52:天使にしては、時間が
苦しいときの神頼み。
ことあるときは神の足を戴く。
そんな揶揄は、王国にありふれている。大陸全土でカアウラス神は信じられているが、当然、その宗派や信仰度合いにも差はある。王国貴族の父と平和に暮らしていた時代は、そんな揶揄を不信心な者へ投げつける側であった。
だが、今や自分は言われる側となったのだ。魔物と魔法師の手によって日常が崩れ去り、その日暮らしの身に落ちてからは、リテレーゼと姉は信仰をやめていた。神が世界に与えた「魔力」が憎かった。おそろしかった。魔力生命体たる魔物も、不条理な力をやすやすと振るう魔法師も。そして不敬にも、カアウラス神、その実在すら恨んだ。
そんな自分が、みじめにも魔法師に救いを求めている。カアウラス神の恩寵にすがっている。
(逃げなきゃ……巻きこまれる……)
思い出されるのはあの日の光景。
(ディディエさんも……早く、逃げて……!)
──だが今日は、あの日とは違った。
リテレーゼは驚愕する。
「……っ!?!?」
魔物が、空に浮いていた。
「ぇ……え!?」
巨人だけではない。
狼、芋虫、小人、怪鳥、金属鎧、円形のアクセサリーのような魔物まで。無数の魔力生命体が、付近から次々と浮き上がっていた。
気がつけば、リテレーゼの身体もよく分からない膜に包まれて、宙へ浮いている。足先が地の草をかすめた。
「な……なに!? なに、これ……!?!?」
それから彼女が、いや、《舟歌》が目にしたものは夢としか思えない、幻想だった。
天に向けてそびえる光の柱。
魔物はそのなかに迎え入れられるように消えていった。空に浮かんだたくさんの魔物が、順番に塵も残さず消滅する。
そして自分はといえば、体の怪我や疲れがさっぱりと失せて、癒されていた。回復魔法だ。空中を飛びながら、仲間と再会する。
「ディディエさん!! シャルル!! ロトイさんも!」
「無事かリテレーゼ! お前らも!」
光の膜に運ばれるがまま、合流する。
「オレの名は呼んでくれないのか」
「っ、詩人さん!!」
「詩人! お前、生きてたのか!」
そこには、岩を投げつけられて死んだと思われていたキザな美男子もいた。
「手足がもげて、死んだと思ったのだがな。実のところオレは、死に際に見ている夢なんじゃないかと疑っている」
「おいおいオレはオレだぜ、唯一無二のな」
「お前も本物だとして、野郎ふたりで同じ夢を見てるなんて気持ちが悪い話だ」
「いえ、僕たちも……生きてます。たぶん」
シャルルが口をはさみ、寡黙な巨漢もうなずいた。
「ええ、あなたたちは生きているわ」
知らない少女の声がした。
下を見ると、膜に包まれていないふたりの人間がこちらを見上げている。
「あの反応、知らないのかしら。『天使』」
「人づてに伝わるにも限度というものがある。往来の多い自治都市付近とはいえ、こんなものだろう」
金髪の少女と、夜闇のような紺色髪の少年。
「どうする、上空へ行くか? 『皇女殿下がお呼びです』とお呼び出しするんだろう」
「さすがに魔物討伐の邪魔はできないわよ。終わるまで待ちましょう」
それもそうか、と少年が答えたときリテレーゼたちの身体が降下を始めた。ゆっくりと地面に近づき、足が十分に触れる高さでやさしく膜が解除される。
「おい、あんたらは」
「アリカよ。こっちはニルス。あなたたちは冒険者かしら?」
気の強そうな美しい人が、つかつかとこちらに歩み寄った。詩人は芝居がかった手ぶりをつけて、舟歌と申しますと名乗った。ニルスという少年が水を差して出してくれたので、《舟歌》一行はとりあえず、その場に腰をおろす。
緊張の糸が切れたようで、リテレーゼは倒れこむように草原に転がる。
(助かっ……たのかしら)
「あの……これは、アリカさんたちが治してくれたんですか?」
リテレーゼは聞きたかったことを訊ねる。
「なんで? 違うわよ。あそこに『天使』がいるじゃない」
「……天使?」
「カアウラス神からの使いと言われてる、あの空飛ぶ白金の娘のことよ」
「天、使……」
病めば神を頼み、癒えれば神を忘る。少女は自分を恥じた。救いはあった。あったらしかった。
赤ん坊の泣き声がした。
「っと」
ディディエが手を伸ばす。新たなもうひとつの光の膜が、ここに流れ着いていた。帯状のおくるみに巻かれた幼児を、トレボール・ディディエが受け取った。
(あのときの子どもだ……! 村人に抱きかかえられていた、あのときの)
残念ながら、親の姿はなかった。あのとき巨人に蹴られて死んでしまっていたのだろう。この赤子が、村唯一の生き残りだった。
「アリカさん。聞いてもいいですか。その、『天使』……さまについて」
リテレーゼは身を起こして、少女に言う。
金髪のアリカは、どこか気品のにじむ仕草で髪をはらい、「ま、いいわよ」と頷いた。
□□□
(『天使さま』……あたし、もう一度カアウラス神を信仰します。こんな不信心者すら分け隔てなく救ってくださるなんて……)
話を聞き終えたリテレーゼはすっかり涙ぐんでいた。
アリカから『天使さま』の精力的な救済活動とそのめざましい成果について、救われた人々、村々、街について仔細にわたるまで教えてもらった。
(魔物が出たら常にひとりで先陣をきって戦い、魔物のいないときには辺境をまわって病人や怪我人を癒す……。その強大な力を惜しげもなく無償で民に分け与え、善なる方向に使う……それこそ、あの御方こそ、魔法師のあるべき姿、だ……!)
