42:二転する
「まさか、きさっ、貴様、あのときの侵入者……!?」
肯定も否定もしない。
俺の思考は「神通力」にかかりきりだった。
「そんな……『呪い』が……『呪い』が、こんな!」
サリナスはなぜ斬撃を使わない。
あの、赤い宝石に装飾された細身剣が壊されたからか。振ることのみに特化した、特注の軽量な両刃剣だった。
普通の剣ではダメなのか。
【断罪】を発動するには、あの剣でなければならない理由が──。
「ラシェルさま。お連れしました」
そのとき、手下の「一座一門」元・暗殺者が月下に姿を現した。横に背の高い少女を連れている。
「ん。呼ばれてやってきた。エメリーヌは何をすればいい」
銀の髪、銀の瞳、銀の腕輪。ラシェルより少し歳上の少女。
「エメリーヌ貴様、裏切ったのか……!?」
サリナスは素っ頓狂に一驚し、身を固くした。
「この男に【教化】をお願いします。教会の機密と、カアウラス神について知っていることを詳らかにしなければならない、という認識を……」
エメリーヌ相手にはラグナと演じ分けをしているため、敬語に戻る。
「お安い御用。ついでに教皇の弱点も聞き出す」
「な、なぜだ。なぜ貴様が……。っ、分かったぞ、エメリーヌ、貴様はこの『呪い』に脅されているんだな!? そうだろう! 吾輩と協力して──」
男は叫んだ。
それは不吉な予想をくつがえそうと必死に抗っているようにも見えた。
「違う。これはエメリーヌの意思。私を裏切り、殺そうとした教皇への、復讐」
サリナスの希望は潰えた。
エメリーヌはサリナスに近づいた。
⋯⋯⋯⋯。
対象の認識を改変する神通力。
「やめ……やめろ……神官に対する【教化】は禁忌だ! よもや同格、枢機卿に対して行使しようとしているのではあるまいな!!」
能力を発動するには、手首で相手に一定時間触れる必要がある……。
「ひぃっ⋯⋯やめろ! やめろエメリーヌ!!」
少女はまさに、手首をサリナスの頭に置こうとしていた。
「──エメリーヌさん、待ってください」
月光を受けて、銀の腕輪がきらめいた。
「どうしたの、ラシェルちゃん」
少女の手首におさまった、巧緻な細工に視線が吸い寄せられる。頭の中にひらめくものがあった。
「…………神通力など端から存在していない。違いますか?」
それはとある仮説。
「……? してる。いま使おうとしてた」
少女は首をかしげた。
「『神通力』が指し示すものを一意に定めましょうか。この国で、この大陸で一般に信じられている、カアウラス神が授けたという神秘……霊妙自在の力。超常的な異能力。そんな『神通力』は、本当に存在しているのですか?」
「……? んと⋯⋯」
能力の詳細にばかり気を取られて、その存在自体を疑うことを俺はしていなかった。
そもそも、下界の個・生命体に過ぎないはずのカアウラスとやらが人間に力を授ける、などという教会のプロパガンダを鵜呑みにする必要は全くないのだ。
魔法にできることと、できないこと。三年間、別邸にいながらにしてそれを勉強してきたではないか。
分身? 不死身? 洗脳?
魔法体系の枠組みから逸脱した力。魔法でないことは確かだ。当然、上位存在たる天使の扱う神聖力でもない。ならばそれは、本当に「カアウラスの力」だというのか。
いや。
もうひとつ可能性があった。
これまで失念していた、考慮にいれるべき第三の力。
それは魔法具だ。内蔵魔力、あるいは術者の魔力を消費して回路を稼働させ、魔法を自動展開する機構。
そんな魔法具のうち、現在の技術力では修復・複製・新造が不可能な古代の遺産を「遺物」と呼ぶ。
《魔撃銃》、《魔封茶》、《魔収杖》、《魔転書》、《アルカンゲルム》。皇国が保有するというそれらに代表される特異な魔法具である。遺物はときに、使用者を選び、特殊な訓練を必要とする。
「エメリーヌ……さん。その腕輪は遺物ではありませんか?」
俺は静かに問いかけた。
「ん。これは遺物」
エメリーヌはさも当然という顔をして、あっさり答えた。
「遺物の中でも特に優秀な遺物──神器って呼んでる。【教化】の能力はこの遺物の力」
やはりか。
「私が神通力について尋ねたとき、なぜこのことを教えてくれなかったのですか」
自然と眼光が鋭くなる。
「それは……」
これは信用の問題だ。もし叛意を持って故意に黙っていたというのであれば、危険だ。彼女の【教化】はほかの神通力と比べても群を抜いて凶悪である。
