83:閑話 - 曇り空(ユノ視点)
魔技武会で優勝した「シルヴェスタ」を名乗る冒険者──その正体はラグナエルだった。
あぁ。
涙があふれた。
生きていると知っていた。信じていた。
それでも目の前で彼を見たとき、あらゆる感情がいっせいに熱に浮かされたように制御を失って、彼に抱きついた。
ラグナエルだ。
ラグナエルが、生きている。
それだけで、その他のすべてがどうでもいいことのように感じられる。無駄なものがどんどんと消えていって、わたしの胸には夢と理想、輝かしい原風景が残される。思い出されるのはあの短く儚くも、なにより大切なラグナエルとの日々。
そうだ。
小さな村に縮こまって、国中の人々を癒す……なんて大言壮語の域を出ない夢物語を自分の口の中でだけぶつぶつと繰り返して、腐りかけていたわたし。隘路の入り口で足踏みしていた。村へ枢機卿が来ているという千載一遇の機会ですら、家の外で回復魔法を練習していれば目をかけてもらえるかも、などと考えてふいにするような、わたしはそんな人間だったのだ。
彼はわたしを、変えてくれた。
彼がそばにいるだけで、彼の姿を見ているだけでわたしは変われた。一歩を踏み出して、なんでもできる気になれた。
(あぁ、わたしはこんなにも、彼のことを……)
「ぁ……ラグナエルの匂いだ……ラグナエル、ラグナエル、ラグナエル、ラグナエル……生きてる……あったかい……」
なんだか恥ずかしいことを口走って、恥ずかしい取り乱し方をした気がするけれど、わたしは、試合後の廊下で仮面を外していた彼と再会を果たした。
そして、その日の夜。
自治都市の宿屋。狭い一室でわたしは銀髪のかわいい女の子、エメリーヌちゃんと出会った。彼女は歳上らしく、手足もスラリと長いけど、どこか幼くて、無邪気な雰囲気のある……ちょっと不思議な魅力を持った女の子だった。
「あの……エメリーヌちゃんとラグナエルって……その」
「ん、ないない。なにもない。安心して」
正直、安心した。これは本当になにもないやつだ。
彼女も『天使さま』──ラシェルちゃんに協力して人助けをしていたらしい。必然的にラグナエルとも一緒に行動する時間があったということだ。
こんなかわいい子と三年も、「ラシェルちゃんは天使さまだ」という秘密を共有しながら行動を共にしていて、最近はエメリーヌちゃんの屋敷の「お昼寝ルーム?」にまで泊まり込んでいたというから……不安がないわけなかった。
でも、エメリーヌちゃんとそういう仲じゃないからといって、安心ばかりしていられない。エメリーヌちゃん以上の強敵が……最大のライバルがいるんだから。
「じゃあ、ラシェルちゃんとラグナエルは……」
「それは……エメリーヌにも分からない。直接聞いてみるといい。ん、それがはやい」
エメリーヌちゃんが知らない。少なくともふたりの関係にあからさまな進展や、不純な点はないようだ。
『どうした、ラシェルになにか用か』
ラグナエルは首をかしげた。
呼び捨て……!?
いやでも、呼び捨てというならわたしも「ユノ」と呼び捨てにされている。わたしも「ラグナエル」と呼び捨てし返す仲だ。気にすることじゃない。だいたい、呼び捨てにしたからって親密さが必ずしも高いとは限らない。
(限ら……ない、かな……??)
ラシェルちゃんは控えめに言ってもおしとやかで物腰柔らかくて、芯があるのにどこか儚げな、美しい少女だ。
軽々に気安く呼び捨てるのがためらわれるような、そんな空気感をまとっている。
現にわたしだって「ラシェルちゃん」という呼び方。呼び捨てしようと思ったらなかなか勇気がいりそうだ。
そんな彼女の名を、まるで家族の名でも呼ぶかのように慣れた感じで口にした。
そんな。
まさか。
(ない、ないない。あのラシェルちゃんが⋯⋯)
ラシェルちゃんが恋愛しているところは想像がつかない。
彼女は浮世離れした『天使さま』だ。人々を癒し、救う、わたしの理想のような生き方をしている人だ。彼女は『呪い』『忌み子』だなんて酷い言葉で傷つけられながらも、正体を明かし見返りを求めることもなく日夜奔走している。
そんな彼女の姿と、彼女が誰かに恋している姿はなかなか結びつかない。
この間、スタニック皇子にデートに誘われて頷いたときには夢でも見ているのかと思ったほどだ。あれからふたりの関係は「協力者」という位置に収まったらしいから、きっとあれは恋愛ではないのだろう。
だからこそ聞かなくちゃ。
言葉にしなくちゃ始まらない。
一歩踏み出さなければ何も変わらない。
わたしはそれを彼から学んだのだ。
自然にさりげなく、それでいてずばりと核心を⋯⋯訊こう。
「聞きたいことがあってね、答えたくなかったら答えなくていいんだけど」
(あ、ダメそう。ダメそうです、わたし)
自分でもはっきり、顔が熱くなるのが分かった。
少し間をおいて、パタパタと手で頬をあおぐ。
息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。
「その⋯⋯ラシェルちゃんとは、どういう関係なのかなーって。あ、その変な意味じゃなくてね、どういう経緯で一緒に活動してるんだろうっていうかそれによってどれくらいふたりは仲良くなってるんだろうっていうか三年もあったわけだしなにかその関係性が特別な形に発展してたりしないのかなって」
もう潔いほどの早口だった。
こんなの誰が見たっておかしいと分かる。ラグナエルは気にも留めてなさそうだけど、エメリーヌちゃんは顔を背けながら、いつもの無表情をぴくぴく動かしていた。口元がによによと動いている。
わたしは軽くエメリーヌちゃんをにらむと、自分自身にため息をついた。
全然さりげなくない。
あっさり自然に、なんてことのない世間話のように──。
ラグナエルの黒い瞳を見て話すうちにそんな意識は忘却の彼方へ吹っ飛んで行ってしまっていた。
(あはは⋯⋯なんでだろ、こんなつもりじゃ……おっかしいな、久しぶりだからか、まともに目を合わせられない)
村にいた頃より背が伸びている。
筋肉がついている。
声が低くなっている。
眼差しがより理知的な、深い落ち着きをたたえている。
まるで演技に慣れた舞台俳優のように、無愛想でやたらと堅かった振る舞いや言葉遣いが、少し自然で打ち解けた堅さへと変化している。
端的に言って、
(なんか昔より、カッコよくなってる、から⋯⋯!)
