34:この不正野郎
廊下を男女が歩いていた。
風の吹かない、学園障壁の内側。しかし陽射しは暖かい。
「局長。教師とか正気ですか。魔法使えるんですか」
問いかけたのは《特殊遺甲総局》局長補佐、メルキ。
「魔法の実践以外のことを教える人間も必要さ。魔法理論から戦術、指揮。権力者の自制と自省、政体という軛、戦争の愚かさについて……。算術や地質学といった学問の座学だって忘れちゃいけない。私に務まるかは別問題としてね、メルキ補佐官」
答えたのは《総局》局長、アルバンである。
「きわどいことを言ってすぐクビになりそうですね。局長の信念は分かりますけど、その学者脳だけが取り柄なんですし、自制してください」
「信念か。私は信念なんてものは好きじゃない。我々は常に疑うべきなんだ。自らの行いは、果たして正しいのかとね」
「信念なんてクソ喰らえだぜバカヤローという信念をお持ちなんですね」
「…………。それに私だって少しは魔法を使えるよ」
メルキの髪をそよ風が浮かした。クリーム色の頭髪がはためいて、首筋からうなじがあらわになる。
「す、すまない。調整を間違えた」
「女性の髪をボサボサにする今のそよ風が、局長の魔法ですか」
「軽いものなら突き飛ばせる。これが結構、いざというとき役立つものだよ」
アルバンは立ち止まった。
三十後半に差しかかろうという年齢ながら、体型はほっそりとしていて、後ろ姿はまるで学生である。彼は寝癖のついた赤毛を手で頭になでつけた。
「メルキ補佐官、そろそろ皇城に戻りなさい。私ばかりかきみまで抜けると局員たちが困ってしまう」
「確かに私なしでは《総局》の一日は始まりませんが、ご心配なく。これからしばらくの間、日常的な業務と通信、決裁の必要な書類はここに回すよう、指示を出しましたから」
「……ここでかい?」
メルキは立ち止まったアルバンの前にある扉を押した。臨時教師に用意された準備室。椅子がふたつと机と本棚がひとつ、備えつけられているだけの簡素な部屋だが、広さはまずまずである。
「ここでです。局長がかつての教え子と再会して気まずそうにしているところを間近に観察できます」
「……スタニックはいい子さ。ただ彼は国家の中枢にいながらにして、国家に幻想を抱くきらいがある。真実のもたらす混乱より、虚飾の安寧を選ぶような──。どちらが健全で、より正しかったのかは後世の人間にしか知りえないことだけれどもね」
「……局長?」
からかいの言葉に対し、真剣な顔で、まるでひとり言を呟くような返事をした上司に、メルキは怪訝な顔をした。
「なんでもないよ。ただ、彼は幼いころから精神的に成熟していたって話さ。まったく、筋肉のことしか考えていないように見えて、やけにマセているものだからビックリするよ。……それより、今年はスタニックのほかにも優秀な新入生が多いらしいじゃないか」
アルバンは話題を転じた。
「第一皇女アリカ殿下に、レントシュミット公爵家の次男坊に、あとは推薦生が三人もいます」
「十数年ぶりだそうだね。枢機卿の後援を受けて入学……ただでさえ肩身の狭い平民生だというのに、そこにやっかみが混じれば厄介だろう」
腰をおろすと、椅子がきしむ。窓から講堂を見下ろす。今日はクラス分け試験前半。新入生が集まり始めていた。
「私が通っていた時代から生徒同士のいざこざは絶えなかった。実力があれば、ねじ伏せることもできるだろうけど……」
名簿をめくる。
そこには、元公爵令嬢の名前が載っていた。
「針の筵の貴族社会に自分から舞い戻ってくるなんて、肝が据わってるなぁ……スタニックが好きそうな遍歴だ」
冴えない総局長は心配そうに目を細めた。
□□□
「吾輩は、【断罪】の枢機卿アレクシス・ル・サリナスである!」
髭を生やした男が壇上で声を張り上げた。脇に控えていた教師が慌てて差し出した拡声の魔法具を、不要であると突き返す。
