29:呼び出される令嬢
「遅い」
本邸の執務室には、すでに公爵とゲルトが向かい合って座していた。厳格で豪奢な室内装飾の中、呼び出しを受けたラシェルが立つ場所は、あたかも罪人の席であるかのような位置だった。
遅いと言われてもな。
どう考えても、呼び出しの予告をしなかったのは故意であり、嫌がらせの意図が透けて見えている。
「お前を飼ってやっている儂に対する、感謝や敬意といった情がまったく感じられんな。やはり貴族の器ではない。いや、貴族以前に、人としての知性を疑うばかりだ」
「申し訳ございません」
俺は室内の様子を注意深く観察しながら頭を下げる。
「ふん……。おっと、貴様は座るでないぞ。そこに立っていろ」
銀髪の少年──ラシェルの異母弟・ゲルトの正面にどっしりと腰を下ろした公爵は傲然たる態度で俺をまじまじと眺め回した。
「はぁ~……まったくもって嘆かわしい。これほどまでに家門の名を汚す存在が我が血縁にあるとは、神の采配も過ぎた戯れよ」
彼は手にしていたペンをデスクの上に投げ置き、息を吐いた。
「なぁ親父、いい加減説明してくれよ。今日は入学前の魔力測定のはずだろ。なんで出来損ないがここにいる」
ゲルトが俺を睨んだ。
ご存じ兄アドルフとは受肉後早々に対面し、暴行を加えられた因縁があるが、ゲルトと会うのは今日が初めてである。
「そうだ。今日は学園から測定の魔法具を借りてきた。お前たちの魔力量を測るためにな」
「なっ……」
公爵が机に置かれた鈴を鳴らすと、執事が中くらいの箱を持ってくる。上部に蓋はなく、中にごちゃごちゃと管やら筒やらが繋げられているのが見えた。
「おいおいおい、冗談キツイぜ親父。耄碌するにはまだ早いだろ。まさかラシェルを学園に通わせるつもりじゃねぇだろうな」
ゲルトは堪えがたいとばかりに立ち上がる。
それを公爵は鷹揚に手で制した。
「まぁ待て。慌てるな──」
肉付きのいい顔を機嫌良さげに歪ませる。
「まずは紹介からだ。ジレンア殿」
「は。中央騎士団、第一大隊所属ジレンア・ド・キュシガーと申します」
執事の脇から、ひとりの男が進み出た。
騎士の胸にあしらわれた獅子の紋章を指さす。騎士団員の証だ。
「アドルフの部下だ」
この国には、いわゆる「騎士」は二種類いる。
ひとつは貴族家に忠誠を使い、主のために戦う騎士。大部分の騎士はこれであり、主人に付き従って領地へ住まい、統治に力を貸す。
そしてもうひとつが、カアウラス神教会の管理する「騎士団」に所属する騎士団員だ。彼らは貴族社会の派閥からは隔離され、皇都に本拠を構える。《総局》と争うように皇都の治安維持に努め、皇都城壁を警備し、外敵から国の首都を防衛する。冒険者と共同で大規模な魔物侵攻にも出撃することもあれば、ときには戦闘力に劣る治癒専門の神官を護衛し、街の間を行き来する。
そこへアドルフは入団し、武勲を積み重ね、たった数年で第一大隊の副大隊長の地位まで上りつめてしまった。まさに新進気鋭。アドルフは次世代の英雄としてまつり上げられており、民衆からの人気は高い。
が、内通者【教化】のエメリーヌによるとそんな華々しい出世の裏には枢機卿の思惑が絡んでいる。皇帝派の筆頭・第一皇女アリカの世評の高さを憂慮し、対抗馬として教会派の旗印としたいらしい。
「彼は教会からの命を授かり、騎士団から今日、わざわざうちに来てくれた。そこの──無能を買い取るためにな」
「買い取る……?」
怪訝な顔をするゲルトに、公爵は測定魔法具を差し出した。
「まずお前から測ってみろ。日々、魔力の修練は怠っていないだろうな」
「当たり前だ」
銀髪の少年は荒々しく箱を受け取り、椅子へ身を投げ、短剣を取り出す。迷いなく指先を切りつける。それを箱から突き出た管へそそいだ。親指サイズの小瓶に血が半分もたまると、《小光軽癒》を発動し止血する。
「お預かりします」
執事がうやうやしく血を受け取ると、魔法具を操作し始めた。公爵、騎士団員、ゲルト、ラシェルが見つめる中、血液は管に流しこまれた。
真鍮の縁取りが施された細長いガラス管の中で、沈殿していた銀色の液体が、ゲルトの血に触れた瞬間に沸き立ち、刻まれた目盛りを無視するかのような勢いで管の最上部へと突き抜ける。
騎士団員は感嘆した。
執事が数値を読み上げる。
「血中濃度0.28。すばらしい魔力量でございます」
「おぉ……!」
「28ね。数年前に測ったときは魔力値26だったか? 兄貴には届かないが……2も上がれば上々だろ」
平民の魔力値は1以下である。
まったく魔力を持たない人間は存在しないが、魔法の行使が可能な貴族は最低でも魔力値10を持っていることを考えると、平民はまず魔法を使えない。なお、貴族の中で最も血の濃い皇族の魔力値は40を超える。
