68:また別の曇り空
「あはは⋯⋯会いたかったよ、ラグナエル。ずっと⋯⋯ずっと、ずっと、ずっと」
「…………!?」
なぜ彼女がここに──!?
……迂闊だった。
いや、そうか? 迂闊なのではない。限りなく低い可能性、普通なら考慮に値しない、数少ない不運のカードを引き当ててしまったのだ。
ラグナの素顔を知っている人間が、確かにこの世界にはまだ居た。ユノ、ユノの呑んだくれの父親、ユノの暮らしていた村の村人。広い大陸にこれだけだ。村から遠く離れた自治都市の巨大な建物の、人気のない廊下で、よりによってそのうちのひとりに目撃されるなんて思わないだろう。
「ぁ……ラグナエルの匂いだ……ラグナエル、ラグナエル、ラグナエル、ラグナエル……生きてる……あったかい……」
というか、なんだ。本当にユノか?
尋常じゃない様子だ。
別れたはずのスタニックも思わず足を止めてこちらを見つめている。それほどに少女の様子は明らかに異常なのだ。
「ラグナエル……」
熱い息がピンクの唇から漏れた。
灰色の石壁に影が揺れた。
「もう、離さないから……ね」
ユノは俺の顔を両手でつつみながら、覗きこんだ。鼻と鼻が触れあいそうな距離。透き通った碧い瞳からつっと雫が伝って、俺の頬に落ちる。
それに目を覚ましたように少女はパッと離れた。
「あっ、あれ!? わ、わたし何を……」
さて、どうする。
人違いだと否定する手もある。
「身体が勝手に、思わず……と、というかわたしラグナエルのこと押し倒して……あ、あははは……恥ずかしい……」
こうまで確信されていては、無理がすぎるか。
いやだが、彼はラグナエルの墓まで掘って自らの手で葬っている。そして【教化】まで施しているのだ。そう、『ラグナエルは死んだ』──だったか。瓜二つの別人だと強弁すればいい。
「でも、ラグナエルは生きてるって信じてたから。ずっと」
「……?」
どういう意味だ。
「『感じる』の。あの……ラシェ──じゃなくて、天使さまと一緒に何かしているんでしょ?」
ユノはスタニックの方をチラリと見てから言い直した。
知らないはずのことを知っている。
もうわけがわからない。
「取りあえず、場所を移動するか」
でも知っている以上は仕方がない。だって知っているんだもの。
「久しぶりだな、ユノ」
□□□
「ん……エメリーヌの名前はエメリーヌ。【教化】の枢機卿をやってる。よろしく、ユノ」
「こちらこそ、新参者だけど……えっと、エメリーヌちゃんって呼んでいいかな?」
「ん、構わない」
『感知』──まさか神聖力をおぼろげにではありながらも、感じとれる人間がいるとは……。考えもしなかった。どうやら割と最初からラグナエルの生存については信じていたらしい。びっくりである。
そのうえラシェルとラグナエルが同一人物であるとまで見抜いていた時期もあるというのだから、もう驚く以外にすることがない。さすがにこの場でラグナエルとラシェルがふたり同時に存在して動いているのを見て、その疑いは完全に消えたようだが。
『天使』はエメリーヌと合流するためにこの国境付近で三日ほど暴れていたわけだが、ユノはそれに釣られてやってきたのだという。いわく、ラグナエルが行動を共にしているかもしれないと思った、と。
そしてニルスの「天使は通信魔法具で近くの『仲間』と会話している」という推測をリテレーゼ……とかいう剣豪テレサの妹経由で知ったことも決定的だったそうだ。
魔物討伐終了直後、彼が突然上空に転移してきたときのことを思い出す。そうか、あのとき通信を聞かれていたのか。《魔転書》の厄介さがよく分かる。
自治都市の宿屋の一室で考えこんでいた俺。
その横で女子ふたりがこそこそとなにか話していた。
「あの……エメリーヌちゃんとラグナエルって……その」
「ん、ないない。なにもない。安心して」
「じゃあ、ラシェルちゃんとラグナエルは……」
「それは……エメリーヌにも分からない。直接聞いてみるといい。ん、それがはやい」
ラシェル?
操作が面倒になるので今は自治都市上空に浮かしたまま放置しているが。
「どうした、ラシェルになにか用か」
「呼び捨て……じゃなくて、あの、ラグナエル」
ユノはつんつんと両手の人差し指を合わせ、くるくると回した。
「聞きたいことがあってね、答えたくなかったら答えなくていいんだけど、その、ラシェルちゃんとは、どういう関係なのかなーって。あ、その変な意味じゃなくてね、どういう経緯で一緒に活動してるんだろうっていうかそれによってどれくらいふたりは仲良くなってるんだろうっていうか三年もあったわけだしなにかその関係性が特別な形に発展してたりしないのかなって」
手遊びしたままなにか早口で喋る少女。
「ラシェルと俺の関係?」
「また呼び捨て……」
変なところを気にするユノ。
それはともかく、同一人物であると話すか否か。些細なようで、実際些細な問題である。
そもそも別人のフリというのは、エメリーヌとの初対面の夜、【分霊】ファルマンに襲われた晩から惰性で続いているロールプレイングだ。ラシェルとラグナで会話させてひとり二役をやったり、『ラシェル』モードのときはエメリーヌの前では今でも敬語を使ったりしている。元暗殺者の手下に対しては素の口調で話してるクセにな。
それを今さら同一人物でした……と告白することに問題があるわけじゃない。
ただ、周囲に別人物だと思われている、というのは案外強力なカードだ。いつ、どのように生きてくるかは分からない切り札。伏せる分には損はない。せいぜい軽く取り繕う手間が出るくらいのもの。
いずれ明かすにしても、今は取りあえず、ほのめかしつつ濁しておくのがいいか。
何かしらのための布石というやつである。
……問題の先送りではなく、布石だ。
「ラシェルと俺の関係は──そうだな」
ユノは結構、勘が鋭い。一度自力で気づいているのだ、またそのうち答えにたどり着くかもという興味もある。
俺はユノの目をまっすぐ見すえた。
「たとえるなら、一心同体のパートナーだな」




