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5:少女視点 / 乗り換えよう

「はぁ……はぁ……《小光軽癒(ユーケウコーション)》」

 

 その日、わたしはいつも以上に長く魔法の練習をしていた。

 

 今、こんな小さな村に教会の枢機卿猊下と、何人かの高位神官さまたちが滞在してくださっている。

 もし練習風景が彼らの目に留まれば、皇都まで連れて行ってもらえるかもしれない。


 平民は普通、魔力を持たない。当然魔法も使えない。


 ──でもわたしは特殊だった。


 祖父が名家の落胤(おとしご)か何かで、貴族の血を引いていたのだ。


 先祖返りというやつで、わたしは生まれつき貴族のように魔法が使えた。髪の色も平民の黒ではなく、くすんだ金髪だった。


 だが、どうやら神官の目に留まるのは難しそうだった。

 枢機卿はこの村を寒村(かんそん)(さげす)み、歓待の宿から出ようともしない。神官さまは村人とも会話してくださるが、どこか危ない雰囲気のある者たちだと直感が警鐘(けいしょう)を鳴らしていた。


「くっ……《小光軽癒(ユーケウコーション)》……」


 それでもわたしは、一心不乱に初級の回復魔法を詠唱し、発動する。


 皇都には学園がある。そこに入って魔法を学び、国中の人々を癒やして回るのがわたしの夢だ。

 甘い理想。自己陶酔の(きわ)みにある奉仕の精神。それでいい。砂漠を花畑で埋め尽くす妖精にはなれずとも、怪我や病を治癒する聖職者になることはできる。わたしが甘い理想を追いかけることで、救われる人間は確かに増えるのだ。


 しかし皇立学園は貴族の子弟の学び舎として創立された学園。魔法の使えない人間を前提に作られた平民枠からでは、神官になることはできない。どこかで推薦枠を勝ち取らなければならなかった。


「《小光……軽癒(ユーケウコーション)》…………」


 そんな思いを込めた回復魔法発動を何十回か繰り返したときだった。



 突如、耳の奥を低く貫くような、鈍い音が鼓膜をかすめた。疑問に思う間もなく、衝撃と爆風が家々の間を伝ってわたしに吹きつけた。



「うっ……!?」


 小枝や小石がピシピシと身体をうち、まるで地が鳴動したかのように揺れる。


「な、何……?! 爆発……!?」


 星が降った日。

 これが、彼との出会いだった。




 □■□



 ラグナエル。

 彼は孤児だ。都市部から追い出され、食事にもありつけずに、こんな大森林手前の辺境まで流れ着いたそうだ。


 彼は物心ついたときからひとりだった、と言った。


 何にも守られず、何にも愛されたことがない。

 何も知らず、何もできず、社会からつまはじきされた(あわ)れな子ども。


 あぁ、なんと可哀想なのだろう、と思った。星の落ちた穴で彼を抱きかかえたとき、痩せ細った身体に胸が痛んだ。同年代でありながら、わたしの半分の体重もない。いたましい。


 今は一年の中で最も外気温が下がる時期だ。雪の降る日もある。都市でも凍死体が路上に転がる時期なのだ。こんな村で外をさまよっていては、到底冬を越せないだろう。


「⋯⋯せめてこの子が元気になるまでは、わたしが守らなくちゃ」


 わたしは少年を家に連れ帰った。

 亡くなった神官の死体を見た枢機卿猊下(げいか)はラグナエルに対して「不吉なガキだ、凶事を招き寄せるのではないか」と穏当でないことを呟いていたが、わたしは聞こえないふりをした。


 あたたかな寝床を与え、湿らせた布で口から水を飲ませてやって、目が覚めてからは食事を与えて、話し相手になってあげて⋯⋯。特別なことは何もしていないが、わたしはわたしにできることをした。


 わたしは彼を守る側で、彼は守られる側。

 

 だからわたしは、傲慢(ごうまん)にも思い違いをしていた。

 

 今まで少年はきっと不幸だったに違いない。悲しみに暮れていて、毎日に絶望していたに違いない。生きるのもつらくて、心身を傷つけるこの世界に苦しみ悶えながら、世の中を呪っていたに違いない──と。


