16:こっそり人体実験
大森林近郊の小さな街。
風雨に打たれてかすれた看板の下がる酒場に、黄色いランプが灯っていた。
「《総局》が田舎に出てったって?」
老紳士はカウンターの内側で酒を物色しながら若い店主に尋ねた。
「あ……そうっす。大森林から魔物があふれてきたとかで、アルバンの局長みずから一個中隊率いて……」
「ふーん」
「アルバンくんは軍師⋯⋯というか帷幕の参謀タイプだけど、戦術レベルの指揮に出しゃばるほど愚かじゃないよねぇ。現場を知るため、民を安心させるためについて行ったのかもね。彼、マジメだよね」
「え? あ⋯⋯わかんないっす」
紳士は、手鏡型の通信魔法具をいじる男の手元を見やった。
「ところでそれ、いつの情報?」
「ついさっきっす。馬で向かい始めた頃じゃないすかね」
店主の返答に老紳士は棚から酒を一本取り出した。瓶には蛇の絵が描かれている。それをしきりに嬉しそうに眺めたあと、老紳士は急に大声を出した。
「よし! やるか!」
「や、やるって……何をっすかファルマンさん」
「楽しくて、役に立つことさ」
「あ。もしかして殺すんすか」
首を切るジェスチャーをして舌を出す店主。老紳士は鷹揚にうなずいて両腕をかかげた。
「《特殊遺甲総局》、魔物の前に全滅! 皇帝の威信もガタ落ちさ!」
「神官連れていきますか?」
「いらないよ。あそう、ほかの枢機卿に国境手薄になるって言っといて」
紳士は酒瓶を握ったまま店を出た。
昼間だというのに薄暗い裏路地を、ひとり歩く。
物陰から目をのぞかせる野良猫は怯えたように老紳士に背を向けた。
そんな彼に背後から声をかける者がある。
「ブランデーに紅茶をそそいだ気分だね」
人影は紳士の横に並んで一緒に歩き始めた。
「紅茶にブランデーを垂らすより上等な飲み方だよ」
そこにまた別の人影が現れ、加わる。
「なんならブランデーだけでいい」
人数は路地を進むにつれ増えていく。
彼らはみな一様に同じ顔をしていた。
よく見ると身長や体格にばらつきはあるし、服装にも細かな差がある。しかし、やはり同じ顔だ。
全員が最初のひとりと同じ、老紳士だった。
人数が二十人を超えだしたところで、最初の老紳士は酒瓶に描かれた蛇を見た。それはいつの間にか、蛇とは到底似つかないグニャグニャとした線の塊になっている。
老紳士は心底ワクワクするという顔で栓を抜いた。
「どんな酒になったかな」
「おえ」
「まずい」
□□□
「バカな…………ハハハ、こりゃすごい」
老紳士──【分霊】の枢機卿・ファルマンは喝采をあげた。
彼の作り出した分身が、次から次へと死んでいく。
圧倒的な火力のただなかに彼らはいた。
「おいおい。この私が何もできずに全滅だよ、これじゃ。まるで【征圧】だ」
天から降りそそぐ光にひとり、またひとりと吹き飛んでいく。宙を飛ぶ少女が魔物ひしめく地上を一掃していた。
彼女は雪原にたたずむ紳士の集団に気がつくこともなく、大味な攻撃を広範にばらまく。
「戦場と月夜はいつも良い! 素晴らしい出会いの日じゃないか」
至近に着弾した砲撃が巻き起こした土砂を浴びながら紳士は酒瓶を直接あおった。液体がとくとくと口内に流れ込む。その途中で真上から光が降ってきて、その老紳士は一瞬で蒸発した。
「《総局》なんてもうどうでもいい。彼女と逢い引きしたいなぁ。教会の子じゃないよね。皇帝派の秘蔵っ子かな」
別の老紳士がセリフを引き継ぐ。何事もなかったかのように彼もまた自分の持つ酒を飲む。
「──ってありゃ」
魔物を討ち倒しきったのか砲撃がやむ。
しばらくして、少女は雲の上まで飛び上がり、姿を消してしまった。
「あっ。おーい! ちょっと待ってくれー! 嬢ちゃーん!」
慌てて叫んだが、届くはずもない。
「弱ったなぁ。これじゃ追いようがない」
老紳士はあまり困っていなさそうな表情で、困っていそうな声音を出した。
「うーん。ここに何体か置いといて空を監視させとこうか。また会う方法、それくらいしか思いつかないよ」
【分霊】のファルマン。
「運がよければ、会えそうな気がするよね」
彼は楽観主義者だった。
そして実際、運がいい。
□□■■■□□
「おはようございます、ラシェルお嬢さま。朝食をお持ちしました」
「おはよう、マリー。あとで頂きますね」
「どうぞゆっくり召し上がってください。今日も午後は寒くなりそうですし、昼食時にはまたあたためたスープを持って参りますよ」
「ありがとう」
一礼して、メイドは部屋から退室した。
彼女はマリー。一日三度の食事と甘味の配膳、部屋の掃除とシーツの取り替えをこなしに、少女の部屋を訪れるただ一人の人間である。
貴重な話し相手であり、有益な情報提供者でもある。
マリーがやってくるのは数日おきだ。
他のメイドが当番の日、彼女らは食事を載せた配膳台を部屋の外へ置くだけで、ドアを開けることはおろか、俺に声をかけすらしない。食器と一緒に使用済みの下着や衣服を、廊下に出しておけば、勝手に回収される。
正規の働きぶりなど知らないが、マリーと彼女らの間にある職務態度の差は、俺に対する感情の差だろうと思っている。早い話、マリーは顔に傷を持ち病に苦しむ少女に同情しているのだ。
マリーの娘も、病と日々闘っているらしい。
⋯⋯ふむ。
病気の子どもか。
戦闘力の訓練や、最近着手しようと考えている「神聖力の《《総量》》を増やす」試み、「《《人型の物体》》を動かす」試みとは違い、治癒の練習というのはじっくりできる機会も多くない。
この間、魔物退治したときも《特殊遺甲総局》とかいう皇国の軍人を治したが、雑に力を振りまいて無理やり全員治しただけだった。
なんというか、技術的進歩が欲しい。
神聖力を節約しながら治すとか、遠隔でひとりだけ治すとか、小さいことでもいいからできることを増やしたい。
俺だって、この受肉体の「呪い」のような病を治したとき、勢いあまって顔の古傷まで治してしまったという前科がある。
まーた同じようなことを繰り返さないためにも、この方面での鍛錬も必要だろう。
うーん、でも大っぴらに「私が治します。娘さんのところに案内してください」とマリーに言うわけにもいかない。
魔法を使えない呪いの令嬢がついに無才に耐えかねて妄想を……と憐れまれるのがオチだ。
……ってことで、こっそり治そうじゃないか。
マリーの娘、病気治療実験のお時間だ。




