21:『ラグナエルは死んだ』
「あなたの外出は許可されていない。別邸内の庭園を散歩しなさい」
「わかりました。ありがとうございます、兵士さん」
権高な口調で言い放つ門兵に、ヴェールを揺らして会釈すると、俺はきびすを返した。
マリーやほかのメイドと同じ回答。もとより期待はしておらず、単なる確認作業である。別邸内の散歩……という名の偵察。今さらながら、邸宅の構造を把握するための初歩的な活動だ。
「あれ、もしかしてラシェルお嬢さま? 初めて見た……本当に黒髪なんだ。フッ、平民じゃん」
「屋敷の中でも顔隠しを外さないなんて。どれだけ醜いのかしら。縁談のひとつも持ち上がらないらしいけど」
「当たり前でしょ。誰がアレと婚約するってのよ」
クスクスと笑うメイドの会話が漏れ聞こえてくる。
聞き取れるか聞き取れないかという陰湿な声量だな。
「というか、なんで普通に部屋の外を出歩いてるのかしら。呪いを振りまくから出てきちゃいけないんじゃなかった?」
今までも、日常的にラシェルへの悪口で盛り上がっていたのだろう。ためらいのない罵り具合である。
自室に戻ると、窓枠のそばの壁のへこみが目についた。アドルフの暴力の痕跡だ。
拳を腹に突き立てられ、グリグリと壁に押しつけられたのだったか。
俺は銀髪の美男子の顔を思い出す。
妹に対する強烈な殺意。
その動機は納得のいくものだ。
いや、一般的な感性で見れば異常であることには変わりないのだが、理解できる理由が存在している。
公爵令嬢の身でありながら黒髪で、母を発狂・狂死させてしまった母殺し。魔力はあるのに才がなく、魔法をひとつとして使えない貴族としての無能。そんな少女に神が怒り天罰でも下したかのような、病と虚弱。
それら妹の悪評は兄であるアドルフにつきまとう。
有能な自分の足をどこまでも妹が引っぱるという事実に、思春期の青年の精神が耐えかねて、崩壊。
妹への凶暴性を発露する。
経緯は汲み取れるし、納得もいく。
汚点ひとつないエリート街道まっしぐらのアドルフを転倒させ顔に泥を塗る程度には、「呪いの令嬢の兄」という肩書きは深刻である。それだけラシェルの嫌われ具合はひどいものなのだ。
だがアドルフに根づく真の異常性は、その先にある。
『……あぁ。そうでした。俺としたことが我を忘れていました。しまったな……』
『《総局》が……いや、《総局》が出ばるまでもなく、俺は殺人犯になる。妹殺しの汚名は、呪われた妹の存在以上に、俺を覇道から遠ざける……』
『もっともです。……そうでした。申し訳ありません』
『止めてくださりありがとうございます、母上。えぇ、私も愛しております』
ラシェルへ散々暴力をふるい、大怪我を負わせて、ついに手にかける寸前。
彼は毎回豹変する。
高温まで熱された狂気が鎮静され、静かな狂気へと席を譲る。
人が変わったようにおとなしくなり、虚空に向けて会話を始めるのだ。この世にいないはずの「母上」と熱心に、しかし理性的に言葉を交わす。
ラシェルの日記帳の中でも変わらない。もう何年も繰り返されてきた、殺人未遂と豹変のセット。
あまりにぶっ飛んでいるので、精神になんらかの異常をきたした狂人であるのか、ほかに理由があるのかと訝しんでいた俺だったが……。
『もしかして昔お兄さんに殺されかけてた、あのラシェルちゃん?』
昨晩聞いたエメリーヌの言葉で謎が解けた。
なんと兄アドルフが「豹変」して殺害を思いとどまるのは、彼女の【教化】によるものだったのだ。
『やめ……兄さ、ま』
『口を開くな! 声を上げるな! 貴様に発言を許した覚えはない……!』
昔たまたまアドルフの暴走する現場を見かけて、エメリーヌは「ラシェルを殺してはならない」という認識を植えつけたらしい。
ラシェル五歳、アドルフは十歳。幼少のみぎりにして、既に妹の首を絞めていたそうだ。とんでもないな。
エメリーヌが見かねて、【教化】を行使した結果は知っての通り。
洗脳による意識と強烈な殺意とが対立して、殺人の未遂という歪な形に落ち着いていた。毎度、殺害を思いとどまる際には【教化】が効力を発揮していたのである。
つまりアドルフの口走った「母上」とは彼の思考が誘導・補正される際に補完される、捏造された会話相手だったわけだ。今は亡き母親と妄想の中で会話していたとは、涙がちょちょぎれるお話である。