 孤児なのだ。

 それも、孤児院に保護されている訳でもなく、孤児仲間がいる訳でもない。


 本当の、真のひとりぼっち。


 孤独な彼は誰かに守ってもらいたくて、愛情を注いでほしくてたまらないのでは──。


 勝手な妄想だ。今思えば理想の押しつけですらあったのかもしれない。自分の思い描く弱者像を、ひとりの人間に投影してしまっていた。


 ラグナエルは、わたしの思い込みを破壊してくれた。


 彼はまったく悲観的ではなかった。むしろひたすら前向きで、活力に満ちあふれていた。


『大陸にはいくつ国があるんだ? なるほど、情勢がどんな感じかは分かるか?』


『へぇ、この国には学園があるのか。どうすればそこへ入れる?』


『枢機卿と総大司教以下の神官の階級を教えてくれないか。⋯⋯え? 知らない? ⋯⋯そりゃそうか』


『教会での祈り方と作法を教えてくれ。そのうち皇都の大聖堂に行きたいんだ』


 その日暮らしの、一日一日を生きるのに精一杯のはずの子どもが世界を知ろうとしている。明るい未来を当然のように確信し、あがき、努力を積み重ねようとしている。


 毎日に絶望している人間は、国際情勢など知ろうとしない。わたしが孤児だったとして、こんなにも前向きでいられただろうか。いや、無理だ。

 苦境にあって、明日を希望と信じる。そんなひたむきな姿勢が、まぶしかった。


 もちろん、彼が孤児の中でも変わった⋯⋯特殊な少年であることは分かっている。

 

 でも、弱いと思っていた人間が、実は弱くなんてない⋯⋯わたしなんかより、全然先を見て日々を生きていた。

 彼の姿を見て、わたしはわたしの中にあった価値感が崩れるのを感じた。


 わたしは金銭的に恵まれている。

 貴族としては貧乏で没落してしまった祖父だが、平民として暮らしていく分には多少裕福な財産を残してくれていた。父は飲んだくれで働きもしないが、今まで食うに困ったことはない。


 そんなわたしでさえ、日々に悩み理想と現実の差にもがき、将来の不安に怯えている。天涯孤独のみなし子となれば、なおのことだと思い込んでいたのだ。


 人間は一人ひとりが、一人ひとりで人間だ。

 世の中には色々な人間がいる。


 恥ずかしい話だが、そんな当たり前のことに初めて気づいたのだ。視野が──世界が広がった感覚だった。

 

 そしてその後で、わたしはようやく自分を客観視した。


 国中の人々を癒し希望を与える、神官になりたい。そんな夢物語を抱えながら、なにをうじうじしているのだろう。


 高尚な理想⋯⋯必死の努力⋯⋯。わたしは自分の狭い世界の中での「一生懸命」に(すが)りついていなかったか。


 わたしは十分に頑張っている。でも報われないのだ⋯⋯。そんな悲壮美に酔って、現実が正しく見えていなかった。


 夢を叶えたいのなら、とるべき選択肢は無数に、広がっていたのだ。

 

 受け身のまま、魔法の練習をして、教会の偉い人にたまたま見いだしてもらえないだろうか、なんて。あはは、バカみたいだ。実際、バカだったのだろう。


「⋯⋯あなたと出逢(であ)えてよかったよ、ラグナエル。あなたがいなければ、わたし、きっといつまでもこの村でうずくまってた。あなたがわたしを、変えてくれた⋯⋯」



□□□



 うーん、孤児、やってられねぇ。


 もう終わりだ終わり。性能限界です。


 孤児に未来はない。


 絶望的なまでにダメダメだ。



 俺は物置のベッドに座り込み、汗をぬぐって水を飲む。はぁ⋯⋯生き返る。筋トレの効果もなかなか現れないし⋯⋯。とまぁ、それは関係ない。



 何がダメって、「器」の小ささがダメだ。



 最近、天使を受け入れて神聖力を貯蓄する人間の「器」のような部位を知覚したことで、この肉体のゴミカスさを再認識した。


 魂の大きさ⋯⋯とでもいうべきか、精神を集中させたときに脳裏に浮かび上がる光の器。天使の第六感によると、これがとてつもなく小さい。他の村人と見比べればその差は歴然。俺が豆粒の孤児だとしたら、村人は石造りの一軒家だ。


 とんでもなく大外れボディじゃねぇか。


 同世代のユノはこの器がかなり大きい。普通の成人した村人の十倍はある。豪邸だ。


 ユノと他の村人の差異といえば魔力の有無。もしかしたら魔力が多いほど「器」も大きくなるのかもしれない。


 ──そんな考察はさておき最も重要なのは。

 この低スペック孤児じゃなく、そこら辺の村人Aに受肉するだけでも、扱える神聖力が大違いだったということだ。


 あまりにひどい事実に、俺は軽く絶望していた。


 社会的地位とか財力とか、体格とか身体能力とか容姿とかそれ以前の問題だ。受肉体を選んだとき、ステータスが下振れていた⋯⋯これはまだ理解できる。


 だがそもそも受肉すら満足にできない肉体だとは!


