76:天使の異端審問
ベルクナーは公然と『天使』を詐欺師と言い放った。
投じられた巨大な石が水面にいくつもの波紋を生じた。
「は、魔法具? そんなものを使っている素振りなんてなかったが……」
「新たな遺物級となれば、納得もいくぞ。だが噂では、天使は戦闘・治癒を両方こなし障壁も操ると聞く。未発見の遺物がそうゴロゴロと見つかるものなのか」
「そも、どう見ても魔法だったではないか! 指先から放たれて患者を治したのは確かに回復魔法の光! 奇跡、まさに神通力だ。おぉ、神々しいことこのうえなかったぞ。あれのどこが魔法具だというのだ!」
急展開に驚いたのは俺だけじゃないらしい。
神官も貴族も口々に疑問と意見を噴出させる。意外にも、ベルクナーを疑わしい目で見る者が多い。
「まず『感知』とはなんなのだ。信用に値するのか。離れた場にいる人間の魔力が感じられるなどと……戯言としか思えん」
「詐欺師はどちらなのだか」
「まったくだ。ベルクナーよ、よもや讒言ではあるまいな」
一度『天使』を認めた大貴族の当主を筆頭に【永生】ベルクナーは半ば責め立てられる形で問い詰められた。
「讒言ですか。私は『天使』の力が紛い物だと分かっているから言っているのです。本物であれば『詐欺師』などとは申しません。枢機卿たる私に、本物の『天使』を陥れる理由など一片もありはしない」
「そうかな? 滅し、癒し、守る。三種の神通力を『天使』は有するわけだ。枢機卿をさしおいて、自らに倍する寵愛を一身に受けた存在を、嫉視しているとか──」
ベルクナーはため息をついて言葉を遮った。
「程度の知れる発想だ。ほとほと呆れますね」
冷嘲の波動をはらんだ大貴族のひとりの言葉を、ベルクナーは真正面から受け止めた。ファルマンが背後でその大貴族の発言に失笑していることを示し、彼を鼻白ませる。
「なにがおかしい。当然の疑いだろう! だいたい貴様ら、前々から思っていたがな、偉大なるカアウラス神に対する畏怖と敬意に欠けるその態度はなんだ! 神通力を賜ったからと増長しているのではないか? 今日だって、教皇猊下の印が押された招集状を送ってきたが、猊下のお姿は見えないぞ? 私印偽造ではなかろうな、ファルマン、ベルクナー!」
同意の声が続々と上がる。
何もしていないのに勝手に場が紛糾しだした。愉快だ。
ふたりは直接は答えず、ベルクナーはおもむろにガラスの管が突き出た小箱を取り出した。
「では、お望みのようですから、まずは証明から始めましょうか」
あれは……魔力値測定器。
懐かしい器具だ。
「分体を」
ファルマンの横に前触れもなく人影が出現する。老紳士と瓜ふたつの彼は小箱を受け取って【神域】内に足を踏み入れた。つまらなさそうな顔をしながら歩いてくる。
「やぁ、どうも。詐欺師くん」
ベルクナーが「魔法具だ」と言いきって以来いかにも興ざめしたという風情の彼は、無遠慮に俺の手首をつかんだ。そして、むき身の小刀で白肌をなでた。天使の腕から赤い血が流れる。
管を押し当てて、直接小箱に流しこむ。ガラス管の下部に沈殿した銀の液体と血が混ざる。
何も起こらない。器具は沈黙していた。
「反応なしだ」
【神域】外でざわめきが起こる。
「ま、もう一度」
念押しとばかりに別の管にも血液を入れる。
だが結果は同じだった。装置に変化はない。
「うん、はぁ。完全なる魔力ゼロ。むしろちょっと珍しいくらいだよ。誤差だとは思うけど、魔力値0.00なんてね」
ラシェルの肉体から魔力は完全にしぼり出し、追い出して、その分神聖力を詰め込んであるからな。魔力を置いておく余白なんてもう一切残っていない。魂の器から駆逐し、血中にまぎれている魔力まで含めて一度根絶させると、それ以降はもう回復することもなかった。
ラシェルは永久に魔力なし個体だ。
「で、どう思うかな、皆さま方。考えをお聞かせ願いたいね。まだ『天使』の力を信じるかい?」
ファルマンは外界の権力者たちを振り返った。
「魔力なしだと……。でもだからといって神通力でないとは言えないのでは」
「いや、我ら皇国貴族に与えられた『魔力』こそカアウラス神のお力だぞ、神通力はその上位にある力。神通力は魔力を消費して行使するものだと聞いた……【断罪】のサリナスなどは、ヴァルデ殿から魔力を分け与えてもらって力を行使していたとか」
「では、本当に……?」
⋯⋯はぁ、これは。なかなかいい風向きだと思っていたのだが、どうやらここで望まぬ方向へ転換してしまったらしい。横着はできないか。苦節三年。これまでもそう都合よくは転がってこなかった事態だ。今晩くらい、俺に楽させてくれてもいいというのに。
「そう、『天使』の力は真っ赤なニセモノだ。神の子がごとく見せかけ、民たちに崇めさせながらその実態はなんと! 魔法具を使ってた。そうだよね」
ファルマンの分体は【神域】に合図を出して、外からティーポットを受け取った。ティーカップも一緒だ。受け皿はない。
なんだ? ここにきてなぜ茶?
