69:激震
三人の老人が姿を現した。
右が【疾迅】、左が【神域】。いずれもヴェールをかぶっている。
そして中央のもっとも痩せた老人が「教皇」。カアウラス神教における聖職者の頂点である。
ニルスは横目でひっそりと、隣の皇女の様子をうかがった。
「…………」
ピクリとも動かない、アルカイックスマイル。氷漬けにされた外ゆきの微笑が表彰式の壇上を向いている。
(……だいぶ無理してるな、姫さん)
ニルスには、皇国に帰ってからの評語が気がかりだった。アドルフは初戦敗退とはいえ、強力な魔法具を使用する優勝者に負けている。対してアリカは、魔法具を使わない非魔法師に負けた。準決勝まで勝ち進んではいるが、民の間でアリカの話題に軽微ながらも負の属性がつきまとうのは避けようがない。
(皇帝派と教皇派、双方戦績が振るわず痛み分け……冒険者の大会にわざわざ出張って、民草の皇国貴族・魔力信仰に自らヒビを入れるだけの結果に終わるとは。剣豪も強敵だったが、やはり一番のイレギュラーは……)
「冒険者シルヴェスタ、前へ!」
外套の人物。予選第七部の終了直後、転移してきたニルスにぶつかってしまった冒険者だ。抱き合うような姿勢で衝突したあのとき、彼は「シルヴェスタ」のひとり言を耳にしていた。
『──れなりの集団です。自治都市のなかでも交易……へ移動して聞き込……続けてください──』
ひとり言にしては妙な内容を口走っていた気もするが、はっきりとは覚えていない。
顔、体格から手先にいたるまで仮面や手袋で覆い隠した異様な姿からは想像のつかない、ずいぶんと可憐な声に驚いたからだ。触れた体はやわらかく、明らかに少女のそれだった。
(まさか彼女が優勝するとは思いもしなかった。魔法具だけで決勝まで勝ち上がるというのもそうだが、最後の最後に見せた剣の一撃もすさまじかった。空中に投げ出された体勢のまま、筋肉質な剣士ひとりを斬って吹き飛ばす実力を隠し持っていたんだから、強く文句も言えない。賭博は大荒れだったらしいな。姫さん、アドルフ、剣豪テレサの三つ巴とばかり思われていたから……)
ニルスは隣に座るアリカを気にかけ、思いを巡らせつつ、その隈の多い不健康そうな目を石舞台上に向けた。
「──以上、自治領主による魔技武会記章の授与を終了します。最後となりますが、優勝者シルヴェスタには、来賓・カアウラス神教会教皇猊下より御託宣がございます。……できれば仮面をお外しください」
シルヴェスタが首を振って、司会の言葉を拒否するのが見えた。かわりに、あるいはせめてもと言いたげにシルヴェスタは外套を脱ぎ捨てる。
(……?)
黒地に銀の装飾があしらわれた仮面が日の下にさらされた。無造作にかき回された黒色の短髪。手袋をはめた長い手足。肌は変わらず見えないが、背格好がはっきりする。
観客はようやくあらわになった優勝者のわずかな露出に沸いた。
そしてニルスは目を疑った。
(待て、明らかに少女の骨格ではないぞ……。予選のときとは別人じゃないか)
無論、客席と石舞台とは距離に開きがあるものの、それでも性差くらいは見てとれる。ニルスは混乱した。取りあえず呼吸を落ち着けて、冷静に壇上を注視する。
「貴様、畏くも猊下より優諚および親授を賜る身にありながら、不敬であるぞ! その仮面を外さんか!」
ものも言わず脇に控えるヴェールの枢機卿ふたりに代わって、腹のたるんだ神官服の男、総大司教がシルヴェスタを叱ったが、ある人物が鷹揚に手で制する。
「よい。彼は神官ではない。信徒はいかな被服にあろうとも信徒である。冒険者には冒険者の礼装があろう」
石舞台上に切りとられた異空間、青の壁紙がどこまでも続く【神域】の廊下からゆらりと進み出たのは、枯れ枝のように痩せ細った教皇、その人であった。
総大司教はそれに不満をにじませることも悔しそうにすることもなく、感激したような顔をつくって、黒髪の青年に頭を下げた。
「申し訳ない、シルヴェスタ殿。私が間違っていた。我が非礼をここに、深く詫びさせてくれ」
相手が仮面をつけているならつけているで、さっそく教皇の度量と清廉潔白な心根のアピールに利用しているようだ、とニルスは分析しながらも、シルヴェスタから目を離さない。
(予選、本戦、表彰のいずれかで人が入れ替わっている。なんだかきな臭い話だ。意図した替え玉か?)