内心赤面しながら、そして自分では気づかないうちに耳の先まで真っ赤に染めながら、彼女はラグナエルの返答を待つ。
想定外に取り乱したけれど、訊きたいことは伝わったはずだ。
(きっと大丈夫)
ヴェールを取ったラシェルちゃんはこの国の──多分誰よりも綺麗だけど、でも。
『ラシェルと俺の関係は──そうだな』
(ラグナエルに限って、そんな。まさか──)
『たとえるなら、《《一心同体のパートナーだな》》』
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯え?」
呼吸が止まった。
『あぁ。なんか気持ちの悪い言い方だったか。言うなれば相棒だ。三年も公爵家の別邸、同じ《《部屋》》に隠れて暮らさせてもらってた訳だし、気心がしれているという意味での、パートナーだな。だからまぁ、土壇場なんかでは言葉を交わさずとも意思疎通を図れることもあるかもしれないが⋯⋯そういうときは気にしないでくれ』
言葉の後半はもうほとんど聞こえていなかった。
一心同体?
パートナー?
気になるとか意識してるとか、そんな次元を飛び越えた域にいる。
三年、同じ屋根の下で暮らしていた?
わたしとは一ヶ月と少しだけだったというのに。
それも、同じ部屋?
同じ《《部屋》》??
理解の埒外の文字列だ。キャパオーバーだ。訳がわからない。
レントシュミット公の別邸だし、メイドもたくさんいただろうし、身元の知れない元孤児の男の子を堂々と住まわせることができないのは分かる、けれど⋯⋯。
(三年も? 三年も同じ部屋に寝泊まりしながら、三年もの間ずっとふたりで、たまにエメリーヌちゃんも交えながら、正体を隠して秘密の活動を⋯⋯)
狭い宿屋の一室で、わたしは椅子の背に手をついた。
目の前が歪む。
立っていられない。
「あ、あは、あはは⋯⋯」
なんで。
こんな深刻にとらえるつもりじゃなかったのに。こんなに深刻にとらえたくなかったのに。
視界が真っ暗になった気分だった。
生きていてくれただけで嬉しい。
そのはずだ。
彼が死んだと思ったとき、何度彼の生を希ったことだろう。
そして、彼は生き返ってくれていた。
『天使さま』の奇跡の光によって。
それだけで満足すべきだ。
感謝して、それ以上を望んでいいとしたらそれは、彼の幸せとわたしの幸せが一致したときだけ。彼の気持ちを無視して一方的な想いを押しつけてだなんて、そんなことまで許されるはずがない。
(でも、でも、でも)
下手をすれば胃の底からなにかがせり上がってきそうな恐怖がわき起こるのを感じた。
(もう離れたくない。離したくない)
もうあんな思いをするのは嫌だ。
二度と、彼を失いたくない。
(なんて、自分勝手なんだろう)
彼がラシェルちゃんとそういう関係に至ることが怖い。
彼が天使さまと一緒に魔物と戦う中で、活動を行う中で、何か取り返しのつかない事態へと陥ってしまうことが怖い。
彼がわたしの手の届かないところで死んでしまうのが、怖い。
(⋯⋯ダメだ、わたし)
「ちょっと、外に出て、夜風に当たってくるね」
頭を冷やそう。
ラグナエルが死ぬなんて、不吉な妄想だ。
現実に起こるはずがない。
『天使さま』の力があるのだ。
(落ち着いて、今晩のところは寝よう。魔技武会も終わったし、学園に戻らなくちゃいけないんだから)
いつも通りの自分を、取り戻さなくちゃ。
ユノは宿屋の外に出て、窓からのぞく黒髪を、静かに眺めた。




