に襲われる前に妄想していた世界と酷似していた。
「何か見えた?」
礼二の意識が現実へと向けられた時、レイチェルの顔はすぐそこにあった。
さっきまで魔術について教えていたような笑顔は無くなり、無表情に近かった。
「あれって…ファンタジー小説のラストシーンなの?」
あの映像はまるで、疲労しきった軍の退却を支援する殿の活躍場に見えた。
相手は不死身の化け物。どうあがいても死しか見えない未来なのに、青年の顔から絶望は感じ取れなかった。むしろ誇りを持って仕事を全うしているようにも見える。
レイチェルは礼二の問いに対して表情を変えずに答えた。
「いいえ、あれは実際にあった出来事よ。それに映像の中心に描かれていた人物はあなたの前世ね」
前世?
前世といえばあれか。今生きているあなたの魂は、以前こんな生き物の中にありましたって奴か。
そんなもの分かるわけがない。仮に魂が現実世界に隠れて存在していたとしても、どうやって決めた人物の現世とやらが分かるようになるのやら。
また訳の分からないことを……
「なんでそう断言できるんだ?」
正直な話、現世やら前世とかの転生はあまり信じていない。
中二病設定ならまだ許せたが、現実でそういうの言う人はちょっと……
礼二はレイチェルとの心の距離を数メートル遠ざけた。
呆れ顔の彼を見たレイチェルは、溜息をつきながら尋ねる。
「緋色に染まりかけた空の下で戦う一人の青年の姿を見たでしょ」
なんで俺が見た映像の中身を知っているんだ、この人は……
礼二は驚愕の表情を浮かべる。
「あなたは何者なんですか……」
いつの間にかミステリアス感を漂わせる美女に尋ねていた。
彼女は戸惑いながら答えた。
「私は……あなたの前世の恋人よ」




