72:天使の異端審問(前夜)
【疾迅】と【神域】の死体が煙のように消えるさまを多くの観客が目撃し、騒ぎになった。
さらわれた教皇は無事で、誘拐を実行した背信の優勝者には天誅がくだったと公表された。
「シルヴェスタ」は大罪人の名として知られ、大陸中にいた「シルヴェスタ」が改名を余儀なくされた。
そんな話題が国境から皇都に伝わり、巷間をにぎわせているこの頃。
そんなものは知らぬとばかりにひたすら大聖堂の図書室にこもる者がいた。学園と大聖堂を覆う大障壁の下で、さらに分厚い隔壁第六門の内にまで守られた、大聖堂地上第一層・高位神官用の書庫だ。
そこには魔法指南書や学術書が立ち並んでいる。
『算術盤の書』
『魂は蘇生されるか 回復魔法入門』
『《魔撃銃》独占の歴史』
『魔物の核・魔石:魔力生命体はどこから来たのか』
しばらく前に侵入者があり、地下第三層から地上第一層までがぶち抜かれたとき、部屋の大部分が光魔法によって蒸発してしまっていたのだが、幸運にも書庫の端にある書物は無事であった。
今は修復工事が行われ、隔壁並みに厚い天井が上層と下層を隔てるようになっている。代償として大聖堂内部の天井が全体的に少し低くなってしまったのだが。
「これも違う……これも……これも……。……っ! あった!」
銀髪の美少年が、本棚の陰で声を上げた。
「『遺物を読み解く:魔法具の稼働を一時的に停止させる《魔封茶》に関する実証的研究』」
神官向けの学術書の書名を読み上げる。それは彼が探していた、打ち切られた研究の記録であった。皇国の有する「遺物」認定を受けた魔法具は、以下の通り。
《魔撃銃》所有者:《特殊遺甲総局》、数180以上
《魔収杖》所有者:ヌル・ド・シェヌ、数1
《魔転書》所有者:ニルス・ド・シェヌ、数1
《魔封茶》所有者:不明、数1
《魔封茶》は元々ここ十数年の内に発見され、研究が進められていたのだが、あるとき貴族街にあった研究所に賊が押し入り、それを盗み出して闇市へ売り飛ばしてしまったのだ。
研究対象を失った以上、実験や検証は凍結。その時点で判明していた能力の特性などをこの書物にまとめられ、以降何年も放置。もはや《魔封茶》が日の目を見ることはないかと思われた。
しかし数日前、固まった状況が動き出す。
ある少年が、あるティーポットを古物商から購入した。魔法の才もさることながら勉学にも秀でていた彼は、それがかの遺物・《魔封茶》ではないかと見抜いたのである。
少年の名はゲルト・ド・レントシュミット。
レントシュミット公爵家長子アドルフの義弟、そして『呪い』ラシェルの元・義弟である。
彼は書物と照らし合わせ、正真正銘それがティーポット型魔法具・《魔封茶》であることを確認した。
ゲルトは歓喜した。
オレの名は喪失した遺物の再発見者として、魔法具技術発展の陰の功労者、貢献者として魔法具学会に刻まれた。紛れもなく歴史を動かしたぞ──と。それほどに皇国にとって古代の『遺物』は重要なものであった。
そしてまた、それと同等以上に大きな関心事として、彼はこの《魔封茶》の使い道を考えつき、その実現に熱意を燃やしていたのである。
(はっ……至近の機構魔力回路を焼き切る液体を精製するティーポット。洒落てんなぁ。これがありゃあ、あのクソも……)
《魔封茶》は魔法具の起動を阻害する遺物である。
ゲルトは大聖堂の書庫を飛び出し、馬車に乗って公爵家本邸へと急ぎ戻った。
「親父!」
レントシュミット公爵の執務室の扉を開ける。
「オレの目に狂いはなかったぜ。これは《魔封茶》だ」
「おお! さすがは我が息子! やるではないか!」
公爵は肥った腹を大きく揺らして立ち上がった。
「世紀の大手柄だぞ、ゲルト。さっそく学園へ報告するか?」
