35:退学を避けるには
「なぁ、どうやって入学したんだよ、この不正野郎」
俺の体に直接触れてきた少年も、取り巻きの連中も、黒髪。平民枠の入学者たちだ。
「教えてくれよ、なぁ」
床に手をついた俺を男子生徒が見下ろす。
すり鉢状になった講堂の天窓から差し込む陽光は、俺たちのいる壁際には届かない。宙を舞う埃だけが、斜めに差し込む光の筋の中で白く浮き上がっている。
どう対処したものか。
これは今回に限った話ではない。今後も似たような状況は発生するだろう。そのときの方針が今、あらかた決定づけられることになる。
無難なのは、無抵抗でなされるがままにやり過ごすこと。とにかく謝り許しを乞う。ひたすらに低姿勢でいれば、今回のところはしのげる。
ただ、これで事がおさまればいいが、相手がつけあがって暴力がエスカレートする可能性がある。使い走りにされたり、呼び出されたりと時間が専有される事態は避けたい。
あるいは、神聖力で彼らを突きとばす、転ばせるなどしてこらしめるという手。
これは避けたほうがいい。不審に思われるうえ、手の内をさらすことになる。タネは分かりっこないにしても、『天使』のときに似たようなことをやりづらくなるのはマイナスだ。
あとは、周囲を巻きこみ、助けを求める手。
ラシェル──呪いの少女を誰が守ってくれるというのか。望みは薄いな。
「──不正とはどのような意味でしょうか」
となれば、直接の反撃はせず、抵抗するしかない。
俺はヴェールの奥から、眼前の少年の顔を見据えた。視線が絡み合った瞬間、少年が不快そうに眉根を寄せるのが分かる。
「実力もないのに、偉い人に気に入られたってだけで入学したんだろ? オレらは血反吐ぶちまける思いで試験を突破したっていうのによ」
「お前、しかも元貴族らしいじゃん。どうせ家のコネか金でも積んだんだろ」
難癖の解像度は低い。
噂を聞きかじった程度のようだ。
「推薦に不正があったと?」
「そう言ってんだろ。テメェ、本当なら平民枠すら合格できねぇって貴族さまが言ってたぜ」
「堂々とコネ入学。恥は知らないようだが度胸だけはあるみてぇだな」
実は彼らの言ってることは間違っちゃいない。平民枠で受けていたら合格できなかったというのは事実だ。
いくら好成績をおさめようが、公爵家のコネで落とされていただろうからな。エメリーヌの推薦がなければ入学は困難だった。
が、まぁそれはそれだ。
「度胸があるのはあなたがたの方でしょう」
俺は声を高めた。
「サリナス猊下のいらっしゃる場所で、公然と枢機卿批判とは、よほどの覚悟をお持ちのようです」
見て見ぬふりをしていた近くの生徒が、こちらを振り向いた。
「は、批判……? なんで今ので神官さまを批判したことになんだよ」
男子生徒らは多少たじろいたが、引きさがる様子はなかった。俺は立ち上がる。引き倒されたときに汚れたロングスカートの丈を手ではらう。
「推薦という制度を理解してらっしゃいますか? 私への中傷はすなわち、私の実力を保証した推薦者の糾弾と同義。確たる証拠があってのご発言とは思いますが、あなた方は今、私の後見人──【教化】の枢機卿・エメリーヌ猊下を『不正野郎』と罵っていることになるのですよ」
周囲からの視線が増えた。
壁際の平民席以外、貴族席にもこちらを眺めている者が出はじめていた。
色とりどりのシルクやベルベットに身を包んだ貴族生徒たちが、扇子や指先で口元を覆いながら、冷ややかな好奇の目をそそいでいる。当然その視線の対象には俺も含まれているが。
「は、いや……オレらは」
「学園からの処分、私の後見人からの報復を恐れるのならば、今後は私に手を出さないことです」
「う……」
「……なぁここは場所が悪いぜ。いったん退こう」
変わりはじめた流れ。
だが、それをよしとしない者がいた。
「その必要はない」
銀髪の少年が人混みを割って進み出た。彼の着る制服は仕立てが良く、胸元にはレントシュミット家の家紋が銀糸で刺繍されている。周囲の平民生たちが、弾かれたように左右へと道を開けた。
「不正は事実だからな」
ゲルト・ド・レントシュミット。
元異母弟である。
「不正な手段で他人の庇護を受け、他人の権威を笠にきて威張るなんて、醜いな。顔が醜ければ精神も腐るのだろう。なぁ、ラシェル」
ゲルトは顎を突きだした。
