41:俗信と異様
「なに、サリナス猊下が戻らないだと?」
「は、はい。すべての班の試験が終了したのですが、通信に応答せず……」
「何をなさっているのかは分からないが、猊下に限って魔物に不覚を取るということもなかろう。今日は解散だ。暗くなる前に生徒たちを皇都城壁の内へ帰さなきゃならん」
「分かりました、では点呼を──」
教師どうしの会話を盗み聞きする者がいた。
木の陰にひそんでいた少年は、本を閉じ、緑の光を残して消えた。
場所を隔てて、生徒たちの待機場所。
午前に集合した森の入り口に、疲労困憊した姿で少年少女がへたりこんでいる。
「皇子チームと皇女チームの戦い、皇子が勝ったってよ」
「皇帝派も、スタニック殿下を教皇派に取られちまったのは相当な痛手だよな」
「でもアリカ殿下は最後まで善戦してたそうだぞ。ほかのメンバーが弱かったんだろ。なんせ『呪い』もいるし」
「その善戦してたお相手が、スタニック殿下ではなくゲルトさまというところが問題なんですのよ。皇族が公爵家の次男坊と互角では……。亡くなった第一皇子の出涸らしと言われても仕方ありませんわ」
「それでも、三名とも白クラスは確定ですよね」
試験後の談笑は、同じ班となった平民生も交えて──とはいかず、貴族は貴族、平民は平民で固まって行われていた。
そこに教師がやってきて、クラス分け試験終了と猊下からの講評は後日になる旨が告げられる。クラス発表の予定と、学園内における立ち居振る舞いについての注意が再三繰り返された。
「いいですか、大聖堂は聖域です。けっして許可なく立ち入らないこと。それから、障壁内ではゴーレムの遺物──《アルカンゲルム》が巡回していることを忘れず、良識と節度ある行動を……」
「⋯⋯⋯⋯」
その少女はその間、夕空を一心に見上げていた。
教師の言葉も、周囲の私語も彼女の意識のうちにはない。
「……感じる……」
少女は熱っぽい呟きを風に流した。
「なぜ、どうして⋯⋯。でもそれが、あなたのなすことであるのなら、わたしは…………」
くすんだ金髪が揺れる。
彼女が地上に目を戻すと、その視線の先には平民生たちの黒髪が、たなびいていた。
□■□■□
俗信というのは、いつの世も科学と合理の思考の前に敗北する。この世界における魔法とは、独自の法則に則って発動する。
それは一度限りの神の奇跡ではなく、古来より再現性を保ち続ける理である。
「忌み子というのは、飢えると身を喰うそうではないか」
男は嗤った。
「天に唾する愚かな咎人は、自らを食いつぶしているとも知らず己の手足を茹で、塩をまぶす」
男は額の汗を隠すように、首を振った。
「汚れた羊にはお似合いの末路だ。貴様にもすぐ神罰がくだる! 吾輩を殺したところで、それは変わらん!」
夜空、はるか天空。
吸気は浅く呼気が凍る、地に足つかぬ場所で男は不可視の力につり上げられていた。
『ラシェルさま。森に人はいません。エメリーヌさまをお連れします。しばらくお待ちください』
通信が入る。
黒髪の少女はヴェールを外した。
「な、貴様、顔の傷跡はどうした──」
言い終える前に、男の体は地上に向けて急降下していった。
団体演習試験の終わった晩だ。
ユノと一方的な再会を果たしたり、スタニックに素顔を見られたりと色々あったが、結果としては敗北した。今回のチーム戦と、魔力測定、身体能力検査、筆記試験の成績を踏まえてクラス分けがなされる。
障壁を何枚割れるかによって「攻撃力」を測ったときとは異なり、この一事でもってラシェルを退学に追いこむことはできないだろう。団体戦であり、相手が相手だ。だからあっさり敗北しても問題はなかった。
おかげでもうひとつの目的に集中できた。
いま目の前で金縛りから脱しようともがいている髭を生やした男・枢機卿サリナスの拉致に、である。
俺は怪我をしたドゥドゥのために教師を呼んでくるという名目で、森の奥にひとり待機していたサリナスへ近づき、神聖力によって拘束し、森の直上へと打ち上げた。それから夜の帳が下りるまで高空に固定、放置。簡単なお仕事だ。
「貴様、忌み子め! この吾輩を抑えこんでいる力……なんと奇怪な! 悪魔と取り引きしたか!」
エメリーヌがやってくるまで時間がある。サリナスのための捜索隊でも組まれていたら面倒だったため、その類がないことの確認をとったうえで呼ぶことにしたのだ。
彼女が来るまで、対人戦闘の鍛錬でもしているか。
俺は腰に差した剣を抜いた。
拘束を解いてやる。
「ぬ! やった、面妖な術を打ち破ったぞ……!! バカめ、通信魔法具ではなくこの剣を奪っておくべきだったな、忌み子!」
