51:サバ⋯⋯キヨ
「どうする、戦うか、トレボール・ディディエ」
「冗談。逃げ一択だ。散開するぞ。できるだけ散って逃げろ。誰が標的になっても恨みっこなしだ」
剣士は詩人に答えた。
「よし、散れ! これは生に未練がましいんじゃない、死につれなくしてやると思え!」
少年はリテレーゼを助け起こし、駆け出した。
「シャルル! あたしたちだけでも一緒に──」
「ダメだ、ふたり組でいたら追う標的に選ばれる可能性も高くなる! 絶対に生きのびて、お姉さんのところに帰ろう! お姉さんの優勝を見届けるんだろう?」
冒険者の少女は苦しそうにうなずいた。
《舟歌》の五人はそれぞれ、別方向へ走り出す。自治都市の方向、壊滅した村の方向、街道の方向、川の方向……。
巨人の足音はどうやらゆるやかで、今度は走ったり跳んだりする気配はない。
(……諦めてくれたのかしら)
リテレーゼは背後に軽く目をやる。
彼女はそこで信じられないものを目にする。
「なにしてるの、詩人さん!?」
キザな美男子が、立ち止まって巨人に矢を射かけていた。
「こっちだ、うすのろ」
巨人の口元が少し変形する。
「サバ……キヨ……」
怒ったような低い声が漏れる。
自分が標的になったことを確認して、詩人はきびすを返し逃げ出した。
「ツ、ヨイ……!」
だが、巨人は追いかけなかった。
代わりに片手に握っていた岩を見る。山脈のふもとにある村をつぶした、大岩だ。
「し、詩人さん!」
リテレーゼは思わず立ち止まって叫んだ。
五本足の魔物は邪悪に笑った。
走っていた詩人の足元が、弾けた。
「〜〜〜〜っ!!」
土砂が舞い上がる。巨人は岩を投げつけたのだ。
詩人の姿はもう、なかった。
(な、なんで……そんな……)
魔物はリテレーゼの方を見た。
「うっ……!」
見つめられて、動けない。
恐怖は死の実景を鮮明に想像させる。
(あ……に、逃げなきゃ……死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ……)
巨人はまた、走り出した。
五本の足を非効率にバタバタさせて、地を揺らす。
「おいおい、こっちにももうひとり美男子がいるぜ、デカブツ!」
だがそれを呼びとめる者がいた。
「ディ、ディディエさん……ダメ……やめて……」
(死ぬのはイヤだ……でもみんなが死ぬのは、あたしが死ぬよりもっと、イヤだ……)
三十手前の剣士は腰に差した剣をかかげた。
それがカッと松明のように発光する。
「チンケな魔法剣で悪かったな、詩人! だが案外、女の目を引くのには役立つのさ!」
魔物は体の向きを反転させ、トレボール・ディディエへ標的を変えた。
(あぁ……なんであたしは皇国貴族じゃなかったんだろう。少し生まれが違えば、お父さんの領地は続いていた……お姉ちゃんもまっとうに生きれていた……魔力があれば、魔法が使えれば、こんな……こんなこと……)
少女は初めて、神を恨んだ。
特別熱心でもないが、昔はリテレーゼも姉も毎週祈りを捧げていた。なぜカアウラス神は大陸で皇国にだけ恩寵を与えるのか。国境ひとつ越えたくらいで、何が変わるというのか。
皇国の人間以外は、救われないのか。
リテレーゼはカアウラス神への祈りを、やめた。
迫る巨体に、剣士ディディエは呟いた。
「ま……このバケモンはどう見ても野郎だがな。最後の最後で趣味じゃねぇ相手の気を引いちまった」
彼の覚悟、犠牲を無駄にしないためにも、リテレーゼはまた背を向けて走るしかなかった。逃げて、生きのびる。それが仲間に報いる、残された方法だった。
脳裏へあふれる、彼らとの思い出。
父が自殺し、路頭に迷った姉と自分に飯を差し出してくれた遠き日。《舟歌》へ迎え入れてくれた、戦う術を教えてくれた日々。
後ろで、大きな音がした。
涙がこぼれるのもぬぐわず、リテレーゼは走り続ける。
「グォ……オオオオオ……」
──だが聞こえてきたのは、巨人の苦悶の叫びだった。
「……ぇ」
リテレーゼは振り返った。
幼きあの日と同じ光景。
空に人が浮かんでいる。
魔法師だ。
魔法師が魔法を使ったのだ。
(あぁ、……)
憎しみとも安堵とも畏怖ともつかない、混乱した感情があふれる。
助かるかもしれない。
でも、ここも危ない。近すぎる。
立ち止まっちゃダメだ。
巨人の死体が降りそそぐ。あの日のように。父の領地が死の土地へと変わったあのときのように。
(ディディエさんも……早く、逃げて……!)
魔法師は腕をかかげている。
そして──光が、降臨した。




