2-2.出発の日
8月20日、朝の7時。
夜が明けて太陽の光が辺りを照らし始める中、特別訓練場へ出発する日を迎える。
礼二は外泊と訓練に必要な物を一通りまとめた荷物を持って、兵舎の玄関前でレイチェルを待っていた。
「暑いな……」
現在の日本帝国は夏真っ盛りの時期である。気温は全国平均30度超えはよくあることで、今日に至れば33度ぐらいだ。
最悪なことに最近、兵舎内の空調が壊れているらしく、屋内はとても暑い。
兵舎内は蒸し風呂のように熱気に包まれ、外では強烈な紫外線により肌がじりじりと焼ける。
どちらにも居続けたくない礼二は、影のある兵舎の玄関前で待つことにしていた。
「遅い……」
元々の待ち合わせ時間は朝の6時30分。レイチェルを待ち始めて30分が経過している。
「いつまで人を待たせるのだろう」と礼二は暑さに耐えながら感じていた。
「お待たせー」
玄関の扉が開かれる音と同時に少し気だるそうな女性の声。待ち合わせている誰かに対して言っているようだった。
礼二は声のする方向へと顔を向けると、そこには大きな旅行バッグを肩に下げたレイチェルがいた。
寝坊して急いできたのか、髪はぼさぼさな状態だ。
「はぁ…はぁ…ごめん、寝坊しちゃって…」
レイチェルは旅行バッグを手元に下ろし、両手を膝につけて呼吸を整える。
「いつもはちゃんと起きてくるのに今日はどうしたんだ?」
「それが…そわそわして寝ていられなくて……」
彼女は礼二に顔を向けながら笑顔で言った。
遠足前夜に緊張して眠れなくなる子供のような気分だろうか。
レイチェルにこんな一面があったのか、と心の中で考えながら彼女の手を引く。
「まったく……あまり時間が無いから少し急いで行こう」
「え、ちょっと!」
礼二は足取りの重いレイチェルの足を引きずるように、『修練の島』へと向かう船が止まっている港へと連れて行こうとした。
彼女はダルそうにしながら礼二に引っ張られていく。
「急がないと船の時間に間に合わない」
「だからってこんなに引っ張らなくても~」
修練の島へ船入港の時間は7時20分。
兵舎から軍隊専用の港まで行く為にかかる時間は約15分。今からゆっくり進んでいけば入港ギリギリな時間である。
今からゆっくり歩いても大丈夫だと思うのだが、ギリギリに来てしまうと時間にうるさい誰かに説教を受けてしまうかもしれない。
「仕方ないだろ。前に時間ギリギリに着いて説教受けたの覚えてない?」
この状況を見て、軍隊の初訓練日を思い出す。
あの日は彼女が寝坊して時間ギリギリに辿り着いたら説教を受けてしまったっけか。
「それもそうだけど今と昔のは違う~」
「変わんないよ」
「前と同じ過ちではない」と話すレイチェルに対して礼二はツッコミを入れる。
礼二は駄々っ子のように暴れるレイチェルを気にせず港へと歩き続けた。
7時15分、日本帝国軍港。
港には一隻の船が隣接していて、船の乗り口と繋がれている通路の前に人だかりができていた。
1人1人はこれから宿泊しに行くような大きな旅行バッグを持ち、3列に並んでいた。
「はぁ…はぁ…ギリッギリじゃねぇか……」
「間に…合った……」
礼二とレイチェルは息を切らしながら集団の横に立っていた。
全速疾走していたからか、大きく音を立てながら呼吸を整えていると、2人の存在に気付いた集団の1人1人は一斉に2人へと視線を向ける。
何これ怖い……
ホラー物の作品にあるような目玉だらけの化け物がギョロリと目線を向ける瞬間を思い出す。
集団に見つめられる緊張感や圧迫感のような感覚。
『怪奇殺人事件』犯人の拠点制圧作戦に加わる際の説明をしていた時に向けられた視線とは比較にならないぐらいに緊張するような感じだった。
いつまでこの緊張から開放されるのだろうと思っていた瞬間、集団からの視線から開放された。
終わったか…
周囲からの浴びせられる視線。レイチェルと街で歩いている時に感じた痛い視線の数々を思い出す。
