23:本邸
エイリトニア皇国皇都。
レントシュミット公爵家本邸。
古びた別邸とは比ぶべくもない壮麗で巨大な屋敷。その敷地面積は学園や大聖堂には及ばないものの、皇城に次ぐ広さを誇る大邸宅である。
「しばらくぶりですな、ベルクナー猊下。それから、おお、なんと! そちらにおられますのは第二皇子殿下ではありませんか……!」
「どうも。お初にお目にかかります、レントシュミット公。スタニック・アレクサンドル・ド・エイリトニアと申します。カアウラス神の導かれし新たな巡り合わせに感謝を」
貴族の礼をもって公爵に応じたのは十代の少年。やわらかな顔立ちに、のびのびとした金髪。幼いにもかかわらず、ゆったりとした上衣に隠された肉体は非常に頑健であり、堂々たるたたずまいには武を修める者特有の風格があった。
「カアウラス神のお導きに感謝を。お会いできて光栄ですぞ、殿下。お噂はかねがね聞き及んでおりますゆえ。茶を淹れましょう、今信用できる侍女を……」
「それには及びませんよ。シェヌ」
レントシュミット公爵の言葉を痩せた老人が遮る。【永生】と称される枢機卿がひとり、クラウス=ユルゲン・ド・ベルクナーである。彼の視線が、隣に立つ男を捉える。
命令に応えて、シェヌと呼ばれた小柄な男が音楽隊の指揮棒のような棒を取り出した。それをテーブルの上へかざす。彼が棒を振るのにあわせて、空気の中から絹を紡ぐかのようにティーセット一式が現れる。
「──アルセナウス産のルミエール茶でございます。昼夜の寒暖差の大きい高地で育まれた一級茶葉を使用しており、芳醇な香りとすっきりとした味わいが特徴です」
今しがたどこからともなく出現したティーカップにはすでに琥珀色の液体が注がれており、ゆらゆらと湯気を立ち上らせている。
レントシュミット公は手を叩き、感嘆の意を示した。
「いやぁ、《魔収杖》といいましたかな。何度見ても素晴らしい遺物ですな。まったく見事だ」
シェヌは静かに頭を下げた。
「聞けば使用者を選ぶタイプの魔法具だとか。ひとつ、私にも調教方法をご指導いただきたいものです。意外にも才能があるやもしれません……ガハハ」
「初代教皇猊下より賜った家宝ですから……」
位が上のレントシュミット公に物怖じせず返すシェヌ。彼の爵位は男爵だった。
「そうそう、そういえばシェヌ殿のご子息は元気かね? なんだったかの祝賀会で会ったきりだが、聞くところによると彼も遺物を操れるとか。空間移動の《魔転書》でしたかな?」
ピクリと眉を動かしたシェヌを目で制し、ベルクナーは辟易とした様子でため息をつく。
「公。そんな些末な茶飲み種より、もっと重大な話題があるように思いますよ」
「あ、あぁ、これは失礼したベルクナー猊下。せっかくスタニック殿下にお越しいただいたというのに私の無駄話で時間を浪費してしまっては畏れおおい。第二皇子殿下の評判は耳にしておりますぞ。皇族でありながら皇帝派を見限ったと。素晴らしい先見の明をお持ちだ。教皇派にスタニック殿下が加わればこちらも百人力ですな。まさに先行きは明るい! 皇帝派ときたら、亡き第一皇子殿下は優秀でしたが、その遺志を継ぐと宣言した第一皇女殿下はどうも才能不足の感が否めませんからな。《《顔は》》いいのですがな」
肉厚の顎に上下運動を強いる軽快な舌を、ベルクナーは呆れたように眺めていた。これだけ働いてもぜい肉が減らないとは不思議なものだ、と。
「枢機卿定例会議ではあれだけ萎縮していたのに、地上では舌がよく回るものと見えますね、レントシュミット公爵」
そして実際、口に出してそう言った。
肥った公爵は急に突き出された毒針に鼻白んだが、スタニック第二皇子の視線を気にして、椅子へ座りなおし平静を装った。
「も、申しわけないベルクナー猊下。いや、本当に。……本題とはなにか、お聞かせねがえますかな」
「端的に言いましょう。公のご令息・アドルフ殿に、スタニック殿下へ魔法を指南していただきたいのです」
「は、魔法指南……ですかな?」
よく分からないという顔で首をひねる公爵に、金髪の少年、スタニック第二皇子が説明した。
「僕からの提案なんです。僕は見ての通り体を鍛え、剣の技を磨いてきました。しかし剣のみによって得られる武力には限界がある。そこで、おろそかになっていた魔法の訓練を強化したいのです」
「……ほう?」
「僕はいま十二歳。十五歳になり皇立学園へ入学するまでの間に魔法の基礎を極めたい。アドルフ殿は魔法の成績が優秀で、今年首席で卒業する見込みだと聞きました」
「ははぁ、なるほど。確かにアドルフのやつは今年で十八になりますが、すでに皇国で五本の指に入る魔法師であるとか言われているみたいですな。父としては誇らしい限りです、ガハハ」
子を持ち上げられて、気分を良くした公爵の腹が揺れた。
「私も別で弟子をとったり、墓場を行き来したりして忙しいですから。そこで、アドルフ殿に白羽の矢が立ったというわけです」
ベルクナーの補足にスタニック第二皇子はうなずく。豪奢な金髪が陽を反射してきらきらと光る。
「彼と僕は似たような立場にある。高い身分と恵まれた環境。生まれ持った多くの魔力。前々から話してみたいと思っていたのです。歳は離れていますが、よき友人、よき理解者となってくれるのでは……と」
