74:墓場と教会上層部
「あれ? どうして殿下がここに……?」
「おはよう、ユノさん。さて、僕はこれで失礼するよ」
先ほどまでの痴態ぶりを微塵も感じさせない動きで、皇子としての仮面を彼はかぶり直して、教室を出ていった。入れ違いにアルバンが現れる。冴えない赤毛の男は教壇に立つと時計を確認して、脇の椅子に座った。
「……アルバン先生、なんかちょっと疲れてるね」
「確かにそう見えますね。最近は魔物も多いですし、大変なのでしょう」
「それを言うなら……」
目線だけで『天使さまもでしょ』と語りかけてくるユノ。その通り、今晩も魔物狩りの予定が入っている。
大森林を越えた先にある「墓場」を目指す道中に、ちょうどまた異形の魔力生命体が大量発生しているのだという。魔物とは歴代【分霊】の枢機卿の分体の成れの果てではないか……というのが俺の推測。魔物体内には魔石という彼らの命の根源、言うなれば核のようなものが存在しているが、これが分身と同時に複製された【分霊】の神器──古代の遺物なのではないか、と睨んでいるのだ。
まぁ⋯⋯偽神カアウラスを追う以上、いつかは必ずファルマンと対峙する運命にある。そのときには、真実が分かることだろう。
□□□
「戦場と月夜はいつも良い! それぞれが独立して楽しいんだ、夜の戦場となればいっそう心躍るね。はじめまして、『天使』殿」
いつか……とは今晩のことだった。
「【神域】の居心地はどうかな」
まさか、とは言うまい。
教皇役のファルマンの言葉はまさしく罠──というかコレを想定しての誘導だったわけだ。
「大森林手前で魔物が暴れさせてからこんなにすぐ駆けつけるとは思ってなかったよ」
意識と記憶の共有はされていないと見えて、彼にしてみれば教皇の誘導で俺が来たとは思っていないようだが。
さて、ここは大森林に差しかかったあたり。昔俺が孤児として受肉した村の近くだ。「墓場」へ向かう途中、片手間に魔物を掃討していたところ、突然上空から人の雨が降ってきた。
言わずもがな、【分霊】ファルマンの雨である。
老紳士のひとり目は少年の人影とともに、緑の光に包まれて現れた。まるでニルスの【魔転書】のような転移。その時点ではまだたったひとりだった老人だが、まばたきを挟んだ次の瞬間にはもう、人影の数は数百にまで膨れ上がっていた。
「うぉおおおおお」
楽しげに叫びながら落ちてくる同じ顔の老人たち。
文字通り降って湧いた老紳士の群れを俺は当然、なぎ払った。太い光線を何本も夜空に突き立てて相当数のファルマンを消し飛ばす。撃ち、放ち、撃ち、放ち。膨大な神聖力のうち一割程度を湯水のように消費しただろうか。尋常ではない数の肉塊はそれでも増殖し続け落下してくるので、その際限のなさに辟易し、俺は一度その場から離れ、連鎖から抜け出すことを選択した。
それが罠だった。飛んで老人の雨を回避した先に、ぽっかりと巨大な異空間の入り口が開いて待っていたのだ。
気がついたときには時すでに遅し。
飛んで火に入る虫のごとく、俺は捕らえられた。
「ようやく会えて嬉しいよ。いや、光栄と言った方がいいかな。カアウラス神の使いを名乗っているようだからね。私も一応、聖職者だった」
そのまま連れて行かれたのはなんと、砂漠。
まさしく俺の向かおうとしていた「墓場」である。
【神域】に閉じ込められた『天使』の身柄は、「転移」によって移送された。異空間を展開したままヴェールをかぶった【神域】の枢機卿はある少年と手をつなぎ、ここまでひとっ飛びしたのだ。
その少年とは、なんとニルスであった。
紺色髪の、いつ見ても不健康そうな顔色をしている少年。第一皇女アリカと親しくしている、《魔転書》の持ち主。
確かに彼の家はシェヌ伯爵家。教皇派の家柄だが、ニルスは完全に皇帝派としてアリカを支えていくものと思っていた。
なぜ彼が今になって教皇派の神官たちと行動を共にしているのかは不思議だったが、『天使』はニルスとは面識がない。一度「天使殿!」と呼びかけられたのを無視したくらいの関係値だ。理由を聞くわけにもいかない。
それからヴェールをかぶった【神域】に関しては、この前確実に殺したはずであるが、目の前でこの通りピンピンしている。やはり彼はファルマンの分体なのだろう。
……とそんな流れで、なされるがまま、俺は砂漠のど真ん中に引きずり出されたというわけだ。
まぁ、経緯はどうでもいいのだ。