だが、今回は「お前ら遅すぎだろ」と心の声で言っているように思えた。
礼二は圧迫感から抜け出すことができてほっと一息ついた。
「港に着いたけど…どうすればいいのかしら」
レイチェルにそう言われて周りを見渡すと、教官らしき人は見当たらない。
見かけるのは船の上で出港準備を続けている船員だけだった。
礼二は少し考えて、近くにいた集団の男性1人に声をかける。
「すみません、あなたも特別訓練の参加者だったりします?」
「そうですけど」
先ほどの冷たい視線を浴びせてきた時とは違って、暖かめな印象を感じる声色で彼は答えた。
最初に感じたイメージとは全く違った人もいることを知った礼二は安堵しつつ、続けて彼に尋ねる。
「では、ここに来てから教官とか見てますか? 周囲を見渡してもそれらしき人が見当たらないので」
礼二が感じていた疑問を目の前の男も感じていたらしく、少し悩んだように答える。
「すみません、私もまだ見ていないですね」
「そうですか、ありがとうございます」
質問に答えてくれた男性にお礼を言いながら、礼二はレイチェルのいる方向へと体を向きなおした。
「まだ見てないってさ」
「そうなのね」
先ほどまでいた集団の1人が分からないということは、恐らくここにいる訓練生全員分からないのだろう。今きれいに整列しているのも、いつ教官が来てもいいように1人1人が自主的にそうしているだけかもしれない。
「全員集まってるかー?」
唐突に聞こえたやる気の無さそうなだるけた声。声に反応した訓練生はすぐに視線を左へと向けたが、その先に人はいなかった。
不審に思った訓練生達は1人1人、首を回しながら声の主を探す。
「どこから…?」
礼二も集団と同様に周囲を見渡しながら声の主を探し始めた。
船への入り口、港への入り口、海へと様々な方向へと視線を向けるが、声を発した者は見当たらない。
「何慌てているのやら…」
「慌てるでしょ。声出した人が見当たらないのに、声だけが聞こえるって」
周りが唐突な声に戸惑っている中、レイチェル1人だけが全く慌てている様子が無かった。
視線はゆっくりと一箇所一箇所を見つめながら、怪しいところを探しているように見えた。
「ふむ、ほとんどの訓練生が慌てていて私は本当にがっかりだ」
新たに聞こえる声。訓練生の中には、空耳だろうとあまり気にしていない者が多かったのだが、今ので確信が持てた様子だった。
頭がいつの間にかおかしくなって天の声が聞こえるようになったのだろうか。
「体を透明にして観察なんて趣味が悪くないかしら?」
レイチェルは波止場の隅を見つめながら言った。彼女の不思議な言動に周囲から視線が向けられる。
礼二はレイチェルが見つめている方向を注視すると、微かな魔力の気配が感じ取れた。
「なるほどね…」
先ほどまで彼女が周囲を注意して見ていた理由を理解する。微かな魔力の気配のある場所には何も見えない。
それが意味することは―――
「ほう…そこの女、私の場所が分かるのか」
1人の訓練生が自身の存在が近くにいることに気付いた声の主は喜ぶように呟く。
すると、波止場端の空間が歪み始めた。
「何だ…あれは…?」
周辺の訓練生たちはこの光景を目の当たりにして驚きを隠せないでいた。歪みの形はやがて人型へと変わり、形を彩る色彩は背景色から別の色へと変化していく。
背景に馴染む。いや、擬態していた、というのが正しいか。
背景だと思っていた波止場端の空間から、身長の高めなスレンダーな男性が姿を現した。
「ふむ、まさか私の存在に気づいてくれる者が居るとは思わなかったよ」
男は感心するようにレイチェルに言った。
彼女の高性能っぷりを見届けると共に、周りにいた男子訓練生達に向けて言葉を放った。
「しかし…彼女には私の存在が確認できて、君らはなぜ確認できなかったのか…!?」
