82:『カアウラス』
「カアウラスヲ──────殺シテ」
彼女はそう言い放った。
カアウラスを、殺す?
突拍子もない発言だ。
いや俺にとっては、突拍子もない内容ではないのだが。そもそも俺が下界へ降りた目的が、世界の「更新」に抗うカアウラスの排除なのだから。
すべてにまさる大目的であり至上命令であり最優先事項である。
が、この世界の住人にとって、カアウラス神とは絶対の唯一神。何人にも否定は許されない上位存在だ。
皇国に本拠を置くカアウラス神教会が、「魔力」と「神通力」という超常的な力を握っている以上、神の不在を疑う者はそう多くない。思想統制されている訳ではないから、個人の単位では不信心な人間もいるとはいえ、この広い世界で単一の世界宗教となったのも道理だ。
目の前で怪我を回復させたり、手から炎の矢を出されたりしたら、信者になるのも無理からぬことだろう。
カアウラス神教は千年前──エイリトニア皇国の建国時に、当時無名だったある学者が「『カアウラス神』という神より啓示を受けた」と宣言して生まれた、いわゆる創唱宗教である。
啓示の内容は「選ばれし民に魔力を与える。魔力によって国を治めよ」というもの。同時に魔力を授かったのは、皇国の前身となった前王朝の貴族。彼らは新たに「皇国貴族」と名乗り変え、ふたたび権力の座についた……。
その啓示とやらを受けた学者は、のちに初代教皇となった。
カアウラス神登場以前の、輪廻転生を謳ったり二柱を崇めたりする異教は「邪教」とされ、民間信仰や精霊信仰とともに迫害にあい、消えていった。
……とかいう細かい背景はともかくとして、カアウラスは確実に、下界の人間にとっては「神」そのものであるはずなのだ。
そんな神を……カアウラスを「殺シテ」とは、これいかに。
神通力こそ、神から与えられた力でもなんでもない嘘っぱちではあったが、魔力は、カアウラス神が人間に与えたものだというのに──。
「…………ぁ」
〈皇国貴族は罪人である〉
〈皇国貴族は赦されない大罪を犯した〉
〈皇国貴族は世界の万人から魔力を奪った〉
『古代、大陸の人間はみな誰もが魔力を持ち、魔法を行使していたというのか。それを皇国貴族はなんらかの手段で世界中の人間から魔力を奪い、独占した……?』
俺の脳裏に、ある記憶がよみがえった。
そうだ、忘れていた。
キスの【教化】を施して洗脳したスタニックが語った話。彼が《総局》局長アルバンとともに見たという、古代の壁画。
失念していた。
いや、だとしても、それがどうカアウラスと繋がるのか──。
その答えはすぐに分かった。
「カアウラスハ──人々カラ魔力ヲ奪ッタノ」
青髪の少女は苦しげに息を漏らしながら言った。
「カアウラスハ、神ナンカジャナイ。皇国貴族ノ嘘。カアウラスハ、世界ヲ滅ボソウトシテル」
偽神カアウラスが、人々から魔力を奪った?
皇国貴族が魔力を奪った……のではなく?
「カアウラスハ──皇国貴族ガ創リ出シタ、人工生命体」
「……? 創り出した?」
「研究ノ産物。魔力ヲ食ベテ、肥大化スル。ヌメヌメシタ触手生物ダヨ」
「……ぬめ、ぬめ??」
よし、一度深呼吸をしよう。
一回一回聞き返していたら話が進まない。バルバナは【永生】の魔力切れによって寿命が尽きる寸前なのだ。
「その触手生命体が、皇国貴族以外の人間の魔力を食べて、皇国貴族以外が魔法を使えない世界になったと?」
「ソウ。故意ジャナカッタニシロ、ネ」
千年前。実験施設の水槽の中に生を受けた「カアウラス」は、ある日暴走を起こした。研究員を食らい、魔法具を食らい、あらゆる魔力を取り込み始めたのだ。
カアウラスは、実験施設の隔壁を内部からぶち破り、地上に溢れ出さんばかりに暴れまわった。
加速度的に膨張し腕を増やしていく触手に、当時の前王朝貴族は【神域】の魔法具を使用することを思いついた。このどこまでも続く青い壁紙の異空間。ここに「カアウラス」を閉じ込め、そして異空間を崩壊させてしまえばいい。実験生物の存在を民たちに知られる前に、秘密裡に処分してしまえるはずだ。
その試みは成功し──半ばで、失敗した。
当時の貴族は、大量の強力な魔法具を餌に、カアウラスを【神域】へ誘い込むことには成功する。計画通り、【神域】の展開した空間を崩壊させた。
カアウラスは異次元の彼方へ永遠に流れ去ったかに見えたが──。
不幸にも、その生物は異空間に順応してしまった。
前王朝貴族は、実験施設の周囲に大障壁を張って逃げ込んだ。カアウラスが、ありとあらゆる場所に異空間の出入り口を作り出し、人々を襲い始めたからである。
それはまさに地獄。
記録にも残らないほどの、半日で終わった地獄。
大陸中に青い穴が空いた。
魔力を持ったあらゆる生物が、おびただしい数の触手に囚われ、異次元へ引きずり込まれていった。
たった数十分で、前王朝の国土から人が消えた。
わずか数時間後で、大陸上の人間が死滅した。
全員が、死んだのだ。
堅牢な大障壁の内側にいた前王朝貴族──現・皇国貴族と、生まれつき魔力をわずかしか持っていなかった幸運な人々──現・平民を除いて。
