92:私はね。至って正気だ
迷路はそれはもう、死ぬほど複雑だった。
早々に面倒になった俺は途中から壁を破壊して突き進み、崩落を神聖力の物質固定で防ぎながら下へ下へと潜った。
途中、天井から水の滴る鍾乳石の道、きらきらと輝く幻想的な石英の結晶の大広間、壁の向こうを轟々と水が流れる道や、明らかに奥底から熱が伝わってくる道なんかを通り過ぎ、それでもまだ地下へと下る。
俺にはつくづく、探索の才能がない。それは確かだった。どうやらここでは、なんの成果も得られそうになかった。
まだそこまで深く潜ったわけではないが、このまま行けば惑星の中心へとたどり着いてしまいそうだぞ……。悔しいが、ハズレだ。引き返すか。
そんなことを考えたとき、俺は、俺の発する力以外の光源を目にした。
「……なんだここは」
俺は展開していた神聖力の光を解除した。そこには既に十分な明るさが確保されていたためだ。
むき出しになった赤茶色の岩盤に、煌々と輝く照明の魔法具が取りつけられている。
皇都を不夜の都たらしめる最近の照明魔法具ではない。ランプと砂時計が融合したような不思議な形状。古代の照明用魔法具だ。
ずっと点いていたのだろうか。まさか、千余年前の遺跡が遺跡となるに至る今日まで、ずっと。
「湖……地底湖だ」
俺はラグナをおいて水辺へ近づいた。透き通った綺麗な水。湖は巨大な貯水槽のように膨大な量の液体をたたえ、遠く奥まで広がっている。照明は岸周辺にしかなく、湖の果てあるいは水平線を闇の中に見出だすことはできない。
「しかも相当深いな」
進めば進むだけ徐々に海水がその領土を広げていくなだらかな砂浜とは違い、この地底湖の底は第一歩目から水面の遥か下にあるようだった。巨大な質量をたたえた液体の持つ圧迫感。光が届かず見通せない。
「遺跡にしては、人工物は見当たらないが。照明魔法具だけか……? 千年前の人間はこんなところで、何を……」
赤褐色の世界に存在する唯一の異物は、岸に生えた巨大なキノコだけだ。全長はラグナの背丈の十倍はある。笠はスケールの大きいパラソルのように、直下の地面に永遠の影を提供している。
「……!」
地底湖の威容、それはまさしく自然の驚異とでも形容すべきものだ。
俺はその端にある一面の壁に、人為的な造形を見つけた。地面に向かって──ここは地面の下だが──垂直になるよう削られた赤褐色の岩盤。
そこには壮大な絵画が描かれていた。
触手が森や山や海に手を伸ばす、滅亡の絵画。
「引き返さなくてよかったな」
絵はともかく、その横には何やら文字がズラズラと書き並べられている。まず間違いなく、カアウラスに関する文章だろう。カアウラスの殺し方について書き遺してくれていたのであれば、非常に嬉しい。
……が。
「まっったく、読めん」
かすれ、欠落していて読みにくいうえ、そもそも知らない字形、見覚えのない文法。千年前の言語など、俺は知らん。どうにか解読したいが……。どうやって?
触手生命体カアウラスの暴走以後、当時の記録は皇国貴族によって意図的に抹消された。問題にならない範囲のことしか記されていない文書ならば残っているものもあるだろうが、どこにあるとも知らないそれを今から集め、一から学ぶというのはあまりにも遠い道だ。
古代文字が読める……そんな人間がこの時代にいるのだろうか。
「……少なくともひとり、いたな」
冴えない赤毛の男が、脳裏でにへら、と笑った。
アルバン。そうだ、彼には実績があった。
一度壁画を読み解いた実績が。
◇◇◇
「で、ファルマン猊下。僕らはどうすればいいので?」
男はメガネを薬指で押し上げた。レンズから灰色の眼がのぞいた。彼の言葉に、ファルマンは鷹揚に腕を広げる。
「なに、簡単な任務さ。きみたちには世界を救ってもらう」
「具体的に教えてくれヨォ、お偉いさんヨォ。ひっさしぶりに皇国に帰ってきたんだしヨ、さっさと済ませて遊びたいんだヨ。言ってること、分かるヨな?」
大男が老紳士に凄む。彼の前では誰であっても小人のように見える。身長が成人男性三人分を足し合わせた高さを超す、人外の域にある巨漢だった。
皇都・貴族街の地下。洞窟の一隅で彼らは面会していた。
「そうだね。きみたちには、人を殺してもらう。沢山の人をね。好きに暴れてくれて構わないよ。殺したいだけ殺してくれていい。《総局》は魔物でも使って、皇都外におびき出しておく予定だし、騎士団は私の手駒だから、気にしなくていいよ」
