73:久々の学園
『【護光】はどこにいる』
『大森林を超えた先。皇都から東に進んだ最果ての砂漠・「墓場」にいるよ。ゴホッ、ゴホッ』
どうせ答えないと思っていた問いかけに、教皇──ファルマンがあっさりと答えたことについて、俺も疑いを持っていないわけではない。
ファルマンは俺が【疾迅】や【神域】を容易く殺す力を有していることを知りながら、仲間の居場所を教えたのだ。怪しいことには怪しい。
しかしだからといって、せっかくの手がかりを取捨選択していられるほどの情報を俺は握っていない。偽神カアウラスも枢機卿も、敵に関する詳細は常に情報不足。捨てる情報などありはしないのである。
今晩、大森林の果てにあるという砂漠「墓場」とやらを目指してみるとするか。
「おい見ろよアレ……」
「げ、『呪い』……?! なんだよ、死んだって噂は嘘だったのかよ」
「オレは投獄されたって聞いてたぞ。拷問を受けて獄中死したって」
「しかし実際、よく生きてられるよなぁ……投獄されないのも不思議だけどよ、自害しようとしないのもおかしな話だぜ。オレだったら腹切ってるね」
本日は魔技武会から皇都に帰ってきて、久々に皇立学園へ登校している。朝イチで目立たない通路を選んで教室を目指したつもりだが、結局すれ違う者すれ違う者、全員こちらを振り返る。きれいな二度見、三度見。
ヴェールをかぶった黒髪の少女をジロジロと見ていく。
ちなみにこの顔隠しは特注のもので、顔の傷を隠すことに特化しており、布がそれなりに厚く、正直視界は最悪だ。顔の輪郭がかろうじて透けるというレベルの厚さで、視程を肉眼の数分の一にまで縮めてくる。冒険者シルヴェスタとして装着していた黒の仮面は、外套のフードも相まって視野を狭めてくるタイプの見づらさだったが、ヴェールは世界を白に染めてくるタイプの見づらさを使用者に強いてくる。
どちらがマシなのか、いい勝負である。
俺は教室へ到着し、後方窓際の端の席へ腰かけた。ベストポジションだ。
まだ誰もいない教室。
そこに扉を開けて、ひとりの少年が入ってくる。
「や、やぁラシェル──嬢」
名を呼び捨てしかけて、踏みとどまる体格のいい少年。皇族でありながら皇帝派から教皇派へと移籍した皇国の第二皇子、スタニックだ。
おさらいだが、彼が派閥を変えた理由は、いろいろ込み入っている。
皇都直下の地底で〈皇国貴族は罪人である〉〈カアウラスに祈りを捧げなければ世界は破滅する〉などと書かれた太古の壁画を目撃したスタニック(と現《総局》局長アルバン)。
アルバンは壁画を公表すべき、スタニックは隠匿すべき、とそれぞれ主張している間に、洞窟が崩落し壁画は失われてしまった。が、スタニックの前に「教皇」が現れる。
『私たち教皇派は今、世界を救おうとしている。方法は秘密。カアウラス神に祈りを捧げようとしている……とだけ言っておこうか。でも、皇帝は反対していてね』
『父上が?』
『そうさ。理由はなんと!』
ここで間を取る。芝居がかった動作をしているさまがありありと目に浮かぶ。⋯⋯人伝に聞いても非常にファルマンらしい。
『我が身可愛さだよ。まったく、困ったものだ。国より世界より、自分の命が大事だというのだから』
そして、皇帝のもとへ確かめに行くスタニック。
そこで教皇の言葉が真実だと知り、また父が民、国、世界より保身を優先しているという事実に失望した彼は、教皇派へと仰ぐ旗を変えることになった──。
とまぁ、そんな事情を持った第二皇子に朝の挨拶をする。
「おはようございます、スタニック殿下」
「久しぶりだね、ラシェル嬢。実はアドル……知り合いの付き添いで自治都市まで行っていたんだ。土産話、聞きたいかい?」
アドルフの名を出しかけて慌てて引っ込めるスタニック。彼も、ラシェルに対するアドルフの狂兄ぶりを知っているのだろう。ラシェルへの禁句を口にしたな。
「…………」
土産話など聞きたくないので、あえて黙ってみる。
「あ、あぁ……す」
スタニックは顔を青くした。みるみるうちに鍛え上げられた肩が震え始める。
「すっ……すまない!!」
ひざまずく勢いで彼は頭を下げた。いつもの爽やかさはどこへやら、面白いほどの取り乱しようだ。
「気が回らなかった。傷つける気はなかったんだ。……本当に……。き、きみの前で彼の話をするなんて……本当にすまなかった、ラシェル」
