45:耳あり目あり盗み聞き
植木と壁とが人目をさえぎる校舎の陰に、ふたりはいた。研究室や物置、集会所として使われることの多い西方校舎の端であり、生徒はめったに立ち入らない。密会には最適な場所である。
「で、用ってなんだ姫さん」
「なんであなた、白クラスじゃないのよ。不便ね」
「罵倒の用事とは姫さんも暇なもんだ。さて、帰るぞ」
「待ちなさい」
ニルスの取り出した本を、アリカは手でガっとつかんだ。ニルスはしぶしぶと本をおろす。
「今度、『魔技武会』が開かれるの、知ってるでしょ。あれ、私も出場するから。ついてきなさい」
ニルスは書類を受け取った。紙をめくって中身を斜め読みする。
冒険者が武力を競ってトーナメント戦を行い、優勝者を決める大会、魔技武会。そこに特別選手として第一皇女を招待する旨が書かれていた。
「魔技武会……あの毎年やってる祭りか」
主催と場所は「自治都市」。国家に属さず武装中立をかかげた実質的な独立国である。人類の敵たる魔力生命体「魔物」を狩ることを生業とする傭兵を冒険者と呼ぶが、「自治都市」はこの冒険者たちの都である。
冒険者組織の本部が都市の中心にそびえており、魔物の前に人間が一致団結することを求める古代の詩が刻まれている。
「公務か。頑張ってきてくれ」
「きてくれ、とはおかしな言い回しね。あなたもついてくるのよ」
「馬車移動がそんなに嫌か」
「失礼ね。そんな理由じゃないわよ。私が個人的に、あなたについてきて欲しいの」
上目遣いをする皇女。
ニルスは嫌そうな顔をした。
「気色の悪い言い方をするな。目的はなんだ」
アリカは舌打ちした。
「自治都市と皇国の国境沿いで、魔物の大量発生の兆候があるらしいわ。ここ数年でアレは活動範囲を近隣諸国にまで広げてる。きっと今回も来るはずよ。──カアウラスの『天使』が」
「また見に行くつもりか。見てどうする」
捕まえるのよ、と透きとおるような金髪を漉いて少女は言った。
「捕まえる?」
「あなた昔、《魔転書》で空をのぼれるって言ってたわよね」
皇女はニルスの持つ本を指さした。
「のぼれるというか……ただ上空へ転移できるというだけだ。連続使用は厳しいから、長く留まることはできないし、落下速度が大きくなる前に地上へ転移しないと怪我もする。どう捕まえる気だ」
「そこはそうね……『エイリトニアの皇女が呼んでます』って伝えて『天使』自ら降りてきてもらうしかないわね」
ニルスは隈の濃い目を細めて笑った。
「杜撰がすぎるな。自分の価値を信じているのは結構なことだが」
「なによ。相手は仮にも、人々を魔物から救済し、怪我人も病人も治す心優しき天使さまよ? 話くらい聞いてくれるに決まってるわ」
なにか言い返そうとしたニルスだったが、そのとき突然、アリカに口をふさがれた。
「しっ、静かに。……誰か来るわ」
少女は紺色髪の少年を植え込みの中に引っぱって隠れた。
「ありがとうございます、ユノさん。ここまでで大丈夫ですよ」
「でも、心配だよ。ラシェルちゃんひとりでって念押しまでして呼び出すなんて……」
やってきたのはふたりの少女だった。
「スタニック殿下は私闘や私刑をけしかけてくるような方ではありません。なにか内密のお話や相談があるのでしょう」
ひとりは枢機卿ベルクナーの推薦生として知られるユノという女子生徒。もうひとりは、ヴェールをかぶった元公爵令嬢・『呪い』のラシェルだった。
「だとしても、こんな暗がりを指定するかなぁ……ここでふたりきりになろうだなんて、不純な思惑が感じられるけど……」
アリカとニルスは顔を見合わせた。
皇女は小さく舌打ちし、飛び出た少年の足を思いきり踏む。悶絶するニルス。
(出ていきづらくなったわね……)
アリカは囁いた。
(転移して戻ろう。手、つかまれ)
(不純な思惑、ないでしょうね)
(つまらん冗談だな)
コソコソと退散しようとするふたりだったが、しかし、次に聞こえてきた言葉に動きをとめる。
「あのさ、ラシェルちゃん。『天使さま』って知ってる?」
(…………)
(……どうした。噂話すら気になるのか?)
(うるさいわね)
(まるで恋煩いの乙女だな)
また、ニルスの足が踏まれた。
「わたし、昔『天使さま』に助けてもらったことがあってね。すごく尊敬してるんだ。あはは、そうそう、その『天使さま』。今じゃすっかり有名だよね」
風が吹いて、少し会話が聞き取りづらくなる。
「──そう。試験のとき、ラシェルちゃんの顔、見えたんだ」
葉の隙間から聞き耳を立てるふたり。皇女は背の高いニルスを下に押しこめて、身を乗り出す。風の音にまぎれて、言葉が漏れ聞こえた。
「ううん。違うの。顔を隠すにも事情があると思うし、出会ってすぐのこんなわたしなんかに打ち明けてくれる必要なんてないよ」
ユノという少女は植え込みの方を向き、ラシェルは壁側を向く構図で会話していた。こちらに背を向けるラシェルの声は聞こえないが、彼女がやわらかく、ユノの手をとって握ったのが分かった。
「あはは、ありがと。ラシェルちゃんはやっぱり、やさしいよ」
くすんだ金髪の少女は何かを恥じるようにうつむいた。
「それでね、ラシェルちゃん。変なこと、聞くみたいなんだけどさ。その……もしそうなのだったら、正直に教えて……欲しい」
『呪い』の忌み子はうなずいた。
「ラシェルちゃんは、ラシェルちゃんは────」
ユノの顔があがる。切実で、必死で、どこかせつない表情。
「『天使』さま、なの?」




