27:強大な光(皇女視点)
月日は流れ、夏季と冬季は交互に過ぎ去った。
「とった!」
力強く薙ぎ払われた木剣だが、相手はそれを素手で止める。尋常ではない反応速度と膂力によって木剣の刃をつかんだ男は、そのまま剣を力まかせに引く。たまらず、剣士の手から剣がすっぽ抜けた。
「おま……っ」
木剣を失ったため、攻撃魔法使用禁止の対人試合はそのまま決着を迎える。
金髪の青年と、銀髪の少年。
敗者──アドルフ・ド・レントシュミットは、左手に自らの剣を、右手に相手の剣を握った金髪の男、スタニック・アレクサンドル・ド・エイリトニアにやれやれと首を振る。
「スタニック、実戦でもそれをやる気か? 指が飛ぶぞ」
「徒手の格闘の軽視は良くないよアドルフ。魔法で事前に身体を強化してあるからね。僕はこの戦闘スタイルが性に合ってるんだ」
「まったく……一国の皇子に魔法指南をしてくれと連絡がきたときの俺に伝えてやりたい話だ。攻撃魔法を教えた三年間は徒労に終わったぞとな」
「徒労じゃないさ。ほら」
頑健な肉体を持つスタニックは、タコで硬くなった剣士の指を、隅に向けた。
「──《衍直焼夷》」
魔力が炎の矢を形づくり、勢いよく飛び出した。赤い直線は地を走って、命中。訓練場の端にある的を焼き尽くす。
「ふん……まぁ、威力は申し分ない」
「ふふっ、そうだろう。きみの言うとおり、僕は発動速度に難があるからね。だから奇襲時でもない限り、体で動いた方が速いんだ」
エイリトニア皇国第二皇子スタニック。
レントシュミット公爵家長男アドルフ。
それぞれ年齢は十五歳と二十歳であり、歳は五つも離れていたが、ふたりはお互いを認め合い対等な友人関係を築いていた。
スタニックの鍛え上げられた肉体は、歴戦の剣士さながらであり、見た目の上では同年代と形容しても違和感はない。
「そういえば、聞いたか? スタニック、お前の旧い師匠が学園の臨時教師をやるそうだぞ」
「…………アルバンが?」
アドルフの言葉に第二皇子は目を見開く。
「《総局》の業務は? 局長だろう? あぁ、そうか。ついにあの軍人らしからぬ景気の悪い、パッとしない態度が皇帝の逆鱗に触れて──」
「クビにはなってないと思うぞ。"臨時"教師だしな」
「なんだ」
スタニックは本気で残念そうな顔をした。
「仲違いしたというのは本当らしいな」
アドルフは苦笑する。
「……さぁね。ただ、あの人は《総局》の局長の座に相応しくない……そう思っているだけだよ」
「辛辣なことだ」
レントシュミット公爵家本邸の広大な敷地の一角を占める訓練場。冬から夏に移り変わる季節特有の、じめじめとした湿気をはらむ熱が頭上から降りそそいでいる。
二人は日陰に移動し、屋外に設置された椅子へ腰かけた。
「まぁ去就といえば、アドルフの話さ。もう騎士団の副大隊長まで上りつめたんだって? 最近忙しくしてるとは思っていたけど、異例の出世じゃないか。さすがだね」
「学園首席卒業の名は伊達じゃないってわけだ。お前ももうすぐ入学だろう、スタニック」
「まぁね。きみの弟・ゲルトと……妹もだろう?」
「ゲルトは当然だ。アイツはお前と首席を争うことになるだろうな。だが妹は──!!!!」
銀髪の青年の様子が一変する。
「ラシェルが⋯⋯ラシェルが、だと?!」
アドルフは立ち上がり、木剣を地に叩きつけた。
「あの、あの我が家門最大の恥が、皇国史始まって以来の災いそのものが、学園になど通えるはずもないだろうが!! ありえぬ! 万にひとつも! のうのうと今日まで生きていること自体が重大な過誤なのだ、それを貴族社会の衆前にさらすなど、決してあってはならぬ汚辱だ!!」