男が女に負けるとは情けない、と言わんばかりの呟き。集団の男達1人1人から、ギリッと歯を噛み締めるような音が聞こえる。男が女に負けている状況に苛立ちを感じているように思えた。
しかし、礼二からすれば魔術師としての腕は彼女が圧倒的に上なのであまり気にしていない。
近くにいた男訓練生達を哀れむように呟いた男性は、レイチェルの元へと歩み始めた。
足取りは重く、あまり隙を感じさせない体の動きをしているように見える。
「君、名前は?」
「レイチェル・フラッド一等兵よ」
「ほぅ…訓練生にこんな優秀で綺麗な人がいるとは…どうだい、私と個人訓練でもしないか?」
明らかにキザっぽく仕上げた声でレイチェルに話しかける。その声はこれから女性をナンパしようとしている時に作り出したような感じで、彼の言う『個人訓練』という単語も怪しく聞こえてしまう。
「申し訳ありません。私はキザったらしい人と戦いたくはありませんので遠慮させていただきます」
レイチェルは綺麗な笑顔をしながら刺々しいことを口にした。彼女の言動に礼二以外の訓練生たちは呆気に取られていた。
上官に対して下の人間がこのような言葉を発するのは言語道断。集団の規律やら上官の機嫌を損ねる場合が高い。
「へぇ…いいねぇ君…気に入ったよ。私と少し話しをしないか? フラッド一等兵のことが知りたくなったよ」
彼はレイチェルを気に入ったらしく、苛立つ様子も見せない。ついには口説き始めようとしている。
い、いいのかなぁ……
その様を見た礼二は呆れていた。
特別訓練のための合宿なのに、訓練生を口説こうとする指導官がいるものなのかと。
そう考えながら2人を見つめていると、レイチェルの手が少しだけ震えているのが確認できた。
あぁ…苛立ってますねぇ……
今の彼女は笑顔なのだが、普段の明るさは全く感じなかった。営業スマイルをしているようにしか見えない。このままいけば、彼女の我慢し切れなくなるのが見えていて喧嘩が勃発しそうだ。
「シェパード少尉、何をしている」
「っ!?」
礼二は目の前にいる指導官らしきナンパ男をどうしようかと考えていると、野太い男の声が船の方から聞こえてきた。
どこからこの状況を見ているのかを確認していると、船と波止場を繋ぐ橋を渡る1人の男性を確認した。
バトラ少尉をイメージさせるようながたいの良い太めな体型。見た目からしても強そうな雰囲気を漂わせる人物だった。
自分の名前を呼ばれてビクッと反応する細めな男性。彼は恐る恐る声のする方向へと顔を向けようとすると、声の主から頭を両手で掴まれて、強制的に顔を合わせるように顔を向けられた。
「今、何時だと思っている?」
「え、えっ…!?」
やや脅迫染みた声色で、シェパードと呼ばれた男性を攻め立てる。彼は男の気迫に押されて口元が震えている。
礼二含めた訓練生全員は2人のやり取りを見て呆気に取られていた。
こ、怖い……
訓練生たちの目の前で繰り広げる2人の男のやりとりは、ヤクザの上司が部下に対して力を使って言い聞かせているように感じる。
周りからの視線を感じ取った大柄な男は両手で掴んでいた頭を離し、訓練生達の方向へと体を向けた。
「あーすまない。あまりにもこの男が遅いものだから、注意することについ気を取られてしまった」
ぱっと頭を解放されたシェパードと呼ばれた男は、魂と力が抜けたように地面に座り込んだ。
今のを注意と呼ぶのか……注意というよりは脅迫に近いような気がする。
礼二を含めた他の訓練生も同じ事を思っていたのか、呆然と大柄な男を見ていた。
「そうだ、まだ紹介はしていなかったな。私はガトー・アンドルフ少佐だ。そしてこいつはケイン・シェパード少尉だ」
ガトーと名乗った大柄な男は、隣で崩れているスレンダー男性を指差しながら言った。
「さて、予定より遅くなってしまったが、君らを船の中に案内しよう」
ガトーはケインを引きずりながら、訓練生達を船内へと招待した。
