6:アレは無能
エイリトニア皇国皇都。
南に断崖と海、東には大森林を擁する天然の要害である。大国かつ宗教国家である皇国の皇都は、大陸有数の大都市として発展していた。
皇城がそびえ貴族街がそれを取り巻く正面部は、皇都へ続く街道からも見ることができる巨大な不夜城として世に広く知られる。
城を抜けた都市の中心には、カアウラス神教の総本山がある。断崖へせまる都市の城壁と皇城の間に、皇立学園と隣り合うように佇んでいるのが「大聖堂」。
その歴史は都より古く、皇城より先に建てられ、周辺に集うように都市は建設されたとされる。荘厳で巨大な建築物。
その、大聖堂地下。
陽射しがふりそそぎ、人々が行き交う活気あふれる皇都の直下。
地中奥深くに、洞窟は広がっていた。
太古、この地を包んでいた熔岩は《《神の手によって》》消え去った。大地が冷えていく過程で岩は収縮し、細かくひび割れ、無数の裂罅を生んだ。
自然は、網目のように張り巡らされた複雑な迷路を作りだしたのである。赤い岩壁の隔てるそこには、歴史の波にのまれ消えていった古代の残骸が散らばっていた。
そしていま現在、地底の存在を知るのは、教会中枢の一部の者のみである。
「遅かったではありませんか、ベルクナー猊下」
「……近くの街で時間を取られまして。将来有望な駒を見つけたもので、魔法指南をしていたのです」
無作為に伸びる洞窟の一本を、二人の人間が歩いていた。
「ほう、猊下自ら手ほどきを⋯⋯」
それは老人と肥った男だった。二人は迷路を下っていき、ひらけた空間へとたどり着く。湿った空気の淀む、陰気な大広間だった。
「猊下が『ストック』にしないとは珍しい。相当に優秀な人材と巡り合ったようですな。ま、それはともかく」
いち公爵にすぎない私が教会枢機卿の定例会議に呼ばれるとは、いったいどのようなご用命で――。不安げな男の問いに老人は答えず、軽く笑みをこぼして指を鳴らす。
その音とともに、円形の台に設置された通信魔法具が次々と起動する。
地底が青白い色に照らされた。
いくつもの影が、宙空に浮かび上がる。初め靄の流動にすぎなかったそれは、輪郭が実を得ると同時に明確な人影を映し出した。
「お座りください、レントシュミット公爵」
「あ、あぁ……では失礼して」
禿げ上がった額に汗の玉を光らせながら、肥った公爵は通信魔法具に囲まれた椅子へ、窮屈そうに座った。
まるですきま風に踊る陽炎のごとく影は揺れ動き、会議は始まった。
「喫緊の課題は、やはり第一皇女の躍進か」
不鮮明な映像とは裏腹に、声は明瞭だった。
「えぇ。我々教皇派に抗する皇帝派。その旗印として皇女が担ぎ上げ出され始めました」
聞き覚えのある若い男の声。
顔は見えないが、名前は思い浮かぶ。公爵という地位にあるため、男は枢機卿の全員とそれぞれ面識があるのだ。
しかし、通信越しとはいえ彼らが一堂に会する姿を見るのはこれが初めてだった。
「厄介です。たとえ今は亡き第一皇子の出涸らしであったとしても、見目だけは美しいですから。民はすぐ、そういうのに熱狂する」
第一皇女アリカ・アレクサンドル・ド・エイリトニアの容姿を公爵は思い出した。
⋯⋯うむ。確かにあれには、まだ幼いながらも将来の美貌を予感させる華がある。
内心うなずいていたが、続くやりとりに公爵は硬直する。
「ふん。大衆に尻を振る売女とは、皇女の役回りも墜ちたものだ」
同調する冷嘲がさざなみのように空間を伝わった。触発されたように、口々に影──枢機卿らは皇女、ひいては皇帝を罵り始める。
ひとしきり罵倒し終わるまで、時計の秒針が数周しただろうか。
過激きわまる誹謗。ここに皇帝派がいれば、たとえ枢機卿の任免権を教皇が握っているとしても、重い処断はまぬがれないであろう。
とんでもない場所に来てしまったものだ──。
肥え太った公爵は汗をたらした。
「だが現実に、やつらの勢力は数を増している。対策は必須。たとえば対抗馬として我々も誰か『旗印』を打ち立てる、とかな。そこのところ、案があるそうだな、【永生】のベルクナー」
影のひとつが、老人を手で指し示した。ベルクナーはうなずくと、公爵を立ち上がらせる。
「彼、レントシュミット公爵の息子――アドルフ・ド・レントシュミット。および次男ゲルト・ド・レントシュミットがその役目に相応しいかと」
公爵は慌てて一礼し、贅肉を揺らした。
「魔力を持つ貴族の使命は、魔法の行使による民の保護。その建て前を存分に活かし、輝かせる強さを、彼らは身につけ始めている。故・第一皇子に勝るとも劣らない才能の原石です」
ほう、と興味を示す視線を一身に受け、公爵は縮こまるように背中を丸めた。
岩壁に揺れる影の一群は天井まで伸びて、罪人を見下ろす官憲であるかのように、公爵を囲んでいた。
「アドルフにゲルト……優秀であるとの噂は私も聞き及ぶところではあるが、そいつらは男ではないか。人気とりの旗印としては、皇女に負けるのでは」
「かといって他に適役もいないのです。貴殿、ヴァルデ枢機卿も見目麗しくおられますが、年齢がどうも……」
ベルクナーが口にした瞬間、ヴァルデの影が激しく膨れ上がった。
「消し炭にされたいか貴様」
可視化するほどの濃密な魔力が、湯気のごとく立ちのぼり、映像に干渉していた。公爵は魔法具越しだというのに全身の血が凍る思いで体が震え始めるが、ベルクナーは涼しい顔で受け流した。
「めっそうもない。ただ、まだ十二歳の少女相手に、大陸最強と名高い【征圧】殿に出張っていただくというのは、外聞が悪い。それに、皇女という地位に対するに公爵令息以下をあてるのも見劣りする。消去法として、彼らしかいないのです」
鼻を鳴らしてヴァルデは引き下がった。腕を組み、豊かな双丘が押し上げられるのを公爵は影越しに見た。
「はぁ……しかし確か、彼らにも妹がいたのでは? その娘ではいかんのか」
別の人影が疑問を投げかける。
「レントシュミット公爵家の汚点として有名な『呪いの令嬢』ですね。彼女は病床に寝たきり、死の間際にいるそうです。そもそも、彼女の実力は⋯⋯」
ベルクナーは答えながら、目線を公爵に向ける。発言を促され、男は汗をたらしながら唾をのんだ。
「え、えぇっと、我が家門の長女ですな⋯⋯その、アレは言うなれば……そう」
幾対もの瞳が彼を見つめる。
「──魔力ばかり多くて魔法のひとつも扱えない無能、ですかな」