純粋な暴力で解決できない領域は、俺の弱点。
これから行うサリナスの洗脳にしたって、彼女は彼の発言を自由に操作できる。嘘の情報を喋るように彼を操り、俺を陥れることが簡単にできてしまうのだ。
彼女の返答次第では、彼女を──。
「忘れてた」
エメリーヌはまた、あっさり答えた。
「…………本当に?」
「忘れてた。というか、ラシェルちゃんが『天使さま』だったわけだし、いろいろすごいラシェルちゃんのことだから、すでに知ってるとばかり……」
「……本当に?」
「本当に」
「…………」
「本当の本当」
俺はどっと疲れるのを感じた。
嘘をついている様子はない。むしろ俺が怒っていると思ってか、無表情を珍しくあわあわさせていた。
「んと、えと、ほ、ほら。たとえば、あのとき。ラシェルちゃんが本邸で魔力ゼロだと分かったとき。魔力がないのにラシェルちゃんは回復魔法を使ってたから、エメリーヌが『魔力ないのになんで魔法使えるの?』って訊いたら、『神通力です』って答えて……てっきり、魔法具を使ってるって意味だと思って……」
そういえば、そんなことを言って追及を誤魔化した気もする。
「やっぱり知ってるんだ、ってなって……ご、ごめんなさい。エメリーヌはラシェルちゃんを騙そうとしたわけじゃ──」
銀の瞳が不安そうにうるんでいた。
「謝る必要はありませんよ。問いつめるような真似をしてしまって、私こそごめんなさい。神通力の正体が魔法具だったことに、あまりに驚いたものですから……」
「ん……エメリーヌ、これからは気をつける。エメリーヌはラシェルちゃんの役に立つ。なんでも訊いて。だから……」
すがるような目つきで何か言いかけた少女の言葉を、サリナスの怒声がさえぎった。
「きさっ……エメリーヌ!! 枢機卿の機密を後継者でもない人間に明かすとは! 忘恩きわまる不忠者めが!! 誰が貴様を育ててくれたと思っている!! 親に捨てられた貴様を拾ったのは、教皇猊下であろうが!!」
サリナスは先ほどまでの怯えはどこへやら、少女を怒鳴りつける。
「周囲に疎まれ、親からも親族からも見捨てられた貴様を、育ててくださったのは誰だ!」
少女はビクリと肩を跳ねさせた。
「エ、エメリーヌは……」
「教皇猊下への復讐だと? 猊下が貴様に何をなさったのかなど興味もないが、親同然の恩人に貴様、剣を向けると言うのか! 捨てられた身で、拾われた身でありながら!」
「ぁ……あ……」
少女は呼吸を乱した。動揺しているらしかった。
心的外傷か。
エメリーヌは膝を震わせて、よろめく。
「誑かされたか! そこのおぞましい『呪い』に、そそのかされたか! 【教化】を授かった日のことを思い出せ、貴様は崇高な使命、正義、世界のために──」
だが。
「……ラシェルちゃんは『呪い』なんかじゃない」
少女は踏みとどまった。サリナスの言葉に確かな怒りをにじませて、震える足を律する。傾いた体を立て直す。
「ラシェルちゃんは、ともだち。エメリーヌの大切な、初めてできたともだち。『呪い』なんかじゃない。たとえカアウラス神がラシェルちゃんを嫌ったとしても、エメリーヌは絶対に嫌わない」
銀髪の奥からキッと感情をあらわにした瞳がのぞいた。
「『呪い』なんて、言わないで」
少女は力強く、手を伸ばした。
「ひっ……ま、待て! 早まるな!」
サリナスは後ずさった。
「後悔するぞ、エメリーヌ!! 吾輩に向けて力を使うなど、貴様、ただでは済まぬぞ!!」
情けない悲鳴をあげる枢機卿。それが涙まじりの懇願に変わっても、エメリーヌは止まらなかった。
【教化】が彼の身に迫る。
「ひぃっ⋯⋯やめろ⋯⋯ッ!!」
しかし突然に、エメリーヌは進む向きを変える。
少女は男から顔をそらし、こちらを振り向いた。
「え?」
急に力の行使を取りやめられたことに対して、顔を覆った指の隙間からサリナスが間の抜けた声を出す。
少女は腰をかがめ、片足を踏み出す。
そして、《《俺に向けて》》跳躍した。
「な────」
もともと俺たちの距離は三歩と離れていなかった。銀髪の少女は、俺に向け手を伸ばす。
「────に」
クソ。バカな。まさか。
結界の展開……力を纏わせて超加速⋯⋯間に合わない。
「エメ──っ」
少女の腕輪が俺の身体に、触れた。




