93:解読(前編)
「局長、救援要請です。アルトナ街道の東に巨人型の魔物が複数出現。駐在している騎士と付近に居合わせた冒険者では歯が立たないらしく、至急、《総局》から応援を求むと」
「……遠いね。他の街から騎士団や神官魔法師を派遣した方が早いんじゃないかい?」
「他の街も魔物の侵攻を受けていると。余力が無いそうです」
「例によって騎士団は皇都を離れるつもりはないと。またいつものパターンだね」
臨時教師に与えられた学園の準備室で、《特殊遺甲総局》のトップとその補佐が日常業務をこなしていた。デスクの上には山のように書類が積まれている。
「金のかかる遠征を毎度毎度押しつけて、彼らは騎士という自分の身分を理解してるんでしょうか。武勲を最大の栄誉と信じ! 戦場に駆ける! そういう高潔な精神はいったい、どこへ家出してしまったのか……呆れちゃいますよ。ほとほと」
「高潔な放蕩息子なんて矛盾してるじゃないか。そんな精神、彼らのうちには端から存在しないんだよ」
騎士団を辛辣にこきおろすアルバンとメルキ補佐官。
「私が性根を叩き直してやりたいくらいです。こう、ボコボコに。……ですが目下のところ、今回は我々が遠征するほかありませんね。ボコボコにして再起不能になった騎士にも療養期間が必要ですから。局長もいつものように現地に赴かれますか」
真面目な顔でフザケたことと真面目なことをごちゃ混ぜにしながら口にするメルキ。
「……」
しかしアルバンは返事をしなかった。
「局長?」
「……確かにいつもは、戦闘はからっきしながら、馬にしがみついて戦場に赴いてはいるが……今回はやめておこう」
「? なぜですか? 落馬が怖いなら私の腰にしがみついて二人乗りしてもいいですよ」
アルバンは苦笑して、頭をかいた。準備室のデスクから立ち上がり窓際に寄る。学園の校舎と講堂、演習場の奥に大聖堂の荘厳な外壁が顔をのぞかせている。
「最近の皇都はきな臭い。何を企んでいるのか知らないが、教皇派の蠢動がいつにも増して、不吉に感じられてね……」
□□□□
アルバンが大障壁の外に出ないので、【教化】できません。
現状をひと言で説明すると、こうなる。
「はぁ……クソ」
俺はラシェルの身体でため息をついた。ヴェールが揺れ動く。西方校舎の廊下で俺は紙を広げた。周囲には誰もいない。
アルバンはどうやら《総局》の仕事を学園に持ち込んで宿舎に泊まっているらしく、外出の気配もない。
せっかく時間をかけて壁画をスケッチしてきたというのに、ここ数日は解読の段階にすら進めず行き詰まっている。慣れないことをしたから手首と指が痛い。
「……ユノあたりに頼めば、もっと綺麗に写してくれたかもしれんが……はぁ⋯⋯いえ、これはこれで正確に模写したつもりですが……」
紙にはぐにゃぐにゃと曲がりくねった文字が羅列されていた。直線的に簡略化された現在の字形とは似ても似つかない古代文字である。
どうやら国境付近でまた魔物が大量発生したとかで、《総局》が動くとの情報を掴んだのだが、なぜか今回に限ってアルバンは局員の遠征に同行せず、後方支援に徹するらしい。デスクワーク要員というわけだ。困った。
ラシェルはもう学園に馬車通学していない。エメリーヌが(対外的に)死亡し、その理由が教会を裏切った背信の罪だと噂される渦中。彼女の遺した邸宅から、彼女が【教化】した御者とともに、彼女の馬車で通学する、というのは厳しいものがあった。
前に大聖堂にラグナを突撃させ、【断罪】のサリナスと戦い、吹き抜けの穴をぶち開けたときは馬車の座席の下に押し込めておけばなんとかなったのだが、徒歩ではどうにもならん。一座一門の元暗殺者とともに影の中に潜みながら侵入させるのはどうだ……とも考えたが、厄介なことにそこは対策されている。隠密系統の魔法は稀少だが、使い手がいないわけじゃない。大障壁入口には隠密看破のための大型魔法具が設置されていた。
しょうがない。
俺は準備室の扉の前に立つ。ノックをして、「どうぞ」という応答を待ってからドアノブをひねった。
「失礼します」
「いらっしゃい。講義の質問かな?」
「はい。分からないことがありまして……」
部屋には赤毛の痩せた中年の男と、補佐と見られる若い女がいた。ちょっと待っててね、と言って彼らは書類を片付け始める。
「凄い量ですね」
「まぁね……よしと、ざっとスペースはできたかな。そこに座ってよ。何を聞きに来たんだい?」
窓を背にする位置で俺はソファに腰かける。補佐の女は茶を淹れに席を立った。
「これを」
補佐官には見えない角度で、手持ちの紙を開く。アルバンは俺の手元を覗き込み……絶句した。
「────!?」
「先生にぜひ、解読をお願いしたいのですが」
アルバンの顔には驚愕と動揺、狼狽の色が浮かんでいた。その目線は紙面に並ぶ文字列に釘付けになったまま凍りつく。
赤毛に縁取られた痩せた頬から一瞬にして血の気が引いていた。
「っ……、きみ、は……いったい、何者だ」
アルバンの額やこめかみに、じわりと嫌な脂汗が滲む。
補佐の女性に気づかれまいとする必死の理性が働いているのだろう。彼は強張った首をぎこちなく動かし、ちらりと彼女の背中を盗み見ると、すぐさま俺が差し出した紙へと視線を戻した。
「これは壁画の、続き……?! そんなまさかありえない、アレはもう崩落して地の底に……いやだが、あれひとつとも言いきれないわけだ……」
最大限に抑制しようと努力された呟きは、発言者の思考に反して常にないほど上ずっていたが、幸い補佐の耳には届かなかったようだ。
俺が軽く咳払いをすると、彼はそこではっと我に返った。
「……すまない、少し取り乱したね。これは……とても稀少な古文書なんだ。解読は不可能だよ。よければどこでこれを見つけたのか教えてもらっても──」
「『続き』と仰ったということは、皇国貴族と罪人のくだり以降の文章ということですか?」
今度こそ、アルバンは衝撃を受け止めきれなかった。彼はデスクに足をぶつけながら立ち上がる。先ほど横によけた書類の山が音を立てて崩れ落ちた。
彼の瞳孔は小さく収縮し、細かく左右に泳ぐ。
「局長? 何してるんですか。虫でも出ましたか」
女の声も聞こえない様子で、アルバンはせわしくあえぐように俺の両肩をつかんだ。
「本当に……本当に、何者だ──きみは」