【神域】からの脱出は容易ではないだろう。意識のみであれば容易にラグナの身体に移せるし、俺自身が囚われているわけではないが、ラシェルの身体は外に出られる見込みがない。
困ってはいる。
困ってはいるが……。
危機的状況に追い込まれたように見えて、実際のところ、俺は現状を歓迎している。
むしろ、「やっとか」という感想。
「ほう、コレが噂の……」
「小娘じゃないか。貴族でもないのだろう。たまたま血の数滴が卑しい身に混入しただけの神官くずれが、何を『神の使徒』だバカバカしい。ファルマン殿、我々を謀ろうというのではないでしょうな」
「そうですぞ、味方とするか、魔力源とするかという話の前に、そもそも『天使』の力自体、眉唾だとわしは思ってるがね」
目の前にいるのは枢機卿より一段下の最高位神官だ。情報として彼らの顔と名は知っている。
「世界一神聖で、世界一安全なこの場所に、こんな得体のしれないヤツを招くなど……何を考えておるのだ、ファルマンよ。教皇猊下がお聞きになれば嘆かれるだろうよ。のう、歳で血迷っちまったかの。なんとか言ったらどうだ、えぇ?」
「落ち着いてください、ルボン公爵。見目は『天使』そのものですぞ。ファルマンとて枢機卿のひとり。確たる証拠と、そして我々の安全を完璧に保証する自信があって、彼女を連れてきたのでしょう。それより近くで見させてほしいものです」
そして彼らは教皇派の大貴族──と見える。
それぞれ十数人ずつ、砂漠に打ち立てられた杭を支柱とする楼閣の上で、豪奢な椅子に座っていた。
ひとりのひげを生やした貴族が、俺に近づく。
「……おぉ、なんと美しい…………カアウラス神の創り出された美、そのものです……」
俺は月下、砂漠で異空間に閉じ込められたまま晒し者である。
ファルマンが手を叩いて、権力者たちの注意を引いた。
「さて、皆さま方。さっそく話を……といきたいところだけど、ここはまず、彼女に実力を披露していただく必要がありそうだ」
これは長らく待ち望んだ状況のひとつだ。
『天使』活動それ自体、教会からの接触を待つという、受け身な戦略のひとつでもあったわけだからな。
能動的な戦略として、学園で退学を避けつつ、気長に神官剣士を目指しているのも、結局このような場へと正面きって足を踏み入れたかったからにほかならない。
大陸上でもっともカアウラス神について詳しいであろう教会の上層部が一堂に会する場へは、『天使』としての方がたどり着くのが早かったようだ。
ファルマンは咳払いをした。
「彼女──『天使』がどれだけ価値ある存在か、その価値の一端を確認するために、今日は重病人と怪我人を数人、連れてきてるんだ。彼女に今ここで、治してもらおう」
治癒の実演。断るつもりもないが、まず拉致された『天使』当人の意思を確認するところから始めてほしいものだ。
「あ、もちろん天使には【神域】の中で回復魔法を使ってもらう。彼女が外に出る手段は存在しない。皆さま方はご安心めされよ、というところだね」
ファルマンは紳士らしく気取った仕草で、彼らの顔を見渡した。分体が担架をかついで、神域の入り口まで運んでくる。権力者たちからは野次が飛んだ。
「寝たきりの魔暴病患者に、手足欠損の元傭兵、スラムで拾ってきた餓死寸前の子ども、か。治せるのか?」
「おい、こっちに近づけるなよ! 不潔がうつる」
「治せるわけがない。我々は神官の最上位に立つ者だ、ファルマン。我々に治せぬものが流れの魔法師に治せてたまるか。こちらの立つ瀬がないわ」
口々に好き勝手言う男たち。それを老紳士は鷹揚におさえた。
「大丈夫、私も同意見だよ。私も直接この目で治すところを見たわけじゃないからね。えーと、ヴァルデくんの話だと、カリカリに焼き上がったエメリーヌくんを蘇生したとかいう話だけど、ちゃんと疑ってるさ。戦闘能力にしたって……⋯⋯まぁゴチャゴチャしゃべくってたら夜が明けちゃうし、それはいいや」
ファルマンは分体に合図を出した。
青い壁紙に囲まれた空間に、病人が放り込まれる。
「じゃ、その哀れなやつら、治してくれるかな?」
いやな笑みを浮かべるファルマン。
「いや〜〜、きみからすれば何がなんだか分からないかもしれないけど……人々を救う『天使』さまがまさか、目の前で死にかけてる人間を見捨てるなんてことは、ないよね?」
墓場と名付けられた砂漠で、要人たちに囲まれながら、俺は静かに頷いた。




