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10:誰だお前(記憶喪失)

『枢機卿とは、カアウラス神より「神通力(じんつうりき)」を与えられた神官である。その任免権(にんめんけん)は教皇が有し、枢機卿候補として見出され訓練を受けた人間の中から選出される。「神通力」の種類は【征圧(せいあつ)】【護光(ごこう)】【教化(きょうか)】【永生(えいせい)】【分霊(ぶんれい)】⋯⋯』


 ぺらり、とページがめくられる。


 いま目の前に《《浮いている》》のは手書きの古書。エイリトニア皇国の神学書である。著者はロード・アレクサンドル・ド・エイリトニア。初代皇帝だ。



 ぺらり。ぺらり。

 ひとりでにページがめくれていく書物の周囲を、ベッド、小机、花瓶、羽根ペン、大きな鏡台、椅子などが漂っている。


 まるで家具の航空パレード。


 逆さまになった花瓶からは水があふれているが、それは床にこぼれ落ちることなく水滴の玉となってプカプカ浮かんでいる。


 そしてまた、本のページが風もないのにめくられた。



 重力を無視した、幻のような光景。

 だが残念、これは幻ではなく現実だ。


「神聖力は魔力より汎用性が高くて()い」


 俺がいるのは自室の天井。天井に尻をつけ、頭を地面に向けて座っている。



 ──逆さ吊りの状態で俺は読書していた。



 もし今部屋に入ってくる者があれば、腰を抜かしてひっくり返って壁に頭をぶつけて気絶することだろう。



 空中浮遊とポルターガイスト。

 まぁなんというか見かけだけは大層(たいそう)な手品だが、タネは特に捻りもないパワープレイだ。


 神聖力の(かたまり)を体外に放出し、物体の周りにまとわりつかせる。神聖力の塊を動かす。すると当然、物体も動く。以上。


 俺の逆さ吊りも同じ原理で、自分の肉体を神聖力で(おお)い、その上でその神聖力を操ることで超常的な動作が可能になる。

 逆さ吊りはまぁ正直ショボくて実用性も低いが、なんとこの方法を使えば俺は空を飛べる。


 大空への飛翔。夢の空中遊泳。


 調べた限り、この世界の魔法体系には飛翔魔法の類は存在しない。これは大きなアドバンテージだろう。


 燃やしたり凍らせたりといった小回(こまわ)りはきかないが、物理でぶん殴れる範疇(はんちゅう)でなら意外と応用が()く──そんなことを、俺はこの身体に受肉してから初めて知った。


 そう、降臨から一ヶ月と少しが経過して、初めて知った。孤児の「器」では扱えるエネルギーの総量が小さすぎて試行が重ねられなかったのである。改めて不遇な受肉体だったな、アレ⋯⋯。



