64:天使の仲間?
皇国の騎士、初戦で敗れる──。
この報は自治都市中をあっという間に駆け巡った。
やれ第一皇女の陰謀だの、やれ邪教の霊験だの、皇国貴族を恨みに思う亡霊の禍事だのとさまざまな憶測がしっぽのようにつき従いながら、巷間は噂でもちきりだった。
「バカげた話だ」
「そんでもって愉快さ。強者があえなく敗北を喫するさまを見るのは気分がいい。オレがくだしたわけでもないのにな」
「自分の弱者を素直に白状するとは確かに愉快な話だ、トレボール・ディディエ」
「詩人さんよ。形容ってのは常に相対評価だろ。より強いモノと比べたら世の中みな弱者さ。なかんずくお前なんかは、下から数えたほうが早いのかもしれんが」
けぶる雨の中、立ち並ぶ借家の一軒に《舟歌》はいた。連日照っていた輝かしい太陽は厚い雲の向こうに隠れ、かわりに湿度が地上を侵食し、人間を蒸すように苦しめている。
「しっかし、こんな日だってのにテレサの姉御は外で剣を振ってるのか」
優勝候補の脱落という魔技武会・衝撃の開幕から数日。
ある程度の試合が消化され、順調にトーナメント戦は進んでいた。無名が初っ端に番狂わせを起こした以外はおおむね観衆が予想した通りに、皇国第一皇女アリカと剣豪テレサが危なげなく勝ち進み、両者が決勝で衝突するかに見えた。三本の宙を泳ぐ短剣の所有者に関しては、所詮は幸運児であり、本人は戦闘の素人にすぎないとの見方が濃厚だった。高名な魔法具学者であるとか、新しい遺物の発掘者だとか富豪の好事家であるとか、みな好き勝手に論じている。
その噂される当人だが、連盟のたまり場にも冒険者御用達の酒場にも顔を出すことはなく、それがいっそう謎と話題性を高めていた。なかには、そんな今の状況に愉悦する奇人ぶった凡俗に違いないとそしる者もいた。
「あたし……お姉ちゃんの様子ちょっと見てきます」
リテレーゼは薄手の防寒コートを雨具代わりに引っつかみ、借家を飛び出した。茶髪のツインテールの妹は、姉を探して道を走る。
天候不順につき午後の本戦試合は明日に持ち越されていたはずだ。会場──岩山の連盟本部にはいないだろう。ここ冒険者の都に数限りなくある訓練場か、もしくは山脈ふもとの森などに出ているのだろうか。
体の前面に雨粒が集中して叩きつける。
ぬかるみに足をすべらせないよう、器用に足裏で泥を踏みしめつつ、人通りのない借家街の水たまりを跳んで路地を抜けようとする。
「あっ」
しかし折り悪く、曲がり角からフードをかぶった人物がぬっと進行方向上へ現れ出る。ブレーキをかける間もなくリテレーゼはその人影の左側面へ突っこみ、なぎ倒した。
石畳の上をふたりして氷上の小枝のようにすべる。路地の傾斜にしたがい進み続ける彼女らの体が止まったのは、ゴミ溜めに激突したからだった。灰、骨、腐った野菜、古い藁が降りそそいだ。
「ごっ、ごめんなさい。大丈夫かしら……!?」
ゴミ溜めから飛び起きると、すぐさま巻き込み事故の被害者を助け起こす。相手のフードが外れて、くすんだ金髪があらわになった。
「あはは……ぐっしょり。でも大丈夫。こっちこそごめんね、曲がるときよく前を見てなくって……あなたも、怪我はない?」
少女はリテレーゼの額にそっと手を伸ばした。
「……っ?」
「《小光軽癒》」
あたたかな回復魔法の癒しが、身体の痛みをやわらげた。それはつい最近味わった、深く覚えのある感覚だった。そのときの感動と光景が脳裏によみがえって、リテレーゼの口からつい、言葉が漏れた。
「『天使』さま……」
少女の動きが止まる。
「──え?」
ふたりはゆっくりと見つめあった。
□□□
「はッ!」
魔力の一欠片もこもっていないただの一太刀で、数人の男が吹き飛んだ。振り乱れる茶髪の女の周囲に、またたく間に気絶した者の山が築かれる。
「あれがあなたのお姉さん?」
その後、リテレーゼとその少女は訓練場で冒険者相手に鍛錬する剣豪テレサを眺めながら、会話を交わした。リテレーゼたち《舟歌》を救った『天使』について、語る。
「でもわたしが『天使』さまだなんて……」
「嬉しい勘違いだったかしら?」
ユノとリテレーゼは笑いあった。
出会っていくばくも経過していないが、この短い時間にふたりはすっかり打ち解けていた。
「人型、それも喋る魔物かぁ……不気味だね。天使さまも苦戦してるって聞いて、わたしも皇都から馬車に飛び乗っちゃった。本当は学園行かなくちゃなんだけどね」
「苦戦? それは違うわよユノ。天使さまは山の恵みを壊し尽くさないよう、一匹一匹丁寧に倒していたから、掃討に時間がかかったの。三日三晩、眠らずに、たったひとりで戦ってたんだから。──あれが戦いと呼べるのなら、だけど」
改めて、その異常さと偉大さに思いを巡らせて、ふたりは黙り込んだ。
「あ、でも、ニルスっていう人が言うには、『天使』さまにも仲間がいるらしいわね」
「え? ニルスさん?」
ユノは顔をあげた。訓練場の喧騒の中で、周囲の音が遠のく。
「あら、知り合い? そう、彼が言うにはなんというか……ごく近いところにいる人としか話せない、小型魔法具で通信してたんじゃないか、とかで……」
「天使さまの、仲間……」
リテレーゼの言葉をユノは静かに繰り返した。