スタニックは呆れた顔でため息をついた。
「落ち着いて、アドルフ」
「栄えある皇立学園の校旗を汚す行為だ、入学など断じてありえん!!」
しばらく、緑の美しい庭園には公爵家長男の怒声が響いていた。
□□□
皇国の国境近く、荒涼たる山岳地帯に広がる村々では、近頃魔物の異常発生が報告されていた。
牙を剥いた魔力生命体の群れは夜陰に紛れ、田畑を荒らし、人々の生命を脅かしている。どれも単体では対処可能なものの、数が尋常ではない。村民が疲弊し、近隣の駐屯地からも応援が送られたが、それでも犠牲は日に日に増していった。
「これでは明日を迎えることも危うい……」
辺境の共同体は崩壊寸前にある。
家々は板を打ち付け、門を閉ざすが、魔物たちはそれを嘲笑うように迫り来る。星明かりすら雲に覆われ、絶望の色が濃く染まりゆく――。
□■□■□
「殿下。そろそろ到着します。ご準備を」
「すでに万全よ」
アリカ・アレクサンドル・ド・エイリトニア。
皇国の第一皇女たる彼女は、揺れる馬車の中で静かに佇んでいた。皇族直属の部隊・《皇帝の天盾》の守る馬車は夜道を駆ける。頑丈な荷台の中には物資がうず高く積まれ、脇には選りすぐりの近衛たちが待機している。
「辺境の事態がここまで深刻化しているとはな……現教皇派閥の連中も、さすがに放置はできなかったか」
一人の隊員が苦々しく呟いた。彼の言葉には、教会側へ敵愾心がかすかににじむ。
「所詮、あちらにとっては"都合の良い危機"なのかもしれないわね。皇族の権威が試される局面を前に、どれほど協力的な姿勢を見せるか、せいぜい注視しておきましょう」
アリカの言葉は冷ややかでありながら的確だった。《皇帝の天盾》の隊員たちは一様に黙したが、彼らの表情からは、教会に対する不信感が透けて見えた。
「もっとも、今は内輪揉めをしている場合ではありません。目の前の人々を救うことが急務ですから」
隊長格の女性が発言した。揺るぎない使命感の秘められた声。
「学園の始まる前までに、事が片付けばいいのだけれど」
「教師は今ごろ新入生のクラス分け試験の準備に大忙しですね。毎年内容を変える必要があるので、大変なんですよね~」
訳知り顔で語る隊員に、アリカもふっと息を吐いて気安い笑みを浮かべた。
「ま、もちろん私は白クラスよ」
「殿下なら当然だな」
「間違いない」
馬車に揺られる騎士たちは口々に親しげにアリカを褒め、彼女もどこか誇らしげだった。彼らは幼少の頃からアリカのことを知っている。
《特殊遺甲総局》が国に仕える職業軍人の警察組織だとしたら、《皇帝の天盾》は皇族の私兵、まさしく近衛である。
アリカにとって《天盾》の隊員たちは気心の知れた信頼できる仲間だった。
「――そういえば」
別の隊員が口を開いた。
「殿下、最近よく耳にする『天使』の話、ご存じでしょうか?」
「ええ、何度か報告書にも記されていたわね。数年前突如として現れた、魔物を駆逐し、人々を救って回っている謎の存在――その正体については、未だ誰もつかめていない」
「カアウラス神の遣わした救世主である、ともっぱらの噂です。もしかすると……今日、我々が国境に到着する頃には、すでに彼女が現れているかもしれません」
「天からの使い、ね。ずいぶんと大きな看板だわ」
「しかし、数年にわたる各地での目撃情報からしても、圧倒的な力を有しているという点については疑いようもないそうです」
「そう。……でも、本当に神からの使いであるなら、神はお救いになる民を選り好むようね。今まで、カアウラス神の名のもとに理不尽に死んでいった人々は祈りが足りなかったのかしら」
