32:入学式
「私にはどうも、神なんて……無謬の存在がいるとは思えない」
「殿下!!」
「戯れ言よ」
アリカは窓の外、薄闇に包まれはじめた皇都の街並みに視線を投げた。豪華な刺繍が施された袖が、石造りの窓枠に擦れてかすかな音を立てる。彼女の横顔には、年若き皇女には似つかわしくない、乾いた虚無感が張り付いていた。
「あまりに不信心な……問題発言です。《皇帝の天盾》しかいない場だからといって、万物を作り出し賜うたカアウラス神に対してなんたる不敬を!」
近衛は皇女を気遣いながらも、しかし毅然と声を荒らげた。
「不信心者を作り出したのは神の誤謬ではないの?」
「……及びもつかない大いなる意志が存在しているのです。偉大なる御心を卑小な我々に推し量れるはずもない」
「そう。私を作り出したのも神のご意思ね。なら、神を否定する私という人間を認めてほしいものだわ。それとも、私はカアウラス神の被造物ではないとでも?」
白磁のカップ。その縁が細い指先になぞられる。熱を失いかけた液体の表面には、金髪の少女の冷めた瞳が揺れながら映り込んでいた。彼女は吐き出すような溜息でその水面を乱した。
「……カアウラス神は試しておられるのですよ。神のお造りになったアリカ殿下という人間が、真に信ずるべきものへたどり着けるかどうか」
「まるでお人形遊びね」
「殿下!! ⋯⋯アリカ・アレクサンドル・ド・エイリトニア第一皇女殿下!!!!」
悲鳴のような叫びが、室内で鋭く弾けた。
「そのような⋯⋯そのような⋯⋯!」
《天盾》の女の唇は固く結ばれ、主君への忠誠と教義への畏怖の間で激しく揺れ動いていた。
「……ごめんなさい。少しひとりにしてちょうだい」
アリカは立ち上がって、部屋へ戻った。
ベッドへ寝そべる。
片腕を、額のうえにのせて天井を見つめた。
「力……圧倒的な力が、あれば──」
こぼれ出た呟き。
そのひとり言に答える者がいた。
「また兄を思い出しているのか」
「……年頃の乙女の寝室になんの用かしら。斬りとばすわよ」
一瞬前には誰もいなかったはずの部屋に、背の高い少年が現れていた。
無造作に跳ねた紺の髪が、血色の薄い肌と、眼下に深く刻まれた濃い隈を冷徹に際立たせている。そして彼は、小さな本を左手に開いていた。
「……通信を入れなかったのは悪かった。だが急ぎだったものでな」
「着替えでもしていたらどうするつもり? 本当に斬りとばされたいのかしら」
少年は無視して、本を閉じた。
「顔色が悪いぞ。本当に大丈夫か?」
「あなたに顔色の心配をされるなんてね。今日は稽古をつけてもらってたのよ。それで……自分の不甲斐なさに少し落ち込んでただけ。それより、不法侵入者さん。肝心の用件は何?」
「姫さんが落ち込む原因についてさ。魔物の群れが海岸沿いで暴れているらしい。『天使さま』がまた見られるかもな。来るか?」
「別に、『天使』と比較してどうこうってわけじゃ──」
「来ないのか?」
「行くわよ」
アリカは起き上がると、少年の手をとった。
緑の光が全身を包みこみ──ふたりは消える。
光がおさまったころには、まるで最初から誰もいなかったかのように、皇城の寝室はもぬけの殻となっていた。
□■□■□
「おい見ろよ、なんだあいつ。ヴェールなんかかぶって。平民のくせにお姫さま気取りか?」
「ん? あ、黒髪でヴェールって、あいつまさか……」
人の波の間を、俺は縫うように歩く。
談笑する少年少女たち。
みな、年齢は十五歳。
皇立学園の新入生である。講堂の中央には椅子が並べられ、そこへちらほらと人が座っている。彼らは貴族。
俺が向かうのは壁際だ。
中央の椅子よりも古く、背もたれのない四人用腰かけ。そこには黒髪の平民が固まって座っている。
「お隣、よろしいですか」
「え……あ、うん。いいけど……え、顔隠し?」
今日は皇立学園の入学式。
俺は無事、エメリーヌからの推薦により入学を許可された。どうやら公爵家の妨害もあったらしいが、枢機卿の権力には力及ばず、推薦枠の拒否はかなわなかったようだ。
「定刻だ! 列を乱さず、着席しろ!」
巨大な講堂に集められた新入生のざわめきは、壇上に立った教師の声で徐々に収まった。
「ただいまより、エイリトニア皇国皇立学園の入学式を執り行う。まずは学園長からの――」
式典は粛々と進んでいった。
しばらく、退屈な話ばかりが続く。
