88:⋯⋯誰だ?
「黙れ。貴様……生徒会に対する偽証および誣告は厳罰だ。発言には注意しろ」
そう言い放ったケーテ・ド・ホルンに対し、『呪い』のラシェルは怯んだように後ずさった。
(ふん……?)
「あ、あまりにも横暴な」
それでも抗弁を続けようとするヴェールの少女に対し、ホルンの腕のまわりに淡い紫の光が灯った。幾何学模様が回転し、指令は大障壁の警備システムを通じて承認される。
「《訓戒》」
最も軽度の電撃が《アルカンゲルム》から放たれた。微弱でありながら虚仮威しには十分な痛みを与える雷属性の魔法は、まっすぐラシェルを打った。
「うあっ!」
苦悶の声をあげて『呪い』は廊下にへたりこむ。ヴェール越しにでも、彼女の顔に恐怖と後悔が刻まれているのがわかった。
「ラシェルちゃん!」
「……ユ、ユノさん……逃げて……」
肩がガタガタと震えている。腰が抜けたのか、尻もちをついたまま体を引きずって友人のほうを振り返る。
「あなただけでも……私がやられている間に……」
(なんだこれは。とんだ肩透かしではないか)
「で、でも……」
ユノという少女はためらいながらも、《アルカンゲルム》の巨体に怯えたように及び腰だ。友人を見捨てて逃げようとしているのが分かった。
「はぁ……平民が。そこまで恐怖することはない。今のは軽い警告だ。指示に従う限り私刑を下しなどしない」
目に見えて、ふたりは安堵した。
(ゲルトの奴、こんな娘相手に執着しているのか。見込み違いを通り越して情けない。アイツの実力は認めているが、実の妹に対してそれを発揮できないとは、存外乳臭い面がある。正直、失望ものだな)
「もう行っていい。卑小な身分の人間がこれ以上私と貴族生の手間を取らせるな」
□□□
平民蔑視の激しい生徒会長か。
貴族としては特段珍しくもない思想の傾向だが、しかしそんな奴に権力を持たせるのはいかがなものか──なんて考えて、はたと気づく。貴族が領地領民を支配するこの皇国ではありふれた構図だ。むしろ将来に向けての早教育と呼べるかもしれない。
神より魔力を授かりし選民よ、人民を虐げるべし。自由や清新、進取の気とは無縁のろくでもない社会構造はさまざまな世界にありふれているが、ここも例に漏れずろくでもない。皇立学園は皇国の縮図というわけだ。
「すごいね、別人かと思ったよ。急にあんな演技するなんて」
「合わせてもらえて助かりました。ユノさんこそ、最初、隠密系統の魔法を使用した二年生が近づいてきていたことによく気がつきましたね。『感知』ですか?」
「えへへ、ずっと訓練してるからね。最近は感じ取れる範囲も精度も上がったんだよ」
席を探しながら小声で会話を交わす。講堂はすでに人で埋まっていた。あの貴族生と生徒会長とやらに時間を取られたからな。
仕方なく、前方中央の空席へユノとともに座った。
臨時教師アルバンの政治学。クラスの隔たりなく受講できる選択講義だ。
「ラシェルちゃん……今日の放課後、時間ある?」
「いえ、今日は地下を見に行きますので⋯⋯何か急ぎの用ですか?」
「ううん、ただ女子会をやりたかっただけ。……その、ラシェルちゃんってさ、ラグナのこと──」
そのとき、俺の座る席の長机に、ダンと勢いよく手が振り下ろされた。大きな音が鳴る。
「おいおいおい、なんで平民生がここにいる。中央は上級貴族の定席だ。どいてもらおうか」
見上げれば見知らぬ男子貴族生がふたり、こちらを睨んでいた。一年生・第二クラスの記章を胸につけている。
「げ……しかもこいつ、『呪い』の令嬢じゃないか。いや、今は平民だったか」
「チッ、席が穢れる。さっさと退け」
いくらなんでも一方的な要求だ。ユノと顔を見合わせる。
「モタモタするな、ゴミが。周囲に呪いを振りまくだけじゃ飽き足らず、直接人に害をなすつもりか? その席を汚染して、次に座った誰かが呪い殺されたらどうする」
「ほんとだぜ。いるだけでも気持ち悪いってのによ。おい、黙るなよ。その布っ切れの下で不細工な顔歪めて泣いてんのか?」
「はははっ」
講義開始前でざわざわと騒がしい講堂だったが、それでも声高にこちらを糾弾するさまは周囲の生徒から注目を集める。ユノと視線を交わし、移動を図ろうとしたとき。
「邪魔よ」
そんな男子貴族生の肩を押しのけて、俺の隣に座る者があった。整然と編み込まれた透き通る金髪。気品にあふれた佇まい。
「こ、皇女殿下……?!」
