57:幻視(皇子視点・ユノ視点)
「目を瞑って、くれますか」
「あ、あぁ……」
言われるままに目を閉じるスタニック。
研ぎ澄まされた聴覚が、衣擦れの音をとらえた。
「……!?」
動揺する。
(そ、そうかフードだ、フードを外したんだ……でも何のために?)
ふわっといい香りがして、誰かの息遣いが顔の近くに接近するのが分かった。スタニックは息を呑む。彼の顔を包みこむように、頬にやわらかい女の子の手が添えられた。
(まさか)
手がすべるように、あるいは撫でるように彼の肌を移動し、耳元を覆った。
「目、開けないでくださいね……」
ラシェルの声が、至近で囁かれた。耳がしっかりと塞がれる。
(……!? ……!?!?)
これから何が行われるのか、スタニックは冷静に思考することができなくなっていた。想いを寄せる少女と密着しているというその一事で、彼はとても普段の悠然とした態度は取れなかった。
「ラ……ラシェル嬢……!?」
胸の高鳴りがうるさい。
息が浅く、速くなる。思わず固く握りとじられた手のひらに汗がにじむ。
普段ならば気づけただろう。
彼の五感と勘、戦闘における注意力があれば察知は容易である。
しかし純然たる結果として、彼はこのとき気がつけなかったのだ。
人の気配が《《新たにふたつ増えた》》ことにも。
背中に固い何かが押し当てられたことにも。
そして、知らない少女の囁き声にも。
「発動。【教化】対象、スタニック・アレクサンドル・ド・エイリトニア」
彼が次に目を開けたとき、黒髪の少女はいつも通り顔を隠していた。
純白のケープのフードを深くかぶり、恥ずかしそうに唇をおさえている。
「キス……してしまいましたね」
「……ぁ、ぁぁ」
もやのかかったような、クラクラする頭でぼんやり考える。そうだ、キスをした。ファーストキスの味も感触もなにも覚えてはいないが、僕は彼女と結ばれたのだ。
「約束通り、教えてくださいますか? スタニックの知っていること……すべて」
茜色に染まる空から、狭い裏路地に光が落ちかかる。少女の姿がオレンジに染まって、幻想的に照らされた。
「この関係は誰にもバレてはいけない⋯⋯一蓮托生の仲です。秘密も機密も何もかも、あなたのすべてを、さらけ出してください」
「ぁ、あぁ。そうだね、ラシェル。君には話しておくよ」
彼の目が短い眠りから覚醒する。
呆けたような夢うつつの状態から理性を取り戻したスタニックは、しこりのように残っていた微細な違和感を脳裏から完全に消し去ってしまう。
目の前にいる愛おしい、儚くも美しい少女のために、すべてを話さなくては。皇国の闇を。秘匿された真実を。アルバンと袂を分かち、皇族でありながら教皇派という敵対派閥へとあおぐ旗を変えた、その理由を。
強烈な衝動に駆られ、彼は口を開いた。
「皇国貴族は罪人だ」
□□□□
(ラシェルちゃん、今日も学園はおやすみかぁ……)
魔法具学の講義を聞きながらわたしは窓の外を見た。
空に白金の少女を幻視して、目をこする。
なんの変哲もない太陽だ。
「ラグナエル……会いたいなぁ……」
「窓際のあなた! 聞いていますか?」
無意識に口に出ていたようだ。
「《魔封茶》の効力が持続する時間は?」
「え? えっ……と、半日?」
「聞いていたならよろしい」
当てずっぽうの答えに教師は満足げに頷いた。ユノはほうと息を吐いて、また物思いに沈む。
(ラシェルちゃんはどうして……)
『天使さま』であることを隠しているのだろう。
ラシェルちゃんは空を飛んでいた。試験の日、森の上に【断罪】サリナス猊下とともに浮かんでいるのをわたしは「感じ」た。どうして彼女が猊下を⋯⋯?