「新入生代表、アリカ・アレクサンドル・ド・エイリトニアです。この度、学園への入学を許された新入生の代表として、この場に立たせていただきましたこと、畏れ多くも、カアウラス神と、そして皆様に深く感謝申し上げます」
俺はあくびを噛み殺しながら聞き流す。昨日も魔物退治で辺境まで出張っていたため、寝ていないのだ。
睡眠欲など簡単に抑えこめるし、実際眠らなくても人間としての活動になんら影響はない。肉体的に疲れたら、治癒をすればいい。だからまぁ問題はないのだが……ただ、身体が成長しづらくなるというデメリットがある。俺の容姿・背丈は、三年前からほとんど変わっていなかった。
体格に関しては、健康的な食事をとり剣技の修練を積んだことで改善はしている。病人のようなほっそり体型幼女から、華奢で儚げという形容の似合う少女くらいには。でもそれでも、背が低いのは不便だ。ラグナより頭ひとつふたつ分も視点が低い。
前に座った生徒の体で、壇上が半分ほど遮られていた。
今話している少女は……確かこの国の第一皇女か。
整然と編まれた艶やかな金髪の輝くその立ち姿は気品に満ち溢れている。見る者全てに「皇女」という冠が自然と脳裏に浮かぶほどの完璧な佇まいだ。
「――そして、私たちはエイリトニア皇国の未来を担う世代として、期待される責務の重さを胸に刻み――」
話は長く、陳腐でつまらない内容だった。
「さて、最後に学園生徒会からの挨拶と、学園生活における注意点の案内があります」
進行役の教師の言葉。
いいぞ、早く終わってくれ。
「生徒会長のケーテ・ド・ホルンだ」
壇上に現れた少女の声は、瞬時に講堂の空気を掌握した。よく通る澄んだ声だった。
「まずは、本校への入学を祝す。ここに集った貴族諸君は、選ばれし者として、その誇りと責任を胸に学問と修練に邁進せよ。この学び舎は、単なる知識の殿堂ではない。未来を担う者の意志と実力を育む鍛錬の場である」
彼女は肩にかかったブラウンの髪を振り払う。
「そして」
ホルン生徒会長は壇上の中央に立つと、指先を軽く天へ向けた。その瞬間、光の輪のようなものが空間に浮かび上がる。それは無数の幾何学模様が絡み合った複雑な魔法陣であり、空間に溶けこむように淡く輝いていた。
天使の持つ神聖力には遠く及ばないが、相当洗練された光属性だ。
「本校および大聖堂を覆う障壁──この遺物は、ただ侵入を拒むだけの防壁ではない。建国時より受け継がれる古の叡智であり、外敵を払う防御の要である。その加護を得て、我々は平穏に学ぶことができる」
彼女が手を振り下ろすと、壇上に何かが現れた。
「すげぇ」「あれが有名な……」
貴族席の方からざわめきが起こる。
「次に、これは《アルカンゲルム》」
人型の物体だった。
曲線的な丸っこいフォルムで、胴体、腕、頭部がそれぞれ独立して浮かんでいる。脚はなく、宙に浮遊しているのだ。
鋼鉄と魔力の織り成す巨体は、威圧的な存在感を放つ。胴体には光る文字が刻まれ、関節は精密な操り人形のように動いた。まぎれもなく、ゴーレムである。
「《アルカンゲルム》は障壁内を巡回し、我々の安全を担保する番人である」
ゴーレムは一歩前に進み出る。その動きはなめらかで、機械的でありながらもどこか生き物めいて見える。
「《アルカンゲルム》は、侵入者や規律違反者を容赦なく排除するよう設定されている。警告に従わぬ者は、相応の代償を支払う覚悟をせよ」
ゴーレムが空中に、人造の片手をかかげた。
瞬間、周囲に稲光のような魔力が迸り、その場の空気が焼けつく。
「おぉ⋯⋯雷属性だ」「あれが標準武装? 人に当たったら黒焦げだろ」
新入生たちは囁きあう。
ブラウンの髪の少女は再び場を見渡し、言葉を締めくくった。
「諸君らがこの学園での規律を守り、貴族としての誇りを持って、己の成長に精進することを切に願う」
講堂の中央から拍手がわき起こった。
彼女は礼をし、壇から退く。
「それではこれにて、入学式を終了する。五日後、クラス分け試験を行う。その概要を各自でしっかり把握し──」
生徒会長。
彼女はついに一度も壁際……平民たちの座る席へ目線を向けることはなかった。
貴族枠、推薦枠、そして唯一入学試験の課される平民枠。学園の入学システムを聞いたときから、想像はついていた。
身分差とは格差であり、格差は対立を生む。
自然の摂理だ。
愉快な学園生活を送ることになりそうである。




