75:治癒と欺瞞
俺は静かに頷いた。
【神域】の青い壁紙に囲まれた空間に放り込まれた三人の患者が、俺の視界に入る。
「…………」
まず最初に目に入ったのは、魔暴病で寝たきりの老人。皮膚は紫黒色に変色し、息も絶え絶えだ。次に片腕と片足を失った元傭兵。傷口は腐り、悪臭を放っている。最後に、骸骨のように痩せ細った子供。劣悪な環境でかろうじて生きながらえてきたが、それも今日で限界を迎えたという風体。すでに半分死んでいるようにも見える。
砂漠の楼閣から、貴族や神官たちの嘲るような視線が降ってくる。
「早くやってみせろ『天使』とやら」
「神威を借る詐欺師じゃなかろうな。我らがカアウラス神の名を騙る罪は重いぞ」
ファルマンは悠然と微笑んだまま、俺の反応を待っている。
相変わらず何を考えているのか読み取れない奴だ。
俺はゆっくりと右手を掲げた。ラシェルの細い指先から、可視化された力、純白の光が溢れ出す。直接三人の患者へと光が伸びていく。
まず子供から。
淡い光が体を包むと、干からびた皮膚がみるみる膨らみ、頰に血色が戻っていく。骨が軋む音が聞こえるほど急速に肉が付き、乱れた呼吸が整う。数秒後、子供は目をぱちくりと開け、周りを見回した。
「……お腹、すかない……?」
子供の呟きに、楼閣の上からどよめきが上がった。
次に元傭兵。欠損した手足の断面から白い光が噴き出し、肉が盛り上がり、骨が再生し、皮膚が覆う。失われた部位が完全に元通りになるまで、時計の針の半周分も要さなかった。男は自分の手足を呆然と見つめ、震える声で何かを呟いた。
最後は魔暴病の老人。皇国でも悪名高い難病だ。魔力値の高い貴族ほどかかりやすい病だが、平民であっても体内の魔力が完全なるゼロというわけではないため、平民の間でも猛威を振るう。
回復魔法での治癒が不可能とされており、民間療法の方がよほど効果があると言われる。それゆえにこの病に限っては平民の方が生存率が高い。死亡率が十割から九割九分へ下がる程度のものだが。
「魔暴病が治るものか」
「いや、我々の下に加わるというのであれば、そのくらいのこと容易にこなしてみせねば、ねぇ」
「回復魔法のなんたるかを知らぬようだ、サイアン卿。怪我の回復にだって限界がある。こと病ともなれば、才や努力を示すための指標にはなりえんのだよ。『天使』だかなんだか知らないが、不可能な物事とは、どうやっても不可能であるがために『不可能』と呼ばれているということを──」
青い壁紙の世界の外で交わされる言葉を聞き流しながら、俺は老人の体に集中した。
光が触れた瞬間に紫黒の変色が引いていき、膿んだ目が澄み渡る。老人は上半身を起こし、深く息を吸い込んだ。
「ォ……お……神よ。かような奇跡を畏くも我が身に……」
かすれた言葉を吐き出して、患者はラシェルに向かってひれ伏した。五体投地せんばかりの勢い。
楼閣の上は騒然とした。
「…………よもやこんな」
「信じられぬ」
ファルマンが満足げに頷いた。
「いや、私も驚いたよ。ヴァルデくんの話はあながち間違いでも誇張でもなかったようだ。でもね……」
老紳士の言葉を貴族がさえぎった。
「素晴らしい……!! 彼女は単なる癒し手ではない。死にかけの者を蘇らせ、失われたものを取り戻させる。まさにカアウラス神の恩寵そのものじゃないか」
ひげの貴族が立ち上がり、興奮した様子で身を乗り出した。
「その通りだ! おい【神域】、もっと近くで見たい。力を解除しろ! 直接触れさせてくれ!」
「バカを言うな! 戦闘能力も強大なのだろう、万が一にも……」
「『天使』だと証明されたのだぞ、天使が神に忠実な我ら敬虔な信奉者に牙を剥くわけがない」
権力者たちはおのおの言いあった。
「神の使いだと、正気か? 確かに魔法の腕はそう見て間違いないほどだが、みなが想像する『天使』であるかどうまでは、まだ分からんのじゃないか」
「『天使』じゃないにしても、彼女の力、紛れもなく神通力ではないか。彼女もほかの枢機卿と同じように天から啓示を受け、力をその身に宿したわけだ。それで十分だろう。我々の心強い味方がひとり増えたのだ」
「なるほど! ふむ、確かに公のおっしゃるとおりだ。神通力とはカアウラス神の聖なる力。それを魂に宿す以上は、彼女がカアウラス神に認められし者であるという証左……!」
「おぉ、新たな枢機卿が生み出された、ということですな!」
……?
違和感のある物言いで話が進んでいる。
もしや、この場にいる権力者たちは神通力の真実を知らないのか。
「まぁ、皆さま方、一度落ち着いてほしい。確かに……ゴホン、彼女が新しい枢機卿の可能性もある」
ファルマンは曖昧に笑った。
「いや、あった。私はずっと、『天使』の力を価値あるものと信じて、彼女を追っていたわけだからね」
そこで表情を一変させる。いつでも楽しげに持ち上がっていた口角が、ぐにゃりと歪んだ。低い声が響く。
「ただ、残念ながら今晩──たった今、それは誤りだったことが判明した」
貴族と高位神官たちはそろって怪訝な顔をする。
「ファルマン殿?」
「どういう意味だね? 少し分かりかねるんだが……」
老紳士は不愉快を表す顔のまま、楼閣の柱の陰を手で指した。
「ベルクナーくんに彼女が回復魔法を使っているところを見てもらっていたんだ。彼には珍しい素質──【永生】の枢機卿として必須の素質、『感知』の才があってね」
年齢のわりに頑強な体つきをしている老人が、ローブの裾を引きずりながら現れた。メガネの奥の両眼に神経質そうな光を宿した、六十過ぎの男だ。
「おぉ、ベルクナー殿。おられたのか」「はて『感知』、聞いたこともないが……」
ユノの後見人。不老不死の「永遠に生きる」枢機卿。孤児時代に見た、村に滞在していた彼の姿から少しも外見は変わっていない。
【永生】のベルクナーはファルマンにうながされて権力者たちの前に歩みでた。
「断言しましょう。その小娘は魔法を使ってなどいません。魔力すら感じない。彼女はおそらく──これまでの常識をくつがえすほどの強力な魔法具を使い、奇跡を成り立たせている」
ベルクナーは呆れたように首を振った。
「まったく、とんでもない詐欺師ですよ」