「あぁ。そんとき、効果検証のために学園の演習試験にその《魔封茶》を利用することを提案させてもらうぜ。学園長に拒む理由はないからな、すぐ通る。となりゃあ……」
「あの忌々しい『呪い』の不正を暴き、公に退学へ追い込めるというわけだな、ゲルト。ガハハ、面白くなってきたではないか。……ふん、あの小娘め、障壁を剣一振りで二十枚割ったのだったか? いくらなんでもやりすぎだわい」
「まったくだぜ、あんなの誰が見ても魔法具の不正と分かるものを、判断する手段がないからと野放しにされていた。最近アイツは学園を休んでるみてぇだが……今から次の試験でラシェルが恥かいて泣いてオレの靴を舐めるときが楽しみだ」
「ガハハハハ、目に浮かぶ、目に浮かぶ」
品のない笑いを響かせる親子。
そんな執務室の扉が、勢いよくノックされる。
「ガハハ…………なんだ。何事だ?」
機嫌を少々損ねながらも、レントシュミット公は入室を許可した。額に玉の汗を流した執事が、声をうわずらせた。
「閣下、その、猊下がお見えです」
「はぁ? 猊下というと、どの猊下だ?」
「私だよ」
執事の背後から、楽しげに老紳士が顔を出した。
「悪いけど、それ、貰いにきたんだ。あ、ちなみに拒否権はないよ」
遺物を指さす老人。
喜びに染まっていたゲルトの表情がピシリと音を立てて固まった。
□□□
エイリトニア皇国皇都の中央には大聖堂と皇立学園、南部には断崖とはるか下に海、そして国境へと繋がる街道に面した北部──つまり皇都に入ってすぐの正面に、皇城が位置している。
第二十八代皇帝のおわす政の中心であり、近衛部隊・《皇帝の天盾》と治安維持部隊・《特殊遺甲総局》の本拠であり、そしてなんといっても皇帝派の勢力圏。皇族の住まう保守の牙城である。
「う、うぅ……」
ニルスは医師が出ていったばかりの部屋で、寝床に臥した少女の手を握っていた。透き通った金髪が丁寧に編み込まれた頭が、もぞもぞと動く。
「目を覚ましたか」
「あれ、ここは……」
「城だ。オレが誰だか分かるか? 賊に斬られて、姫さんは半日寝込んでいたんだ」
不健康な青白い肌をした紺色髪の少年は、片手に持っていた本をパタンと閉じて、ぶっきらぼうに言った。
「傷は非常に浅かったそうだ。回復魔法さえかければ今すぐにでも動ける。跡も残ることはない、とのことだ。幸運だったな」
「ふぅん……そう」
アリカはまだ眠そうな目ではっきりしない返事をした。皇女の私室に沈黙が舞い降りる。
「まだしばらく寝てるか? 顔色も悪くないし、その分なら大丈夫だろう。オレはもう外に出ておくから」
「待って」
立ち上がりかけたニルスの手を、アリカは引いた。
「どうした」
「どうしたじゃないわよ。どうして私の手を握ってるのかしら? 侵入者さん」
「侵入者だと? バカ言うな、今日は転移じゃなく、正当な手段を踏んでわざわざ姫さんの様子を見にだな……」
ニルスの腕が強く前へ引かれ、彼の体はベッドの上へ引き寄せられた。バランスを崩して、横になったままの皇女の上へ覆いかぶさる。
「誤魔化さないで」
ニルスは何を、と言いかけて喉の奥に言葉を呑み込んだ。
少女の顔が目と鼻の先の距離にあった。お互いの息がかかり、心臓の鼓動も聞こえそうな距離。上等なシーツに繋いだままの手が沈み込む。
窓には白いカーテンが揺れており、扉は固く閉まっている。部屋には少年と皇女のふたりきり。
水差しの中で氷が滑り、崩れ、音を立てた。
アリカの長い金の睫毛が、赤い宝石の瞳にかかる。少女の白い瞼がそっと閉じられた。
「…………」
静寂。
体の上の重みがフッと消える。
再び目を開けたとき、ニルスの姿は部屋のどこにもなかった。
「ふん、皮肉も冗談も言えずに逃げるなんて、笑っちゃうわね」
