20:エメリーヌ
「発動。【教化】対象、枢機卿ファルマン」
電撃が走ったように、老紳士の群れはいっせいに体をビクンと痙攣させ──沈黙した。
「……」
……キモいな。
丘の上を埋め尽くす量の老人が突然、呆けた顔で微動だにしない廃人と化していた。
「……ん、よし。どうも天使さん……のお仲間さん?」
うつろな瞳で口を半開きにする老紳士を放り出して、この状況を作り出した張本人は無感動に言った。抑揚のない口調。感情の読み取れない、静かでクールな雰囲気をまとった少女だ。
なんだコイツは。
仲間の枢機卿を裏切ったのか。それとも老人のバカみたいな表情は演技で、これも作戦のうちか。
何を考えているのか分からない。
完璧な無表情。
いや、よく見ればかすかに頬が赤い……?
「あの、まずはこれでも羽織って」
少女は俺に外套を差し出した。なるほど、確かに今のラグナは裸体にぼろきれを巻きつけたような格好をしている。
しかしつい今しがた、少女が老人の脳天に短剣をぶっ刺して廃人に変えたところを見たばかり。少女は依然として短剣を握っている。警戒するなという方が無理な話だ。
「あぁ……この短剣を気にしてるの。大丈夫。精神的に動揺させたほうが【教化】しやすいから刺しただけで、あなたを刺したりはしないから。もちろん【教化】もしない」
そう言って少女は老紳士の血のついた短剣を捨てて、蹴り飛ばした。短剣はラグナの足元に転がる。
念のため、俺は光線を放ち、短剣を消し飛ばした。土煙があがる。
「おぉ……すごい。詠唱もなしに、こんなことできるなんて。やっぱり特別。エメリーヌの仲間になるべき。天使さんのことは、その、残念だった。ごめんなさい」
少女は頭を下げる。丁寧に肩で切りそろえられた銀髪が風に揺れた。
敵意は感じられない。
彼女がよこした外套を慎重に羽織る。何の変哲もない布だった。
「あなた、教皇派? 皇帝派? それともエメリーヌ派?」
「は?」
エメリーヌとはこの少女の名前だろう。
エイリトニア皇国では教皇と皇帝の権力争いが繰り広げられている。
しかしエメリーヌ派閥なんて聞いたことがない。
「あ、えっと、エメリーヌ派っていうのは、つまりエメリーヌの仲間って意味。隠れた……第三勢力。……になる予定」
怪訝そうな顔をしていた俺を見て、銀髪の少女は相変わらず平坦な声で説明した。
第三勢力?
教会や皇帝と対立するつもりか。なぜ?
「目的は何だ」
「教皇に復讐するため。あ、皇帝陛下や皇女殿下は……別に敵じゃない。むしろ味方。うん、実質エメリーヌ派は皇帝派かも」
いまいち要領を得ないな。
少女が頑張って話そうとしているのは伝わってくるが、全体的に口下手だ。
疑問点も多い。
「なぜ俺を洗脳して仲間にしない? こうやって説得するよりよほど簡単で確実だと思うが」
「ん。【教化】された人間は、【教化】されたことに関する思考がすごく歪になる」
少女はいい点を訊いてくれた、という風に頷いてから人差し指をピンと立てた。
「自分の考えがねじ曲げられていることを自覚できないかわりに、そのことについて深く考えられなくなる。整合性を維持するために勝手に脳内で情報を捏造して補完しちゃうから、すごく……バカ? っぽくなって使い物にならない。だから仲間にする人にはやりたくない」
なるほど。
神通力も無敵じゃないわけか。デメリットが存在していると。
「俺に何を求める? 何をしてほしい? この交渉の着地点は?」
「あなたは戦力。教皇を殺せるそのときが来たら、一緒に戦ってほしい。今日のところはその約束をして、今後も定期的にエメリーヌと会ってほしい」
「報酬は? 俺に何の利益がある?」
「エメリーヌにできることなら、何でも協力する。復讐計画の邪魔にならないことで、無理のない範囲ならいくらでも、ずっと協力してあげる」
「…………」
思っていたより、いい話だ。
信頼がおけるかは別として、話自体は非常においしい。好条件・好待遇。教会の要人に内通者が作れて、しかも彼女の目的は教皇暗殺?