そしてアリカは──皇国の皇女さまらしい。
皇国貴族のトップ。魔技武会に出場者として招待されたという、あの第一皇女さまだ。
勝ち気で、少し高飛車なところはあるけれども、嫌味な感じはしなかった。
そこでも、リテレーゼは自身の価値観が崩れ去るのを感じた。これまで頑なに塗り固めてきたものが、いかに視野狭窄なものだったか思い知った。
魔法師は【征圧】だけではない。
魔法師は数多くいて、それぞれが人間だ。
目の下に隈があって、不健康そうなニルスも、見た目の印象とは裏腹にやさしい人だった。
(お姉ちゃんにも……話さなきゃ)
リテレーゼがそう思ったとき、アリカはニルスの肩を叩いた。
「おかしいわね……」
何がおかしいのかリテレーゼには分からなかったが、ニルスは同意した。
「あぁ、妙だ。時間がかかりすぎてる」
「あの、なんのことですか……?」
リテレーゼはふたりの間に顔を出す。
ちなみにディディエ、詩人、シャルル、ロトイら《舟歌》男性陣は赤ん坊をあやすのにかかりきりである。
「そうだな……いつも『天使』が魔物の掃討にどれだけの時間をかけるか、分かるか」
「時間……」
リテレーゼたち冒険者は魔物一体の討伐に丸一日、相手が強ければ追いかけ回して数日、かけることもある。それが魔物の群れとなれば冒険者にとっては絶望的。しかし『天使さま』のことだ。たとえ数が増えたところで……。
「半日とか、ですか?」
「五分だ」
ニルスは五本の指を立てた。
「どんなに長くとも、五分以上戦っているところを、見たことがない」
それがどんなに凄く、偉大なことであるのか、冒険者をもう何年もやっているリテレーゼには身にしみて分かった。感動で胸が震える。
「あれ、でも……」
「そうだ」
ニルスは懐中時計を取り出す。
「もう日が沈むというのに、『天使』はまだ魔物と戦っている」
「なぜ……」
「力が尽きたんじゃないかしら。一生分の魔力を前借りしきっちゃったのよ」
アリカが少し棘のあることを言うのを黙殺して、リテレーゼは考える。それだけここの魔物の数が多いのだろうか。
そしてはたと気づく。
「いや、違う……『天使さま』は⋯⋯。そう、まさか『天使さま』は……!」
アリカたちの話では、『天使さま』は尋常ではない魔力量で地上に光を浴びせかけ、人類の敵を討ち滅ぼすという。まさに神罰、神の鉄槌だ。
しかし今、空にいる神秘的な少女はゆっくりと、魔物を一体一体処理している。光線の雨を降らせるでもなく、時間をかけて丁寧に。
この森は、近隣の村の生命線だ。日々の糧を得る、生きる術そのものだ。慈悲深き『天使』は、それを壊すにはいかないと考えたに違いなかった。
(あぁ……)
「ヴァルデとは、違う……」
「なんだ、何か分かったのか。どういう意味だ」
興味深げに訊いてくるニルスに詳しく説明する。ニルスは考えこんだ。
リテレーゼは天に浮かぶ少女を見上げて、ひざまずいた。
「やっぱり、天使さまは天使さまなんだ……」
この日。天使と、天使が仕える先のカアウラス神に、信者がまたひとり増えた。
そして──『天使』による魔物討伐は、三日三晩も続いた。




