85:硬すぎる
「カアウラスヲ、殺シテ……!!」
青髪の千年生きた少女、バルバナが遺言を『天使』に託してその命の灯を燃やし尽くした後。
穴の上に満ち満ちていた力場が雲散霧消する。魔法具【護光】の魔力が尽きたのだった。
稲妻が爆風とともに解き放たれた。
大天使ヘルゴエルの神聖力が具現化した、「更新」の稲妻だ。結界を張って防御した俺の脇をかすめて、数千の光が青白い空間の裂け目から飛び出す。
「……っ」
広大な砂漠は、あっという間に虚無と化した。
稲妻の触れた場所には文字通り何も残らない。完全なる無。
それはまさしく天変地異である。
稲妻の通った跡に常識を超える爆風と爆音が吹き荒れる。俺は推進力にリソースを回して、吹き流されないようにする。更新の力に触れた空気が滅失し、真空状態が生まれているのだ。
もともと砂漠の二割ほどを占めていた深い穴はものの数十秒で地平の彼方まで呑み込み、砂漠を丸ごと消し去った。砂漠の向こうには遠く、灰色の荒地が見える。その反対には海。そして背後には大森林。
【護光】の抑えがなくなったことで、これから、この世界の更新はつつがなく実行されてゆく──もしそうであったら、天使ラグナエルの使命はこれにて終了だっただろう。
「……来ますかね」
もはや体に染みついた、ラシェル姿時の敬語を無意識に使いながら、俺は裂け目の前に留まる。
天地に伸びる巨大な蜃気楼。
稲妻が絶えず噴き出すそこに、俺はついに、何かの影を見た。
黒黒としたそれは裂け目から顔を出し──飛び出ていく稲妻を、叩き潰す。
「っ!!!!」
バチンという音がして、稲妻は消滅した。
目を凝らす。それは高空に踊る長い影。
黒い一本の触手だった。
「間違い、ない……あれが」
『カアウラス』。
俺の追い求める討つべき偽神であり、千年前の実験生物。
次の瞬間、影は砂漠中に広がった。
「!?」
俺は結界ごと質量の波に押され、吹き飛ばされた。大量のおびただしい数の触手が裂け目からあふれ出していた。一本一本が大森林の大樹の幹ほどの太さを持っている。
触手はうねり、拡散する稲妻を追って、どこまでも伸びる。この世界の物質を消し去りながら進む稲妻に容易く追いつくと、やはりそれを吸盤のついた触手が叩き潰し、消し去った。
馬鹿げた力だ。触れた物質を即座に虚無へ還すはずの更新の権能に、下界で生まれたいち生物が互角に抗っている。
……信じられないことだ。
駆け回っていた稲妻はそれから完全に、カアウラスによって鎮められた。先が割れ枝葉を伸ばすように拡散しながら高速で突き進むエネルギーをこの短時間で抑え込んだのだ。
そして稲妻がやってくる空間のひずみ、冷色の陽炎は、ひときわ太い触手が網目のように間を縫って、塞いでいた。
「…………」
これがカアウラスの力なのか。
稲妻を鎮圧して沈黙した触手に、俺は近づく。
混じり気のない漆黒と光沢のある湿っぽい外皮は水生動物のそれに見える。
なるほど、バルバナの言うとおり、ぬめぬめしている。結界を解除し、軽く手を伸ばしてみる。
指先が触れる寸前に、触手の一本が波打った。
咄嗟に結界を張り直す。
それを打ち砕き、触手は俺の肉体を真っ二つに切断した。鋭い一撃だった。皮を裂き、肉を切り、骨を断って、内臓が破裂する。胴体が弾けて、両脚の先がふたつ別々に宙を舞った。
鮮血が噴き出し、空虚な大穴にしぶきをあげて吸い込まれる。
「触れられたくないようですね」
落下していくのは血液だけだ。両足は浮遊して、俺の元へ帰ってくる。失った腹部をゆっくり再生していく。胃や腸を再構成し、骨格を形成し肉付けを行う。足の付け根から太ももまで、白い肌が戻る。最後に無理やり、元の足首と作り直した脚部を接合した。