俺の目的とも噛み合わせがいい。
全面的に信用するのはナシだ。
しかし利用価値は高い。これが手の込んだ何かの罠でないのならば、降って湧いた機会。
無下にして殺すのは勿体ないかもしれん。
「【教化】の仔細を教えろ」
「ん。えっと、一定時間手首で触れた相手を洗脳できる。命令とかはできないんだけど、認識を変えられる。無理なことを思い込ませようとすると破綻しやすいし、不自然に思考が補正されたりするから、周囲の人間はすぐ気づいちゃう。……こんな感じ?」
「じゃあ、そこのファルマンといったか。【分霊】の枢機卿から俺たちに関する記憶を消せるか」
「ファルマンは最近、国境の分身をいくらか引っ込めてまでここに張り込んでた。あなた⋯⋯たちを探すために。あなたに関わる記憶をぜんぶ消すとなると、彼の最近の記憶が変なふうに補完されちゃうかも。『私は草原で一本足でタップダンスする馬を探すために空を見張っていたのだ〜』みたいな」
「……ふざけてるのか」
「大まじめ。それに、もしかしたらファルマンは別の人間に『天使を探す』ことを話してるかもしれない。だから、せいぜい『今晩も目的の天使さんは見つけられなかった』にするのが限界かな」
天使さん……って俺のことか。
聖人とか聖女のロールプレイのつもりだったが、まさか神の使い扱いとはな。まぁカアウラス神の使いという立ち位置だろうが。俺が天使とは、面白い偶然だ。
「ソイツの本体はここにいるのか? もし本体が別にいて、記憶が共有されるのなら──」
「心配は無用。ファルマンの本体はエメリーヌも見たことないけど、記憶が引き継がれるのは近くにいる分体同士の間だけ。本体は何も考えずに、分体からの要請に応じて機械的に【分霊】を発動させてる……と聞いた。あくまでそれぞれが独立したファルマンだから」
「ならいい」
あと、確約しておきたいのは……。
「……そうだな。まだ数年先の話だが、彼女に皇立学園の推薦入学枠を与えてくれ」
俺はラシェルの生首を持ち上げた。
「……え?」
白髪から黒髪へ戻りつつあるラシェルの頭部をバラバラ死体の方へ放り投げる。肉塊と化した胴や手足の上へ頭はごろりと転がった。
下界の人間の目には見えぬ光がほとばしって、肉体は治癒される。骨がつながり、血液が戻り、肉が再生していく。
「……え……?!」
ラシェルはゆっくりと、歪な動きで立ち上がる。糸で吊るされた操り人形のようなカクついた動作で、美少女はエメリーヌの方を向いた。
「ひっ……!」
ずっと表情筋が死んでいたエメリーヌの顔に、初めて感情らしきものが浮かび上がる。
「お、お、おばけ……!!!!」
内股でよたよたと後ずさる。肩も震えている。本気で怖がっているようだ。
「回復魔法で生き返らせた。おばけじゃない」
ラシェルはぎこちなく手を振った。
まだ治癒が不十分だったらしく、手首がちぎれてぽとりと落ちた。
「……!!!!」
「……おばけじゃない。落ち着け」
今にも泣き出しそうな涙目のエメリーヌをなだめる。
「まだ頼みたいことがある」
「た……頼み……?」
少女は頬を紅潮させ、俺を上目遣いで見上げた。乱れた息に、目の端に光る涙の雫。濡れた銀の瞳に映る星が、チカチカと美しく瞬いている。
傍から見れば裸に外套一枚の男が少女を泣かせている構図。だいぶ変態的だ。
そんなふたりを、同じ姿をした大量の老紳士がボーッとした顔で取り囲んでいる絵面自体がそもそもシュールだが。
「【教化】を使って、彼女に『ラグナエルは死んだ』と思い込ませてくれ」
孤児の墓のそばに倒れているくすんだ金髪の少女・ユノを指さす。彼女は気絶したまま、規則正しい呼吸を繰り返していた。しっかり眠っている。洗脳を施したあと家へ帰してやれば、今晩のことは夢だと思うだろう。
「ん。お安いご用。『ラグナエルは死んだ』、ね。……あなたがラグナエル?」
「あぁ。だがラグナと呼んでくれ。そっちの令嬢はラシェルだ」
「ラグナに、ラシェル。よろしく」
エメリーヌは手を差し出したが、俺は断った。
彼女に触れられるリスクは計り知れない。
【教化】が天使たる俺に効果を及ぼすのかどうかは分からないが、用心するに越したことはない。
今後も、エメリーヌと会うときは不可視の結界を張っておくことにしよう。
「……こんなところか」
見上げると、空の端がいつの間にか白んでいる。
そろそろ夜も明ける。
「おい、俺たちはそろそろ……」
「ん……待って」
振り返ると、少女は何かひとりでブツブツ呟いていた。
「……ラシェル? ラシェル……どこかで聞いたような名前……あ」
風にたなびく銀髪を押さえつけながら、エメリーヌはポンと手を打った。
「もしかして昔お兄さんに殺されかけてた、あのラシェルちゃん?」