彼の言葉に導かれて、訓練生たちは次々と船へと移動していく。
全員入ったことを確認した船員の1人は、港と船を繋ぐ鎖を解き、船を自由にさせた。
◇ ◇
修練の島行きの船に乗り込むと、ガトーを船内ガイドと見立てて中を案内してもらっていた。
船の中はあちこちに塗装が剥がれているところがあり、古くから使われているように感じる。
大丈夫なのかな…この船。
礼二は塗装が剥がれていることに気付かずそのまま出港しているこの船が沈まないかを心配した。
細かいところに気付けていない分、船のメンテナンスに抜け漏れがあるような気がしたからだ。
周囲を見渡しながら歩いていると1つの部屋に入るよう誘導された。
入った先には大きなスペースに6人用テーブルが6個あり、奥には調理場がある。ここは食事スペースであると推測できた。
「よし、この部屋に入って適当に椅子に座ってくれ」
そう指示された訓練生たちは初めて会う者に戸惑いながらも適当に座り始める。ガトーは部屋のもう1つの入り口から入り、調理場を背にした。
「これから俺らを訓練場へと運んでくれる船長を紹介する」
彼は訓練生に向けて言い放つ。
船長の紹介とは、飛行機のフライト中に行われる機長紹介と似たようなものか。
礼二がそう考えている間に目の前にいたガトーは後ろへ、いつの間にか細い体格の老人が彼の居た位置に立っていた。
「初めまして。この船・建御雷神の船長をしております里中勝と申します。皆様はこれから修練の島で特別訓練をなさるということで、現地まで運ばせてもらいます。わずか5時間の船旅となりますが、ゆっくりとおくつろぎください」
軍の船の船長と聞いて怖い雰囲気を漂わせているのかと思ったが、そのような雰囲気はあまり感じられなかった。むしろ豪華客船にいそうな穏やかな船長の雰囲気を漂わせている。
それとも、あまり悟られないようにしているだけなのか……
船長と名乗る男からは只者では無い気を感じた。
しかし、それについては今気にしても仕方の無いことなのであまり気にしないことにする。
里中船長は役目を終えたのか、立ち居地をガトーと入れ替わった。
「さて、船長の挨拶も終えたところで、これから自由時間に入る。島に着くのは13時30分になるだろう。昼飯は船内で食べることになっているから12時にはここに集まるように」
「サー、イエッサー!」
ガトーの指示を聞いて、一斉に返事をする礼二を含めた訓練生たち。朝の7時40分。お昼ご飯までの自由時間が始まった。
訓練生がぞろぞろと食堂を出て30分が経過した。
礼二は肩に下げていた大きな旅行バッグは指定された部屋に置き、甲板に出て景色を眺めていた。
目の前に広がる大海原は邪魔するものは無く、無限に広がっているように感じる。
空にはカモメが飛んでいて、海の下には何かの魚が群れを率いて泳いでいるのが見える。
この世界にはこんな景色も見られたんだな……
水族館などに行ったことの無い礼二とっては、この光景に新鮮味を感じていた。
「こんなところで黄昏て何してるの?」
不意に横から声を掛けられた礼二は一瞬だけビクッと反応して後ろに退いた。声のした方向に顔を向けると、そこには金髪の女性がいた。
「なんだ、レイチェルか……」
彼は先ほどの反応とは違い、冷めたような雰囲気を醸し出していた。
「ちょっと! その態度は酷くないかしら」
レイチェルは礼二の冷たい反応に抗議を申し立てた。
普段の彼女とは違った反応だ。構ってほしいのだろうか。
「どうしたんだよ」
そのままにしていると機嫌が悪くなりそうなので、礼二は面倒くさそうに彼女に尋ねた。
「いや…ここらへんって居心地悪いのよね…」
以前、彼女が軍隊に入隊初日の夜は眠れなかったと言っていたことを思い出す。
あの時は確か兵舎内にいる人たちの持つ魔力反応があちこちから感じて気持ち悪かったとか。
今回もそんな理由だろうか。いやしかし、礼二の感覚から見ても魔力らしき反応は感じ取れない。
