80:墓場という場所
むき出しの岩盤。
それは長細い円柱となって直立していた。ちょうど人ひとり分の足場。足場として作られたのではない。大地が削られ、砂が消え、砂漠が破壊されてできた巨大な穴の中央に伸びた、最後の岩石だった。
「──────────」
少女のまぶたがピクリと動く。
白、青、紫、黄の稲妻が爆風とともに彼女の支配下から脱した。
目の痛くなるような青色をした長髪が異様にゆっくりと波打つ。少女の直下の細い岩盤が砕け散る。数百年ぶりに吹いた風が崩した岩石は、稲妻が触れた瞬間に、この世から消え去った。抗うことのできない絶対的な滅失。事象に理由は介在しない。観念的な理解、自然、制限、不完全さなどといったものから解放された超越的な現象。
ただ、触れたものを消滅させる。
千年前から変わらない危険な事象の荒ぶり。
足場が消えても、少女は穴の直上に静止していた。
光輝を帯びて雨飛する稲妻は、少女の眼前に走る巨大な亀裂からあふれ出している。
──亀裂と稲妻。それはまるで空間に空いた穴と、圧倒的な質量を持ってこぼれる水の瀑布のようだった。
少女の操作によって、稲妻は空間に固定されていた。
目に見えぬ力場が、破滅の光の時を止めたかのように食い止めている。
「────────オナジチカラガ」
彼女は目を開いた。
「──────ドコカデアバレテル?」
青白く揺らぐ空間の亀裂は、穴の地下深くまで、空は高く雲を裂き大気を超え星々の領域にまで伸びている。遠くから見やればそれは、広漠たる砂の大平原に突き立つ蜃気楼の矢のように輝いていることだろう。
「────モウオサエラレナイ」
また力場が緩み、爆風が巻き起こった。稲妻が今度は二本解き放たれて、夜闇を切って走った。穴の外周に位置する砂丘に衝突する。白や青の超常的な火花を散らしながらそれは大地に拡散した。
少女がなんとかその稲妻を力場で囲み、抑えつけたときには、穴の面積は五倍に広がっていた。小国の首都が簡単におさまる直径。深さはもはや底知れない。少女はゆっくりと眼球だけを下に向けて、遠くにまで亀裂の神秘的な輝きが続いているのを確認した。
「──コレイジョウハ」
ゆっくり、ぎこちなく、口と舌を動かす。
そして息を漏らした。これだけ呼吸をしたのは久しぶりだった。
「────? ──ダレカクル」
それは驚きを表すために継がれた息。
「|ハカバノチカラヲモッタシンニュウシャ《墓場の力を持った侵入者》」
長髪の原色の青が傾けられた。
少女は苦しそうに、吐いた分だけ息を吸う。
「ナゼ、ハメツノチカラヲ」
消費を抑えながらも千年の間に目減りした酸素に顔を歪める。少女の身体はその機能をもうじき停止しようとしている。
彼女の長い生の最期に会う人間は、ファルマンでなければ、ヴァルデやベルクナーなどの最近見知った顔でもないらしかった。
「────アナタハダレ」
白金の美貌を持った少女が、目の前にゆっくりと姿を現した。
□□□□
エイリトニアの皇都から東へ突き進み、太く高い大樹の海を越えた先に、その砂漠は──「墓場」はある。
「異端審問」などとふざけたことを抜かすファルマンに《魔転書》と【神域】の合わせ技で連れ去られ、権力者どもの巣食う楼閣へとたどり着いた俺。
全裸で足をもつれさせながら逃げていったベルクナーとすでに見当たらなかったニルスを除き、全員を殺した。ファルマンもしかり。どうせあの中に本体はいなかっただろうが、生き延びた個体はいないはずだ。
遮蔽物の存在しないこの砂漠で、空を飛ぶ俺の視線から隠れるのは不可能である。真っ黒な燕尾服を着ているとなればなおさら。もしたとえ砂に潜り隠れようとしたとしても、結局、絨毯爆撃の餌食となることはまぬがれない。
とまぁ、殺し尽くしたことでそこは解決したわけである。彼らは異端審問と言いながら『天使』を利用する気満々だった。味方とするか、魔力源とするか。そんな皮算用を権力者たちはしていた。
教会はどうしてだか、魔力を執拗に追い求める。エメリーヌやスタニックにもその理由は分からないそうだ。
思い返せば、『呪い』の令嬢ラシェルとして本邸に呼び出され、大聖堂の人間に「飼い殺しにしてやる」と言われたことがあった。魔力を死ぬまで搾り取ってやるというお話だ。魔力測定で魔力値ゼロと分かり、退散していったが。レントシュミット公爵家から勘当されたあのときである。まだ半年と経っていないが、懐かしい。