「今日と明日、クラス分け試験を吾輩が監督・視察する! みな心して、励むように!」
以前集まった講堂に、以前と同じように椅子へ座る新入生たち。
俺は見覚えのある顔の男の登壇に驚いた。
あのときの枢機卿だ。
「マジか、枢機卿がじきじきにオレたちを……!」
「頭に包帯巻いてないか? 怪我したのかな」
「お前知らねぇの。一般には伏せられてるけどよ、入学式の日の夜、大聖堂に賊が押し入ったらしいぜ。そいつとやりあってねじ伏せたときに負った怪我だとか」
「それあたしも聞いた! サリナス猊下が一対一の決闘で圧倒したけど、降参した敵に不意打ちで殴られて傷を負ったって……」
「なんだそれ、卑怯すぎるだろ」
……まぁ妥当な虚報と宣伝が流れていることはさておいて、あの晩、殺しそこねた男だ。
資料室をガサガサしていたところに、魔力の刃をぶつけまくってきた【断罪】の枢機卿。
あのときはラグナの肉体で、力の残量が少し心もとなかったため、戦闘を避けた。天井をぶち抜き、障壁を突破する余裕を残しておく必要があったのである。
「えーと、お静かに! クラス分け試験一日目、つまり本日はここで魔力測定、身体能力検査、筆記試験を受けてもらいます!」
【断罪】のサリナスが下がったあと、女教師が前へ進み出た。
「二日目は野外で団体演習試験を行います。仲間とともに敵チームと模擬戦をする、団体戦です。チームは当日に発表します! 明日は遅れずに演習場へ集合すること!」
今日は基礎力、明日は実戦における総合力をはかるというわけか。
「では、まず魔力測定です。上流貴族の方は入学前に済んでいることと思いますので、身体能力検査へ進んでください! それ以外の方は列に並んで、順番に採血していってください!」
俺は一応、レントシュミット公爵家として魔力測定は行ったけれども……勘当されてあの記録は無に帰した可能性が高い。
もう一度測定か。
まぁ俺は外見上、平民だ。魔力が完全なるゼロであってもそこまで目立たないはず──。
「──おい、あのヴェール、もしかしてレントシュミットの忌み子じゃないか?」
「バカ、ゲルトさまに怒られるぞ。もうレントシュミットじゃねぇ。勘当されたそうだ」
そんな甘い見通しは早々に崩れ去った。
どうやら噂が広まっているらしい。
閉鎖的な貴族社会における「呪いの令嬢」は一大コンテンツ……悪い意味で話題の渦中の人物。ヴェールなんて目立つ特徴があったらすぐ気づかれて当然、か。
いっそもうヴェールは脱いで、素顔をさらすべきだったか?
ラシェルの傷跡を知っている者には「古傷を消す手段を見つけた」とかなんとか言い訳して──。名前もラシェルから改名すれば、気づかれにくくすることはできた。
だが【教化】のエメリーヌの推薦入学者という情報から、俺がラシェルであることにゲルトはすぐ気がつくだろうし、それを広められたら結局同じことである。
それに、毛髪を発光させて白髪に変えているとはいえ、『天使さま』の方では素顔をさらして活動している。同一人物と悟られないうえでもヴェールは有用なのだ。
特に、臨時教師として学園へやってきている《特殊遺甲総局》の局長アルノー・ド・アルバン。その補佐官カイラ・ド・メルキ。
彼らは間近で『天使さま』の俺と会話したことがある。もう三年前のこととはいえ……わずかにでも疑念を抱かれれば、それが予期しないきっかけで確信に変わる、なんてこともありえる。油断はできないのだ。
つまり、避けられなかったこの状況。
「おい、テメェがラシェルか」
男子生徒が俺の肩をつかんだ。
「なぁ、どうやって入学したんだよ、この不正野郎」
各々移動を開始している新入生たち。
講堂の喧騒にまぎれて、俺は地面に引き倒された。複数の人影が俺を囲む。
「教えてくれよ、なぁ」
俺の体に直接触れてきた少年も、取り巻きの連中も、黒髪。
平民枠の入学者たちだ。