「え〜〜、それ、マジで言ってるぅ? ついに頭イカれちゃったんじゃないの、ジイさん」
女が甘ったるい声で燭台の炎を揺らしながら発言した。それを受けて背の低い子供が酒瓶を片手に口を開く。
「んにゃはは、昔からでしょ。ボクが初めて会ったときから頭イカれてたよ、この人」
「いや〜〜散々言ってくれるじゃないか。しかし安心してくれ」
老紳士はコホンと咳払いし、笑みを浮かべる。
「ハハハ……、私はね。至って正気だ。そう、全ては世界と大義と人々のためだよ」
そのとき、地下道を新たな人影がふたつ、歩いてくることにメガネの男が気がついた。彼はファルマンに目で合図した。靴音を鳴らしながら女が姿を現す。ワインレッドの髪、危険な香りが漂う鋭い眼光、妖艶な肢体。
【征圧】の枢機卿・ヴァルデである。
「おかえり、ヴァルデくん」
「連れ帰ってきたぞ」
彼女の後ろから現れたのは長いローブに身を包む、憔悴した様相の老人だった。
「おお、ベルクナーくん。良かった、生きていたんだね。まぁ、まだ寿命の尽きる歳じゃないし、きっとどこかで生きてるとは思ってたんだけどね」
ファルマンはベルクナーに話しかけた。しかし彼はどこか呆然とした顔でこくりこくりと頷くだけだった。老紳士は彼の前で手を振り、目にかざしてみる。
ベルクナーは無反応だった。
「ありゃりゃ。うーん。墓場にいた上層部も、私の分体も全滅しちゃってるみたいだし、何があったのか話を聞きたいんだけど。ハハ、正気を失ってるのは彼の方だったみたいだね」
ファルマンは笑ったが、他の誰もそれに続かないのを見て、笑いを引っ込めた。どこかおどけた仕草で肩をすくめる。お追従もなければないで淋しいものだね、と呟いて話題を転じた。
「ところで、ヴァルデくん。きみが持ってるそれはなんだい?」
「拾った。砂漠で残っていたのはこれだけだ。ティーポットだ、《魔封茶》だろう? バルバナは死んだようだぞ。力場が消え、裂け目と穴がかつてなく広がっていた」
老紳士は衝撃を受けたようだった。
「……まだこの世界が滅んでいないのは、【護光】の余力かな。そうか、バルバナくんが……まだもう少し保つと思ってたんだけど」
薄笑いは崩さず、しかしファルマンは空を仰いだ。冷たい岩肌を眺め渡す。ヴァルデは気味悪そうに老紳士を見つめた。
「……ところで、これは何の集まりだ。やけに人が多いな。地底で遠足か?」
ムッとしたように数人が立ち上がった。
燭台の投げかける光に影が踊る。
「オイオイ、【征圧】さんよ、大陸最強の魔法師だかなんだか知らねぇが、舐めてもらっちゃ困るぜ? オレらも計画の参加者なんだからよ」
「にしても聞いてた以上の上玉だな。魔法だけじゃなく、身体も一級品じゃねぇか」
女魔法師はうんざりしたようにため息をつくと、指を鳴らした。
氷の矢が具現化し、なめらかに宙を滑り、男たちの耳元をかすめた。
「ッうお!?」「ひっ⋯⋯!」
下卑た表情を浮かべていた彼らはビクリと肩を震わせ、慌てて立ち止まった。頬から血が流れる。手加減されていなければ、今ごろ顔面に穴が空いていただろう。嫌でもそう理解させられる、疾い矢だった。
「こんな低脳どもに何をさせる気だ、ファルマン」
彼我の実力差も見破れない程度の低さに呆れながら、ヴァルデは老紳士を振り返る。
「──学園襲撃だよ。学生、皆殺しさ。決行は演習試験の初日。貴族も大勢、顔を出す。そこにテロリストが乱入したら……いや〜〜、楽しくなりそうだね」
彼女は鼻を鳴らした。
「学生相手か。それなら務まりそうだな。⋯⋯それに案外、なかなか──」
品のない男たちをかすめて飛んでいった氷の矢。
彼らが目で追い反応することすら出来なかったそれを、炎で溶かしたメガネの男や、平然と肌で受け止めた巨漢、爪先で弾いた女、素手で掴み取った子供がいた。
【征圧】の魔法師は彼らを品定めするようにジロジロと眺めやり、妖しい笑みを浮かべる。
「見所のあるヤツもいる」
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気の早い話ですが、次作はTS勘違いギャグとシリアス曇らせをライトに混ぜこぜした読みやすい作品を、カクヨム様の方にて書く予定です。よろしければフォローをば、何卒⋯⋯!