第一皇女アリカと、俺とユノと同じ第五クラスの貴族生・ニルスだった。ふたりは特にこちらを気にした風でもなく、空いていた席を埋めた。ニルスは不健康そうな目を向けて、軽くこちらに会釈した。俺もヴェール越しに会釈を返す。
「ア、アリカ殿下。隣にいるその者は『呪い』ですよ! 御身に近づけては──」
「誰よ、あなた。下の名で呼ぶなんて、随分と無礼ね」
皇女アリカは堂々と男子生徒を手で追い払う動作をした。彼は面食らったようだった。
「な──い、いや……失礼、いたしました。しかし……おい貴様! 忌み子風情が、皇女殿下の手を煩わせるつもりか! 自主的にどくものだろう!」
「そうだぜ、席が空いてねぇってんなら隅で立ち見すりゃいい」
ユノが俺の袖を引っ張った。
「席、移ろっかラシェルちゃん」
彼女は講堂の端を指さした。見覚えのない男子生徒が手を振っている。黒髪の平民だ。俺たちは立ち上がった。
「ふん、やっと理解したか。いくら愚鈍にせよグダグダと遅きに失するのも大概にしてもらいたいものだ」
「私は君の態度を、大概にしてほしいところだけどね」
まだ何か言い続ける貴族生の背に、拡声の魔法具を通して気の抜ける、眠たげな声が浴びせかけられた。生徒は振り返る。教壇の上にアルバンが立っていた。
「慣習も伝統も結構。しかし無意味に振りかざしていれば自身の品性を貶めるだけさ。君の要求は、私の政治学の講義を妨げるに足るほど重大なものだったかな?」
普段、怒るところが想像できないような人物ほど、いざというときには人を圧する。騒いでいた男子生徒たちはたじたじになった。
「う……クソ……おい、行くぞ!」
「あ、あぁ」
講堂中の視線を浴びながら、ふたりの貴族生は逃げるように扉から出ていった。
「柄にもないことを言ってしまったなぁ……まぁいいや。それじゃ、講義に移ろうか」
俺とユノは、手招きしてくれた平民男子の横に詰めて腰かけていた。
「ありがとうございます、えっと、お名前は……」
「ジルノーだよ。災難だったね、ラシェルさん、ユノさん」
黒髪の少年はやさしげに笑った。
ジルノーは第五クラス所属のクラスメイトだった。言われてみれば、どこかで会ったような顔をしている。『呪い』に対して嫌悪の情を持たない人間が、意外と近くにまだいたようだ。その隣にはガタイのいい少年が座っていた。スタニックではない。
「よう、ラシェル……さん?」
不良のような外見をした、いかにも荒っぽく頭の弱そうな少年だ。⋯⋯誰だ?
「ドゥドゥくんも一緒だったんだ。助かったよ」
ユノが返答する。ドゥドゥか。……誰だ?
まぁいろいろありはしたが、政治学の講義は定刻通りに開始した。
「丁度いいから、権力についての話から始めようかな。ここは多数決や簒奪ではなく世襲によって力が受け継がれる、特殊な国家だからね。私を含め、皇国貴族はみな『権力』に対する自浄作用を持たなくちゃいけない」
アルバンの講義は興味深いが、なにぶん眠たくなるような声質をしているので、居眠りする生徒もちらほら見える。
「権力は見張られるべきであり、制限されるべきだ。常に誰かがケチをつけるべきものなんだ。その役目をジャーナリズムが担えない、貴族政治によって立つエイリトニア皇国では、自省の姿勢を──」
広い講堂を見渡していると、自然と中央に座る美しい皇女へと目線が吸い寄せられる。持って生まれた存在感とでもいうのだろうか。
そういえば、第一皇女アリカは第一クラスだったはずだが。なぜこの講義に出ているのだろう。
スタニックは剣術実技の講義だと言っていたが。
遠くから横顔を眺める。
勝ち気な性格がうかがえる、高貴な横顔だ。皇女らしく堂々としている。
しかしどこか……翳りがある。
なんとなくそう思った。
魔技武会での敗北が彼女の精神に傷を与え、それが癒えていないのだろうか。
加えてニルスも、どこか⋯⋯。
まぁ彼は皇帝派の皇女と親しくしながら、教皇派のファルマンの手伝いに片足を突っ込んでいるようだったし、複雑な何かがあるのだろう。
ニルスの《魔転書》は警戒すべきだが、彼らの内情にまで踏み込む必要はない。スタニックやバルバナ経由で十分な情報を得た今、彼らにすり寄ってなんらかの足がかりとする⋯⋯なんてプランも立ち消えた。
もはやどうでもいいことだ。
案外、痴話喧嘩でもしているのかもしれない。
あのふたり、いつ見ても一緒にいることだし、アレだ。倦怠期なんだろう。多分。




