30:才なし、魔力なし
「結果が正しいとすれば、魔力値が──0です」
ガシャンと重いものが割れる音がした。
「こ、公爵さま!」
やわらかな絨毯に力まかせに投げつけられた魔力測定器は、勢いを吸収されながらも粉々に砕け散った。
「これは学園よりお借りした新型の魔法具で──」
「黙れ!!!!」
顔を青ざめさせる執事を突きとばす。執事は机の角に腰を打ち、転ぶ。倒れ込んできた彼を、俺は助け起こした。
「あ、ありがとうございます……」
その間に、公爵はよろめくように騎士団員へ歩み寄った。
「ジレンア殿! 騎士ジレンア殿! よもや取り引きをなかったものにするなどと、言い出しませんでしょうな!? すでに結ばれた契約を、まさか破棄するなどと!」
「魔力量は成長とともに微増する……。修練を積むことで増えはすれど、減るなど聞いたこともない。…………これがカアウラス神に嫌われた『呪いの令嬢』なのか……」
「ジレンア殿!」
「残念ながら、大聖堂が魔力を失った彼女を求めることはないでしょう。このようなことが起こったとは信じがたいですが、可惜有益な資源は現在、影も形もない」
「だからといって──」
「申し訳ありませんが閣下。これではそもそも取り引きが成立しません。今回の援助と、総大司教叙任のお話は、なかったことに」
「……バカな」
「申し訳ありません」
頭を下げる騎士団員。どうやら交渉の余地はなさそうだった。
「バカな……」
公爵はもう一度呻くように呟いて、数歩部屋の中を歩き、それから俺を見すえた。紙を焦がすかという烈しい眼光。余裕のある蔑みは煮えたぎるような憎悪に取って代わっていた。
「ラシェル……この無才めが! 貴様! 最後まで儂に恥をかかせおって! 殺してやる!」
公爵は腰に差した剣の柄を引き抜いた。ひどく短い剣身が振りかざされる。大気の魔力が揺らいで、剣の周囲に集まった。それは炎となって、燃えさかる刃を形づくる。魔法具だろう。
「お、おやめください公爵さま……!」
執事が前に立ちはだかるが、公爵は構わず剣を振り下ろす。彼もろとも俺を焼き殺そうというのだ。
「ひっ……!」
しかし魔法の刃が届くか届かないかという瞬間に、騎士が公爵の腕をつかんだ。
「落ち着いてください、閣下」
「離せ!」
しかし公爵はそれを振りほどき、炎の剣をもう一度振り上げた。
「──落ち着いてください、と申し上げています」
騎士はすばやく公爵の背後に回りこんだ。肩から腕を取り押さえ、剣を彼の手から払い落とした。
「……っ!?」
炎が絨毯に触れ、床を這うように燃え広がるが、騎士ジレンアは水魔法を詠唱してそれを鎮火する。
「子殺しとの誹りを甘んじて受け入れ、後世に悪名を残す覚悟がお有りなら、お止めする必要もないでしょう。しかし閣下はいま、冷静さを欠いておられるようだ」
騎士は言った。
「暗殺ならいざ知らず、執務室で娘を手にかけようとなさるなど……。くれぐれも、皇帝派の連中につけ入る口実を与えないように。我々騎士団……ひいては教会はレントシュミット家の余事にまで関知しませんが、アドルフ殿とゲルト殿の名声に傷がつくのは困るのです」
「……⋯⋯ぬぅ⋯⋯」
「ひとまず、私は大聖堂へ戻ります。魔力源のあてが外れたと、報告をしなくては」
場は完全に騎士が仕切っていた。
ゲルトは俺を見て面白がるようにニヤつきながらも、父の様子をうかがってか、意外と空気を読み、何か発言する様子はない。
「…………」
黙りこんだ公爵。
そのまま動く気配がない。
部屋を沈黙の帷が覆った。
「⋯⋯」
さて、どうしようか。
おおむね計画通りではあるが、ここでお開きだと収まりが悪い。物事というのはいたずらに時間をおけば、予期しない方向へ転がる可能性がある。
このまま言い出さずに終わるのなら、仕方がない。
こちらの方から──。
思考を巡らせ、口を開きかけたとき。
「………………勘当だ」
公爵は「その言葉」を口にした。
「魔力多き人こそ貴き人。魔力ある者こそ貴族である。ならば、魔力なき貴族は──貴族ではない」
ヴェールの奥で、俺は口の端をつり上げた。
「ラシェル・ド・レントシュミット……貴様は……勘当だ。いや、勘当のうえ、家系図から抹消する……!!」
抹消。
反逆者などの名前を公的な記録、碑文、家系図から削り取り、最初から存在しなかったことにする処置。親子の縁を切る「勘当」をおこなって家名を剥奪し、そのうえで存在それ自体を家門の汚点として消し去るというものである。
「……なるほど。確かに……魔力を失った今なら、正当性はある。《総局》も、こちらに汚点を抱えたままでいて欲しい皇帝派も口出しはできない」
騎士団員は納得してうなずいた。
「くくく……ガハハハハ!!」
勝ち誇ったように公爵は肥った腹を揺らした。
ラシェルが黒髪と分かり、顔に傷を負い、さらに魔法の才までないと明らかになった十数年前。そのときはここまでの処置をとることはできなかった。貴族社会の慣習と当時の派閥情勢がそれを許さなかったのだ。
抹消ができないのならば、せめて家系から切り離したい。そう考えたが、ラシェルは前代未聞の忌み子。世俗における権利を放棄させて修道院へ入れることを、教会側は拒否した。
結局、呪いのような病によって死ぬことを待ち、古びた別邸に押しこめるほかなかった。
数年前にはその病状が快癒し、屋敷内を歩き回れるほどになったというので、暗殺や毒殺を試みたが運の悪いことにことごとく失敗に終わっている。
だがようやく今日。
十五年越しに、公爵の頭痛の種が消える。
貴族の証たる魔力を喪失した彼女に家名を名乗らせるのは、むしろ冒涜である。神に嫌われていると言われた少女の唯一の救い、その圧倒的な魔力量が消えたとなればもはや彼女を守るものは何もない。
「ラシェル、貴様はたった今から、レントシュミットの人間ではない。そして」
取り落とした剣の柄を拾う。
「殺してやるぞ、小娘」
魔力がみなぎり、剣に流れ込む。
熱風が部屋に渦巻いた。炎が長い刃をつくりあげた。
案外なんとかなった。
軌道修正の必要はないな。
「…………」
俺は目を閉じる。
「ほう、死を受け入れるか。みじめに泣き叫ぶと思っておったが諦めのいいことだ。最期になって初めて、儂の期待に応えてくれたようだな」
意識の切り替え。
ラシェルは立ったまま、視点が移り変わる。腕を振って、合図を出した。
「遺言は聞かんぞ! 死ね、この忌々しい忌み子めが!!」
今度こそと振り下ろされた剣は、しかし再び静止する。
扉を蹴破る勢いで、執務室に大勢の人間が駆けこんで来たためだ。
「ん。その殺人、ちょっと待った」
部屋になだれこんで公爵家の人間を囲んだのは、神官服を着た男たち。
そして銀髪の少女だった。