カアウラスは大量の魔力を捕食して眠りについた。前王朝貴族たちはおそるおそる大障壁から出て、そして自分たちの為すべきことに取りかかり始めた。
権力の再掌握だった。
自分たちが世界を半壊に追い込んだというのに、彼らの眼には新世界に対する欲望だけがあった。
もう大陸には、強力な魔法師はいない。強力な魔法具もない。それまで「魔力なし」と虐げられてきた弱者しかいない。
緘口によって歴史を書き換え、世界中の記録を破棄し、真実を口にする者を異端として処刑した。万人が魔力持ちだったという事実をなかったことにし、カアウラスを神に仕立て上げ、エイリトニア皇国を建国。
魔力という恩寵を賜りし選民として、彼らは大陸の頂点に君臨したのだ。
バルバナのたどたどしい話を聞きながら、壁画に刻まれた文章に続きがあったことを思い出す。
〈皇国貴族は大罪をつくり、我が身だけを惜しみ、世界を捨てた〉
〈後世の同胞よ。先祖を赦してはならぬ。罪を忘れてはならぬ。罪人は罪を償なわなければならぬ〉
〈さもなくば世界すべての無辜の民は報いを受ける〉
〈責任を果たさなければ、その先に待つのは世界の破滅である〉
〈破滅を避けたくば──カアウラスに祈りを捧げよ〉
カアウラスは眠りについただけで、消えたわけではない。しばらくして、この砂漠に異空間の入り口が出現していることを、ファルマンとバルバナは発見した。
それは今までの捕食の触手とは少し違い、物質を滅失させる破滅の力、「稲妻」をともなってはいたが、間違いなくそれが「カアウラス」によるものだとふたりは判断した。
そしてファルマンは決意したという。
必ず、自分たちがこの触手生命体を殺さなければ、と。
責任を果たさなければ、と。
ともに大障壁へ逃げ込んだほかの貴族に、ファルマンはそう主張したが、賛同したのはバルバナだけだった。
彼はバルバナ以外の皇国貴族を見限った。権力の掌握に奔走する初代皇帝を見限り、「カアウラス」を神だったということにして大陸中を手中に収めようとする初代教皇を見限り、歴史の改変と隠蔽に必死になる権力者を見限った。
ファルマンはまず初代教皇を殺し、教皇へと成り代わった。他国への侵略はやめさせた。そして【分霊】と【永生】を駆使して魔力を集めだした。何十年、何百年、何千年かかろうともカアウラスを殺せるだけの魔力を集めるのだ。
【分霊】の分体を可能な限り増やし、野に放つ。この世界の生態系に魔力を少しでも回復させるのだ。
卑劣な皇国貴族どもは生かしておいてやる。魔力源とするために。
民に真実を教える必要はない。
もう、自分たちだけで決着をつける。
そしてファルマンはバルバナに、【護光】で、拡大していく砂漠の裂け目を抑える役目を担うよう頼んだ…………。
「…………なるほど」
俺の思うファルマンの人物像とはかけ離れた正義感だ。しかし彼の心の内はどうあれ、行動自体は嘘ではないだろう。千年生きた前王朝の貴族バルバナは、その目で見たのだ。
カアウラスの暴走と大陸の滅亡。
エイリトニア皇国の誕生。
「ファルマンモ、分カッテルハズ。私ガ限界ダッテ。デモマダ、ヤツヲ、滅ボセルホドノ魔力ハ集メラレテナイ」
話し終えたバルバナは俺の目を見た。
「ダカラ、オ願イ。カアウラスト同ジ力ヲ持ツ貴女ナラ、アルイハ、殺セルカモシレナイノ……! カアウラスヲ⋯⋯!!」
…………。
だが、残念ながら。
彼らが決定的に間違えている点がひとつある。
それは、この裂け目と稲妻は、カアウラスによるものではないということ。
これは大天使ヘルゴエルによる──この「世界」を更新しようとする力だ。
神聖力だ。
カアウラスの触手は、確かにこの裂け目の中に蠢いているという。バルバナの感知によると間違いはない。
だがおそらく、カアウラスはヘルゴエルの神聖力に抗っているのではないか。
『……ある世界で、神を名乗る不届き者が、世界の『更新』に抗っている。偉大なる創造神の存在も、己が一世界のちっぽけな塵芥に過ぎぬことも知らずにな。邪魔だから、下界に降りて排除してこい』
大天使ヘルゴエルによる「更新」。
つまりこの世界の現文明の破壊。小宇宙の再構成。
それにカアウラスが抵抗しているのだとしたら。
カアウラスを殺せば、この世界は破滅する。
任務完遂だ。
天使として、創造神の命令に従い、桃源郷へ至る見込みがない世界をリセットできる。
俺は晴れて役目を果たし、超越空間へ戻れる。
いい勘違いじゃないか。
ファルマンに協力する……そんな選択肢が浮かび上がる。
「……」
個人的に、バルバナの話だけでは彼を信用できない。精神面において、奇妙な得体の知れなさがファルマンにはある。
しかし、利用するという手はアリだ。
ファルマンはカアウラスを殺すべく動く。この裂け目からどう触手生物を引っ張り出すのかは分からない。ただ、ファルマンの試みが成功しようが失敗しようが、俺はその陰で独立してカアウラスを殺す算段を立てればいい。
目に見えぬ、歪な共同戦線。
いい案だ。
長々と続いた苦労にも、ようやく終止符が打てそうだ。
殺そう、カアウラスを。
そしてこの世界を…………更新する。
終わらせるのだ。
この世界の、何もかもを。
それが俺の、天使ラグナエルとしての、使命なのだから。