アリカは薄く笑った。その微笑の裏には暗い感情が渦巻いていた。
先ほどまでとは打って変わって、重い空気が流れる。和やかな雰囲気は霧散してしまった。
「殿下、それは――」
「あまりに不敬な失言だったわね。忘れてちょうだい」
隊長は、何か言い返そうとした新米隊員の肩に手を置いて諫めた。彼女には彼女の事情があるのだと、首を振る。
この馬車の中で、彼だけが最近メンバーに加入した新入りだった。
「失礼しました」
その青年はまっすぐに頭を下げた。
□■□■□
「総員、戦闘準備! 魔物の気配を多数察知!」
「とうとう来たか」
各々、座席から立ち上がって武器に手をかける。
馬車が小高い丘を越えた瞬間、そこに広がる光景を目の当たりにした《皇帝の天盾》の一行は、息を呑んだ。
眼下には、荒涼たる平原を埋め尽くす魔物の群れ。巨大な牙と爪を持つ魔狼、鋭利な角を備えた悪鬼のような異形、そして地を這う無数の甲殻生物が、咆哮とともに動き回っている。
それはまるで奈落の軍勢そのものであり、村々を呑み込まんとする濁流のようであった。
「……あれが、異常発生の実態か」
隊長の声が低く響いた。視線はその混沌の中心――否、その遥か上空に目を向かう。
そこには、煌めく光輪を背負い、大地を見下ろす一人の人物が浮かんでいた。
「白金の……少女……?」
「まさか、『天使』……!」
誰ともなく呟かれたその言葉に、一行全員の目が釘付けとなる。その姿は、宙に浮かぶ神秘的な存在――長いマントが風に舞い、白金色に輝く長髪が神々しいまでの輝きを放っている。圧倒的な威厳をたたえたその立ち姿は、もはや人の域を超えたものに思えた。
天使――否、その正体たるたったひとりの少女は、静かに空を漂いながら、華奢な腕をゆっくりと掲げた。その動作は寸分の無駄もなく、見る者すべてを引きつける威厳に満ちている。
「光魔法……と呼んでいいのか、あれは……」
天地を覆う、あまりにも巨大な光の束が彼女の頭上に顕現し、星座のように複雑な文様が光の筋となって描かれていく。
その光は穏やかなものではなく、荘厳でありながら恐怖すらも感じさせるほどの圧倒的な輝きを放っていた。
『────────!!!!』
突如、魔獣たちの群れがざわめいた。
それは本能的な恐怖の発露だった。牙を剥いていた巨狼たちが尻尾を巻き、悪鬼じみた魔物すら後ずさる。まるで大地そのものが天使の力を拒絶し、ひれ伏しているかのような。
「まさか────」
そして――光は解き放たれる。
轟音。
閃光の奔流は天から地へと降りそそぎ、魔物たちを焼き払った。その瞬間、大気そのものを震わせる鳴動が世界を、天地を裂くような光の柱が辺り一帯を覆い尽くした。
光の波動は怒涛の如く魔物を呑み込み、跡形もなく消し去っていく。
「なんだ……これは……」
《皇帝の天盾》の隊員たちは声を失った。雷鳴のような余韻が轟き、光が収束していくと、そこにはただ静寂と焼き払われた荒野だけが残されていた。
その光景はまるで、魔物の群れなど初めから存在しなかったかのようで――。
「……殿下、これは……どう解釈すれば」
隊員の一人が震える声で問いかけるが、アリカは答えなかった。その目はただ、未だ上空の光の中に佇む金色の天使を見つめていた。
遠いため顔立ちははっきりとしないが、美しい少女であることは分かる。
「……あり得ない……ここまでの力を……いったいどうやって……」
アリカの呟き。言葉を継ぐ者もいない。その目の前で、信じがたい光景が繰り広げられていた。
馬車の中から目撃したその姿は、まさに救済そのものの化身。
奇跡――そう呼ぶしかないものであった。