「飲んでくれるかな、『天使』くん。茶葉も湯もなくてね、水で恐縮だけど。さッ」
三人の老紳士が俺に踊りかかる。俺は結界で彼らを阻むが──背後にいつの間にか立っていた四人目が、俺の全身へ大量の水をぶちまけた。咄嗟のことで老紳士をまとめて異空間内から全員消し飛ばす。
しかしすぐに新たな老紳士が【神域】の外から入ってくると、またそこから数人に増殖した。
「うーん、魔法具と知っていても、やはり命のやりとりは楽しいね。でももう、使えないはずだ。──《光大牢檻》」
俺の足元から光属性の魔力があふれ、牙の形をなして口を閉じた。『天使』の体はそれに喰われる。
手枷と足枷が金属音に似た響きでガチャリと四肢を固定し、俺は拘束される。両腕を真横に伸ばし、両脚は真下に閉じて動かせない。磔の姿勢だ。
もう魔法具は使えない──なるほど、まさか先のティーポットは皇国第四の遺物・《魔封茶》か。行方不明と聞いていたが⋯⋯。
「驚いたかな? 力が行使できないだろう。あと半日くらいの間、いかなる魔法具もきみの支配のもとから脱する。実質的な無効化状態さ。ってことで⋯⋯ふぅ、【神域】のタイムリミットも近いことだし、きみを外に出して、身体検査できみの扱う得体のしれない『遺物』を物色したいところだけど」
ファルマンは短刀を懐から取り出した。
老人たちがぞろぞろと、拘束された俺を取り囲む。
「それじゃお偉いさんたちは納得してくれなさそうでね。みんな怖がりだからさ。きみが本当に力を使えないって証明しないとね」
ファルマンは手に握った小刀を振り上げた。
先ほど手首を切るのに使った血塗れの刃が、鈍い輝きを放つ。
「えい」
突き刺す。深くはなく、表皮を浅くなでるような突き刺し方。しかし刺された場所は、左目だった。
「……っ」
眼球がえぐられる。
視界が赤く染まった。びちゃびちゃと液体があふれ出し、顎から首へと伝って、少女の衣服の内側へと流れ込む。眼球は青い床へと転がり落ちた。
「どうだい? 本気で自分を天使と信じてるのか、超人ぶって気持ちよく酔ってるのかは知らないけど、ずっと澄ました顔してたね。流石に泣きわめきたくなったかな?」
「…………や」
嗚咽が漏れる。呼吸が速くなる。
「や?」
『天使』の表情は苦痛と恐怖に歪められていた。両目から涙がしたたる。恥も外聞もなく、俺は心から懇願する。
「やめ、やめてくださ……い。お願いします……魔法具は、渡しますから、た、助け──」
嗜虐的な笑みが老紳士の口元に広がった。それが見たかったとばかりに彼は短刀をくるりと回し、分体から新たな刃を受け取って片手に持ち替えた。それを容赦なく、俺の腕に突き立てる。
絶叫。
むなしい懇請と苦痛への恨みが言葉となってほとばしり、老紳士を口汚く罵る。
「それが本性か。ようやく『天使さま』をやめてくれたかな」
短刀をさらに奥へねじ込む。
「大丈夫。ここには神官がたくさんいるからね。死なせはしないよ」
押し、引き、押し、引き。
肉が削がれ、骨が断たれる。血飛沫が青い壁紙に映えた。ドレス風の清楚なワンピースの袖とともに、左腕が切り落とされる。
確かな重みとともに、やわらかな音を立てて肉の塊が老紳士の黒い革靴を汚す。燕尾服はすでに噴き出す血に濡れて真っ赤だった。
「な、これは⋯⋯⋯⋯」
「うっ。おぇええ」
楼閣の一角に口を開ける空間の穴から、凄惨な光景を目の当たりにして多くの権力者たちは閉口していた。しかし興奮し、野次を飛ばす者もいる。
「いいぞ! もっとやれ!」
「腹だ! 内臓を引きずり出せ! 柄を突っ込んでやれ!」
血なまぐさい臭いは【神域】の内から外へ漏れ出すことはない。
「やめ⋯⋯うぐっ。やめて、やめてくださ──っ。あッあっ」
ただ、白金の髪をした美しい少女のうめきと悲鳴が、砂漠にこだましていた──。




