54:皇国貴族の血と罪人
「ちょっと、行っちゃったじゃないの……」
アリカは怒ったように文句を言った。
しかしこらえられずに、笑いが漏れる。
「ぷっ……あはははは!! 無視! 無視されてる! あははは!! はぁ……はぁ……お腹よじれちゃうわ。神の使いも無視する男よ、あなた。よほど怪しかったのね」
皇女アリカが呼んでる、とまで言えなかったことを話してからはずっとこの調子だ。自分の誘いが断られた形ではないことを確認してから笑いものにする姿勢にニルスは呆れながら、弁明する。
「目は合ったと思ったのだが……聞き取れなかったのかもしれんな」
「っふ……」
鼻で笑う皇女の頭をはたいて、少年は顎に手をあてた。
(『天使』は誰かと何かを話して、考えこんでいる風だった。『天使』にも仲間がいるのか)
「ちょ……何するのよ痛いわね!」
(いや待て。話しているだと?)
「なぁ姫さん。通信魔法具ってどんな形してるか、分かるか」
「は、何よ、通信? 形? そんなものその魔法具の種別次第でしょ。この広い大陸に、魔法具がいくつあると思ってるのよ」
「姫さんが知ってるものでいいから、特徴を教えてくれ」
思ったより真剣な目をしている友人に、アリカは笑いを引っこめた。皇女としての顔になって、記憶をたどる。
「そうね……皇城や《総局》に通信魔法具がいくつかあるのだけれど、どれもデカい机って感じね。教会と枢機卿は超遠距離・映像通信魔法具を保有してて、会議なんかしてるそうだけど、それも大きな鏡台型らしいわ」
「小型の通信魔法具は?」
「小型となると、音声のみね。探せば裏社会なんかじゃ流通してるかもしれないけれど……技術的には近距離がせいぜいじゃないかしら」
(近距離……付近にはオレたちしかいない。誰と会話していた? あるいは魔法具の中でも特異な……遺物か? それとも天使にしか使えない、神通力のような……)
押し黙る少年を小突く皇女。
「で、なんでそんなこと聞くのよ。説明しなさい。頭がキレるのは数少ないあなたの取り柄なんだから」
「『天使』が、上空で誰かと話していた」
「ふーん」
聞いておいて、興味なさげに息を吐く。
「独り言でも呟いてたんじゃないの。三日も寝ずに浮いて魔物と戦ってたら、気もおかしくなるわよ」
アリカは若干バカバカしそうに言った。
□□□
「お姉ちゃん!」
「リテレーゼ?」
自治都市の冒険者連盟本部、その横の訓練場。
茶髪を短く刈った女が剣を振るっていた。周囲には屈強な男たちが何人も倒れている。冒険者は徒党を組んで女に飛びかかるが、女はその場から二歩と動くことなく、攻撃をさばいていく。そして男の最後のひとりが、木剣に打たれて気絶した。
リテレーゼは死屍累々を踏み越え、姉に抱きついた。
「ちょ……ひ、ひっつくな馬鹿者! 今私は汗だくで──」
茶髪のツインテールでどこか幼い印象を与えるリテレーゼとは反対に、姉テレサは髪は短く眼光に力強さがあり、凛々しい。
冒険者でありながら正規騎士をしのぎ王国一、と言われる剣の腕を持つ。三十代男、肉体的にまだまだ全盛にある騎士団長を三本勝負で破った彼女についた異名は「剣豪テレサ」。魔技武会優勝候補のひとりと目される強者であり、その名を自治都市で知らぬ者はいない。今日も今日とて、力試しに集まった冒険者を鬼気迫る顔つきで叩きのめして、見物人を恐れさせていた。
剣豪テレサは剣にとりつかれている。
彼女に敗北した王国の騎士団長は悔しげに彼女を評した。
「ええい、離れろ! どうしたんだ、魔物に襲われたと聞いたが、助かったのだろう? それともまさか、どこか怪我でもしたのか?」
そんなテレサはしかし、妹の前ではほんのわずかに、相好を崩す。剣を握り、魔物を殺す技術を磨くだけの日常にひたるようになってからも、妹と接しているときだけは、彼女は人間に戻れた。
「お姉ちゃん、巨人の、魔物が」
だが、抱きついてきた妹のひと言に姉テレサの表情は一変する。
「──魔物。それも巨人型だと」
妹を抱いていた手が、剣に伸びる。締めつけられる形でリテレーゼは苦悶の声をあげ、なんとかテレサの腕から脱出した。
「お、お姉ちゃん!」
姉の目にはげしい心火が燃えていた。怒りと憎悪だ。
「落ち着いて、もう魔物は倒されたの。三日も前のことなんだから。噂は聞いたかもしれないけど、ある人が助けてくれたのよ」
「……。『天使』とか言ったか。ふざけたクソのような女が、魔物を狩っていたらしいな」
「お姉ちゃん!! 助けてもらったのよ!」
「魔法師が何をしようと、それは気まぐれだ。神の恩寵を振りかざすだけの、クソだ」
「聞いて、お姉ちゃん。あたしも《舟歌》のみんなも、『天使』さまに命を救われたの。あたしたちは長いこと魔法を恨んで生きてきたけど、魔法師は──」
「魔力持ちは人間じゃない。例外なく、神の傀儡だ。そして傀儡にとっての玩具が、私たち人間だ。助けられただと? 十年前、私たちからすべてを奪った『魔力』が今になって私たちに謝罪しにきたとでも?」
テレサは濁った目でリテレーゼを突きとばした。
「魔技武会に出るという皇国皇女は私が正々堂々、潰す。いつか『天使』もこの手で、斬り捨ててやる」
「お姉ちゃん!?」
「それが証明だ。断罪して、私の正しさを証明する。魔力ある者は──罪人なのだと」
剣を握った姉の姿を、リテレーゼは悲しげに見つめた。