「そうなの? 魔力反応はあまり感じられないんだけど……」
「…そうではないんだけど……」
レイチェルは顔を逸らし、もじもじしながら言葉をどもらせた。
今も同じ理由で居心地が悪いことを前提に話を進めようとしたが違うようだ。
「じゃあ、何があったのさ?」
礼二は再び彼女に質問を投げかけた。
彼女は未だもじもじしながら理由を話そうとはしない。不可解な行動と沈黙に苛立ちがあったのか、礼二はレイチェルの前に身を乗り出しながら尋ねる。
「どうしたんだよレイチェル。黙ってちゃ何も分からないんだけど」
金髪女性は彼にそう言われて、ようやく重い口を開け始める。
「いやぁ…話せる人がいないのよね……周りの女性訓練生は人見つけて会話してるし、こうやって人と話すことなんて久しぶりなのよ……」
ぼっち状態か……
レイチェルの悲しい状況を聞いて、礼二は細い目で彼女を見つめた。
俺と出会う前はずっと1人でいたろうに…
いや、彼女自身は好きで1人で居続けたわけではないだろう。頭の中でレイチェルの心境について勘繰り始める。
「ちょっと、そんな可哀想な人を見る目で見つめるのやめてくれない!?」
彼女は苛立ちと照れが混じったような声で礼二の態度に文句を言う。
言いたい事を言ったレイチェルは、礼二の目を見ないように視線をあちこちにちらつかせている。
そんな態度をする彼女に、礼二は悟った。
話し相手になって欲しいのかな……
そこを直接言わないところは素直じゃないというか何というか。話す人が居ない状況について話したことだけでもよく言ったと褒めてあげるべきだろう。
本物のコミュ症ならばこんなことは簡単に話せるものではない。
「時間まで互いの話でもするかー。俺も暇だから景色眺めていたぐらいだし」
「そうだったんだ!? じゃあ、話でもしましょうか」
礼二が時間の過し方を提案すると、レイチェルは乗り気で案に賛同した。
「んで、何を話すんだ?」
唐突に会話をしようと言われても話題に困ってしまう。礼二は無意識でレイチェルに話題を求めていた。
最近は毎日訓練で一緒に過しているから話のネタには尽きないと思うのだが、やけに緊張してしまっているからか、頭があまり回らなかった。
「うーん…じゃあ、礼二が軍に入る前のことを話して欲しいな」
レイチェルは顎に人差し指を沿えて少し考えると、思いついたように話題を振った。
「軍に入る前? というか、入隊する前はレイチェルと一緒だったじゃん」
「そうじゃなくて…私と出会う前の礼二の話よ」
「そうか…レイチェルと出会う前か…」
てっきり、軍隊に入隊する前のレイチェルも知っている自分の話をすれば良いのかと思ったのだが、それより前の話をして欲しい様子だ。
彼女と出会う前……となると退屈だった毎日を話せばいいのだろうか……
女性との雑談に慣れていない礼二はどのように話せば良いのか戸惑っていた。
「出会う前ねー…大した人生送ってないよ」
「それでもいいんだよ。どういう人生を送ってきたのかなーって知りたいから」
そんなことでもいいのか。
話のネタにしては退屈なもののように感じるのだが、相手が求めているのであればそれを話したほうがいいだろう。
「そっか…強いて言うなら勉強ばかりの人生を送っていたような気がするなー…」
「勉強? 勉強ばっかりって、何を勉強しているの?」
「うーん…国語、数学、理科、社会とかかな」
「国語? 数学? 理科? どういうことを学んでいるの?」
「それは…だな…」
まさか学習科目について疑問を抱かれるとは思わなかったので、彼女からの質問を受けて礼二は戸惑った。どう説明をすれば理解してくれるだろうかと考えていると、レイチェルが100年前から生きていた魔術師であったことを思い出した。
まさか…レイチェルが生きていた時代って、勉強科目が今のような感じに分けられていなかったのでは無いか?