例の「キス」の【教化】後、彼の中ではラシェルは特別な人間となった。想い人、それも秘密を──本来何人にも明かしてはならない秘密を──共有する想い人。
将来を誓いあってなどはいないし、ラシェルが『呪い』の忌み子である以上恋人同士の関係を築くこともできないが、少なくとも、スタニックにとってラシェルは大切で特別な人間であった。
それ自体は特段、洗脳によって植えつけた感情ではない。【教化】は彼が元から抱いていた恋情を後押しして、「大切な相手なのだから、秘密を明かすべきだ」と認識させるために使用した。
まったく偶然の結果というか、俺の不注意によってヴェールがたまたまめくれたがために、彼はラシェルに惚れたのだ。彼自身は「きみのまっすぐな剣に惚れた」などと抜かしている。……なんだ、まっすぐな剣とは。
別邸の庭園でメイドに笑われながら、教本片手に独学で身につけた剣技だ。まっすぐ一撃で振りきる以上の動きを俺はそもそも習得していない。普通、剣技は流れるように技をつなげ、攻防を同時にこなしつつ、相手に合わせ柔軟に連撃を放つもの。
俺の剣がまっすぐな剣だとしたら、それはダメな剣である。一撃必殺を夢見る素人丸出しの剣だ。
……と理由はともかくとして、つまりスタニックは【教化】前からラシェルを好いていたわけだ。
スタニックに対する【教化】の影響は最小限。
それゆえに、認識や思考の歪みは最小限で済んでいる…………はずなのだが。
「悪かった、僕が悪かった、取り返しのつかないことだ、きみを傷つけてしまうなんて⋯⋯耐えきれない、僕は、あぁ、ダメだ、どうすれば。責任を取って、もう、死ぬしか……」
何がどう作用したらこうなるのか。
当人の気質か?
生まれ持っての性だったのか?
「僕はきみを不幸にしてしまう。闇の中でも強く美しいきみを不幸から救い出すなどと分不相応なことを決意しておいて、僕がラシェルを不幸に陥れてしまう」
親しくなって初めて知る一面もあるということを俺は学んだ。
「スタニック。私は怒っても、ましてや傷ついてもいませんよ。兄のことはもう、大丈夫です。乗り越えましたから。それより朝早いとはいえ、誰かが来てしまっては大変です。ほら、立ち上がって」
手を引っ張り上げ、無理矢理立たせる。
重い。本当に、十五歳とは思えない体つきをしている。
「だ、だがラシェル……無理をしていないか? ヴェールを少しでいいから、めくってみてくれ。もしきみが陰で傷ついていて、それに僕が気がつけていないようなことがあったら、なおさら僕は自分が許せなくなってしまう」
彼は教室の扉を見やった。人が入ってくる気配はまだない。
「……っ」
仕方ないので、万一にそなえて扉に背を向けながら顔を見せてやった。
「…………」
口を半開きにしてぽかんとする金髪の少年。
「……スタニック?」
「……この世のものとは思えないほどに……綺麗だ」
まぁ、ラシェルの外見が絶世の美少女という点には同意する。
俺の知っているなかでは第一皇女アリカやユノもかなりの美形だが、顔の造形の対称性、白皙の肌の張り、目元や鼻筋の加減などを総合的に見ると、ラシェルのそれはとても生身の人間とは思えない。とにかく整っている。俗な表現で、歴史にまれに見る傾国の美女というやつだ。傷跡さえなければ、迫害も多少はマシだったのではないかとも思える。
ただ俺が昼夜問わずに活動しているせいで、体の発育は三年前からあまり進歩がないのが、玉に瑕といえばそうかもしれない。
ラグナを蘇生したときのように肉体をいじれば、いろいろ改造もできはするだろう。今だって『天使』を演るときは髪色を黒から白金に変えたり、瞳の色加減を調整したりしているのだ。治癒のためにこの世界の人体に対する解像度はそれなりに高めているつもりだ。頑張れば、体型を多少盛るくらい……。
「⋯⋯」
……どうでもいい想像をしてしまった。
盛って、それがなんだという話だ。
「……綺麗だ……」
何度目か分からない呟きを漏らす第二皇子のことはおいておいて、そろそろ最初の講義が始まる時間だ。生徒も集まりだすだろう。
ヴェールを下ろす。
「殿下、ここは第五クラスの教室ですから、そろそろ第一クラスの方へ向かわれた方がよろしいかと──」
まさにそう言いかけたとき、扉が開いた。
両頬の横を流れるくすんだ金髪を揺らしながら、明るい声を弾けさせる少女が入り口から現れる。
「おはよーっ、ラシェルちゃん!」
ユノだ。