「不正ですか」
「あぁ、不正さ」
平民相手には通じる枢機卿の後ろ盾の脅しも、ハッタリや誤魔化しも効かない相手。面倒だな。
「具体性を欠いた、低次元のデタラメを吹聴するのはやめていいただきたいのですが……」
「具体性ね。不正という確固たる事実がそこにあるんだから、証明なんて不要だと思うがなぁ」
「あまりに横暴ですね」
「それが『貴族』と『平民』の差ってやつさ」
嫌味に彼は微笑んだ。
顔立ちが整っているだけに、さまになっている。女子生徒が黄色い歓声を上げるのが聞こえた。
「まっ、過程の理屈は重要じゃないってことさ。前提と結果を示せば、誰にだってこの結論にたどり着く。レントシュミット家にラシェル、お前みたいなやつがいたことは一瞬たりともないが……」
家系図から「抹消」という措置が取られ、公然の秘密と化した点を婉曲に口にする。
「オレはお前をよく知ってんだ。魔力、測ってみろよ」
測定器が投げ渡された。
本邸で測ったときのものより古くて大きい装置だ。ガラス管の中によどんだ銀色の液体を満たしている。埃をかぶった外装が、窓から差し込む光を乱反射した。
ゲルトはニヤニヤと笑いながら、周囲の生徒たちの反応を煽るように肩をすくめた。
「答えを先に言ってやろう、お前の魔力はゼロだ」
その言葉が引き金となり、講堂全体にさざめきが広がった。
「え?」「あいつ元公爵令嬢じゃないのか?」「『呪い』だよな、ほらあの有名な」「昔は魔力あったんだろ、何したら没収されるんだよ恩寵を」
まったく厄介なことをしてくれる。
「枢機卿はどうしてお前を推薦したんだ? 推薦枠は普通、魔力を持った平民を拾い上げるために存在する。私生児か没落貴族の末裔かは知らんが、あの女のようにな」
ゲルトは講堂の中央を指さした。
くすんだ金髪の少女の後ろ姿が見えた。教師が驚いた顔をしている。平民生の制服を着ているが、魔力を持っているようだ。……⋯⋯どこか見覚えのある後ろ姿だな。
ゲルトは視線を戻した。
そしてまた、野次馬を見渡しながら声を張った。
「不正以外にお前が推薦をとれる理由があるのなら、答えてみろよ」
じわじわと俺は追い詰められていた。
「剣技です。私は神官剣士を目指していますから」
こう答えるほかない。
「ほう、十二年間も病で寝たきりだったお前が剣技! その細く白い腕でどんな剣を振るつもりだ、えぇ?」
ゲルトは俺の袖口からのぞく、細い手首を指さして大げさに嘲笑を浴びせた。皮下に青い血管がうすく透けて見えるその腕には、重量のある棒を振るうための筋肉など、どこにも見当たらない。
「お前には剣の師範もいなかったはずだ。教本でも読みながら独学で剣を習得したのか? なんと畏れ多くも枢機卿猊下の目にとまるほどの剣技を、身につけてしまったのか? いやー、気になる。気になる話だぜ。そう思うよな、お前ら」
ゲルトの取り巻きたちが一斉に下品な笑い声を上げ、講堂の壁面に反響する。他の平民生たちも、ここぞとばかりに野卑な視線を俺に集中させた。
「身体能力検査には『攻撃力』の項目がある。魔法具に、自分で出せる最大火力を叩きこむ試験だ。剣士にはすこーし不利な項目だが……数値は関係ねぇ。そこで、さぞ洗練された華麗な剣技を見せてくれるんだろうな?」
俺の剣の腕は剣術道場に通っている男児に毛が生えたレベルでしかない。ゲルトの言うとおり、剣の指南役もいなかったため、基礎の型さえおぼつかないのだ。
「楽しみにしてるぜ?」
少年は不敵な笑みを口元に張り付けたまま、芝居がかった仕草で一歩後退し、きびすを返した。
「⋯⋯⋯⋯」
まったく面倒だ。
無視してやりたいところだが……。
せっかく入学したというのに、ゲルトやそれに乗せられたほかの生徒からの声が大きくなれば、学園側が動く可能性はある。
……退学。
ありえない話では、ない。
籍をねじこむまではエメリーヌの権力でなんとかなっても、それを維持するのにはやはり俺の努力が必要なようだ。
「…………」
ゲルトは立ち去ったが、あっという間に俺は注目の的。さりげなく腕で目もりを隠しながら、血を測定器に垂らした。ガラス管の内部に落ちた赤い一滴は、魔法銀の液体に静かに吸い込まれていく。変化は起こらない。魔力はゼロだ。
俺はこのあとの立ち回りを考えながら、結果を伝えるため記録係のもとへ向かった。