礼二はそう疑問付けて、1つ質問を投げかける。
「じゃあ聞くけど、レイチェルがここに来る前ってどんな勉強をしてたの?」
まずは彼女がいた時代について少しでも知る必要がある。それができなければ、どう説明をすればいいかが全く分からないからだ。
「私がいた時代って…まるでおばあちゃん扱いされているみたいで不快だわ……」
「いやいや、あんたは100年前から生きてたんでしょ……」
見た目が若々しい美人な雰囲気を醸し出しているからか、100年も生きていることを忘れていた。
考え方は長く生きているように感じられるのだが、普段のノリや気まぐれさを見ていると、そうは感じられない。
「まぁ…いいわ……私が学んでいたのは読み書きに計算、魔術ぐらいよ」
「結構少なめなんだね」
読み書きと計算。本当に生活をしていく上で必要な知識である。おまけに魔術を学んでいた感じか。
彼女が学んだことを考えてみると、先ほど礼二が挙げた科目は理解できなかったのだろう。
「それぐらいで充分。おかしいのはこの時代の勉強よ。今礼二が挙げたものでも4個ぐらいあったし、まだ何か増えるんでしょ?」
「あー…あんたは勉強嫌いの人が思ってそうなことをさらっと言ったな……」
礼二は勉強嫌いそうなレイチェルに向かって、少し呆れながら言った。
彼女が現代の学生として生きていたらもう科目の数からして発狂ものだっただろう。レイチェルが現代に生まれていたことをイメージしながら、礼二は科目について説明を始めた。
「話を戻すけど、科目について説明する。簡単に言ってしまえば、国語は読み書き、数学は計算、理科は世の中にある物理的な現象について、社会は歴史と現代についての勉強みたいなもんかなー…」
本当であればそれ以外の勉強もあるのだが、そこまで言っても彼女は理解できないだろう。
言ったとしても、「必要あるぅ?」と返されそうな予感がするからだ。
「そうなんだ…私がやっていたことと大して変わらないのね」
礼二の大まかな説明を聞いたレイチェルは、キョトンとした表情で言った。
なんだかバカにされたような気もするが、そこはあまり気に留めないことにする。
「それで、何で勉強ばかりの人生になってるの?」
「あー…それは……」
勉強ばかりの人生。それは彼の人生を語っており、あまり語りたくないつまらない物語である。
礼二のどもった返答からしばしの沈黙が走った。彼は少し悩むと、重い口を開き始める。
「俺の親はキャリア志向の強い母親と仕事一筋の父親でね。父は家にあまり居ないしで、母親と一緒にいることが多かったんだ。
そして母親が教育方針の手綱を握ってるわけでさ。中学受験とか高校受験のことを踏まえて勉強尽くしの毎日を送ることになったんだよ」
「ああ…それで……」
レイチェルは礼二が勉強尽くしな毎日を送っている理由を理解して納得した。
しかし、それだけでは納得いかなかったのか、彼女は再度質問を投げかける。
「じゃあ、勉強以外に何してたの?」
「勉強以外か……」
そんなのを求められても、とは思うのだが実際のところ、そういった思い出は無い。
「家族とどっかに行ったとか…」
急に口を閉ざした礼二に疑問を抱いたのか、レイチェルは更に質問を投げようとするも、すぐに口を閉ざした。
「あ…ごめんなさい……」
現在、礼二の両親は亡くなっている。彼の現状を思い出した彼女は、辛い思い出を思い出させるような発言をしたことを謝った。
気まずい空気となってしまい、互いにどう話しかけるべきかを探り合うことになってしまった。
「別にいいよ。もう終わったことだ」
礼二は彼女の投げかけた質問に対して、あまり気にかけていないことを伝えた。
だがレイチェルは、礼二が一瞬だけ悲しい顔をしたのを見逃しはしなかった。
彼が気にしていないことを伝えると、レイチェルは彼の顔から一瞬背けて何か呟いているように感じた。
礼二のトラウマに触れかけたところから、10秒ほどの沈黙が走った。
話をしようと持ちかけたレイチェルであったが、これ以上彼のトラウマを抉るようなことをしないかが心配で話題が触れる状態には無かった。
彼女に気を使われていることを察した礼二は、新たに話題を振ることにする。
「俺の話は終わったことだし、次はレイチェルの話をして欲しいな」
「私の話?」
レイチェルは何者なのか。一緒に軍隊に入る前は少し聞かされていたが、詳細についてはあまり聞かされてはいない。
今が丁度良い機会だと感じ取った礼二は、このまま彼女に聞き出そうと考えた。