ラシェルにとっては意味不明すぎて恐怖そのものだったようだが。
エメリーヌも、ラシェルが暴力を振るわれ続けていたと知って申しわけなさそうにしていた。「ラシェルを殺してはならない」ではなく「ラシェルを傷つけてはならない」とでもしておけばよかった、と。頭を下げて必死に謝るので、わざわざラシェルに意識を戻して「気にしないでください」となだめる必要すらあった。
そのあたり、【教化】の能力は柔軟じゃないらしい。洗脳はまさに文字通り行われ、刷り込んだ認識によっては予期しない結果を招くこともあると。
「……」
そういえばユノにも【教化】を施すよう、エメリーヌに頼んだが……。『ラグナエルは死んだ』。無難な文言だ。まぁ、特に問題はないか。
それにしても神通力のデメリットである。
【分霊】のファルマンや【永生】のベルクナー、ほかにも会ったことはないが【征圧】【護光】など、枢機卿はみなそのような欠点を抱えているものなのだろうか。
エメリーヌはそこまで他人の能力に精通しているわけではないようだったが、もし知ることができれば大きなアドバンテージにできる。大まかな情報については、次回会ったときに共有してもらうつもりだ。
「……ですが、取りあえず今のところは」
俺はシーツをぺらりとめくって、ベッドの下を覗きこんだ。
そこには眠ったままピクリとも動かない元孤児ラグナが横たわっている。ラシェルとラグナ。ふたつの肉体を駆使して、できることを増やしたい。
意識の切り替えをスムーズにする練習。それから、一方に意識を固定したままもう一方を操る、人形操作の練習を普段の鍛錬に組み込まなくてはな。
「おじょーさま! いるー?」
そのとき、部屋のドアが軽快にノックされた。
俺はラグナの体を蹴っ飛ばしてベッド下へ押しこむ。
「入るよー!」
ガンと変な音がして顔面から出血するのが見えたが、深く考えないことにして足先でゲシゲシと奥へ追いやる。
シーツを引っ張って、下を覗いても見えないように隠したあと本を開く。ベッドに腰かけ、小机へ肘をつき、栞を手にとる。
高速で動いた俺に、揺れて小机から落ちそうになる水差しを神聖力で固定する。そして優雅にページをめくった。
いかにも「今読書をしていたところだったんですよ」というポーズだ。
「こんにちはー!」
幼い女の子が部屋へ入ってきた。
「おじょーさま、元気?」
「どうしましたか? コレット」
「遊びにきた!!」
むふ、と胸を張る幼女。黒髪がひょこひょこ動く頭に合わせて跳ねる。あどけない笑顔には小さな誇りさえ宿っているようで、冒険心と期待に満ちた瞳を輝かせていた。
彼女はコレット。
唯一の友好的なメイド・マリーの娘である。最近、こっそり人体実験……もとい病の治療をしてやった女の子だ。
「あら、そうなんですか。では一緒に遊びましょうか。コレットは何したいですか?」
「うーんとね~」
コレットは小さな手をきゅっと握りしめ、背伸びをして唸りだす。いつもより少しお姉さんぶりたいという無邪気な努力が感じ取れた。
「あ! そうだ! あれしよう! かくれんぼ!!」
「かくれんぼ、ですか。いいですね。私にルールを教えてくれますか?」
「えっとね、探す役の人から、逃げる役の人が隠れるの。まずわたしが探す役になるから、おじょーさまは見つかったらダメだよ。あと――」
一生懸命に説明するコレットだが、そんな彼女に忍び寄る影があった。
「コ~レッ~ト~!! こら!! 見つかったのはあんただよ!!」
「きゃ!」
背後から現れたマリーが、コレットの脇に手を入れて抱えあげた。
「よりにもよってお休みになっているラシェル様の寝室に押しかけるなんて……悪い子のおやつはナシだよ!」
「おやつ! それはやだー!」
「ラシェルさま、お邪魔してしまい申し訳ありません、すぐに連れ帰りますので」
「それもやだー!」
体を持ち上げられたまま足をバタつかせるコレット。
「こら、静かに! 下へ戻るよ! ラシェル様はお病気の中屋敷をお散歩なさってお疲れなんだから。というか、あんたも病み上がりでしょ!」
「大丈夫ですよ、マリー。コレット、また今度遊びましょうね」
「うー……。また今度、ぜったいね!」
「ええ」
部屋から運び出される幼女をにこやかに見送る。
「……」
元気になってなによりだが……。
少し屋敷が騒がしくなったな。