ゆっくり上体を起こす。包帯を外すと確かに傷はない。怪我をした経緯はどんなものだっただろうか。彼女は寝起きで鈍い頭を働かせて、魔技武会の記憶を掘り起こす。
「……そうだわ。私は負けたんだったわね。非魔法師に」
そして声が翳る。
「…………ふふ」
しかしアリカはふと、今ごろ紺色髪の少年が動揺しているさまを想像した。皇女は自分の唇を軽く押さえた。小さく笑みがこぼれ、そして、わずかながら気持ちが晴れてゆくのが分かった。
「くじけてても仕方ないわね。お兄様のためにも、強くあらねば。それが皇族の責務なのだから」
アリカはベッドから降り、力強く立ち上がった。
□□□□
終わりなき廊下。目が痛くなるほど真っ青な空色に染まった壁紙の、時空の狭間に《魔転書》を持った少年はいた。
「……バカげてるな」
「バカげててもやるんだよ、ニルスくん。それが契約だ。きみはきみの役目を果たさなくちゃならない」
ニルスは老紳士と相対し、壁紙と同じ青色の椅子に座っていた。テーブルの上には湯気を立てるカップが三つ置かれている。
老紳士の背後に立った小柄な男が杖をかざすと、角砂糖がどこからともなく現れ、たたえられた液体に波を立てた。ヌル・ド・シェヌ。収納の遺物・《魔収杖》を操るシェヌ伯爵家の当主である。
シェヌ家は代々、教皇派の家柄であった。
「ニルス。猊下の期待を裏切るのか。お前に《魔転書》を与え、皇帝派の皇女と親しくするのを黙認し、野放しにしてやっていたのも、猊下のご厚情あってのものだ。もし裏切るというのなら、お前などこの場で──」
父が息子を、息子を見る目とは思えない眼光で見咎める。
「まぁまぁ、落ち着いてくれたまえシェヌ卿。《魔転書》を扱えるのはニルスくんだけだからね。【疾迅】や【神域】、【断罪】なんかは比較的人材の代替がきくけど、《魔転書》は皇国史上でも数人しか動かせなかった。うん、ニルスくんの存在は我々にとって必須なんだ」
ファルマンは懐中時計を弄びながら声を低めた。
「最近【断罪】が壊れてしまったことだし、新たに【転移】の枢機卿の席を用意してやってもいい。だから、計画を漏らしたりしちゃ、ダメだよ?」
青色の廊下を照らす照明がチカチカと明滅した。間断なく鳴り響いていたわずらわしい雑音が音の調子を外して、不気味に歪み始めた。
「まぁ明かしたところで信じる人間なんていやしないだろうけど。もし万が一計画に支障が出るようなことがあれば……第一皇女も生贄の仲間入りを果たすことになる」
廊下の壁がどろどろと溶ける。照明の雑音はもはやサイレンのように甲高いものへと変化していた。
「……分かっている」
ニルスは奇妙な異空間で、隈の濃い目を見開いた。そこに宿っているのは決意。そして諦観だった。
「よろしい」
ファルマンは満足気に懐中時計をポケットにしまった。熱い液体を口に含む。
「うん、紅茶にブランデーが足りない。いや、違うな。ブランデーに紅茶が多すぎる」
「……猊下、そろそろ【神域】が持ちません」
ヌル・ド・シェヌは、刻一刻と歪む異空間で平然とくつろぐ老紳士に進言した。
「もう? やっぱり私の分体には荷が重いなぁ。こういうのは才能だからね。空間系は得意じゃないみたいだ」
なかなか、神通力に耐えうる枢機卿候補を見つけるのは大変である。そういえば【永生】のベルクナーは辺境の村で後継者を見つけたと言っていたっけ。皇都にこだわらず、人材の発掘のためには広く大陸へ足を広げるべきなのかもしれない──と老紳士は思案する。
「⋯⋯まぁ、それはそれとして、ニルスくんにはまず別件で、一働きしてもらおうか。──異端審問がやりたくてね。檻は用意してあるんだけど、追い込む役が必要だからさ」
ファルマンはニルスの肩を叩いた。
「きみのお姫さまもご執心のアレだよ。捕まえてほしいんだ」
そう──と一度言葉をきる。
「『天使』をね」