「そうそう、そういえば俺もレイチェルのことをあまり知らないなって思ってね」
彼の言葉を聞いて、レイチェルは目を見開いて礼二を見つめてきた。
「どうしたの?」
「いや…礼二って、あまりプライベートのこと話さないほうだし、私のことを聞く素振りも無かったし、興味が無いのかなって思ってたの。まさか、ここで聞いてくるとは思わなくてビックリしちゃった」
「それはほら、タイミングが合わなかったというか……」
正しく言えば、彼女と話すところを見られるのが気恥ずかしかった、と言うべきだろう。
今目の前にいる金髪の女性は、華奢な体型に綺麗な金色の長髪。すれ違うと1度は振り返るのではないかというほどの美人である。そんな外見の彼女は、いつも男性兵士の注目の的なのだ。
どこかしら視線を感じる中で、男である礼二がレイチェルに話しかけるのは勇気のいる行動だ。
入隊する前は結構気軽に話せたんだけど……
「ねぇ…礼二ってば!」
「は、はい!」
いつの間にか自分の名前が呼ばれていたことに気付く礼二。怒鳴るように叫んでいた彼女の声を聞いて、怯えながら返事をした。
「急にボーっとしてどうしたの?」
「い、いや…何でもない……」
考え事をしていて意識がどこかへ旅立ってしまっていたようだ。
自分の話を無視されたのではないかと感じているレイチェルは、黙りながら頬を膨らませてジト目で礼二を攻め立てる。
「ご、ごめんごめん…どうした」
「もう…今から話そうと思ったのに礼二の目が違うところに向いているし、私の話に興味ないのかなーって。自分から話振っといたくせに」
レイチェルは礼二の態度に苛立ちがあったようだ。怒っていた口調はだんだんいじけるような口調に変わっていく。
こういうところがあるから100年ぐらい生きているとは思えないんだよな…少し変わった現代人です、と言っても間違われないような気がする。
「ごめんごめん。俺だってレイチェルがどうやってここまで生きてきたのか知りたくてさ」
礼二は違和感を感じながらも、彼女の機嫌を取り直そうとなだめ始める。納得してくれたのか、レイチェルは再び話そうとする。
「そうね…私がどうやって生きてきたのか…どこから話せばいい?」
「そうだな…さっきレイチェルが聞いたように、俺と出会う前の話で」
これは個人的に興味のある話だ。彼女はなぜ100年も生きているのか。なぜ魔術と出会ったのか。疑問点は多い。それらを解消する為にこの話題を振ったのだ。
「そっか…そういえば礼二にはその話をしていないかったね」
レイチェルは入隊前の礼二との関係を懐かしむように目を伏せた。
「うん…俺と出会う前って、レイチェルはどんな感じだった?」
「そうねぇ…礼二と出会う前は旅をしてたかなぁ…」
「旅…どんな旅してたんよ?」
「あなたを探す旅よ」
「えっ……!?」
礼二は理由を聞いて呆気に取られた。
彼女が旅をしていた理由は彼と出会うために行っていたことのようだ。
神原礼二という男を探すための旅。レイチェルはなぜ存在するとも分からない男を探そうと思ったのか。
「なんで俺を探す為に…?」
礼二は呆然としながらレイチェルに理由を尋ねていた。
すると、彼女は右手の人差し指を顎に添えながら答える。
「礼二を探すというよりはダークの現世を探していた、というところかしら」
「現世ね……前も言ってたっけ」
礼二は目の前に広がる海面に目を向けながら呟く。
ダークとは一体何者だろうか。そしてなぜ、俺はダークの現世に当たるのだろうか。
思いつく疑問を頭に浮かばせて、礼二はレイチェルに再度質問を投げかける。
「前に聞いた時思ったんだけど、ダークってどんな人だったの?」
「ダークはね…私の恋人で、この世界を救った救世主よ」
「きゅ、きゅうせいしゅ…?」
なんだかこの女は予想外な言葉を発したぞ。
救世主といえばメシア的な意味でのものなのか。世界を救ったとか意味がよく分からない。確かにこの世界の歴史で世界戦争とかはあったりしたが、終結に導いた一人なのかな。
礼二は現実にあることを元に予想出来得ることを考えていると、レイチェルが横から口を挟む。
「信じてないでしょ? 本当に彼はこの世界を救ったのよ」
「信じるも何もどうやってそれを証明するんだよ」
口で言うのは簡単だ。しかし、ダークが世界を救ったなどの証明はできるのだろうか。
歴史の教科書には載っていなかったし、世界の裏で起きた歴史だと仮定しても証拠が無ければ信用性は無いに等しい。
「あるじゃない。そこに」
レイチェルは自身の頭に指差して言った。
頭の中ってことかな…?