元通りだ。
……ただでさえ異端審問でぼろきれと化していた衣服が、完全に消えて下半身を露出する格好になってはしまったが。まぁ誰もいない大陸の果てなので気にする必要もない。皇都に戻るときは……なんとかしよう。
「砲撃も試してみましょうか」
残量がいささか気になり始める消費の量だが、ものは試しだ。残存のエネルギーの数十分の一を右腕に集中させる。距離をとって、先ほど俺を切断した触手の一本に狙いを定める。
太いそれを焼き尽くせるよう、広めに散布界をとる。
明け始めた朝焼けの空に、まばゆい白光が輝いた。
太い柱が黒黒とした触手に突き立つ。
「……っ」
硬い。まるで蒸発しない、途方もない硬さだ。外皮は見かけ上、そこまで厚いようには思えないが……学園と大聖堂を包む大障壁に匹敵する防御力。それに加えて、不可解なことに手応えが少し柔らかい。まるで力を外皮で受け止め、減衰させているかのような──。
「吸収されている?」
そう、ぶつけた力をぶつけたそばから、わずかに吸われているかのような感覚だ。カアウラスは大陸中の人間の魔力、魔法具を食べて肥大化したとのことだったが、まさかコイツは神聖力すらその身に取り込むというのか。
超越空間の天使を孤児やラシェルの肉体が受け入れたのとは勝手が違う。非実体の意識ではなく、暴力的な熱と破壊的な勢いをはらんだ力の荒波を受け止めなければならないのだ。そこからエネルギーを抽出し、神性そのものを自分のものとするとは。
とはいえ、火力を上げれば貫けないことはない。
出力を上げ、太かった柱を細く圧縮して、その触手一本を切り落とした。
おそらくだが⋯⋯カアウラスはすでに、長い年月をかけて大天使ヘルゴエルの神聖力を体内に取り込んでいたに違いない。でなければ『更新』を相手にこれだけ優位に立てるとは思えない。空間と下界では時の流れが違う。それこそ千年前からこの生命体は「更新」に抗い、その身の一部とし続けてきた可能性がある。
青白く発光する異次元の奥から伸びてきて裂け目を塞ぐ触手の数を見る。
これは……万全の状態から限界まで力を使い尽くし、ラグナの肉体に貯蓄してある分をすべて出しきったとしても触手の頭──そもそも頭部があるのかは分からないが──までたどり着けるのか、結構怪しい。
ファルマンはこれをどうやって殺そうとしているのだろうか。並大抵の魔法攻撃では歯も立たず、じわじわ吸収されていってしまうことは確かである。
なにか俺の知らない方策が存在し、この人知を超えた怪物を討伐できるというのなら、様子をうかがって陰ながら、あるいは表立って助力するべきだろう。
ただそれにしても、まだにわかには信じられない。
あのファルマンが世界のためになどという大義のために千年も活動しているとは。
破滅から守るために教会を乗っ取り、魔力源を集めていたとは。
魔力の具体的な使い道は不明だが、バルバナは、どうにかしてそれをカアウラス殺害に利用するつもりなのだと語った。
少なくとも彼女はファルマンのことを信頼していた。彼はあぁ見えて、人々の命を敬い、大切に思う熱い人間なのだと。それは嘘ではないように思えた。
実態が、破滅を引き起こそうとしているのはまた別の存在であり、殺そうとしているカアウラスは守り手の側であるにせよ。
なんにしても、俺は俺でカアウラスを倒す途をひとつでも多く模索し、備えなければならない。赴かなければならない場所は分かりきっている。
スタニックとアルバンが壁画を見たという、地底の迷宮。教会上層部だけがその存在を知っている、皇都直下の地下空間。まずはそこをあたるべきである。
いざ、地底探検だ。




