17:俺の死体だ
人体実験は急げ。
人体実験にためらいは不要だ。
「だれ……? げほっ。だれかいるの……?」
夕刻。
茜色の陽が差しこむ窓を、影がよぎった。
「コレット? どうかしたのかい?」
不安げな少女の声に応えるように、母親のマリーが擦り切れた膝掛けを整えながら問いかける。
「いま、窓の外にだれかが……」
別邸のボロく狭い部屋を壁越しにうかがう。住み込み使用人にあてがわれた小部屋である。
「……安心しな。誰もいないよ。ほら、はやくお食べ」
マリーの震える声。彼女は娘の死期が近いことを悟り、絶望を隠しながら日常を演じている。
壁一枚を隔てたこちら側で、俺は掌を壁にかざした。
遠隔による「段階的治癒」の試行。
一度に完治させては意味がない。
俺自身が治癒に対する理解を深めるためにも、治療を可能な限り細分化し、勉強させてもらおう。
神聖力を極小の針先につけた一滴のように薄め、少女の細胞ひとつひとつへ浸透させていく。
できるだけゆっくりと、丁寧に、マリーの娘を「解剖」するように治していく。
「あれ、咳が⋯⋯出ない」
治療の途中で少女はベッドから起き上がり、窓から離れたが、俺は変わらず神聖力を送り込み続ける。
「今日は⋯⋯調子いいかも」
「本当かい?」
なるほど。
なんとなくコツが掴めたかもしれない。
俺はマリーの娘の病をそのまま治しきった。
□□□■■□□□
「聞いた? あの噂。ほら、呪いの令嬢の寝室近くに飾ってある……」
「鎧が真夜中に動くって? どうせ見間違いよ。寝坊助が夢でも見たんじゃないの。ほら、さっさと戻りましょ」
「ま、そうよね。あ~眠い眠い。明日も朝早いのよねー」
深夜。
別邸三階の廊下を、二人のメイドが見回っていた。ランプの灯が彼女たちの歩みに合わせて影を踊らせる。
ふいに、一人が立ち止まる。
「ねぇ、今向こうから音しなかった? ほらちょうど、あの鎧のある方……」
怯えた表情で薄暗い廊下の先を指差す。かすかな物音を彼女の耳はとらえていた。
「その手には乗らないわよ。わたしだって疲れてるんだから。馬鹿やってないで――」
カシャン。
先ほどよりも大きく響く金属音に、ビクッと体を震わせてメイド二人は後ずさる。
「……嘘でしょ?」
お互い顔を見合わせるが、様子を見に行く勇気は出ない。
「風か何かよ。だ、誰かが窓を閉め忘れたんだわ」
言い訳のように片方のメイドが呟いた直後、カシャン……カシャン……という音が今度は連続で廊下に反響した。
自然と目線は廊下の先、音の発生源へと向く。雲が風に流れ、奥で直立する影が月に照らし出される。黒光りする輪郭が幽かな威圧感を放つ、大きな鎧だった。
「動いてない……よね?」
漏れ出た問いかけにもう一人が口を開くが、言葉を発するその前にまた金属音が鳴る。
カシャン、カシャン。
その場から一歩も動いていない鎧の足元から、音がしていた。じっと見つめる二人は、やがて鎧の足がわずかに上下していることに気がついた。ゆっくりと靴底をこするように、両足を交互に持ち上げている。
「足踏み……してる……?」
恐怖よりも困惑が勝ったのか、一人が呆けた表情で呟いた。そのとき、鎧の動きが突然大きくなる。弱々しい徘徊が力強い行進に変わったかのように足踏みが加速する。
「に、逃げた方がよくない……?」
その言葉と同時にランプの灯が一瞬ゆらぐ。次の瞬間、奇妙な軋みとともに鎧の頭部が回転した――まるで二人の方を見るかのように。
「きゃぁあああああああーっ!!」
深夜の廊下に、二人の悲鳴が響き渡った。
□■□■□
見つかってしまったか。
俺は部屋の壁から体を離す。
「やはりぎこちないな……本やペンを飛び回らせるのとはまた勝手が違う」
天使ラグナエルこと公爵令嬢ラシェル・ド・レントシュミットは毎夜、神聖力の鍛練を行っていた。受肉してから早二ヶ月が経とうとしている。今日はマリーの娘コレットに対する治癒の実験と、それから《《コレ》》。
「まぁ昨晩よりはだいぶマシになったか」
今俺が挑戦しているのは「人型の物体の操作」。寝室の壁越しに、廊下へ飾られた鎧を動かそうと四苦八苦している。
当然単純に動かすだけでいいのなら、全身鎧まるごと皇都の果てまで吹き飛ばすこともできるし、頭、右腕、左腕、胴、右足、左足とバラバラに空中を狂ったように乱舞させることも容易い。
だがまるで生きているかのように、違和感なく振る舞わせるとなると途端に難易度が急上昇する。
「歩く」ことひとつとっても、左足を前方へ踏み出し、それに伴って体重を滑らかに移動させ、それに右足が自然と続くように見せなければならない。さらに、腕の振りや背中の僅かな揺れ、首の角度や視線の動きまでもが一貫していなければ、人は不気味さを覚え、すぐに異常を察知するものだ。
己の肉体でなら意識せずとも可能な動作が、ひどく細分化された難儀な作業に変わるのである。
「もっとこう……自分の体のように動かせないものか……」
これができれば、今後の計画の幅がグッと広がる。偽神カアウラスを殺すという目的の特性上、俺は協力者を非常に得にくい。たとえ人形だとしても、「もう一人の人物」がいるというのは何をするにしてもだいぶ都合がいいだろう。
仮にだが、目的の妨げとなる教会の要人を暗殺するとしたとき、神聖力で操る人形を実行犯として使用する利点は数知れない。
俺自身のアリバイの確保、犯人の特徴の撹乱、そして何よりも黒幕のミスリード。
気配の完全遮断や周囲への擬態による潜入、人体の限界を超えた駆動、損害を厭わない特攻が可能で、拷問も通じなければ裏切る心配もいらない。スペック的にもこれ以上ない暗殺者となることは間違いない。
「うーむ、だが……鎧ではやはり限界がある……いや、これはこれで有用ではあるが……」
専用の「人形」が欲しい。
より人間的なリアルな外見、柔軟な肢体、神聖力が馴染みやすい物性を持っているとなおいい。
そんな理想の「体」があるものなのか……?
ふーっと息を吐いて、ふかふかのベッドへダイブする。窓の向こうで、星がまたたいていた。
目が痛くなるまでシーツに顔をうずめ、足をパタパタさせる。頭を上げると視界がチカチカした。
「…………あ」
一呼吸置くと、頭に閃くものがあった。
都合のいいものがあるじゃないか⋯⋯!
そう、俺の死体だ。