サリナスは吐き捨てるように叫ぶと、腰の鞘から抜き放った細身剣を正眼に構えた。鍔の中央に埋め込まれた大粒の紅玉が、夜の森に輝く。
「カアウラス神は吾輩に囁いておる! 罪人を赦すな、天へ還ることもなきほど斬り刻み、無に還せと!」
細身剣を横に薙いだ。
斬撃は俺の鼻先をわずか指一本の距離で掠め去り、背後の大樹を音もなく両断した。遅れてやってきた衝撃波が、俺のスカートを激しくなびかせる。
「なっ……!? 断罪を、避け……!?」
サリナスの顔が驚愕に歪む。間髪入れず、彼は二撃、三撃と、剣を振った。そのたびに刃が闇を切り裂き、周囲の木々が積み木のように崩れ落ちていく。
だが、当たらない。
俺は地を走るように回避していた。実際に走っているわけではない。体自体はわずかに宙を浮いており、ただ移動にあわせて足を動かしているのだ。
「に、人間の反応速度で避けられるものではないぞ……!? 拳王と呼ばれた冒険者でさえ二撃と躱せなかったというのに!」
斬撃があたる、と知覚した瞬間に避けはじめても回避が間に合う、超加速のなせるの技だ。生身では絶対に不可能、魔法の才ある者でも初見では到底、対応できないだろう。
「まずはその剣をいただこうか」
「ッ……貴様──」
背後に現れた俺に、サリナスは振り向きざまに斬撃を浴びせかけようとし──。
「え」
結界に行きあたって、その細身剣は割れるような甲高い音を立てた。
「は、おい、まさか……」
サリナスの裏返った声が枯れるようにかすれた。
「まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかまさか」
粉々に破片を飛び散らせて、細身剣は中ほどで折れていた。月明かりに照らして、剣先を何度も確認する。目をこすり、それが夢か幻であるとでもいうように、震える手で剣をなでた。
「え、折れ……」
「心配するな。代わりの剣をやる。今度はそれで立ち向かってこい。対人戦闘の機会はなかなか貴重でな」
サリナスは声にならない叫び声をあげた。それはまさしく絶叫。癇癪を起こした子どものような金切り声であった。
「ァアアアうぅわぁァアアアアアアアアアアアアアアアアアっっ!!!!! きさっ、きっ、きききっ、きさ、きさま! きさっ貴様貴様貴様!!!!!!」
男は膝をついて地を這いずりはじめた。折れた刃の欠片をかき集めている。
「ァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアっっ!!!!」
髭を生やした大の男が、号泣していた。
「…………?」
「きさっ貴様!!!! なん、なんてことを!!!! なんてことをぉ……ぐっァアアアアアアア!!!! どっどうすればいい!? 赦され……るわけがない!! 【断罪】が、【断罪】が死んで、【断罪】はどうなる、悠久の彼方、歴史、吾輩ではない、殺したのは吾輩では……神器こそ与えられ給うた、魔力の、食糧に残された救いの……ァァァ」
「何を言ってる」
異様。
「どうやって殺す、殺された吾輩がどうやって、あのバケモノを殺す……!? 墓守を誰が【断罪】する……」
そう表現するに相応しい、取り乱しようであった。
それほど大事な剣だったのか。
だが俺の持ってきた剣もそれなりに高価な名剣である。
「立て。まだ終わっちゃいない。殺されたくなければ、次の剣をとれ」
「きさっ……」
まだわめき続けようとする男の首筋を、光線がかすめた。
「ひっ……」
地に深々と穴があく。威嚇のため、可視化するほどの高圧射出だ。
「く……くそ、くそ、くそ!! よくも!! よくも吾輩の剣を! 正義をなし、世界を救う剣を、よくも!!」
サリナスは細身剣を捨て、俺の差し出す剣を握った。
「よくも!!」
しかし男は剣を振るわず、俺の身体に突き刺そうとした。刃は結界にあっけなく弾かれる。サリナスはバランスを崩して転倒した。
「……どうした」
「ま、待て、来るな、近づくな!!」
サリナスは無闇やたらに剣を振り回した。
しかし斬撃は飛ばない。
「クソ、がぁッ!!」
サリナスは力を振り絞って立ち上がった。
剣を握り、俺に突進する。そしてまたも、結界が刃を阻む。
「なぜ斬撃を使わない」
「くっ⋯⋯か、堅い⋯⋯! さきの光魔法に、この障壁……。これほどの強者、いったい何者……。──ッ!」
狂乱していた男の目に、少しは理性が回復しつつあった。
「まさか、きさっ、貴様、あのときの侵入者……!?」