俺は砂漠上空を飛翔しながら、取り留めもないことを考える。
【護光】がいるとのことで、見落としのないよう、速度を落として下を眺めながら飛んでいた。
「っ」
だから気がつかなかった。いや、たとえ前を見ていたとしても気づかなかったかもしれない。
俺は急停止した。
「……進めない」
そう、目に見えない壁でもあるかのように、はじき返されるのである。正体不明の不可視の障壁が、砂漠の奥に存在していた。
もしやこれは【護光】の力か。
「⋯⋯別の魔法具という線もありはしますが⋯⋯」
【護光】の神通力の詳細は不明なのだ。どちらとも断定はできない。
大森林と平行に、横ばいに進んでみる。壁は際限なく、どこまでも続いている。上方向、下方向も同様だ。透明の越えられない壁が確かにそこにあった。
さて、前へ進めない。
このようなとき、いったいどうすべきだろうか。
答えは簡単、破壊だ。
壁があるなら壊して通ればいい。
誰にでも分かる理屈だ。
俺は右腕をあげると、指先へ力を集中させ、砲撃を繰り出した。
◇
無理だった。
ダメだった。
割れない、溶けない、蒸発しない。まったくびくともしない。
「破壊不能……ですね。この壁は」
力を一割強消費しただけで、状況は進歩していなかった。だが分かったことがある。
神聖力という純粋な高エネルギーの塊をぶつけて、なぜ破壊ができないのか。それは破壊すべき実体を持たない壁だからだ。
俺はそんな結論にたどり着いていた。
ある一定の線を超えると、その空間自体が物質を磁石の同極同士であるかのように反発する。完全に阻む堅い壁があるわけではない。ただ物を押し返す、なんらかの力場が存在しているようなのだ。
見れば一目瞭然だ。
先ほど俺が撃ち込みまくった砲弾が、今も壁にめりこみながらゆっくりと前進している。
まるで鈍足な光だ。
光に近い速度で放たれるはずの神聖力の光線が、驚くべき低速でじりじりと力場の中を進んでいる。
こんなところに展開された力場の目的・用法は不明だが、とにかく何者かがこの先にいることは間違いない。流石に大自然の驚異とは思えない。人為的なものだろう。
ということで。
俺は全身をより強固な結界で覆い、より膨大な神聖力をまとわせる。やるべきは、最大馬力だ。
ここからさらに時間をかけていたら夜が明けてしまう。別に明けたって構わないが、せっかく学園へ復帰したというのにまた欠席とは──。
欠席過多で退学になっても困る。合法的に大聖堂と学園を包む大障壁の内側にいられなくなってしまうということであるし。
不可視の壁へ、俺は突っ込んだ。
全速前進。
力場の中を、全速で無理やりに押し進む。
「⋯⋯っ」
人が走る程度の速度は出せた。重い圧力のかかる空間の中、失速し威力を減退させていく砲撃を、すぐに追い抜く。
しばらく俺はスローな夜間飛行を余儀なくされる。
「…………」
これ、どこまで続くんだろうか。
往路の分だけ復路がある。かかる時間も、神聖力の消費も膨れ上がる一方である。
一度止まる。
試しに逆方向、大森林へ戻る方へ進んでみる。そちらはスムーズに……なんてことはなかった。やはり空間に反発される。上下移動も同様。なんとも厄介な場所だ。
思わずため息をついた。
やはりこの先に何かあると信じて進むしかない。
この中で戦闘するとなるとかなりの不自由を強いられることになりそうだが、しかしほかに選択肢もない。
「進み続けますか」
呟く。
──そのとき、俺はそれを「感じ」た。
確かな気配を。
ユノやベルクナーの「感知」ではない。
天使としての第六感、器の知覚、非実体の身としての──懐かしい感覚だ。
そして、鳥肌が立つ。
そんなはずはない。
どういうことだ。
俺は行く手にはっきりとそれを感じていた。
神聖力の息吹を。
天使の神性。
桃源郷となる世界を求める創造神が、赤色の天界・超越空間に生み出した天使の力。天使が天使である限り持つエネルギー。
俺以外の天使の力。
それもよく覚えのある──俺ラグナエルの上司、大天使ヘルゴエルの力の波動だ。無数にある世界のひとつ、この下界に俺を放り込んだ張本人。純白の髪を持つ美女。
なぜ、彼女がここに──。
目を凝らす。向かう先になにか青白い光がちらついた。黒、青、白、黄、赤、紫の入り乱れる混沌とした輝きの銀河。
砂漠の深奥に、揺らぐ巨大な空間の裂け目が広がっていた。