「次は小娘、お前の番だ」
我が子を小娘と呼ぶ父親。レントシュミット公は執事に次の測定へ移るよう促した。だがそこに、少年が割って入る。執事の腕をつかんで動きを止める。
「ちょっと待てよ。親父、説明してくれよ? この出来損ないの魔力値を測る必要なんてないだろ。まさか本当に、皇立学園へ入学させる気か?」
「ふっ、ガハハハハ!」
公爵はのけぞるようにして笑い声を上げた。贅沢な革張りの椅子が軋み、室内には彼の不気味な上機嫌が伝播する。
「コイツを学園に? そんなわけないだろう」
笑いをおさえながら、息子を諭す。
「ゲルト、お前がラシェルの測定を嫌がるのは分かる。魔力多き人こそ貴き人。魔力ある者こそ貴族である。それが定めだ。この小娘の魔力量はたしかに、お前より多いだろう。コイツめは魔法を発動させる才がないくせに──」
トントンとペンで机を叩いた。
「生まれつき魔力値が50を超えていたからな」
「チッ……」
「怒るな。だが結局、扱えなければ意味がない。宝の持ち腐れというやつだ」
公爵の目線が俺をとらえる。その視線は、高価な美術品が致命的に破損しているのを見つけたときのような、冷徹な蔑みに満ちていた。公爵はこちらに向けて軽く身を乗り出した。
「ところがだ。そんな不良品にも、価値を見いだしてくださったのが騎士団の方々だ。喜べ、貴様にも生きる意味があったのだ。今日まで生かしておいてやったことに泣いて感謝するがいい」
暗殺者を送り込んだり、その後もメイドを介して数回、俺の食事に毒を盛ったりしていたやつがぬけぬけと「生かしておいてやった」とはお笑い種だ。毒のたびに苦しむふりをして、ギリギリで生還する小芝居を打つのも面倒だったんだからな。
だがここはとぼけて質問しておく。
「それはどういう意味でしょうか」
「詳しいことはジレンア殿が説明してくれる」
アドルフの部下だという騎士団員は一歩前に出ると、事務的な口調で告げた。
「あなたは国のため、世界のために有効活用されます。その魔力量は無為に腐らせるにはあまりに惜しい。大聖堂が責任をもって、あなたを管理することでしょう」
「⋯⋯⋯⋯」
「……魔力」
ゲルトが一番に声を上げた。
「くっ、くははははっ! 飼い殺しか! なんだ、面白いじゃねぇか。よかったなラシェル。お前ごときでも、生をすべて捧げればやっと世に貢献できるらしいぞ」
弟は膝を叩き、身をよじった。先の苛立ちに満ちた態度はどこへやら、心底愉快そうに姉を嘲笑う。
騎士団員は公爵とゲルトの座る椅子を回りこんで俺の前に立った。
「ラシェル嬢、あなたの十五歳現在の魔力値を測定します。手を出しなさい。これは教会の定めた決定です。決して覆ることはない。あなたが青い空を見、日光を浴びるのは今日が最後となりましょう」
騎士はナイフで俺の指をなで、下に小瓶を置いた。血がその中へしたたる。
「じゃあなラシェル。兄貴はお前を殺せなかったことを悔しむだろうが、もう二度と会うこともない。すぐお前のことなど忘れるだろうさ。もちろん、オレもな」
赤い液体が十分に溜まったのを見て、騎士は執事に小瓶を渡した。
「それでは測定いたします」
ちなみに俺は魔法を使えないため、この指の傷を治せない……治してはいけない。ぼたぼたと出血したままである。
執事が魔法具のレバーを引いた。回路に魔力が走り、歯車が回る小さな音が響いた。真鍮の管の中で血液が魔法銀と混ざり合う。だが、数秒が経過しても、管の中の液体は微動だにしない。
「も、申し訳ありません。失敗したようです。もう一度よろしいですか」
執事が困惑した様子で魔法具を調整し、再度測定を試みる。しかし、結果は変わらなかった。
「もう一度採血からやり直しを……」
絨毯の敷かれた床へ垂れ流しだった血液を、もう一度別の小瓶にためる。それを執事は丁寧に、ひとつひとつの動作を確認しながら測定器にセットした。
しかし。
「ま、また……」
結果は変わらない。
「何をやってる。測定器が壊れたのか」
「い、いえ、魔法具は正常に動作しているのですが……」
しびれを切らした公爵が立ち上がって、執事の手から魔法具を奪い取った。管や小瓶の中をのぞき込む。異常はない。
「なら何が問題なのだ」
執事は青ざめた顔で額の汗を拭い、何度も魔法具の目盛りを確認した。室内には、主人の荒い鼻息と、遠くで鳴る古時計の秒針の音だけが響く。
それまで嘲笑を浮かべていたゲルトも、椅子の背もたれから身を離し、不審げにその光景を注視していた。
「何度測定してもその、魔力の血中濃度が⋯⋯"0.00"なのです」
部屋が静まり返る。
「結果が正しいとすれば、お嬢さまの魔力値は」
騎士団員のジレンアが眉をひそめ、疑念に満ちた目でラシェルを凝視する。執事の声が震えた。
「──0です」