 よりによって天使ラグナエルという存在を受け入れる器として、最不遇・最不適格・最底辺の選択だ、この孤児は。


 クソ上司(ヘルゴエル)あいつ⋯⋯マジでなんだ。どうせ下界の個・生命体の違いなんて認識もしていないし、本当に何も考えていなかったんだろうが、それにしたってひどすぎる。


 はぁ⋯⋯⋯⋯。


 往復ビンタ十回では足りない。

 大天使ヘルゴエルの頬がはち切れるまでパンパンに腫れ上がらせてやろう。それが報いというものだ。


 はぁ⋯⋯。


 実際、魔力量の大小が器の大小なのだろうか。となると魔力を持って生まれる貴族が受肉の最適解ということになる。


 この村で結構前にちょろっと見かけたカアウラス神教会枢機卿(俺が殺した神官の仲間)もこの第六感を通して観察してみたかったが、もう都市に旅立ってしまった。


「⋯⋯そういえば」


 その枢機卿を追いかけてユノは出かけて行ったんだったか。学園の推薦枠がどうたらこうたら⋯⋯。日帰りで帰ってくるという話だったが、丸一日経った今も帰ってきていない。


 まぁいきなり押しかけたところで簡単に面会できるとも限らないしな。相手は教会の要人だ。難航しているのだろう。


 そもそも村から最も近くの都市までを結ぶ乗合馬車自体、不定期だ。案外自分の押し売りには成功したが、帰れなくなっているだけかもしれない。


 出会った当初からユノは枢機卿に目をかけてもらえないだろうか⋯⋯とソワソワはしていたが、自分から話しかけに行ったりする様子はなかった。それが、枢機卿の老人が村を旅立ってから追いかけに行くなんて、変な話だ。心境の変化でもあったのだろうか。


 まぁ、何にせよ俺には関係のない話か。


 俺が今すべきは、やはり受肉体の────《《乗り換え》》なのだ。


 これを試すため、今日は村の手伝いや日課を早く終わらせた。薪割りや水汲み、家畜の餌やり、博労の真似事など。


 常に体力を回復させながらであれば、大した労働ではない。だがそのためには神聖力を湯水のごとく垂れ流す必要がある。


 孤児の肉体を捨て、新たな死体へと(ラグナエル)を移行するにあたって神聖力の行使はおそらく不可欠。三日ほど前からは使用を節約し、力はこの肉体が蓄えられる限界まで回復した。


 天使の第六感──器を知覚できるのなら、乗り換えもできるのでは?


 というわけだ。

 もしダメだったら、一度自殺して、超越空間に戻り、もう一度降臨という手段をとるしかない。


 俺は深呼吸をして、目を閉じる。

 浮かび上がる光の点。俺の「器」だ。


 そのまま意識を周囲に向けると、光の点はいくつも動き回っている。これは村人たちである。


「⋯⋯ん?」


 そのうちひとつの点が、俺に近づいてきている。


 なんだ──。


 思考を中断させる耳ざわりな音が響いた。ドン、バン、ガチャン。俺は瞑想をやめ、姿勢を崩す。


「──おい」


 物置の扉が乱暴に開けられる。


 一瞬ユノが帰ってきたのかと思ったが、違う。


「出ていけ、薄汚ぇゴミが」


 肥え太った腹、ボサボサに伸びきったまま放置されている髪と無精髭。村一番の酒乱(しゅらん)と名高いユノの父親であった。


 酒くさい息を俺の顔にふーっと吹きかける。

 ふらふらと酒瓶を振り上げる男に、俺は腕をつかまれた。


「ほら、早く消えねぇとぶん殴るぞ」




 と⋯⋯いうことで──。


 ここは寒風(かんぷう)吹きすさぶ路地裏だ。

 なんという急展開。


 だが屋根を失ったことなど、今となってはどうでもいい。成功さえすればいいのだ。成功すれば、もはやこの肉体がどうなろうと関係はない。


 もう一度、俺は目を閉じる。


 意識を自身の中にある神聖力に集中させ──それを周囲に広げる。まぶたの裏の暗闇にぼんやりとした光の点が再び現れだした。


 下界に降臨したあのときのような、奇妙な浮遊感。肉体にとらわれない非実体の我が身を認識し、他の光──器に向けて手を伸ばす。



 そして意識の深奥(しんおう)へと、俺の精神はゆっくり沈んでいった。

 




──────────────


次回より令嬢編です。

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