 そのとき、扉がトントンと控えめにノックされた。


「⋯⋯っ」


 すぐさま床に着地する家具たち。一本足の小机の上に花瓶がおさまり、天蓋(てんがい)つきベッドは重々しくしかし静かに絨毯(じゅうたん)の上を滑って定位置に戻った。


 それから本を閉じ、鏡台を壁ぎわに()え置いて閉め切っていたカーテンを開けて──。


「失礼いたします⋯⋯あ、あれ? 開かない?」


 結界で扉が動かないように固定しておいて正解だった。人を助けるのはいつだって失敗後のリカバリー策、予防線なのだ⋯⋯。


 ガチャガチャと回されるドアノブを尻目に俺はベッドの中に飛び込んで、すばやく顔隠し(ヴェール)をかぶった。


 ふぅ、セーフ。



「どうぞ」


「ひっ! きゅ、急に開いた⋯⋯」


 姿を現したのは若いメイドだ。

 白と黒を基調としたお仕着(しき)せを身にまとう黒髪の、つまり平民の使用人である。



「う⋯⋯ラシェルお嬢さま。お、お嬢さま(あて)言伝(ことづて)がございます」


 ビクビクと震えながら、少女は続けた。


「明日の夕刻、ア、アドルフさまとゲルトさまが別邸にお見えになるそうです。ただいま応接間にて、その準備を進めております⋯⋯」



 今さらだが、現在の肉体の名は「ラシェル・ド・レントシュミット」という。公爵家の長女であり、アドルフは長男であり兄貴、ゲルトは同い年の異母弟(いぼてい)である。


「こっ言伝(ことづて)の内容は以上になります、お休みのところ失礼いたしました⋯⋯っ」


 メイドは逃げるように退室していった。



 尋常ではない怯えようである。

 最初はここまでビクビク接される理由が読みきれなかったが、受肉体(ラシェル)の自筆の日記帳を見つけたことで、この疑問は氷解(ひょうかい)した。



 貴族にあるまじき黒髪。

 生まれた直後に負った切り傷。

 血を()く奇病。

 魔力を持ちながら魔法を一切行使できない、絶望的な才。



 このうちどれかひとつであっても、貴族社会を生きる令嬢にとっては致命的だ。公爵家の汚点としては、もう申し分ない。


 そんなマイナス要素がマイナス要素とタップダンスを踊りながら仲よく同一人物上で悪魔合体を起こせば⋯⋯。


 ──呪いの令嬢。


 誰かがそう言い出してから、「カアウラス神からの天罰である」「前世の罪悪を背負っている」、そんな噂があっという間に閉鎖的な貴族社会へ広まった。



 下級使用人にすらおぞましがられる十一歳の令嬢の爆誕(ばくたん)である。



 その()み嫌われ具合(ぐあい)は凄まじいもので、ラシェルは生後数ヶ月で公爵邸から追い出され、皇都の(はじ)に位置する「別邸(べってい)」へ幽閉された。それからなんと、彼女は一度も別邸の外の土を踏んでいない。


 それから、顔面に刻まれた生々しい傷跡(もう綺麗さっぱり消えてしまったが)は、自身の赤子が黒髪であることに発狂・錯乱した実母が、水差しの破片で何度も切りつけた結果できたものらしい。


 うーん何から何まで、ヘヴィーで悲惨(ひさん)な話だ。



 救いはないのか。


 ⋯⋯一応、救いはあった。


 

 こんなラシェルにも、唯一といっていい味方が存在していたのだ。

 それがメイドの「マリー」。

 平凡黒髪平民で家名はない。

 あまりに不憫な境遇に同情したのか、病に苦しむ少女に娘の姿を重ねたのか、とにかく彼女は自身にできる範囲で献身的だった。


 ほかのメイドは先ほどのように、特別な用でもない限り絶対に部屋へ足を踏み入れない。


 「呪い」と顔を合わせたくもないのだろう。食事は扉の前に置きっぱなし、洗濯物やシーツも勝手に取って勝手に交換しろ方式。食べ終えた皿は廊下に出しといてくれ、あとで回収するからという放置スタイル。

 まがりなりにも公爵令嬢に対する仕え方ではない。


 なかなかひどい環境だが、「どんな暴君にも忠臣(ちゅうしん)はいる」というようなもので、マリーはラシェルを思いやり尽くしていた。


 数日に一回まわってくる当番で、部屋の掃除からボロ家具の修繕、看病、湯浴(ゆあ)みの用意と補助、食事に至っては「あーん」の食べさせまでやってくれていたそうだ。⋯⋯まぁ顔の傷を(なお)した以上、今は丁重(ていちょう)に拒否するほかないが。


 とはいえ、やはり所詮(しょせん)メイド一人。

 残念ながら、カアウラス神討伐に役立つような社会的地位や権力、情報網はラシェルちゃんの手元(てもと)には皆無(かいむ)と見ていい。


 というかむしろマイナスだ。

 何か動き始めるにしても、「呪いの令嬢」という肩書きが足を引っ張るのは火を見るよりも明らか。


 どうだろう、今後はやはり、別名義(べつめいぎ)としてラシェルであることを伏せて活動していくのがベターだろうか。

 教会とやり合う上で、純粋な火力以外の面も強化しておきたいからな。

 まぁ、その「活動」の具体的方向性がまだ定まってないんだが⋯⋯。


 単純に考えれば、神聖力は破壊と治癒に特化している。この要素ふたつを混ぜあわせてコネコネすれば、何かいいアイデアも浮かびそうだ。



「⋯⋯⋯⋯」


 

 そして黙考(もっこう)することしばらく。

 脳裏になにかピカピカと(ひらめ)くものがあった。


 ザ・革新的。

 斬新で天才的、効率的でベリーナイスな案。

 自画自賛も当然の素晴らしい案が浮かびそうになったまさにそのとき。


「──邪魔するぞ」


 悲しいかな、このような時に限って邪魔は入るものだ。


 蹴破るように扉を押し開け入ってきたのは、銀髪の美男子だった。


「何を読んでいるかと思えば……神に見放されたお前が、神学書だと?」


 誰だお前。


 お前は俺を知っているようだが、俺はお前を知らないんだ。自己紹介してくれ。簡潔にな。


「ちっ、祝福逃れの罪人が気取(きど)ったつもりか忌々(いまいま)しい⋯⋯」


 美男子(イケメン)は勢いよく拳を持ち上げ。


 ──ラシェルに向けて振り下ろした。

 

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