「おお、我が息子と! 殿下の友人とは、や、光栄なことです」
「僕は肉体派ですから、座学について助言をもらいたいという目論見もあります」
お茶目にスタニックはつけ加えた。
「ほう。そういえばスタニック殿下。勉学の方は、あの《特殊遺甲総局》の局長の……ほら、なんといったかな……」
「アルバンですね」
「おぉそうでした。スタニック殿下は、アルバンとかいう皇帝の走狗に一時期勉強を教わっていたのではありませんでしたかな。師と仰ぐほどの仲だったとか……」
「昔の話ですよ。冴えないくせに頑固な男ですから」
十二歳にしては、ませた口調で言った。
「あまり不仲という言い方ではありませんな。ははぁ、派閥に思想、信条の違い。かくて道は分かたれたと。そういうことですな?」
ひとり納得して、レントシュミット公はふうふうと息を吐き、汗をぬぐった。紅茶を「あちち」と言いながら水でも飲むかのように一息に口へ流しこむ。
話が一段落し、しばらく本邸の一室を沈黙が包みこんだ。シェヌが遺物《魔収杖》をひと振りしてポットを取り出し、熱い紅茶を注ぎ足した。
鳥のさえずりが窓の外から聞こえてくる。
ベルクナーはわずらわしそうに視線を送って、シェヌに窓を閉めさせた。
「《遺甲総局》といえば、先日の話、聞きました?」
スタニック皇子が思い出したようにまた口火を切った。
「あぁ……魔物を撃退したのでしたかな」
「まだ広まっていませんが、魔物の群れを掃討したのは《総局》ではないらしいのです」
「……? では騎士団か、冒険者が?」
「ひとりの少女が吹き飛ばしたそうです」
「ガハハ。殿下は冗談の飛ばし方も学んだほうがよろしいようだ。こうも脈絡がないと、笑うより戸惑いが先に来てしまうものですからな」
若干呆れたように笑う。
しかしスタニックは表情を変えなかった。
「冗談でもホラ話でもありませんよ、公爵」
真剣な目で男を見つめる。
公爵はさすがに態度を改めて、老いた枢機卿に困惑気味に尋ねた。
「ベルクナー猊下も把握しておられますか?」
「空を飛んで、光の雨を降らせたそうですね」
どうやら真実らしいとようやく呑みこみはじめる。ベルクナーはめったに冗談を言わない、堅物の老人である。彼が断言をしたのだから、公爵も認めざるをえなかった。
「その少女──暫定的に『天使』と呼んでいますが、ファルマン猊下の監視網をもってしても見つかっていないようです。まぁ相手が本当に空が飛べるのでは仕方のない話ですかね」
「天使……カアウラス神の使徒と。教会の人間でないのなら皇帝の差し金ですかな」
「さぁ、そこまでは……」
「とにかく、『天使』の正体は早急に探る必要がありますね」
ベルクナーがそうまとめた。
「しかし、少女が魔物の群れをひとりで殲滅とは、まったく信じがたい話ですな。うちの小娘など、初級の教本に載っている魔法すら発動できたことがないというのに」
「『呪いの令嬢』ですか」
スタニック第二皇子が瞳に興味深げな光を揺らめかせたのに気づかず、公爵は嫌悪の語気を強めた。
「ご不快に思われるのも当然ですぞ。下賎なる黒髪の忌み子、まさに我が家門唯一の汚点! さっさと死ねばよいものを、先日病状が回復して別邸を散歩していたと、メイドから報告がきましてな……。考えるだけで忌々しいったらありゃしない」
ドンと机へ拳をぶつけて、紅茶がこぼれた。失敬と謝って、公爵は言葉を継いだ。
「弟のゲルトの方は、兄に似て魔法の才に秀でているというのに。我が子のことながらいかんともしがたいですな、ガハハハ!」
脂ぎった腹を揺らして公爵が笑う。
その発言を肯定も否定もせず、ベルクナーは細い指で机を叩いた。
「殺せばいいでしょう。病み上がりなら死んでも不自然ではありませんよ」
スタニックは思わず公爵の顔を見やったが、彼は気にした様子もなく、むしろ納得して娘の殺害を検討しはじめた。
「ふぅむ……一考に値する案ですな。今までは手を汚さずとも病で勝手に死ぬとばかり思っておりましたが。やたらあの忌み子を庇い立てした《総局》の関心も、そろそろ薄れた頃合いでしょうしな。これは検討いたしましょう。助言感謝しますぞ、ベルクナー猊下」
毒殺か、暗殺者の手配か……などとブツブツ呟きはじめた公爵。それを尻目にスタニックは立ち上がった。
「もうじき夕刻ですし、僕はそろそろ失礼するとしましょう」
「おぉ、そうですか。どうですかな? スタニック殿下は今晩ここへ泊まっていかれては? 宴にて息子ふたりとともに歓待いたしましょう。あぁもちろん、めでたい席に娘は呼ばんのでご安心めされよ!」
「それでは、お言葉に甘えて」
金髪の若き皇子は招待を受け入れた。
ベルクナー猊下も泊まっていかれますかな? という公爵の問いかけが「私は忙しい」とにべもなく拒否されている脇で、彼は部屋の窓を見やる。地上五階の高さにある公爵本邸の一室からは、皇都正面部の皇城と、都市中心にそびえる大聖堂と学園の三つが一望できる。
(無才の「呪いの令嬢」……ね)
スタニックは、窓越しの夕空に白い光がちらついたのを見た気がして首をかしげ、もう一度目を凝らして見間違いであることを確認すると、部屋を出た。