だがこのとき確信した。
彼女こそ、巷で有名な『天使』だ。
ベルクナー猊下が言うには、これは相手の魔力を感じることができる「感知」という才能なのだそうだ。体の魔力の流れから相手の使う魔法を察知したり、魔力量を見破ったりする感覚だ。
ベルクナー猊下も同じ才能を持っている。
【永生】の神通力を継ぐうえでは必須の技術で、これを持っていたからこそ、わたしは猊下に目をかけてもらい、学園へ入ることができた。
神通力の正体は魔法具だ。
「感知」を磨いて、すぐ気がついた。
猊下は驚いた。
わたしの感知はすでに、猊下を超えているらしい。わたしはわたしの才に感謝した。これがあったから、ラシェルちゃんと『天使さま』が同一人物であると気がつけたのだから。
『呪いの令嬢』からただの『呪い』へなった彼女はもともと莫大な魔力を持っていたそうだ。しかし噂になっていた通り、今の彼女は魔力をなくしている。
『ラシェルちゃん、お昼、一緒に食べよ!』
仲良くなってからすぐ、自然に腕を絡ませ確認した。平民であってもわずかに宿している体内魔力すら皆無。かわりに魔力にかわる、変なエネルギーの流れ……みたいなものを感じる。
心が洗われ、落ち着く……聖浄な力。
天使さまの力。
(ラグナエルを生き返らせたのも、きっとこの力だ)
ラグナエルが墓から消えたあの晩まで、いっときは『天使さま』がラグナエルだと勘違いしていたときもあったけど、それは多分、飛躍のしすぎだった。なぜかは分からないが、ふたりの気配はよく似ている。ラグナエルにも、聖なる力があったように思うのだ。こればかりは理由が分からないけれど⋯⋯そういうこともあるのだろう。
感知だって精度百パーセントとはいかない。
親子兄弟関係なく、まったくの他人と魔力の流れが似通っている人は何度も見たことがある。感知できる力のクセは十人十色とはいえ、千差万別とはいかないのだ。
それに、わたしのにとってはそんなことよりもっと、大事なことがあった。
(ラシェルちゃんが天使さまで、ラグナエルをカアウラス神の奇跡で生き返らせてくれたのなら⋯⋯彼の居場所も知っているはず)
⋯⋯会いたい。
わたしはあまり、駆け引きとか回りくどいこととかは得意じゃない。それで真正面から、直接聞いてみることにしたのだ。
(結局、皇女殿下とかニルスさんの盗み聞き事件とかスタニック殿下の告白⋯⋯!? とか、いろいろあってあの日はうやむやになっちゃったんだけどね)
あれからラシェルちゃんは学園に来ていない。
みんなは「後見人のエメリーヌ猊下が教会を裏切ったそうだぞ……きっと『呪い』も関与を……」なんて噂していたけど、そんなことも気にせず、彼女は『天使さま』としてみんなを助けて回っているのかもしれない。
きっとラシェルちゃんの持つ力は本物の神通力だ。
教会が持ってる古代の人間が作った魔法具じゃなく、カアウラス神からさずけられた本物の力。
それを使って、人々を救うために身を粉にして飛び回っている。わたしの夢、理想の姿だ。国中の人を助けるどころか、大陸のほかの国にまで手を伸ばしているというのだから。
(ラグナエル……今どこで何してるんだろう……)
ラグナエルはそういえば、よくカアウラス神や教会のことを気にして、わたしにいろいろ質問していたっけ。
(やっぱり天使さまと一緒に、何か使命を受けて頑張ってるのかなぁ……会いたいなぁ……)
あの黒髪、理知的な瞳、武骨で大人びた口調、常に活力にあふれたひたむきな姿勢。
彼の顔を窓から見える青空に描き出して、ひとり赤面する。
(んぅ〜〜〜〜! というか、生き返ったのなら会いに来てくれたっていいのに……! ラグナエルめ〜わたしがどれだけ心配してるかも知らずに……)
もどかくしく息を吐いた。
(きっと合理的な性格は変わってなくて……なにか夢があって……自分の道を突き進んでるんでしょ?)
「ラグナエル⋯⋯──」
呟きは熱っぽく空に溶けた。