元より冒険者の身分確認は大雑把なもの。連盟のしくルールに対する悪質性がなければ、強さ以外の要素に冒険者連盟が関知することはない。
その冒険者が犯罪者だろうがテロリストだろうが、捕らえて国に突き出したり、ましてや独自に裁いたり、あるいはしいて匿ったりもしない。それが冒険者連盟の──国家から独立した「自治都市」のあり方であった。
(王侯貴族や目立ちたがりが名と顔を売りたいがために替え玉をするというのなら分かる。しかし、肝心の売る名は家名や異名でもなく、平民にとっても平凡な「シルヴェスタ」という名。顔に至ってはさらす気もない。この線で考えると、あちらさんの狙いは全く読めんな)
すると真実味を帯び始めるのは、これが「意図した替え玉ではない」という可能性。
(不本意な成り代わりか。今日この時間までに優勝者の寝首をかいて、仮面と外套を奪い、表彰台に立った。栄誉も賞金も思うがままだ)
ニルスはそう考えついたが、考えついたところでできることは何もない。そのすべてが、証明不可能な想像であるからだった。
それでも、いつものように彼女の肩を叩く。皇女である彼女に、気がついたことはなんであっても共有しておく。なにがどう巡り巡って彼女の役に立つかは分からない。自分の役目は姫のために判断材料を提供しておくこと。それが彼女を守ることに繋がるとニルスは考えていた。
「……なにかしら、ニルス」
覇気のない返答。
王国の剣士に敗れたことによって陥っている彼女の不調は百も承知で、ニルスは推測を語る。今後、今壇上にいる青年が優勝者という名を使って皇女に近づいてくることがあっても、彼は剣豪に打ち勝った「シルヴェスタ」ではない可能性がある……ということを。
「それは……あなたが言うのなら、少なくとも警戒には値するわ。目的は何であれ、『シルヴェスタ』の中身が入れ替わっていることは確かなのね?」
「あぁ、あくまでもオレ一個人の記憶に基づく勝手な推論ではあるが。根拠はないし絶対もない。ただ、名の知れた魔技武会優勝者という肩書きが横取りされている線は濃厚だと思う──」
「……? なによ?」
人いきれに混じるどよめきの粒子を感じ取って、ニルスは言葉を止める。
視線は一点に吸い寄せられていた。
石舞台上の優勝者が、教皇を前にして、短剣を取り出している。
「ん?」
アリカも異変に気がつき、壇上に目を凝らした。
宙を浮く五つの刃。
教皇の前で技でも披露するのか。
危機感を欠いた感想を、理性が上書きする。
まさか、と瞬時に脳裏にひらめいた別の可能性。
成り代わりの目的。
短剣はまず、【疾迅】の老人を斬り刻んだ。ヴェールを鮮血が染める。【疾迅】の名が示す通り、その身に宿す神通力によって超速度でかわそうとしたのか、老人がわずかに身をよじるのは見て取れたが、しかし彼はすぐ不自然に動きを止め、首を斬られた。
観客たちから悲鳴があがる。
【神域】の方も、一瞬だった。
相方のヴェールの老人の体がぐらりと傾き、倒れるか倒れないかのうちに、すでに【神域】の首も空をとんでいた。
仮面の青年は教皇に向けて駆け出した。
総大司教がその間に躍り出て教皇をかばう。肥満体型の男は魔法の詠唱を試みたが、魔力は実を得ることなく霧散した。彼の首もとぶ。
和やかな雰囲気から一転、野ざらしの舞台は地獄の様相へと早変わりしていた。人々は混乱し、動揺している。
「姫さん──」
「えぇ、派閥は関係ないわ。助けに行くわよ」
アリカはニルスの手をとった。ふたりは教皇の前へ転移する。
「おぉ、皇女殿下」
鷹揚、というよりもはや能天気に聞こえる反応を示す教皇の手を、ニルスが握った。
「すぐ戻る!」
アリカが仮面の男の前に立ちはだかるのを確認しながら、ニルスは叫ぶ──が。
皇女の身体から血飛沫があがるのを見て、ニルスは硬直する。
「────」
それは一秒とも百秒ともつかない時間の流れ。
糸が切れたように崩れるアリカ。
「────」
次に気がついたときには、仮面の男はニルスの横にいた。短剣の一本が教皇の手首を切断し、ニルスと教皇は切り離される。転移の隙を逃したと思考の端で理解しながら、しかしニルスは血溜まりに倒れゆく皇女から目を離せなかった。
「捕らえろ!!!!」
護衛の神官が舞台上へ駆け上ってくるのを男は一瞥して、教皇を抱きかかえた。
彼は腰を落とし膝をしなやかに曲げ──跳ぶ。
「なっ……!?」「高──っ」
神官の頭上を越えた先にあるのは観客席。軽々と男は着地した。唖然と立ち往生する神官たちを、別の神官が叱咤する。
「止まるなッ!! 追え、なんとしても猊下をお助けしろ!!」
そうは言っても神官たちは客席まで跳躍することもできず、階段へ走る。その間にも男は誘拐を続行していた。観客たちは当然、教皇をかかえ短剣を操る男から、恐慌に陥りながら逃げ惑う。自然とあいた道を仮面の男は駆ける。
神官は大きく遅れながら、その背を必死に追った。
「待て! 貴様ッ、止まれ!」「おい、あの先は──」
魔技武会会場。
それは岩山をくり抜いて作られた冒険者連盟本部の屋上に造られた野ざらしの場だ。三十階層にもおよぶ大陸有数の高層建築の頂上に、観客席が中央の石舞台を取り囲むように配され、屋上の端には低い柵が設けられている。
その柵を、男は蹴破った。
先にあるのは、低い雲がうっすらとかかる青空。
「は……!? 待て、まさか──!?」
最悪の想定は、最悪の現実となって実を結んだ。
男は教皇とともに、宙へ身を投げた。
重力に引かれ、ふたりの人間が下方向へと消える。
神官たちから声にならない悲鳴があがる。
「猊下!! 猊下ーーーッ!!」
柵から乗り出して眼下を見る。
背筋が凍るほどの高所。地上は雲に隠されてかすみ、なんらの人工物をも認めることはできない。そこにはただ、白い雲海がうすく広がっているのみ。
その日。【疾迅】、【神域】の枢機卿二名が死亡。教皇は連れ去られたとの報が、皇国・王国のみならず大陸中を揺るがした。