彼女の意味深なヒントに戸惑う礼二を見兼ねたレイチェルはすぐに回答を出した。
「あなたも1度は見ているはずよ」
「1度見ている…?」
そう言われてこれまでの記憶を辿ってみる。
最近は訓練ばかりの生活を送ってきたからか、あまりそれ以前の記憶を思い出すことが難しい。
「私と最初に出会った時のことを思い出して」
ここまで言っても未だ思考が行き着かない礼二にレイチェルは、最後のヒントを与えた。
レイチェルと最初に出会った時………
礼二が魔術を扱えるようになったのは、彼女との出会いがきっかけだ。
ただ出会うだけでは力が目覚めるには物足りないだろう。他に何らかの変化は無かったのか……礼二はレイチェルと出会った時のことをより鮮明に思い出そうと頭を動かした。
「あ…!?」
礼二はレイチェルと出会ってから一点、他に大きな刺激があったことを思い出した。
「そういえば、レイチェルから…キス……されたよね……」
あれは唐突に起きたことで、彼の記憶にはあまり残っていないし、驚きの成分が強すぎて気絶するぐらいなのだから記憶が鮮明に残っていないのは無理も無いだろう。
「…!? 思い出したのなら口に出して言わなくていいわ……」
レイチェルは恥ずかしそうに礼二から目線を外し、海面を泳ぐ魚を見つめた。
彼女の予想外な態度に、礼二は自身が発した言葉の恥ずかしさを自覚した。
「そうだよ思い出したよ。確かレイチェルから唐突にキスをされて何かの映像を見たような気がするな…」
刀を持った人が多くの魔獣を切りつけていく映像だっけ……
「私がキスしたときに見せた映像に出てきた人がダークよ。アレ覚えていないとかどんだけ記憶力悪いの?」
礼二が再び何かを思い出すように顔を歪ませていると、レイチェルが恥ずかしそうに言った。
「あー…あの時は何か映像が見えたっけか……」
多勢の魔獣に囲まれて1人の青年が戦う映像。最終的には自己犠牲により魔獣を全滅させる物語。礼二とレイチェルが初めて出会った時に彼女からキスをされて、頭に流れ込んだ映像である。
「なんであの映像が頭の中に流れたんかな……」
いつの間にか疑問が言葉として表れていた。
「前も話したと思うけど、それは礼二にダークの魂の記憶が共鳴したとか何かじゃないかしら?」
「なんで疑問系なんだよ……」
「仕方ないじゃない。私だってそんなに分からないもの」
レイチェルは礼二が抱いた疑問に対して、面倒くさそうに突き放した。
冷たい対応に見えたのだが、彼女は少し間を置いて礼二に話し続ける。
「でも私は、礼二からダークと同じ気配は感じ取れているわ」
気配。漠然と感じられることか。
ダークと恋仲にあったレイチェルであれば、その直感は正しいだろう。
「そっか……」
確信は無いのだが、彼女の言っていることを信じたい。
礼二は穏やかな表情で海面を泳ぐ魚に目を向けた。




